【短編】婚約者に虐げられ続けた完璧令嬢は自身で白薔薇を赤く染めた
「お前はつまらない女だな、オーレリア」
そう婚約者であるアラン王子に言われ銀の髪の公爵令嬢は困ったように微笑んだ。
王子はそんな彼女の態度に不快そうに舌打ちする。
「そういうところがつまらないんだ、わからないのか?」
「申し訳ございません」
「悪いと思っていない癖に謝るな、馬鹿にしているのか」
馬鹿にして呆れることが出来るならどれ程楽だろう。
けれど相手は王子で自分は公爵家とは言え貴族令嬢の一人に過ぎない。
内心を知られてしまえば、どれだけ恐ろしい罰が待ち受けているのだろう。
令嬢の鑑だと婚約者以外から称されるオーレリア・ベルジェ。
つねに上品な微笑みを浮かべ感情を乱さない淑女。
けれど本来の彼女は内気で臆病な十六歳の少女だ。
ベルジェ公爵家は長い歴史の中王妃を数人輩出している。
そろそろ又ベルジェ公爵家から迎えるか。
そう王家が考え、オーレリアはアラン王子の婚約者に選ばれた。
正式に婚約したのは八歳の頃だがそれは彼女が心身ともに健常であるか確認する期間があったからだ。
。
オーレリアの人生は生まれた時点でほぼ決まっていた。
王妃に相応しい完璧な女性にならなければいけないことも。
彼女が世間から誉められる行儀作法や学業成績、ダンスに詩に刺繍。
最初から得意だったものは一つもない。睡眠時間を削り血の滲むような努力をしてきた。
淑女として完璧な受け答えも、感情の制御も幼い子供の頃から必死で身に付けて来た。
間違えて叱られるのが怖くて、必死で正解を選び続けて来た結果だった。
けれどそんなオーレリアの全てを無駄だと嘲笑う存在が居る。
それが彼女の婚約者であり、次期国王であるアランだった。
彼はオーレリアが何をしても間違っていると言う。
微笑んでも悲しそうな顔をしてもそっと諫めても、表情を殺しても。
「お前は自分を完璧だと思ってるみたいだが、俺からはまるわかりだからな?」
態度から透けて見えるんだよ。
既に口癖になった彼の台詞を当初オーレリアは恐れた。
完璧な淑女から程遠い自身の脆弱な心を知られているなんてと夜も眠れなくなった。
いつだって彼はオーレリアを睨みつけるか嘲笑っている。
それなのに毎週王宮に呼びつけ短くない時間二人で過ごすことを強制する。
自分はこんなことしたくないという態度でだ。
今日だって、オーレリアには本当は別の用事があった。
けれど朝に王家から使者が来て突然呼び出されて今彼の部屋の前の庭にいる。
呼び出した理由を聞いたら、言わなければわからないのかと睨みつけられた。
わからない。薔薇が見事に咲いているがこの季節の王宮ならいつものことだ。
ここ数年アランが好んで植えさせている白薔薇は可憐だが汚れやすい。
雨が降ったり軽くつまんだだけで茶色いシミのようなものが出来てしまう。
そうなった薔薇は失敗作として剪定鋏で落とされてしまう。
それがオーレリアには何故か恐ろしかった。
「ここに居て何も言うことはないのか」
唐突にそれだけを投げかけられオーレリアは内心慌てる。
先程挨拶はした。その時に薔薇も褒めた。次は何を言えばいいのか。
急な呼び出しをした理由を尋ねたい。けれどこんなことは一度や二度ではない。
だから理由を問うたことは以前、既にある。
その時は気に入らないなら帰れと怒鳴られ、王子との時間の苦痛が増しただけだった。
帰っても残ってもアラン王子は気に入らないのだ。
だからオーレリアは文句を言われ、帰れと何度も言われつつ残るしかない。
アラン王子の考えていることを理解出来たことなんて一度もない。
今もそうだ。
それなのにアラン王子はオーレリアが何か言ったりする度に嘘を吐くなと言う。
自分は全部わかっていると。
「そうやって笑ってればいいと思って、俺は全部分かっているんだからな」
けれど何をわかっているのか教えてくれたことは無かった。
こちらから訊くのも怖くて出来なかった。正しく真実を言い当てられたらと。
