一蹴
非公式ゆえに、それは秘密裏に行われた。秘密裏といっても厳粛にしていたわけではない。ただほとんどの人間が知らされていない。その程度のものである。
秘密裏にしたのは、現時点での宗一の扱いが非常にデリケートになってしまったこと。そしてそんな宗一と国連軍所属の兵士と模擬戦を行うなど、下手をすれば国際問題になりかねないが故である。仮にこの試合が明るみになり糾弾されたとしても、大和人同士という言い訳が通るというのも大きな理由の一つだった。
しかしそれでも、今のこの時点でなぜ千夏が、宗一と光夜の試合を認めたのか? 彼女を……彼女たちをよく知るものであればそれはすぐにわかるものだったが、それがわかる者は今のこの格闘場にはいなかった。
「では、模擬戦を始めさせてもらうぜ」
各々の準備が済んだのを確認して、時綱がそう宣言した。顔面も守ることができるヘッドギアを装着し、加圧センサーが組み込まれた格闘着を着こんだ二人が、手にゴム製の木剣を持って歩み寄った。
距離はおおよそ三メートル。数歩は踏み込まなければ間合いに入れない。そんな距離である。
「ルールは通常通り、二本先取、意識を失う、ギブアップするかだ。これは模擬戦だから執拗な攻撃は控えるように。特に姐さん。姐さんは熱くなると暴走するから、注意してくれよ」
「えぇ、もちろんです」
非公式の場故に、結構踏み込んだことをいう時綱だったが、その顔は少々引きつっていた。もしかしたら言わざるを得ないほどの何かを、以前にしたのかもしれない。それを想起させるには十分なほどに……光夜の笑みが実に妖しかった。人によっては……それだけで下手をすれば尻込みするほど凄味と昏さがあった。
「宗一少尉も、くれぐれも過度な攻撃は控えてくれよ?」
「承知しました」
対する宗一は、実に平然と普段通りといわんばかりに……落ち着いていた。試合開始前から、威圧されるほどの覇気をまき散らしている光夜に対して、散歩といわんばかりに落ち着いている。その様子に時綱は面食らいながらも、おびえているわけでも侮っているわけでもない宗一に、違和感を覚えていた。
(戦争がない国の住民が、修練したってだけでここまで落ちついてられるのか?)
時綱は、宗一の資料にきちんと目を通していた。何せフライトアーマーで突如として空から救援にきて、単身でディエを討伐したのだ。それも得物は歪曲した木剣一本。木剣がマテリアル兵装だと言うことは、計測器から分かっていたことではあるが、マテリアル兵装ということを差し引いても、木剣の強さは異常だった。
そして何よりも、それを振るっていた本人が異常だった。
走り方はほぼ完全な素人だというのに、木剣を振るった時の姿はとても美しかったのだから。それだけでなく、その圧倒的な攻撃力は空を飛んできたことと匹敵するほどに、衝撃的なものだった。
そして今、こうして模擬戦をするに至って、宗一がとても落ち着いている事に、時綱は薄ら寒さすらも感じていた。先ほど宗一に聞いた話では、宗一は確かに剣の修行をしていたのは事実だが、実際に切り結ぶようなことはしていないはずなのだ。
侮るつもりも馬鹿にするつもりもなかったのだが、実際に斬り合いをしたことがないと聞いた時に、時綱は対して強くないと判断していたのだと、このときになって自覚した。
この冷静な姿を、無意識のうちに感じ取っていたのかも知れない。だから……自分が絶対の信頼を置く光夜と勝負することに対して、心がざわついているの知れないと認識した。
「時綱?」
いつまでも始めようとしない時綱に違和感を覚えた光夜が、声を掛けてくる。それで宗一を呆然と見つめていた事に気付いて、時綱は目を瞑って一度小さく息を吐いて、気持ちを切り替えた。
「二人とも準備は良いか?」
「えぇ、もちろん」
「いつでも」
片方は妖しく笑みを浮かべて……全身の力を弛緩させている光夜。それは始まった瞬間に体中の筋肉に力を入れるという、前段階。
もう片方は、実に自然体でいる。まるでただたたずんでいるだけというほどに、何の気負いも感じられない。
その二人の両極端とも言うべき状態が……ここから起こることがただでは済まないことを暗示しているようで、時綱は一瞬頭が痛そうに顔をしかめたが、直ぐに手を上げた。
「では……始め!」
その言葉と共に、上げていた手を振り下ろした。
その瞬間に……その場を凄まじい殺意が溢れかえった。
(ちょ、姐さん!?)
