親父の結婚秘話
「ハッピーバースデー! 花恋!」
「ハッピーバースデー!」
派手なスーツを着込んだ親父がグラスを高く掲げると、広いダイニングのあちこちでカチーンとグラスのぶつかり合う音がする。
ホスト三兄弟と孝寿もおめでとうー! と大きな拍手を送る。
ありがとう、といつも通りのへなちょこ声量で母さんが笑っている。
「てか、蓮が帰って来るまで待てねえのかよ」
「俺今日は店に行かないといけねえから、待ってられん」
「完全に兄貴たちに経営任せた訳じゃねーんだ?」
「特に二号店は定期的な抜き打ちチェックが必要だからな。チッ、花恋の誕生日だってのに」
「ああ、クズのせいね」
楽しそうにチキンを皿に盛る、ボサボサの金髪ロン毛で背の高いショッキングピンクのスウェットの男を横目で見る。
ダイニングテーブルの脇からリビングにかけて、立派なビュッフェが完成している。さらにキッチンでは追加の料理が準備されていていい匂いが充満してる。
まあ、蓮がいつ帰って来ても熱々の料理は食べられそうだからいいか。
蓮は最近、数少ない友達に誘われて断り切れず、彼女である奈子ちゃんと一緒にサッカーのジュニアチームに入った。
練習場所は学校で、当番制で係が回って来るらしいのだが花恋ママがそんな活動に参加するはずもないので俺が行くことになるのだろう。
正直めんどくさいけど、蓮は家にいるとゲームばっかりで運動不足が心配だったからOKした。
「花恋! 甘党の花恋のためにケーキバイキングも用意したよ!」
「ありがとう、銀二。一緒に食べましょう」
大きな皿にびっしりとケーキを並べ、母さんと親父がソファに座る。
ご機嫌な母さんがアーン、と親父の口に大きく切り分けたケーキを入れる。
甘い物が苦手な親父は、オエーオエーと吐きそうになりながらなんとか飲み込んでいる。
何あれ、嫌がらせじゃねえの?
「統基~、飲んでる~? このスパークリングワイン超美味いね」
「飲んじゃダメなの。俺未成年」
「んだよ、ルールに縛られやがってちっせー男だぜ!」
「法律くらいは守ろうか。孝寿兄ちゃん、マジ酒弱いよな」
あー、めんどくさい。
ワイン好きの花恋ママのためにたくさんのワインが用意されている。酒弱いくせに、孝寿が気に入っちゃったワインを抱えて俺の隣の椅子に座る。
「聞いて、統基!」
「えらい嬉しそうじゃん。どしたん」
「やっと子供の生活リズムが安定してさあ、奥さん体力回復して俺の相手もしてくれるようになったの」
「へー」
「昨夜もう何カ月ぶりか分かんないくらいぶりに奥さんのパジャマ脱がした時は感動したよね」
「は?!」
「俺これからも奥さんと子供のためにがんばって勉強して超稼ぐ男になるんだ! って決意を新たにしたよ」
「高校生に何の話をしてんだ! この酔っ払いが!」
何を言い出すかと思ったら何を言い出してやがる!
「その意気があれば稼げるさ。男は女のためにこそ力を出せるものだ!」
「あー、パパぁ~」
親父が両手に皿いっぱいの料理を持って俺の隣のお誕生日席に座った。
「母さんは?」
「部屋。誕生日はログインしていればレアアイテムが1日5回もらえるんだそうだ」
「誕生日にもゲーマーを逃さないように工夫してんだな。参考になる」
「何のだよ」
孝寿がマジで参考にするのかスマホを出して何かして、テーブルに置くと親父を見た。
「パパ、俺らの母親とは結婚しなかったのに、なんで花恋とは結婚したの?」
「人の嫁を呼び捨てにするな。お前らが聞いても何もおもしろくない話だよ」
「パパがおもしろい話してるの聞いたことないよ」
「俺も!」
親父が話したくなさそうなのが興味を引かれる。初めて俺も聞いてみたいと思った。どうして、俺たちの母親とは結婚しなかったのか。
だって、蓮は紛れもなく俺の弟だけど、親父と血の繋がった息子ではない。
俺たちは親父の実の息子なのに結婚せず、どうして蓮の母親である花恋ママとは結婚したのか。
本当に話したくないようで、苦々しい顔を作って親父が押し黙る。だがしかし、俺らだって引きはしない。
睨み合うこと数分。ついに、親父が肉にナイフを入れながら口を開いた。
「俺はホストでてっぺん取るって決めてた。子供ができても、だ。亮河が生まれる頃はまだ俺は全然駆け出しで、こんな状態で結婚しても苦労をかけるだけだと思ったんだよ」
親父が食いながらしゃべるから聞き取りづらい。子供としては結構大事な話なんだから食ってねえでもっと集中しろ。
「それに、若かったし尖ってるのがカッコいいと思ってたから、結婚なんて制度に乗るのがダサいとすら思ってた」
「逆にダサいやつね」
「俺は結婚なんかしなくても、お前らの母親たちもお前たちも、みんなを幸せにできていると思っていた。子供たち全員にたっぷり愛情をかけて、十分な金を渡して、何も不自由な思いをさせることなくやれている、ってな」
いつの間にか、亮河、慶斗、悠真も神妙な顔して親父の話に耳を傾けている。
親父がビールを飲んで、見たことないくらいに悲しそうにジョッキを見つめる。
「俺が間違いに気付いたのは、統基の母親が死んだ時だ」
「え?! 統基の母親死んでたの?!」
亮河だけは知っていたのか平静だが、他の兄三人が驚きの声を上げる。
「病気? 事故? 事件? まさかパパが?!」
「茶化すな、孝寿」
