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比嘉の無条件の信頼

 月曜日の朝という、最も気の重い時間帯ながら、昨日大満足の誕生日デートを満喫した俺はご機嫌に正門をくぐった。


「あ! 入谷!」

「おー、穂乃果。おはよ!」


 俺の姿を見て、穂乃果が真顔で駆け寄って来る。何だ?


「ねえ、土曜日にキレイなお姉さんと聖天坂歩いてたでしょ。大声でお嬢様! こちらです! とか言って。あれ誰?」

「え?!」


 しまった! 穂乃果に天音さんと歩いてるのを見られてた!


 あ、ヤバいかもしれない。俺元から声デカい上に、酒飲んで気が大きくなっちゃってたかも。


 中庭に抜けずに、穂乃果を校舎脇の植え込みの方へと引きずり込む。


「お嬢様だよ! お前、そんな大声でお嬢様の話してたらお嬢様の護衛の者に消されるぞ! 絶対に口外してはならんのだ! 分かった?!」


 必死の口止めを試みる。穂乃果の顔につばが飛ぶ勢いで接近して圧をかける。絶対に引けない戦いがここにある!


「ちっ……近い近い!」

「へ?」


 穂乃果が顔を赤らめる。ああ、そういや俺、一学期に穂乃果に告られたっけ。ならば作戦変更だ。俺への好意を利用させてもらう!


「お嬢様のことは、俺とお前だけの秘密だよ? 絶対に誰にも言わないって約束して? 人に話したりしたらぶっ殺すよ?」


 ときめきポイントを狙ったつもりで片目をつぶってカッコつけてみたが、動揺しすぎて出たセリフがおかしい。


「ぶっ殺されたい……」


 なんでだよ! 穂乃果のセリフもおかしいじゃん! もう頭ごちゃごちゃで訳が分からん!

 混乱して、自分で自分の髪をわしゃわしゃにしてしまう。


「お前、勝手なマネしたら許さねえから。絶対誰にもしゃべんなよ。命令だ。いいな? 俺の命令聞けるよなあ? 穂乃果」


 ダメだ、甘いときめき作戦が崩壊して完全に方向性を見失った。

 こんな言い方したんじゃ反発される! なのにスラッスラ出てきちゃう。


「は……はい、ご主人様……」

「言ったぞ! 約束だからな! 誰にも言うなよ! 絶対だかんな!」


 はあ、なんか知らんがとりあえずは大丈夫か?


 あー、疲れた。朝っぱらからすっげー汗かいちゃった。もうすっかり季節は秋から冬へと移り変わろうとしてるってのに。


 なんとかピンチを脱して、校舎に入り階段を上る。


「あ! おはよう、入谷!」

「あー、おはよー」


 俺の前にいた包帯がどんどん増殖していく金髪ツインテールの細田莉奈が階段の途中で立ち止まり、俺が追い付くのを待っている。


 ……え? 何? 俺お前に用事なんかないんだけど……。


「土曜日に聖天坂で貴様が手をつないでいた女性は、もしかして妖魔の使いじゃないか? すごくキレイな人だったがどうも邪悪な気を感じたのだが。もしくは、普通に入谷のお姉ちゃん?」

「お前も聖天坂にいたのか! ああ、そうだよ。お姉――……」


 いや、さっき穂乃果にはお嬢様だと言った。穂乃果も同じクラスなんだから、この階段を上っているかもしれない。怖くて振り返られないが、近くにいる可能性はある。


 ここでお姉ちゃんに設定を変えては、穂乃果に嘘だとバレる!


 失敗した! どうしてお嬢様設定にした! お姉ちゃんが正解だよ! 穂乃果にお姉ちゃんだよって言えば良かった!


 自分の不甲斐なさにイライラして、またクルクルくせっ毛な髪を両手でわしゃわしゃにしてしまう。


「バカ! お嬢様に決まってるだろ! 大きな声で言うんじゃない!」

「え? お嬢様?」


 キョトンとした細田が素に戻ったかわいらしい声で聞き返す。


「軽々しく口にするな! お嬢様の手下のフェニックスがお前の心臓を焼き消しに来るぞ!」

「フェニックスごとき、返り討ちにしてくれる!」

「いや、フェニックスだけじゃない! あの闇の使者アーバカイザーがお前の大好きなアニメキャラを存在しないものに世界を創り変えてしまうぞ!」

「何?! それは阻止せねば!」

「ならば、お嬢様のことは二度と口にしてはならぬ! お前にできるのか、ナッティー!」

「やってみせよう! この私が彼女を守る!」


 シュタタタタと細田が階段を駆け上がっていく。


 見られたのが重症患者でまだ良かった……。


 グッタリしながら教室に入り席に座ると、斜め前の席の充里と前の席の曽羽が振り返った。


「おはよ! 統基!」

「おはよう、入谷くん」

「はよー」


 朝っぱらから激戦を繰り返したせいで、見慣れたコイツらの呑気な笑顔になんだか安堵感。友達っていいな。


「なあ、なんで統基が田中さんとこのバイトさんとゴールデンリバーに入ったの?」

「は?!」

「私たち、すぐ後ろを歩いてたんだよお」

「なあ、なんで統基が田中さんとこのバイトさんと手ぇつないでゴールデンリバーに入ったの?」


 最大の敵はお前らだったのか! 笑顔でニコニコとドデカイ攻撃を仕掛けてくるんじゃない!


