第5話 虐待
「あー、あー……」
ヨウセイの小さな口から、甲高い呼吸音のようなものが漏れ出ている。ヨウセイは必死に藻掻いているが、動くことはかなわない。空を飛ぶための羽はもがれ、地を歩くための足はへし折られている。
「ゆ、弓……それ……」
「綺麗でしょ。もっと近くで見る?」
弓は鳥かごを掲げ、私の前に差し出した。
鳥かごの中のヨウセイと目が合う。
「あ~~~っ、あ~~~っ……」
何かを訴えようとしているのか、甲高い声でヨウセイが叫んだ。
「成熟したゲツガコウヨウセイ! 女性器らしきものが見られるから同定は難しいけど多分メスだよ」
「……羽と足、怪我してるわ。治療しなきゃ」
「違うよ琴子」弓は笑う。「私が引き千切ったの」
引き千切った――その言葉が信じられず絶句してしまう。
「弓……なんで……」
「琴子ったら、なに変なこと言ってるの」弓は無邪気に笑う。「ヨウセイってこんな小さな頭だけれど賢いんだから。こんな鳥かごすぐに脱出して逃げちゃうでしょ? だからね、羽をもぎとって足をねじったの。ずっとここにいるように」
弓は鳥かごを開けてヨウセイを取り出した。ヨウセイは必死に彼女の手から逃れようとするも、弓の手でがっしりと掴まれている。
「……自分のしてることが分かってるの、弓」
「ん~?」
「日本に生息するヨウセイは、全て天然記念物に指定されてるわ。動物愛護法、文化財保護法の両方に反する行為よ。弓のやってることはれっきとした犯罪よ」
「犯罪……。琴子は、私のやってることが犯罪だと思ってるの?」
「思ってるじゃなくてそうなのよ。羽を千切るのも足を潰すのも虐た――」
「幸せを求める私の行為が犯罪だっていうんだ、琴子は?」
私の発言を途中で遮り、弓は強い語調で言った。
「幸せを、求めるって……」
「だってそうでしょう。ヨウセイは見ただけで幸せが訪れるんだから。だったらヨウセイを手に入れればとても多くの、抱えきれないほどの幸せを手に入れるんだよ。その行為が犯罪だって琴子は言ってるの? だとしたら私は……悲しいよ」
「ちょっと待って。弓、何を言ってるの……?」
「それはさぁ! こっちの台詞だよ!」
弓は大声で怒鳴り、強い力で床を踏み鳴らした。
「……ねぇ、弓。少し落ち着いて。落ち着いて私の話を聞いて。確かにヨウセイを見た人には幸せが訪れるっていうけど、それは迷信でしょう? 夜に口笛を吹くと蛇が出ると同程度の。そんなことのためにヨウセイを捕まえるべきじゃないわ」
「私を否定するの、琴子……? あなたが私を否定するの?」
弓のまなじりに涙が溜まっていく。ヨウセイを握る弓の手に力が入った。彼女の手の中のヨウセイは、ぺちぺちと弓の手を叩いている。しかし身長差が十倍以上もあるのに抜け出せるはずがない。
「やっぱりさ、琴子はおかしくなったんだよ」
「私が、おかしい……?」
何を言っているのだろう。おかしいのは弓だ。先ほどから会話が通じない。弓はとても思慮深く、いつも冷静に私の話を聞いてくれた。だけれど今の弓はまるで支離滅裂な思考――弓の形をした別人のようだ。
「琴子、私があなたを戻してあげるから」
「ねえ弓、話を聞いて……」
「だからもっと集めなくちゃ」
弓はヨウセイを持った腕を高く掲げ、そして一気に振りぬいた。
躊躇もなしに全力で。
弓の手を離れたヨウセイは、木目の床へと叩きつけられた。
ぱぎっ、という甲高い悲鳴。
ぱっ、と鮮血が舞う。
叩き付けられたヨウセイは大きくワンバウンドして、私の横へと転がってきた。
「あ、ああ……」
床に真っ赤な血だまりが広がっていく。
しゃがんで、ヨウセイに触れてみる。
暖かい。
鼓動がある。
「むうぅ……」
ヨウセイが小さな口から血を拭きだした。
痙攣したかのようにびくんびくんと大きく二回跳ねる。
ヨウセイが私へと手を伸ばす。
細く、小さな手だった。
私がり返そうとする前に、ヨウセイの身体から力が抜け、腕が地面に落ちる。
二度と動かなくなった。
「……」
「あれ、死んじゃった?」弓がへらへらと笑う。
私はヨウセイが苦手だ。幼い頃に見た剥製と、母の死が、深く結びついている。でも、だからといって、こんなむやみに殺す行為が――赦されるはずがない。
「弓っ!」
私は顔を上げ、眼前の弓を睨みつける。弓と私は子供のころから十年来の付き合いで親友だ。でもだからって、いや、親友だからこそ――この行為は絶対に赦せない。
私は彼女の頬を思い切りはたいた。ぱぁん、という鋭い音。彼女の頬を叩いた手のひらは熱く、痛かった。喧嘩したことも何回かあった。だけどこうして手を出したのは初めてだ。
「もう止めてよ弓。おかしいよ。ねえ、何かあったのなら私に相談してよ、弓――」
弓は叩かれた頬を抑え、ゆっくりと私に焦点を合わせる。
「……叩かれた。琴子が私を、叩いた。そんなのって変だよ」
「ねえ、弓!」
「そんなのって、変だよぉ!!!」弓が絶叫する。「やっぱり、琴子は変なんだよ。変、変変変変変、変だよ!!! でもだいじょうぶ、大丈夫だから!」
弓が足を高く上げ、ヨウセイの死骸に向かって勢いよく降ろす。ぱしゃっ、という音とともに鮮血が飛び散った。弓が足を上げる。赤い液体が、ねとぉっと尾を引く。