表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

推理紀行~咸陽の四鴻啼~

作者: 目賀見勝利

         目賀見勝利の推理紀行『咸陽の四鴻啼』

         〜推理小説『咸陽の四鴻啼』に寄せて〜



  『二二八八れ十二ほん八れ ㋹の九二のま九十の㋹のちからをあら八す四十七れる』

   (富士は晴れたり日本晴れ 神の国の真の神の力を顕す世と成れる)

     

という文字は、昭和19年6月10日、千葉県印旛郡公津村台方の「麻賀多神社」の境内にあった末社『天之日津久神社』と呼ばれる小さな祠を参拝した時に岡本天明が自動書記された文言である。


昭和19年4月18日、岡本天明たち数人の修史協翼会員は東京千駄ヶ谷にあった『鳩森八幡宮』と呼ばれる神社で、「扶乩フーチ」と呼ばれる実験を行った。

砂を敷いた「砂盤」の上でT字型の「乩木チボク」の横木の両端を二人の霊媒が持ち、「乩木チボク」の縦木によって神霊が文字を砂の上に自動書記する現象が「扶乩フーチ」である。

何回か霊媒役を交代して描かれた文字が「天ひつく」とか「日月のかみ」とか「天之日月神」であった。他の質問には答えは無かったらしい。


そして、百科事典で「天之日津久神社」があることを知った岡本天明が「麻賀多神社」を訪れた。

岡本天明は画家でもあったので、画仙紙と矢立(墨筆)を持ち歩いており、社務所で休憩している時に右手に激痛が走り、矢立を画仙紙に当てると自動書記が始まったと云う。これ以後、16年間に亘り、断続的に自動書記が行われ、この神示を「日月神示」とか「ひふみ神示」と呼んだ。


私が、欝蒼とした森に囲まれた「麻賀多神社」を訪れたのは今から4年前の2018年11月18日(日)であった。早朝に自宅を車で出て、神社に到着したのは午前11時前ころであったと記憶している。曇り空であった為か、他に参拝客は無かった。神社前の道路に面した砂利の駐車場に車を停めて、七五三参りの幟を掲げた石鳥居をくぐり、13段くらいの階段を登ると左に無人の社務所がある。更に15段くらいの石段を上ると正面に拝殿が現れる。『麻賀多大神宮』と書かれた金縁の扁額が懸かっている。拝殿は新築したばかりの様で木の匂いが漂う美しい木造建築であった。参拝した後、背後にまわり本殿を塀の外側から見学した。赤く塗られていたが、何やら由比諸がありそうな、立派な本殿であった。神社のホームページを見ると、以前の拝殿の写真が載っていて、本殿と同じ赤い色が塗られていたようである。

その後、境内左奥にある樹齢千三百年の大杉を拝見した。何か、麻賀多大僧正(天狗)が木の枝の上に居そうな気がしたが、目には見えないのが残念である思いがしたのを覚えている。

更にその後、本殿の右後方にある「天之日津久神社」に参拝した。

小さな石の鳥居の向こう側に赤く塗られた八重垣に囲まれた小さな石造りの社祠がそれであった。岡本天明が参拝した頃はどのような祠であったのかを想像してみたが、残念ながら思い当たる情景は浮かばなかった。

その後、小説執筆に向けて情報を得るために神社の周辺を歩いた。麻賀多大権現の祠にも参拝した。

そして、無人の社務所の前に置かれていた参拝者記名帳に名を書いて、神社を辞した。


神社の鳥居を出ると、道路の向こうに側に「曹洞宗真龍山 超林寺」と彫られた石柱が見えたので、そこへ行った。石柱の横に『平貞胤供養碑』を紹介した由比諸板が建てられていたのでそれを読んで写真を撮っておいた。それが、小説の狂言回しに使うことになるとは、その時は思ってもみなかったので、お寺には立ち寄ることをしなかった。


岡本天明氏は大正9年(1920)に大本教の出口王仁三郎が社主をする大正日日新聞に入社し、出口王仁三郎の口述筆記や社長の浅野和三郎が行う鎮魂帰神法の霊媒役を務めている。しかし、翌年の大本第一次弾圧事件で新聞社は頓挫し、大正12年に売却され、失職している。

岡本天明氏は幼少のころは霊能があったと語っていたらしい。

岡本天明氏は昭和38年に天寿を全うした。


徳間書店発行の『日月神示』の著者である中矢伸一氏は、日月神示を降ろした神霊は、大本教の開祖・出口直でぐちなおにお筆先を自動書記させた神霊と同じではないかと著書の中で述べている。


  『三千世界 一度に開く梅の花 うしとらの金神の世になりたぞよ。』

  

と云う文言は、旧暦の明治25年1月1日に出口直がはじめて自動書記をした文言である。

うしとらとは十二支の丑寅うしとらの方角、東北方向を意味する。

出口王仁三郎は中国大陸の東北方向である満蒙(内モンゴル)地域に、将来に崇り神・金神である素戔鳴尊が蘇えると考え、その出現を表すカタを創る為に馬賊となって大正時代に内モンゴルで活動したとされる。大本教では艮の金神とは国常立尊であり、新たなる『みろくの世』を生み出す神様と捉えているようである。

岡本天明氏が描いた墨画『三貴神像』の素戔鳴尊の左手には赤子を乗せている。岡本天明氏は何故に赤子を持たせたのか、不明である。赤子は素戔鳴尊の分身として生まれ変わるとでも言いたかったのだろうか?

(※三貴神;天照大御神、素戔鳴尊、月読尊)


小説では日本の東北地方、宮城県の名取川近くの太白山で出口王仁三郎が泰山府君祭を行う。

日本は世界の縮図とすれば、この太白山は中国の泰山の位置に相当する。

泰山府君祭は陰陽師の安倍晴明が行ったとされる、人間の魂を入れ替えたり、甦られさせたりさせる呪術の一種であるが、現実的に可能なのかどうかは不明である。私立探偵シャーロック・ホームズの作者であるアーサー・コナンドイルは実際に霊魂の入れ替え実験をしたとされる。成功したかどうかは不明。

大本教の綾部神苑内にある本宮山・月山不二には平安時代に富士山爆発によって飛来した岩石が埋められていると云う。すなわち、本宮山は富士山を意味すると解釈できる。そして、その麓にある長生殿北端の白梅殿の白壁には丸の中に十の文字が描かれている、大本の裏神紋とされる白い十字である。

自称ドイツ・ケルン生まれのリトル・ペブルと名乗る宗教指導者が言うには、

「富士山の上に白い十字架が立つ時、富士は爆発する。」らしい。

また、最近では洗礼名マリア・イマクラ―タと称する日本人女性がキリストや聖母マリアのメッセージを受け「富士山頂に白い十字架が立った一週間後、富士山は爆発する。」と述べています。

富士山頂に白い十字架とは富士山上に白い雲が横にたなびき、その時、水蒸気爆発が生じた場合に十字架のように見えるでしょう。そして、水蒸気爆発の発生した一週間後には大爆発が起こるのかも知れません。

日月神示は漢字・ひらかな・かたかな・記号で書かれたもので、解釈の仕方がさまざまに考えられるらしい。そうすると、

『二二八八れ十二ほん八れ 』を「富士はれたり、二本張にほんはれ」と読めば、

『富士山は爆発するとき、二本で(十字に)張られる』と解釈することもできる。

さて、さて、未来はなんとなるのか?


岡本天明氏は晩年、奥様の岡本三典氏にこう言ったと云う。

カタは他に出ているそうだ。」


         目賀見 勝利

         2022年5月16日  記

           

 

 

      


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