手を振り下ろしたその瞬間に変貌した、姉と慕う光夜に焦る時綱だったが、止める術などなかった。
「■■■■■■■■!!!!」
それはまさに咆哮だった。弛緩していた四肢、全身に力を込めて吼える。怒号というほどの声ではなく、叫んだとも言い難い。
ただ……弛緩していた肉体から発せられた気合と想いが、まるで爆発したかのような激情が、吼えているとその場にいる人間に感じさせたものだった。
その豹変ともいうべきことに見慣れている時綱は、慌てこそすれ驚くことはない。身内には母のようにやさしく、時に厳しく接してくれる光夜が、こと戦場においては鬼神のごとき強さと迫力で、あまたの敵を葬ってきたのを後ろで見てきたのだから。
慌てたのは相手を殺すつもりでいるかのような気迫で、模擬戦を開始したことについてだ。長年光夜の異性に関するフォローをしてきた時綱でさえ、今ほど殺すつもりで模擬戦を開始したのを見たことがなかった。仇敵を殺すと思わせるほどの殺気で、光夜が宗一へと切りかかった。
大上段に即座に構えてからの振り下ろし。振り上げと同時に足を運んで無駄がなく、何よりも背丈が高い光夜の高さを生かした攻撃といえる。鬼の形相といっても差し支えないほどに体その表情は一瞬にして変化していた
対して宗一は正眼の構えでたたずんでいた。ほとんど動きが見えないそのしぐさは、恐怖で体が強張り動けなくなってしまっているのではないかと体思わせるほどだった。
だが、その顔を見れば、だれもがその考えを否定する。
光夜のように叫ぶような表情をしていたわけではない。ただ静かに光夜の動きを見据えていると、周りの人間が判断できる無表情だった。
その目が冷静に動きを見ている。そう断言できた。
振り下ろされる木剣。その剣が宗一の間合いに入った、その瞬間だった。
気負いも力なく、風に揺れた柳のごとく、静かに宗一の木剣が動き……光夜の木剣を受けて、綺麗に受け流した。僅かに木剣を傾けて、逸らし、流す。
逸らされた木剣は、宗一の木剣の上を滑らされる。その動きをなぞるように、宗一の木剣が弧を描いた。そして光夜の木剣が下まで振り切った瞬間に……まるで木剣が自らの意思ではじけ飛ぶように、光夜の手から吹き飛んだ。
それに驚く間も与えずに、宗一の木剣がいつの間にか切り上げられており、光夜の左わき腹に軽くあてられた。
!!!
致命打を受けた無味乾燥なブザーが、格闘場に響いた。あまり力を込めて振るわれなかっただろうこと、判定用のスーツのおかげか、光夜が痛がっている様子は見受けられない。
ただ、あまりにもあっさりと、一瞬で勝負が決まったこと。そしてそれ以上に、はじけ飛んだために空手となってしまった自らの両手を見て、光夜が茫然としていた。
「一本……でよろしいのですかね?」
淡々と事務的に確認するように、何の感情も乗せられていない声が宗一の口から発せられる。放心していた光夜がそれにハッとして、はじけ飛んだ木剣を急いで拾い上げようとした。しかし両の手でつかんだ木剣が、力なく光夜の手から零れ落ちた。
「!? 姐さん?」
何かまずいことがあったのかと、時綱が光夜に近寄って状況を確認する。そして……光夜の両手が小刻みに震えているのを確認して、驚きに目を見張った。
(衝撃で手に力入らないのか?)
光夜が木剣を取りこぼした原因、それは光夜の手が衝撃で一時的に麻痺しているのだとわかり、時綱は自分でもうろたえるほどに驚いた。
時綱自身も含めて、今まで光夜と立ち会ってきた試合の結果は、全てが光夜の勝利で終わっていた。光夜が相手の意識を刈り取るか、今の光夜と同じように、手に力が入らなくなるほどの衝撃を相手に与えることは多々あった。
けれど、逆に光夜が木剣を握れないほどの衝撃を与えられたのを、時綱は初めて見た。
「っ!」
しかし光夜としてはまだ模擬戦を続けるつもりのようだった。一度両手に力を込めて握りこぶしを作る。光夜の白い肌からさらに色が失われたが、それほどまでに無理に力を入れたがその甲斐あってか、拾い上げた木剣を持てる程度には震えが収まっていた。
「もう一本、お願いします」
木剣も振るえることも確認して、光夜は再度宗一に対して勝負を挑んだ。手がまだ回復しきってないこともあるのだろう。先ほどの鏖殺するといった激情が鳴りを潜めて、注意深く、相手の一挙手一投足少しでも見逃さんばかりに、睨みつけるように宗一を見つめた。
「承知しました」
対した宗一は先ほど同様、ただただ淡々と承諾する。
「時綱、合図をお願いできますか?」
「あ、あぁ」
初めて見た光夜の敗北。そしてそれでもなお、戦わんと気を震わせる光夜の姿に驚きと戸惑いを覚えつつも、時綱が再度開始の合図を告げた。
光夜は今度はすぐさま突撃することなく、宗一の動きを見つめた。そして宗一もすぐに動くことなく、正眼に構えたまま静かに光夜を見つめる。しばし見つめあいの時間が続いた。
