1-夢の中の殺人
夢界都—人々は眠る前に必ず「夢晶」と呼ばれる透明な石を枕元に置く。
夢晶は眠りの間に光を帯び、夢を記録する。
翌朝、それを薬師に診てもらうのがこの街の習わしだった。
夢は心身の鏡であり、病の兆しも、感情の歪みも、時に呪いさえも映し出すからだ。
「さあ……今日も始めるか」
夢薬師リセ・ファルナは、静かに夢薬庵(診療所)の扉を開いた。
朝の光が差し込み、棚に並ぶ夢晶が淡く輝く。
助手のノア・カインが既に仕事の整理を始めていた。
「おはようございます、リセさん。 昨夜分の夢晶、三十件ほど届いてます。 解析は僕が進めておきますね」
「助かるわ。……なんだか、今日は少し重い夢が来そうな予感がする」
リセは淡々と答えたが、胸の奥に微かなざわめきを感じていた。
夢晶の光が、いつもよりなぜか濁って見えるのだ。
午前の診療が始まって間もなく、一人の少女が母親に連れられてやってきた。
少女の名はミク。まだ十歳ほどだろうか。
怯えた瞳で夢晶を抱きしめている。
「先生……娘が、毎晩同じ夢を見るんです。血の海に沈む夢を……」
母親の声は震えていた。
ミクは泣きそうな顔で抱えていた夢晶をリセに差し出す。
「……血の夢?」
リセは夢晶を掌に載せ、目を閉じる。
夢晶が脈打つように震え、映像が意識に流れ込んでくる。
赤い雨。倒れた男性。少女の悲鳴。
「……これは、ただの悪夢じゃない」
リセは眉を寄せた。
夢晶に映る男性の姿は、現実の人物像に酷似していた。
夢は象徴であることが多い。だがこれは、あまりに具体的すぎる。
「先生……わたし……知らない男を……殺したの……」
ミクが泣きながら口にした言葉に、室内の空気が凍りついた。
母親が慌てて娘を抱きしめる。
「違うわ、ミク! 夢よ、夢なんだから!」
リセは深く息を吸い、少女の肩に手を置いた。
「落ち着いて。これは、ミクちゃんの罪じゃない……。 夢晶の波形が異常ね。 誰かの記憶が混ざっている可能性がある」
ノアが解析器を操作し、波形を映し出す。
通常の夢晶は滑らかな曲線を描くが、ミクの夢晶は途中で乱れ、黒いノイズが走っていた。
「……外部の記憶が混入してる。 誰かが夢を上書きした痕跡だ」
リセは低く呟いた。
**
その夜―街で一人の男性が殺害されたという報せが届いた。
名前はダグラという商人。ミクの夢に出てきた男と顔立ちが一致していた。
「……夢が、現実を予言した?」
リセは夢晶を見つめ、胸の奥に冷たいものが広がるのを感じた。
「リセさん、夢警団から呼び出しです。事件との関係を説明しろって」
ノアが苦い顔で告げる。
リセは夢晶を手に取り、静かに頷いた。
「そう……行くしかないわね」
***
夢警団本部―灰色の石造りの建物は、外から見ても威圧感を放っていた。
リセとノアは、夢警団の青年、セイレン・ヴェイルと対面した。
柔和な物腰だが、その瞳は鋭く、なぜかリセを容疑者として見ているように感じる。
「君が夢薬師リセ・ファルナか……。 この夢晶、君が解析したんだな?」
「ええ。けれど夢は改ざん可能よ。夢の断片だけで真実を断定するのは危険」
「そうか……面白い。なら、我々に協力してもらおうか?」
セイレンは微笑んだ。
だがその笑みの奥に、リセへの警戒の影が潜んでいた。
リセとノアが夢晶を再解析すると、映像の中に“月が二つ”映っていることに気づいた。 それは『他人の夢を上書きした痕跡』だった。
「……やっぱり。ミクちゃん……彼女の夢は、誰かに植えつけられたもの」
リセは呟き、セイレンに視線を向けた。
「この街には、夢を偽装する技術者がいる……。夢犯罪の犯人は、どこかにいる」
