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俺は二股なんかしたくない

 創作居酒屋ひろしの引き戸を開けて店内に入るとすぐ、天音さんがいた。


「あ! 天音さん!」

「あ、統基。おはよう」

「……おはようございます」


 忘れてた! 比嘉と付き合うなら、天音さんとのお互い様の関係を終わらせなきゃ!

 天音さんのことをすっかり忘れて二度目の告白をしていた自分にびっくりだわ。


「あの、天音さん」

「おはよう、入谷くん」

「あ。おはようございます」


 当然ながら店長がいる。店長の前でそんな話はできない。

 時間がヤバいのでとりあえず階段を駆け上がりエプロンを着けて天音さんに声を掛ける。


「天音さん、あのさ」

「あははっ。統基まだ自分でエプロン着けられないの?」

「え、いや、できる時もあるんだけど、今は急いでたから」

「しょうがないなー。おねーさんがやってあげる」

「あ……ありがとう」


 時間ないからエプロンに構ってる場合でもないんだけど、たしかにぐっちゃぐちゃだから大人しくやってもらう。


「入谷くん――って、新婚さんみたいだね。君ら、やっぱり付き合ってるでしょ」

「違っ! 違います!」

「もー、やだ店長、そういうこと言わないでくださいよー」

「ああ、働きにくくなっちゃうんだよね。ごめんごめん。あまりにもいい雰囲気だったからつい」

「違っ――」

「入谷くん、樽運んでくれる? 僕昨日腰やっちゃって」

「違っ……ハイ」


 天音さんがクスクスと笑っている。わざと店長が勘違いするようなこと言っておもしろがってるな、このおねーさん……。


「天音さん!」

「早く樽運んで。開店準備が間に合わなくなっちゃうよ」

「う……ハイ」


 開店準備を進め、オープンの時間になり常連客たちがやって来る。平日とは言え、金曜の夜は客足が伸びる。


 天音さんと話する余裕なんかねえなあ……。


 とうとう9時45分を過ぎ、カウンターの端っこでまかないを食いながら働く天音さんを見る。


 まー、明日でいっか。明日は土曜日だ。毎週土曜日はホテル・ゴールデンリバーで会っている。

 もちろん、明日は何もしない。場所を変えて、話だけしよう。


 天音さんは俺のことが好きな訳じゃない。ただたくさんいる遊んでる男の一人なだけだ。俺に彼女ができたって言えば、何なら天音さんからじゃあもうゴールデンリバーには行けないねーってなるかも。

 なんたって、相手は大人だし。


 天音さん……毎週サービスタイムの5時間を一緒に過ごしてきた。他のバイト仲間とはちょっと違う。俺が史上最大にへこんだ時になぐさめてもらったことは感謝してる。


 ふと視線を感じる。見ると、厨房から店長が微笑ましげに俺を見ている。


「熱心に橋本さんのこと見てたねえ。頭の中も橋本さんでいっぱいって顔してたよ」

「ぶはっ」


 食ってた丼の米が変な所に入ってむせる。

 大きな誤解が生まれている! たしかに天音さんのことで頭いっぱいではあったけど!


「違っ……げほっ、違います!」

「今どき珍しいシャイなカップルだねえ。いいなあ、初々しい」

「がほっ、ごふっ……違うんだって! カップルじゃなっ、げほっ」

「あ、こういう話してたらまた橋本さんに怒られちゃうね。やめとこやめとこ」

「ごふっ」


 ここでやめないで! 待ってくれ、店長!


「おはようございまーす」

「あ、おはようございます」


 時東さんが下りてきた。

 ふう、水飲んでやっと落ち着いたぜ。もう10時だし、さっさと食って帰ろう。


「時東さん、おはようございます」

「おはよう、橋本さん。あれ、頭に何か付いてるよ。何コレ」

「あ、今日着てきた服に付いてた飾りだ。ありがとう」

「橋本さん、テーブル一番さんの唐揚げできたよー」

「はーい」


 天音さんが唐揚げを運んで行くと、店長が笑いながら言った。


「時東くん、彼氏の前で橋本さんに触っちゃダメだよー。ねえ、入谷くん」

「ぶほっ」

「彼氏? ああ、入谷くん? やっぱりねー、歓迎会の時からこれ絶対橋本さん入谷くんのこと狙ってるなとは思ってたんだよ。ごめんごめん、二人が付き合ってるって知らなかったものだから。はい、コレどうぞ」

「付き合ってな……げふっ、ごほっ」


 またむせてしまった。明確に否定できないまま時東さんが仕事に入ってしまう。

 何を渡されたんだろ……羽根だ。小さな黄色の羽根。羽根なんかもらってどうしろってんだよ! いらねーよ!