孝寿が亮河にたしなめられるのを見て、俺も茶化しちゃいけないようなことがあったんだと悟る。
「病気だよ。統基が2歳くらいの頃から入退院を繰り返して、がんばってたんだけど、5歳の時にとうとう死んじまって」
孝寿が眼光鋭い真顔で俺を見る。
いや、俺マジで全然覚えてない。無言の問いかけに首を振る。
「その時、公的には俺と希は赤の他人なんだと思い知らされた。毎日病院に通っていた俺では諸々の手続きはできず、昔から折り合いが悪くて希が入院したと知らせても一度も見舞いにすら来なかった希の親を待つしかなかった。俺は初めて結婚、入籍しなかったことを後悔した」
親父の無念の大きさを感じて言葉が浮かばない。ただ黙って、親父を見る。
「もちろん、葬式だって入谷なんてどこにも書いていない。美咲家として執り行われた」
俺の母親、美咲希って名前だったの? めちゃくちゃキレイな名前じゃん。
「俺にできることは、せいぜい希の親が一番安いプランで葬儀を済まそうとするのを阻止するくらいだった。葬儀屋に掛け合って、勝手に一番高いプランに変更した。希は親から逃げるように家出してたし、友達も少なかったけど、最後くらい派手に送ってやりたくて」
それを希さんが喜んだかは別の話だとは思うがな。派手を美徳としているのは親父だ。
「当然、俺は喪主にもなれない。親族席に座ることすら認められず、他人として希を送るしかなかった」
当時を思い返しているのか、親父の表情が沈んでいく。誰も声をかけられず、沈黙が訪れる。
「葬儀が終わると、希の親が統基はこちらで育てる、って言いだした。俺は断固反対した。けど、ホストなんかに子供は育てられないの一点張りでなあ。実際、俺ひとりでは育てられてなかった。亮河の母親に協力してもらって、何とか育ててる状態だった」
亮河を見ると、優しく微笑んでうなずいた。
もしかすると、俺覚えてないけど赤ちゃんの頃に亮河と会ってたのかもしれない。
「何年も一切交流がなかった希の子供を引き取りたいなんて人間、向こうにはひとりもいなかったんだ。お前が育てろ、お前が育てろの押し付け合い。なのに、俺がちょっと目を離した隙に統基をお菓子で釣って車に乗せ、連れ去ってしまった」
「釣られるなよ」
「ぜんっぜん覚えてねえ……」
俺も釣られるなよって思っちゃったよ。5歳の俺、チョロすぎる……。
あれ? 美咲家に連れ去られたのに、入谷統基が今ここにいる。
「必死に統基が乗せられた車を追って走ったけど、どうにもなる訳なく、見失って道端でダーダー泣いてたら、あなたの子供を私の息子として育てさせてもらえませんか? って、希の実家の住所を写した紙を渡された」
「え……誰に」
「花恋だ。花恋はその葬儀屋でバイトしていた。俺たちの話を聞いてたんだろうな。統基の母親になりたいと申し出てくれたんだ」
母さんが?
あの母さんが、自ら俺の母親に……。
「花恋は蓮を生んだばかりだった。蓮の父親は花恋の妊娠が分かると失踪して行方不明になったらしい。身寄りもなく、ひとりで働きながら蓮を育てることができないから子供は乳児院にいる、って聞いて、統基を奪われたばかりの俺は蓮の父親が許せなくて。絶対に統基を取り戻して、統基も蓮も俺が育てると決めた!」
沈み切っていた親父が拳を握りしめ熱く語る。
「その時の花恋がカッコ良くてなあ。惚れ惚れしたよ」
「え? 母さんが?」
母さんは、小柄で童顔でロイヤルミルクティーみたいな淡い茶色のまっすぐな髪で、見た目は名前の通り可憐な印象のどちらかと言えば守ってあげたい、と思わせるタイプだ。
「そんな真っ黒い服なんか着てないで、正装しなよ、仕事に誇り持ってるんでしょ、ってなあ。車に積んでたスーツの中から一番派手なスーツ着て、髪立ててバースデーイベントみたいに完璧なカリスマレジェンドホスト・シルバーで車に乗り込んだ」
「は?! ダッサ!」
「花恋も正装だっつって派手な特攻服着て、俺がずっと泣いてて運転なんかできるような状態じゃねえもんだから、外車初めてだって言いながらデカい車転がして、爆笑しながら希の実家の玄関に正面から突っ込んで行った」
「は?!」
過激すぎるだろ! 母さん、そんなことしたの?!
「そんな花恋の姿見せられたんじゃ、俺もやんなきゃ! って気合いが入ってなあ。愕然とする希の両親に修理代だ、これが欲しけりゃ統基を返せ! って大金突き付けたら無事に統基を返してもらえて、ハッピーエンド」
「どんなエンドだ!」
「その足で役所行って、婚姻届やらなんやら出して、俺たちは4人家族になった」
親父が見たことないくらい、俺を見つめて穏やかに微笑む。
……4人家族に……。
「あ、俺、母さんにお礼言わなきゃ。母さんがそんなに俺のために動いてくれてたなんて、全然知らなかったから……」
リビングの階段を駆け上がる。
母さんのおかげで俺は今、入谷統基でいられて、かわいい弟もいるんだ。
……なのに、俺、正直母さんは苦手だった。
親父にくっついてる俺が母さんは疎ましいんだと思い込んでた。俺さえいなけりゃ、親父と蓮と3人で暮らせるのにって思ってるんじゃないかって。
母さんがネトゲ廃人なのは、俺を避けているだけなんじゃないかって……。
俺のせいで家の中の空気が悪くならないように、蓮が楽しく暮らせるようにうまく立ち回ろうとしてばかりだった。
俺は、母さんの息子になろうとしていなかった。




