2ー記憶を売る街
夢の殺人事件の余韻がまだ街に残っていた。
だがユーメリアは表面上の平穏を取り戻し、人々は再び夢晶を枕元に置いて眠りにつく。
リセは夢薬庵の窓から街を眺め、胸の奥に小さな違和感を覚えていた。
夢の流れが、どこか不自然に均一なのだ。
「……リセさん、また、考え込んでますね」
助手のノアが声をかける。
彼は夢晶の整理をしながら、ちらりとリセを見た。
「ええ。最近持ち込まれる夢が整いすぎている……。まるで誰かが調律しているみたい」
「夢喰いの件で神経質になってるんじゃ……?」
ノアが続きを言いかけたとき、夢薬庵の扉が開いた。
セイレンが姿を現す。
夢警団の制服姿はいつも通りだが、その表情は険しい。
「リセ。新しい依頼だ……。 記憶を売る市場を調べてほしい」
「記憶……を売る?」
リセは眉を寄せた。夢ではなく、記憶。
セイレンは頷く。
「最近、“記憶を売ったあと人格が崩壊する”事件が多発している。夢警団では調査が難しい。君の力が、助けが必要だ」
***
地下街―リセとノアは変装して市場に足を踏み入れた。
そこには露店が並び、透明な結晶が売られている。
夢晶ではない。淡い色を帯びた『記憶晶』だった。
「……これが、記憶晶」
リセは息を呑む。店先では男が叫んでいた。
「恋の記憶! 失恋の痛み! 幸福の一日! 全部安くするよ!」
買い手たちは笑いながら結晶を手に取る。
だがその瞳はどこか虚ろだった。
「……夢じゃない。現実の記憶を抽出している」
ノアが低く呟く。
リセは胸に冷たいものを感じた。
(記憶を売る……それは、夢を失う以上に危険)
市場の片隅で、一人の老婆が座り込んでいた。
リセが近づくと、老婆は涙を流しながら呟いた。
「息子の顔を……思い出せないのよ……」
リセは膝をつき、老婆の手を握った。
「……記憶を売ってしまったの?」
「わからない……気づいたら、何も残っていないの」
老婆が差し出した記憶晶をリセが覗くと、そこには奇妙な風景が映っていた。
崩れゆく街―夢喰いの印に似た黒い紋様。
「……これは……夢と記憶が混ざり合っている?」
リセは震える声で呟いた。
ノアが解析器を操作し、波形を映し出す。
「……夢喰いの印だ。記憶晶にまで……」
リセは立ち上がり、セイレンに視線を向けた。
「この市場の裏に、夢と記憶を繋ぐ技術が動いている。……放っておけば、街全体が記憶を失う」
セイレンは頷き、剣の柄に手をかけた。
「なら、俺たちで止めるしかない」
リセの胸に、再び不安が広がっていった。
(夢喰いは終わっていない……。むしろ、もっと深いところで息づいている)
***
夢薬庵の扉が勢いよく開かれた。
若い女性が駆け込んでくる。
顔は青ざめ、瞳は必死に何かを探していた。
「……お願いです! 助けてください!」
リセはすぐに立ち上がり、女性を迎えた。
ノアが慌てて椅子を用意する。
「落ち着いて。何があったの?」
女性は震える声で答えた。
「……夫のことを……どうしても思い出せないんです。昨日まで隣にいたはずなのに……顔も、声も、名前さえ……」
リセは息を呑んだ。
(記憶の欠落……夢ではなく、現実の記憶が消えている?)
「あなたのお名前は?」
「セリアです……。夫は……確かに存在していたんです。近所の人も知っているはずなのに……私の頭からだけ、消えてしまった」
リセはセリアの夢晶を受け取り、目を閉じた。
夢の映像が流れ込む。
そこには“顔のない男性”が立っていた。輪郭はあるのに、表情も声もない。
「……夢からも、姿が消えている」
リセは呟いた。
ノアが解析器を操作し、波形を映し出す。
「……意図的に削除された痕跡があります。誰かが記憶を抜き取った」
「記憶を……盗まれた?」
セリアが震える声で問い返す。
リセは頷いた。
「夢晶と記憶晶を繋げば、記憶を操作できる。……誰かがあなたの夫を“商品”にしたのね」
セイレンが夢警団の制服姿で現れた。
彼は険しい表情でリセに視線を向ける。
「市場で“記憶晶”が出回っている。……その中に、セリアの夫の記憶が出品されていた」
「……そんな……!」
セリアが顔を覆って泣き崩れる。
リセは拳を握りしめた。
(記憶を売る……人の存在そのものを奪う行為。許せない)
「買い手は誰?」
「黒衣の男だ。夢技師と呼ばれている」
セイレンの声は低く、怒りを含んでいた。
その夜ーリセは夢晶を解析していた。
突然、視界が白く霞む。
頭の奥に、鋭い痛みが走る。
「……っ!」
記憶に穴が開くような感覚。
自分の過去の一部が、抜け落ちていく。
(これは……私自身も狙われている?)
リセは震える手で夢晶を握りしめた。
「……夢技師……あなたは、私の記憶まで奪うつもりなの?」
***
夢薬庵の奥で、ノアが解析器を操作していた。
画面に映し出された波形は、夢晶と記憶晶が共鳴していることを示していた。
「……やっぱり、夢晶と記憶晶が繋がってる。夢を通じて記憶を直接操作できるんだ」
ノアの声は震えていた。
リセは眉を寄せ、夢晶を見つめる。
(夢と記憶が融合する……それは、人の存在そのものを改造すること)
「誰かがこの技術を盗んでいる。……夢技師の仕業ね」
リセは低く呟いた。
セイレンが腕を組み、険しい表情を浮かべる。
「旧研究所に潜伏しているという情報がある。……一緒に行くか?」
「もちろん! 放っておけば、街全体が夢の抜け殻になる」
***
旧研究所―崩れた壁の奥に、数十人の人々が眠っていた。
彼らの夢晶は淡く光り、脳波が異常に安定している。
「……これは……」
リセが近づくと、眠る人々の夢が流れ込んできた。
そこには“他人の人生”が繰り返されていた。
戦場で戦う兵士。恋人と笑う青年。
だが、それは本人の記憶ではない。
「夢の中で、別人の人生を生きている……。これじゃ、現実に戻れない」
セイレンが歯を食いしばった。
「まるで人間を人形にしているようだ」
リセは一人の被験者の夢に入り込んだ。
そこは、見覚えのある風景だった。
幼い頃の薬屋ー師匠の姿。
「……これは……私の過去?」
リセは息を呑んだ。
師匠が薬を調合している姿は、記憶そのものだった。
だが、夢の中で師匠が振り返り、囁いた。
「リセ……お前は、夢から生まれたんだ」
「……違う! 私は……私は本物の人よ!」
リセは叫んだ。
だが風景が崩れ、夢晶が破裂した。
残された断片に文字が刻まれていた。
──「夢を売った者、リセ・ファルナ」
現実に戻ったリセは、震える手で夢晶を握りしめた。
ノアが駆け寄る。
「リセさん……あなたの記憶が、実験に使われていたんです」
「……私の……記憶?」
リセの胸に冷たい恐怖が広がった。
(夢技師は、私を狙っている……。私の存在そのものを)
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