 ヤバい、これヤバい。誤解を解かないと。またテスト勉強しにひろしに行こうぜーとか、あるかもしらんし!


 交流ノートに俺と橋本さんは付き合ってません! って書いとこうかな。シャイな高校生が照れてるーで終わる可能性ありそうだな。


「何っじゃこりゃ!」


 思わず声が出た。

 交流ノートに相合傘が描かれ、入谷、橋本、と書かれている。


 裏に何が書いてあるのかも確認しないでそのページを破り捨てる。

 一体誰がいつ書いたんだ! 小学生の冷やかしか!


 まずいぞこれ。既成事実ができつつある。もはや一刻の猶予もない!


 翌日土曜日、ゴールデンリバーに行くと天音さんはもう俺を待っていた。


「今日は俺、話だけしに来たの。どっか場所変えよう」

「なんで? ここでいいじゃない。入ったら手を出さずにはいられないの?」

「んなことねえよ。俺は金がもったいないかなって思っただけで」

「気にしなくていいわよ、ここ安いし」


 天音さんが勝手にゴールデンリバーに入って行く。仕方がないからついて行く。

 エレベーターを待ちながら、天音さんが笑った。


「統基って分かりやすい。今日の統基の顔も好きよ」

「えっ」


 ちょっと話を切り出しづらくなってしまった。いやいや、なんでだよ。別に俺たちは付き合ってるんじゃない。ただの、お互い様の関係なんだから。


 部屋に入ると、天音さんがベッドに腰掛けて足をブラブラしている。その前に立って、レースのロングスカートが揺れるのを眺める。


 ……下手に間が空くのは悪手だ。さっさと話をしてしまおう。


「天音さん、俺、彼女ができたんだ」

「良かったわね。前に言ってた好きな子?」

「そう」

「おめでとう」

「ありがとう」


 あっさりしたものだ。まあ、カップルの別れ話とは別物だからな。


 安心したのも束の間、妙な間が空いてしまう。

 天音さんは何も言わず、自分のスカートを見ながら変わらず足をブラつかせる。


「だから、あの……もう土曜日には会えない」

「彼女とデート?」

「じゃなくって。彼女できたのに会ってたら浮気だろ。俺二股とかする気ないから」

「自分に彼女ができたからって、約束破って私のことポイ捨てする気なんだ。統基、ひどい」

「えっ」


 天音さんがただの泣きマネだって分かりやすく泣きマネをする。


「ポイ捨てって何だよ。俺はその約束に基づいて言ってんだよ。彼氏彼女ができるまでのお互い様の関係だろ、俺ら」

「統基には彼女ができたかもしれないけど、私、彼氏なんてできてないわよ。約束に基づいてないじゃない」

「あ」


 え、そうなるの?

 俺は、どっちかに彼氏か彼女ができるまでってつもりだった。お互いに彼氏も彼女もいない間だけだと思ってた。


「いや、でも、俺マジで二股とか無理だから」

「心配しなくても、私たち付き合ってないんだから二股には入らないよ」

「え? そうなの? いや、でも、確実に浮気だろ」

「どうかなあ」


 天音さんがスマホを出して何やら操作している。


 何コレ、めんどくさい事態になってきた。ルールを設けて期限を定めれば終わる時に楽にスパッと終われると思ってたのに、ここへ来てルールの解釈が違ったことが判明した。


「浮気、とは、ひとりだけを愛さず心が移ること。恋人がいながら他の異性に目を向けること。統基、彼女だけを愛さず私にも心が移ってるの?」

「移ってねえ。俺が好きなのは彼女だけだ!」

「じゃあ、浮気じゃないよ」

「そんなヘリクツあり?」

「だって、辞書にそう書いてあるんだもん」


 天音さんがスマホの画面を見せてくる。読み上げられた通りのことが書いてあるのを確認する。


「ちなみに、二股、とは、交際相手がふたりいること。それぞれに黙って付き合いを同時進行すること。これは確実に外れてるわね。私は彼女がいるって知ってるし、私たち付き合ってないんだから」

