第4話 目撃
門が開いて立っていたのは、私服を着たボブカットの少女――入月弓だ。頭一つ分小さい彼女は私を見て、ぱぁっと顔を明るくする。
「あれ、琴子?」てくてくと、弓が近づいてくる。「どうしたの急にやってきて? 連絡くらいくれればよかったのに」
「電話もしたしラインも送った。けど、出てくれなかったでしょ?」
「え、そうなの? あ……スマホの電池切れてた。あはは」
ポケットからスマホを取り出して、弓は笑った。私もつられて笑ってしまう。心配していたが元気そうでよかった。先週と比べて少し頬がそげているような気がするけれど。夏バテだろうか。
「それにしても琴子……」弓は私の身体を見回した。「どうして制服を着てるの?」
「……? どうしてって……それは学校があったからよ」
「へぇ。補習? 休日なのに大変だね」
「……弓。今日が何曜だと思ってるの?」
「日曜でしょ?」
「水曜」
私の言葉を聞いて弓はしばしぽかんとしていた。しかし何かに得心がいったのか、彼女はくすくすと笑い始める。
「あはははは。そっかそっか。今日って水曜だったんだ。早いね。びっくりしちゃった。時間間隔が狂っちゃうんだもん。そっか、早いなぁ」
「……?」
弓の様子に、少し違和感を覚える。弓はしばらく笑い続けた後、いきなりよろめいて地面に倒れそうになる。私は駆けよって彼女を支えた。
「弓、大丈夫? 疲れてるの?」
「……大丈夫。私は大丈夫だよ」弓はにこりと笑いかける。「折角だしお茶でも飲んでってよ。ちょっと琴子に見せたいものがあるんだよね。さ、入って入って!」
弓は一人で立つと、足を弾ませながら家へと向かう。いつも物静かな弓にしては珍しいテンションだ。弓の様子が少しおかしいことに不安を覚えたけれど、私は後をついていく。
視界の端を、また何かがよぎった気がした。ヨウセイかと思ったけれど、そこを飛んでいたのはただのアゲハチョウだ。
私はリビングへ通された。小学生の頃から何度も上がり込んでいる弓の家だが、高校生になってからやって来たのは初めてかもしれない。どことなく懐かしい感じだ。
開いた網戸からセミの喧騒が聞こえてくる。時折、風が吹いて軒先に吊るされた風鈴がちりんと鳴った。クーラーはついていないが十分に涼しかった。
「はい琴子。暑かったでしょ?」
「うん、ありがと」
コップに注がれた麦茶を弓から受け取る。炎天下で失われた水分を補うため、一気に飲み干す。麦茶は作られて時間が経っているのか、少し酸味を感じた。
「それで琴子? なんで急にやって来たの?」
「弓の担任の荒巻先生から聞いたの。学校ずっと休んでるんでしょ? 何かあったの?」
「うん、色々あって」
「進路の調査票も出せとか言われてたけど」
「そんなことより琴子。面白いもの手に入れたんだけど見ない?」
「面白いもの?」
「そ。琴子もきっと喜んでくれる。裏のほうにあるの」
弓は弾んだ足取りでリビングから出て行き、私もあとを追った。庭に面した縁側を通り、家の奥へと進む。家の中は静かだった。私たちの足音、床が軋む音、セミの鳴き声、遠くで風鈴が鳴る。
「そういえば、おばあさんたちは?」
小学生の頃、私が家を訪ねたときにいつも出迎えてくれたのが、弓のおばあさんとおじいさんだ。私のことを本当の孫娘のように出迎えてくれた。
私が尋ねると、前を行く弓が振り返り微笑む。
「おばあちゃんたち、まだ寝てるの」
「そう……。風が通って涼しいものね、この家」
私たちは裏口でサンダルに履き替え、母屋の裏にある土蔵へと向かった。土蔵は壁に漆喰が塗られていて、小さな一軒家くらいの大きさだ。江戸後期のころに建てられたらしいが、母屋と同じくリフォームされ、壁、内装ともに一新されている。
蔵は弓専用の部屋として使われている。弓は爬虫類を中心に多くの動物を飼っているが、特にヘビは飼育するうえでなかなか厄介で、ケースのわずかな隙間から脱出してしまう。母屋でヘビを飼っていたころにもよく抜け出し、親から怒られていたらしい。それを見かねた弓の祖父が蔵を丸々あげて、隔離するよう取り計らったのだ。蔵にはクーラーや冷蔵庫もついており、不自由はない。秘密基地のようで、小学生の頃は羨ましかった。
蔵の厚い扉を開くと左右に二つの棚があり、ガラス製やプラスチック製のケースがずらりと並んでいる。蔵の中には、独特のケモノ臭さが立ち込めている。弓はペットショップで動物を買うのではなく、野外で捕まえてくる。裏山には多くの動植物が生息しており、そこで見つけた爬虫類を捕獲して持ち帰ってくるのだ。