周囲の二人も声を上げることもできず、ただただ痛いばかりの静寂が、この場を支配していた。
「……」
「……」
光夜が宗一を見つめる姿は、まさに獰猛な獣が隙をうかがうような獰猛さを隠した静けさに対して、宗一はどこを見ているのかもわからないほど、自然体そのものというように、ただ静かにたたずんでいた。
「っぁ!」
やがて耐え切れなくなったのか、光夜が小さく、しかし鋭く呼気を吐き再び先に仕掛ける。今度は切るのではなく、鋭くまっすぐに木剣を宗一へと突き立てて、前へと躍り出てくる。
それに対して宗一は、まるで突き込まれるのをわかっていたかのように、その突き込みと同じ速度で、後ろへと下がってその突きをやり過ごす。その時、光夜が突き込まんだ木剣を、自らの木剣に添えられたように自然な形で、自らの木剣の真ん中あたりで重ねていた。
そして突き込みが終わった瞬間に、宗一の木剣がわずかに下に、鋭く揺れる。先ほどと同じように、光夜の木剣が再び弾かれたように光夜の手から吹き飛んだ。下に振った反動を利用して、そのままわずかに上に振り上げて、宗一の木剣が、光夜の喉元に迫り、スーツに触れる前に静かに止まった。
「二本目」
静かに、しかしはっきりと宗一がそう告げた。スーツに触れていないので、ブザーは鳴っていない。しかしこの光景を見れば誰もが、二本目も光夜が敗退したと認識するには十分だった。そしてそれは周りだけでなく、当の本人も認めざるを得ない状況だというのは、だれよりもわかっていた。
「……参りました」
ただただ力なく、光夜はそう言うことしかできなかった。一瞬にして敗北したこともそうだが、二度も木剣を吹き飛ばされたことで完全に手に力が入らなくなっている。これ以上の模擬戦は不可能だと、自分自身であきらめるしかなかった。
そしてそうなるように、宗一が狙ってやったのがなんとなくわかったからこそ、もはや何も言うことができなかったのだ。
秘密裡ということで、あまり長い時間行うわけにはいかない。ゆえに継続不可能な状況に追い込まれたのだとわかった。さらにどちらもほとんど自らの体に怪我をさせないように配慮しているのが分かった。
一瞬にして敗北し、しかも配慮までされたというのはどう考えても圧倒的な差があるのだと、本人に気付かせるのには十分すぎた。そしてこの場を非公開にしてくれたのを提案した人物の意図も察して……光夜は内心でただただ感嘆するしかできなかった。
それを理解したのは本人だけでなく、周りの二人も同様だった。特に光夜の不敗をそばでずっと見続けてきた時綱は、あんぐりと口を大きく開けるほど驚いている。
実戦であれば、実際の装備であればという言い訳すらもできないのは、先日のディエをわずかな時間で単身討伐したことが何よりも物語っている。装備が違いすぎるために一概に言えないことではあるが、だからこそ装備の優劣に左右されない生身での立会を所望したのだ。それを理解できないほど時綱も愚かではなかった。
そしてこの場で最も宗一に目を惹かれていたのは、真矢だった。今までの宗一の出鱈目さは、パワードスーツによるとことが大きいのを誰よりも知っていた。戦場に出るたびに毎回歴史的出来事を起こす宗一に、これ以上驚かされることがあるのかと思っていた矢先に起きた、宗一と光夜の模擬戦。
話を聞いていた限りでは平和な世界で、剣術を磨いていたということは理解していた。そして心の奥底で、真矢本人も気づかないうちに、少し侮っていた。平和な世界で剣術を磨く意味があるのかと。
しかしふたを開けてみれば、すべてが圧倒された。FMEと違い、明らかな憎悪と殺意を放った光夜の咆哮。直接向けられたわけでもないというのに、真矢は呼吸を一瞬止めてしまうほどに、体がすくみ上ってしまった。そんな中、遠目に見てた真矢ですら、宗一が行った攻防があまりにも自然体過ぎて、何をしているのか全く分からなかった。気づけば終わっていたというように。
むろん確かに自分の目で見ていたのだが、それでもその見た光景が信じられない思いだった。しかもそんな信じられない光景が立て続けに二度も思ったのだ。驚き、惹かれるのも無理がないといえた。
先の光夜や時綱への説明で、極めるのは道を求めた過程であるという説明。意味が分からずその意味の分からなさも、心の奥底で無意識に侮る要因の一つとなっていたが、今のを見ればそれがきれいに吹き飛んでいた。
これほどまで人は何かを極めることができるのかと……先ほどとは別の意味で呼吸するのも忘れて魅入ってしまっていた。
そんな様々な思いが各々の胸中で巻き起こっている中、当の本人はただ静かに残身をし、やがて木剣の剣の根元を左手で持ち、姿勢を正して静かに一礼した。その姿を見て光夜も同じように礼を返した。