「でも、彼女が知らない所で会ってたらアウトだろ」

「意外と誠実なのね。統基、私のことを彼女に話すつもりなの?」

「え……」


 全然考えてなかった。

 毎週、会ってたバイト先の先輩がいる。比嘉に誠意をもって伝えるべきかもしれない。


 でも……結愛の泣き顔が思い出される。俺が泣かせた。

 俺が、軽々しく真鍋が全てを説明したのは結愛に対する誠意だなんて言ったから。


 俺が比嘉に天音さんのことを話すのは、比嘉に結愛と同じ思いをさせてしまうのかもしれない。比嘉を泣かせるようなことはできない。


「いや……話すつもりはない。隠し事さえなければ誠実だとは思わない」

「じゃあ、問題ないわね。男に二言はないでしょ。約束は守ってよ」

「う……」


 俺は男のプライドにかけて、約束を破るなんて嫌だ。でも、この場合は……。


 返事をできずにいると、天音さんが立ち上がって抱きついてくる。


「これまでみたいには会えなくてもいい。統基がヒマな時に連絡くれたらいいから」

「天音さん……それ、俺じゃなくていいだろ。天音さんなら他にもいっぱい男いるんだろ」

「今は統基しかいないって言ったでしょ」

「どうせ嘘だろ。そうだ、歓迎会の後、俺ここに来てすぐ寝ただけで何もしてなかったんだろ?」

「あら、思い出したの?」

「やっぱりか! 大人って平気で嘘つくよな!」

「そうよー。気を付けた方がいいわよ」


 まるで悪びれることなく天音さんが笑う。くっそー、この俺をはめるとは、大人しそうな顔してやりやがる!

 天音さんとはそんなに身長差がないから、抱きつかれたまま笑われると耳に息がかかってなんかゾワゾワする。


「私、統基が好きなの。捨てないで」

「えっ? それも嘘だろ?」


 天音さんを見ると、目が潤んでるように見えて、嘘か本当か分からなくなる。


「私にも彼氏ができるまで、ね?」

「……彼氏作れよ」


 拒絶したら天音さんを傷付けるんじゃないかって迷いが出てしまった。

 この返事じゃあ、お互い様の関係を終わらせられなくなるのに……終わらないなら、言っておかなきゃいけないことを思い出す。


「俺の学校、夏休み明けたら二クラスも減ってたんだよ。中には子供できて辞めたヤツとかいて」

「子供?」


 立ってるのも何だから、天音さんの体を引き離してベッドに座る。天音さんも隣に座った。


「そう。万が一子供ができても俺責任取れないよ」

「だから会うのやめようって言う気? 大丈夫だよ、高校生に責任取れなんて言わない。大人である私がなんとかするから、気にしないで」

「なんとかって、どうするつもりなの?」

「病院に行って堕胎手術を受けるだけだよ」

「だたい?」

「子供をおなかから消せるの。だから大丈夫」

「え……」


 あっさりと言った天音さんを凝視する。


「そんなにびっくりしなくてもー。できたら結婚しようって言ったらするの?」

「できないけど……」

「私も順番は守りたいの。就職して結婚してから妊娠の方が世間受けがいいもの。大学院まで行って就職もせずできちゃった結婚だなんて世間体が悪いじゃない。だから安心し――」

「世間受けとか世間体とか、そんなもんのために子供を消すのかよ」


 自分でも何に怒りを感じてるのか分からない。でも、腹の底から怒鳴りたいくらいムカつく。


「まだ統基には分からないかもしれないけど、大事なことだよ。昔ながらの考えの人だってまだまだ多いし、結婚が先か妊娠が先かでその後の旦那さん側の親族との関係も変わってくることもあるんだよ」

「結婚してないからって子供を消されたんじゃ、俺は今ここにいない。俺の両親は結婚してない」

「え……そうなの?」


 俺だけじゃない。兄貴たちも蓮も、俺たち兄弟は6人もそろいもそろって結婚してない男女の間に生まれた子供だ。


「俺が小さい時に死んだから、俺は母親の顔も覚えてない。それでも、俺は生まれてこない方が良かったとは思わない。こんなんでも、生んでもらって良かったって思ってる。簡単に子供を消すとか言うなよ!」


 やっと天音さんからヘラヘラした笑顔が消えた。真顔でじっと俺を見る。


「分かった。ごめん。もう簡単に子供を消すだなんて言わない」

「あ……俺も、なんかごめん。年下のくせにえっらそーに」

「ううん、統基の言うことの方が正しいよ」


 抱きついてくる天音さんを抱きしめる。ヒートアップしてた頭が少しずつ落ち着いてくる。落ち着いたら天音さんの甘い匂いを強く感じて、ベッドに押し倒した。

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