「見せたいものって? また何か変な動物でも見つけてきたの?」
「うん。多分すっごい驚くよ」
そう言うと、弓は奥の階段から蔵の二階へと昇って行く。
その間、私はケースに近寄り動物たちを眺めていることにした。
(弓って、本当に昔から変わってない……)
休んでいると聞いたから少し不安だったけれど、安心した。
弓は小学生のころから、爬虫類や両生類が大好きな珍しい女の子だった。私が本やネットで知識を仕入れるタイプだとしたら、彼女は実際にフィールドで知識を得る野生児系のタイプだ。文献だけでは得られない多くの情報を知っている。
(そもそも、生物部にも弓に強引に誘われたし……)
別に、私は生物がそんなに好きだったわけじゃない。父の職業柄、触れる機会が多く周りより多少知っていただけだ。一方の弓は昔から動物が大好きで、小学生の頃から私と仲良くしてくれていた。このケースの中に入っている動物は、私たちが一緒に捕らえたものも多く、思い出が詰まっている。
この中でも彼女が特に気に入っているのが、シロマダラというヘビだ。私たちが中学1年生のときに裏山で見つけた個体だ。幻の蛇と言われることもあり、滅多に遭遇できない。頻繁にフィールドワークに出かけている彼女だけれど、この1匹以外には遭遇したことがないそうだ。
ケースを覗き込むと、敷かれたチップの上にシロマダラがとぐろを巻いて横たわっている。ピクリとも動かず、まるで眠っているかのようだ。私たちが初めて見つけたときより大きくなったな――と感慨にふけっているところで、私は気づく。
シロマダラの瞳は灰色に濁り、光がない。その瞳にコバエが止まった。シロマダラは瞬きもしない。よく見ると多くのコバエがケース内を飛び回っている。私はケージの扉を開けた。シロマダラに触る。まったく動かない。頭部を持ち上げてみるも反応なし。完全に死んでいた。
「……」
ショックだった。自分が直接飼っているわけではないけれど、弓と一緒に見つけてから長い間つきあってきたのだ。
次いで湧き上がって来たのは、疑問だった。このコバエのたかり様、さっき死んだわけではないだろう。少なくとも数日は経っている。それならばなぜ弓はシロマダラが死んだことに気づかないのか? 別に毎日餌をあげるわけではないけれど、彼女のことだから細かくチェックしているはず。それなのにどうして放置を――。
「お待たせ、琴子ーっ!」
弓が階段を下りてきた。風呂敷のかかったものを手に持っている。
「ふふ、きっとびっくりするよ。琴子なら喜んでくれると思うな!」
「……弓」
「ん、どうしたの?」
私はゆっくりと、ケージの中を指さした。
「このシロマダラ、死んでるわ……」
私がそれを指摘すると、弓はくすくすと笑った。
「そうそう。3日くらい前に死んじゃったんだよね」
「……あなた、知ってたの?」
「うん。最近お世話してなかったからね」
「……埋めてあげないの?」
「うーん。面倒くさくて」
「めんどうくさ……」
「大丈夫。さすがに腐敗してハエがたかるまえに、まとめて捨てるから」
まとめて捨てる?
私ははっとして、他のケースを見る。横のケージに入っているのはアオカナヘビ。奄美諸島などに生息する固有種で、綺麗な緑色をしている。ケージには雄一匹、雌二匹が入っているはずだが――三匹とも地面にべったりと倒れ、動かない。
他のケースも見ていく。シロマダラよりもずっと以前から飼っている爬虫類も多くいる。それらも管理されておらず、エサも水もなくなり、放置されて死に絶えていた。
これらをまとめて捨てると弓は言っているのだ。
「弓、なんでこんなことを……」
「琴子、もういいのそいつらは。私はもっと素敵なものを手に入れたから」
弓が風呂敷を落とす。
手元にはアンティーク調の鳥かご。
その中央に跪いているそれは――体長十センチほど。深い緑色をした二つの両目。小さな口に細くとがった顎。体色は全体的にほのかな緑。ほっそりとして、一部の贅肉もない肢体。
「……ヨウセイ」
古来より多くの人間を魅了してきた幻想的な生物。
――だがが、それは今は見るも無残な姿になっていた。
ヨウセイは籠の底にぺたりとへたり込んでおり、その両足はあらぬ方向を向いている。膝からは骨が飛び出ており、どす黒く固まった血液が付着していた。背から生えた羽は全て千切られている。ヨウセイは細い両手で檻に捕まっていた。
「あー、あー」
ヨウセイがか細い声を出して無く。
「ねえ琴子」弓は微笑み、鳥かごを前に差し出した。「私、ヨウセイを捕まえたの」