 ヤバい! これはヤバい! 何とか言い逃れる方法を考えないと……!


「い、いや? そんなとこ入ってないけど? 入ったように見えただけじゃね?」

「んなことねーよ。俺たちそのすぐ後から入ったんだもん」

「お前らも入っとんのかい!」

「ゴールデンリバーが一番安いからヘビーユーザーなんだよねー。なあ、なんで統基が田中さんとこのバイトさんとゴールデンリバーに入ったの?」


 バカじゃねーの、お前らが入った理由と同じに決まってんだろ。


 言える訳がない! どうしよう?! どうしよう?!


「おはよう」

「あ、おはよう、叶」

「おっはよー、比嘉!」


 全身から血の気が引く。


 俺の隣の席に、俺の彼女が座った。


「おはよう、入谷」

「……お……おはよう……」


 最後のあいさつになるかもしれない。ダメだ、これもうバレる。


 だって、空気を読むということを知らない自由人と常軌を逸したド天然が俺のために話題を変えてくれるとは思えない!


「なあ、統基ー、なんでー?」


 やっぱりだよ! 比嘉が笑顔で俺の隣にいるのに全然気にしてくれない!


「何の話?」

「なっ、なんでもな――」

「統基が田中さんとこのバイトさんとゴールデンリバーに入ったのを見たの。だから、なんでかなーって素朴な疑問」

「ゴールデンリバー?」


 比嘉がキョトンと首をかしげる。


 そうだ! 比嘉はゴールデンリバーなんて知るはずない! この比嘉にとっては未知の単語の意味を改ざんしてしまえば、まだ活路は――


「激安のラブホテルだよお」


 曽羽の虹色綿菓子みたいなフワフワボイスが容赦なく退路を断つ。


 ……まだ大丈夫! 純真無垢な比嘉はラブホテルなんか知らないはず……!


「ラブホテル……」


 比嘉がまだキョトンを残しながらも俺の顔を見る。


 どっち? 知らないよな? 比嘉はラブホなんて知らないよなあ?!


 比嘉が笑う。良かった……やっぱり、比嘉はラブホなんて知らなかったんだ。


「見間違いだよ、愛良。それ入谷じゃないよ」


 知ってたの?! ラブホテルは知ってたの?!


 何する所か知ってんのかよってめっちゃ詰め寄りたい。でも今そんなことしたら自分の首を絞め上げるだけだから絶対に言わない。


「入谷くんだったよ。入谷くんと入谷くんのバイト先の女の人だったよお」


 フワフワと情報を追加するんじゃない!


 終わった。


 天音さんと仲がいいのは比嘉にも見られている。簡単につながるだろう。俺が比嘉と付き合っていながら、バイト先の先輩とラブホ行くようなクズだったんだって……。


「だったらなおさら、入谷じゃないよ。ね?」


 ひとっつの足跡もない、どこまでも真っ白に広がるまぶしい雪原みたいに穢れなき笑顔を比嘉は迷いなく俺に向ける。


 自分の中の穢れを射抜かれたような衝撃が俺の体を走る。


「……比嘉……お前は、こんな俺を信じてくれるのか……」


 比嘉がここまで俺を無条件に信頼してくれていたなんて……。


 言葉にならない。

 比嘉はひたすらにまっすぐ、俺なんかを信じてるんだ。俺を疑う気持ちなんて微塵もなく。


 比嘉こそ、俺の理想のロシアンブルーだ。間違いない。この人と決めたら、決して揺るがない信頼と忠誠。


 尊い。尊いよ。


 比嘉があまりに尊くて、光を放ち始める。

 瞬きの度にその光は強さを増し、比嘉を覆い隠そうとする。


 入学式の前、初めて比嘉を見た時に感じた尊さは、これだったんだ。


 罪深い俺は光から目を背けることすらできずにいたら、やがて女神のように微笑む比嘉が現れる。


「比嘉!」


 椅子に座る比嘉の手を取り、ひざまずく。


「俺、約束する。お前にだけは絶対に嘘なんかつかない。俺、比嘉の前でだけは誠実な人間でいたい。ありがとう、比嘉」


 俺の言葉の意味が分からないのだろう、微笑みをたたえた比嘉が首をかしげる。


「見間違いだよ、愛良」

「そうなのかなあ」


 ……いや……間違ってない。そこは、間違ってない。


 俺は比嘉に嘘なんてつかないけど、わざわざ自分から罪を白状しない黙秘権も持っておこう。


 前に孝寿が言ってた。ポリシーを持てって。

 何をポリシーにすればいいのか全然分かんなかった。やっと見付けた。


 俺のことを信じてくれる比嘉に、嘘は絶対につかない。俺は、比嘉に見合う誠実なちゃんとした大人になりたい。

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