リセは夢晶を抱え、セイレンに案内されながら夢警団本部奥へと歩いていく。
廊下の空気は冷たく、足音だけが響く。
セイレンが振り返り、鋭い眼差しを向けてきた。
声は柔らかいが、試すような響きがある。
「夢薬師の君は特異体質を持っているそうだな? 他人の夢に入り込める、と」
リセは一瞬だけ目を伏せ、夢晶を握りしめた。
(その話……。私が望んで得た力じゃないのに……)
「事故の後遺症よ。私自身も制御できるわけじゃない」
「だが、その力が、今回の事件に関わっている可能性は高い……」
セイレンの言葉は冷徹だった。
だが、彼の瞳の奥に、リセに対するわずかな興味が見えた。
「なら、今回の捜査に協力させて!! 夢晶の矛盾を解き明かすには、私の力が必要になるわ」
リセの声は静かだが、揺るぎない。
セイレンは少しだけ口元を緩めた。
「……いいだろう。だが一つ忠告しておく。夢に深入りすれば、君自身も失う」
「それでも構わない。夢は、買い残はできても、本質は、嘘をつけないから」
**
セイレンに伴われ、リセとノアは被害者ダグラの部屋を訪れた。
―割れた夢晶が床に散らばっていた。
リセは破片を拾い上げ、目を閉じる。
夢の残滓が意識に流れ込む。
──暗い部屋。刃物を握る女性。血に染まる床。
「……ミクちゃんじゃない。成人女性……」
リセが目を開けると、セイレンが険しい表情で頷いた。
「女性? 被害者の愛人が行方不明だ。彼女の部屋を調べるか」
リセは胸の奥に冷たいものを感じた。
(夢が二重に重なっている……誰かが意図的に混線させている)
***
ダグラの愛人の行方を捜すため、リセとノアはセイレンに連れられて、彼女の部屋を訪れた。
―枕元に置かれた夢晶は青く染まっていた。
通常の透明な夢晶とは違う、薬品で加工された特殊品。
「……これは、他人の夢を転送する素材。夢を見せるための実験品……」
リセが呟くと、ノアが顔をしかめた。
「つまり、ダグラの愛人は誰かに強制的に夢をみさせられ、利用された……?」
「ええ。誰かが彼女に、夢を意図的に植えつけたのよ」
***
その夜ーリセが夢晶を解析していると、突然意識が引きずり込まれた。
夢の中で再び刺殺シーンが再現される。だが今度は犯人の顔が明瞭に見えた。
「……あなたは……!」
刃物を握るのは、被害者ダグラの妻だった。 夢の中で彼女が囁く。
「夢は真実を語らない。でも、嘘をつけないのよ」
リセは息を呑み、夢から目覚めた。
(……被害者ダグラの妻が犯人。だがどう証明する?)
***
夢警団の取調室―リセは夢晶を提示した。
「ダグラの妻が愛人に“夢偽装薬”を投与していた。 愛人は操られ、夢の中で殺人を演じさせられていた」
セイレンが鋭い眼差しでダグラの妻を見据える。
「……ダグラの愛人は、夢で見たことが現実になったと錯乱しているが、実際は夢晶を偽造して、お前の罪を転送していたんだな?」
リセは夢偽装の理論を逆手に取り、妻の夢晶を解析した。
そこには彼女が事件を計画する夢が鮮明に記録されていた。
「……これが、あなたが犯した犯罪の証拠よ!!」
ダグラの妻は崩れ落ち、警団に連行された。
事件は解決した。
夜―リセは静かに夢に沈んだ。
そこで見たのは──崩れゆく街の上で、自分が誰かを呼んでいる夢。
「……これは……私の過去?」
リセは胸に不安を抱えながら目を覚ました。
(夢はまだ続いている。もっと大きな謎が待っている)
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