俺の気分が天国から地獄
夢を見ていた。まるで昨日のボウリング大会での比嘉を忘れないために作られた記録映画のような、比嘉しか出てこない夢を。
ストライクに大喜びでピョンピョン飛び跳ねながら嬉しそうにハイタッチをする比嘉がものすごくかわいかった。
普段、ロシアンブルーのように高貴な雰囲気で自信満々に多少のことには動じず、堂々とした空気をまといどっしり構えている比嘉が、小動物みたいに飛び跳ねていた。
更に、バイトをしたいと言う発言にはそりゃもー驚いた。だって、バイトなんかしたら日課のストーカー行為をする時間が減るというのに。
こっちとしては大歓迎だ。ストーカーなんかするより俺と一緒にバイトして、あの男のことを忘れてくれたら都合がいい。
でも、もしかして、すでに比嘉、俺に落ちてないか?
うぬぼれてるんだろうか。だってだって、比嘉は俺と同じ店でバイトしたいんだろ? 俺のことが嫌いならば絶対にない発言のはずじゃね? 多少の好意は絶対にあるくね?
まあ、ひろしでは天音さんと俺が付き合ってるみたいに思われてる所あるから比嘉に来られると困るし、天音さんとホテル・ゴールデンリバーにいたなんて絶対に知られたくないんだけど。
夢か考え事してんのか分からない中途半端な状態の中、スマホが鳴る。アラームを止めようと手に取って画面を見ると、充里と表示されている。
あ、アラームじゃねえわ。着信か。え?! 現在8時?! アラーム鳴らなかったの?! 絶対に学校に間に合わねえ!
ヤバい! 支度しなきゃ! と焦りつつも、寝ぼけてるのか電話に出てしまった。
「おっはよー、統基ー」
「呑気に電話かけてきてんじゃねーよ! 俺この電話で起きたから急いで学校行く準備しねーと!」
「だったらむしろ感謝しろよ。てか、今日学校休みだよ」
「うっせーな、今迷惑かけられてるから感謝なんか――休み?」
「ライデンメール見てねえの? 紅葉線で電柱だかなんだかが倒れて線路塞いじゃって、電車が止まってるから教師が来れなくって臨時休校だって」
「おっしゃ! ラッキー! 遊ぼうぜ、充里!」
おお! 神は俺の味方である! 寝坊した日に学校が休みとか俺すげえ!
「今みんなにも声かけててさあ」
「比嘉も呼ぶんだろ?」
「比嘉には今曽羽ちゃんが聞いてるー」
「叶、来ないってえ」
は?! 曽羽?! 今小さく曽羽の声がたしかに聞こえた。
「ちょっと待て。朝8時からなんで曽羽?」
「曽羽ちゃんの両親が親戚の結婚式のために泊まりで家にいないから、俺も曽羽ちゃんの部屋にお泊りーみたいな」
「いいな、お前」
比嘉は来ないのか。せっかくの降ってわいた休みに遊びに行かないなんて、なんで? 本来学校のはずなんだから別に予定も何もないだろうに、なんで比嘉は遊びに行かないん……まさか、あいつ……。
「悪い、充里! 俺も急遽予定を思いだした! 俺もパス!」
「えぇー」
強制的に通話を切って、急いで顔を洗って着替え、家を飛び出す。
道覚えてるかちょっと不安だったけど、あの男の住処であろう茶色い外壁の大きなマンションが見えた。
その前に建つ一軒家の塀に、予想通り比嘉がもたれている。紺地に深紅の大きな水玉模様が鮮やかなシャツかキャミソールか何かをピンクと青の太いボーダー柄のゆったりしたズボンにインして、緑とグレーと黄色のチェックのシャツを羽織っている。
個性的なファッションだな。てか、お母さんが買って来た服を適当に着てるニートくらいめちゃくちゃなコーディネートじゃねえか。比嘉の華奢な体形もまるで活かされず隠れちゃってるし。ファッションセンスも皆無か。マジで神から顔の良さしか授けられてねえ。
やっぱり、ここにいたか……。
もう淡い月明かりのようなオーラすら見えてくる美しいプリンスイケメンがマンションから出てくると、比嘉はその後を追う。俺もつい、そんな比嘉を慣れた足取りで追ってしまう。
こんなことしたくない。俺は比嘉を見てるだけなんて、満足できない。
前にも見たのと同じ、比嘉はあの男に声をかけるでもなく、ただその姿を見ているだけだ。男が通う大学なのであろう名も知らぬ大学っぽい建物に入って行くと、比嘉は今度はその校舎をいろんな角度から見て嬉しそうに笑っている。
何時間も大学の周りをうろついて、男が出てくるとすかさずその後を追い、聖天坂へと戻る道を進む。
なんでだよ。そんなに俺の顔じゃ満足できねえのか。あの男の顔じゃなきゃ、ルックスを重視するお前には選ばれないのか。
昨日、あんなに楽しそうにしてたじゃん。
俺、自分がボール投げた時に気付いたんだ。あの古いボウリング場のあのレーンには、真ん中にまっすぐ溝ができていた。力のない比嘉相手なら、俺がコントロールして溝に沿わし安定してピンを倒せると踏んだ。
絶対に俺を超えることのないよう調整しながらだけど、最大限比嘉が楽しめるように、俺がんばったのに……。
あの男がお前に何したってんだよ。お前が一方的に見てるだけじゃん。何もしてもらってないんじゃないのか?