自分が彼を嫌っていることを知られてしまったならどうしよう。
だけど、今日は違うかもしれない。
今日がその日なのかもしれない。
そう庭に置かれたテーブルの上にあるものを発見して公爵令嬢は思う。
それは閃きに近いものだった。
オーレリアは張り付いた笑顔で婚約者に尋ねた。
「では、アラン殿下は私の何を御存知でいらっしゃるのですか?」
彼はオーレリアから問いかけられるとは思わなかったようだ。
目を丸くして少し考える素振りをした後、投げ捨てるように言った。
「そんなの……お前が隠しておきたいことだ!」
そう言われると心当たりが有り過ぎる。寧ろオーレリアが表に出していい本心など殆どない。
だが公爵令嬢は秘めていたものを全て自分の声にのせてみることにした。
まるでパンドラの箱の封印を解くように。
「隠しておきたいこと、それは私がアラン殿下との婚約が解消されて欲しいと毎日願っていることですか?」
「……何、だと?」
どうやら違うらしい。オーレリアは次の本心を口に出す。
「それとも婚約が解消されるなら自分の顔に傷が出来てもいいと考えていることですか。でもそんなことをしたら両親は嘆き悲しむから実行に移せないことですか?」
「オーレリア、お前、そんなことを……?!」
「だけど両親に対しても殿下との婚約を絶対解消させてくれないから徐々に憎くなっていることですか。それともいっそ死んでしまいたいと毎日思っていることですか?」
「死ぬ?! 俺との婚約がそんなに嫌なのか……!」
「嫌ですよ、嫌で嫌で死にたいほど嫌です。私を全部否定する癖に束縛する殿下のことが死ぬ程大嫌い」
会いたくない話したくないって毎日思っていますよ。
そう微笑みを捨てたオーレリアが冷たく告げるとアラン王子の目に涙が滲んだ。
「そんな、違う、俺はお前に素直になって欲しくて……本当のお前が見たくて……!」
「なら良かったじゃないですか、これが本当の私です。殿下が追い詰めて踏み潰して壊して汚れた私の心ですよ」
満足ですか、そう告げると意外なことにアラン王子は怒らなかった。
「すまない、お前が平気な顔で微笑んでいるから、少し言い過ぎて……でもお前を愛しているのは本当なんだ!」
まるで縋りつくように自身に近づいてくる婚約者にオーレリアはにこりと笑う。
「私もアラン殿下が優しく接してくれていたなら、きっと心から貴方を愛したでしょうね」
「なら、今からでも……!」
オーレリアの言葉に希望を見出したアラン王子は瞳をキラキラさせ相手を抱き寄せようとする。
そんな男をオーレリアは全力で突き飛ばした。
婚約者と距離を取った彼女はテーブルに置かれた剪定鋏を手に取る。
「申し上げたじゃないですか、死ぬ程嫌って」
そうやって私の話を全然聞いてくれない貴方が大嫌いでした。
オーレリアは自分の左目に鋭い刃を躊躇いなく突き入れる。
目を抉る程に気が触れたと思われるぐらいでいい。
王子への発言の数々も狂った故の暴言だと判断されるだろう。
そしてこんな女を王妃にしようと考える人間は居なくなる。
そう、私は危険な狂女。決して王子に近づいてはいけない。近づかせるな、二度と。
嗚呼、私を愛しているらしいこの男と完全に断絶できるなら片目など惜しくない。
「ふ、うふふ、あはは」
これで王子の婚約者としての自分は死ぬだろう。公爵令嬢としての自分も死ぬかもしれない。
別にいい。本当に死んでしまってもいいのだ。オーレリアは解き放たれた気持ちで笑う。
「ああ、オーレリア……どうしてそんなことを!!」
アラン王子の叫び声に、血と涙に塗れた顔で公爵令嬢は笑った。
「そんなこともわからないのですか?」
あれだけ説明したのに理解できていないとか、本当に馬鹿な王子ですね。
言いたかったことを全て口にしたオーレリアの片目に映る薔薇は真っ赤で強く美しかった。
蛇足
王子の庭の白薔薇は「オーレリア」という名の開発させた新種でした。
そして薔薇のオーレリアが綺麗に咲く度に本人に会いたくなったので呼びつけていました。
ちなみにこの薔薇の名前をオーレリアは知りません。