ただ、完璧なバランスの黄金比な顔で、王子様みたいなキラキラ感を発してるだけじゃん。プリンスイケメンは何もしなくても、比嘉にここまで愛されるのか。
理不尽だ。こんなの理不尽だ。俺がどれだけ比嘉を楽しませたって、あの男の顔には敵わないなんて、理不尽すぎる。納得できねえ。
聖天坂はその名の通り坂が多い。半ば呆然と比嘉を見ていたら、下り坂を猛スピードで下る自転車が俺のすぐ横を爆風と共に走り抜けて行った。
運転者は前を見ていないのか、電柱の陰から出てきた比嘉目がけてまっすぐに坂を下る。俺がそれに気付いた時には、すでに暴走自転車は比嘉の目前に来ていた。俺の得意の瞬発力をもってしても絶対に間に合わない。でも、飛び出そうとした瞬間、比嘉の腕を引き間一髪助けた人物がいた。
「すんませーん!」
暴走自転車の運転者らしき慌てた声が聞こえたが、よほど急いでいるのか止まりもせず走り去って行く。
残された比嘉に、あの男がプリンスイケメンな顔を近付けている。
人見知りが激しく自分からは声を掛けられない比嘉に、あの男が気付いた。ついに、二人が対面してしまった。
何を言っているのかは聞こえない。でも、あの男が優しく微笑み、比嘉も嬉しそうに笑顔を返す。
この世のものとは思えない美貌の二人が笑い合う様子は、映画ですらあり得ない光景で、それこそ夢を見ているような異次元空間だ。
俺は、誰かの恋が比嘉に届かないように策を講じた。でも、比嘉の恋があの男に届かないようには、何も対策できていなかった。
人見知りの比嘉が話しかけようとする様子すらなかったから、油断してた。
比嘉の恋が実ったら、俺にはもう何もできないのに。
――良かったな、比嘉。
分かってた。ロシアンブルーがただ一人に特別な忠誠心を持つように、比嘉はとっくにあの男を選んでた。俺が勝手に比嘉を好きになって、多少なりとも希望を持って、比嘉にとっては迷惑なのかもしれないのも顧みずに比嘉を追いかけてただけだ。
帰ろう。
一人、家に方向を変え歩き出す。
5分ほど歩いて交差点を渡り更に行くと、右に曲がれば創作居酒屋ひろしのある細い路地がある。右を見ると、店の前をホウキで掃いているひろしの青いエプロンをした女の姿が見える。
ああ、もう開店準備の時間か……。
無意識にひろしに向かっていた。掃除をしていた天音さんが俺に気付いて笑う。
「どうしたの? 今日はシフト入ってないでしょ?」
頭が真っ白で何も考えられないから、何も言えない。
俺の様子に首をかしげた天音さんが、
「ちょっと待ってて」
と言い残し店の中に入る。ボーッと突っ立ってたら、天音さんがエプロンもなく私服姿で出てきた。
「体調不良で早退させてもらった。平日だし、日野くん一人でも大丈夫でしょ」
あっけらかんとした天音さんを見て、ようやく口が動く。
「大人って、平気で嘘つくんだな」
「そうよー」
いたずらっぽく笑う天音さんに何の感情も湧かないくらい、俺の心は無になっていた。




