私たちのピンチ
3時間目の自習を終えて、4時間目は夏休み前の大掃除だ。私は愛良と入谷と充里と4人で窓拭き係になった。
「よし! 1滴の水もこぼれてねえ!」
「次、俺やる!」
「真上で一回止めてみろよ、充里」
「確実にジャーなるじゃん」
「あはは! バレたか」
バケツを回して誰が一番水をこぼさないか大会が開かれている。掃除してるのは私だけだわ。
でも、ものすごく心がウキウキしてるから一人でも全く苦にならない。
みんな、私が2年生になれるように勉強アプリを教えてくれたり、出そうな所を考えて教えてくれた。ずっと教室で一人ぼっちで過ごして来ていた私の学校生活が高校に入ってからというもの、一変した。
それは、この3人のおかげだわ。もうびっしゃびしゃになりながら遊んでる入谷と充里、それを見て笑っている愛良。ありがとう、私、あなたたちの分まで掃除がんばるわね。
4時間目も終え、4人で学校を出る頃にはすっかり腕がだるくてクタクタになってしまった。ああ、疲れた……。
「なんか食ってかねえ?」
「いいねー」
私もおなかすいた。でも……。
「私、お金持って来てないから食べに行けないわ。帰るわね」
「あ! 俺が比嘉の分も出す! 俺昨日親父に5000円もらったとこなんだ」
「え、でも悪いからいいわよ」
「お前とメシ食えるなら俺、お前に全額渡したっていいぜ?」
「援交みたいだな」
「援交ゆーな、充里。パパ活だ」
「してないわよ!」
入谷に強引に手を引かれ、充里と愛良が入って行ったおしゃれなカフェに入る。なんだか高そうだし、本当におごってもらっていいのかしら。
「俺この店来てみたかったんだよねー」
「おー、超うまそう! 俺これ! ハンバーグ定食!」
「え、おいしそうだけど1500円もする」
「値段なんか気にすんなー。比嘉もハンバーグ定食でいい?」
「え、う、うん」
お昼ごはんに1500円もするものを平気で頼むんだ、入谷。高級志向だったりするのかな。なんか入谷って野生児っぽいと言うか、落ちてる物でも平気で食べそうな印象があったからちょっと意外。
お高いだけあってとてもおいしい。入谷がパン以外のものを食べてるのを初めて見る。
「うまーい。けど多いわ。腹ポンポン」
「統基は小食だからなー。もーらいー」
「どーおぞー」
私もおなかいっぱい……だけど、残すのも申し訳ないから無理やり詰め込む。
「俺、比嘉の分も払うからまとめてレジ行くわ。充里が1300円で曽羽が1200円ね」
「はーい」
充里と愛良がカバンを出して財布を探っている。私だけおごってもらって、本当にいいのかしら。
「あ。わりー統基。俺500円しか持ってなかった」
「マジかよ! なんで所持金500円でこの店に来た!」
「入谷くん、ごめんなさい。私お財布と間違えてお母さんのスマホ持って来ちゃってた」
「え。もしかして、またケンカした?」
「した。支払い系のアプリ入れてないかなあ」
「憂さ晴らしはやめなさい! しょーがねえなー。もらったばっかの5000円がキレイに消えちゃうじゃん」
「月曜日に絶対返すー」
「もー、絶対だぞー。え? あれ?! ヤバい! 俺家に金置いてきたっぽい!」
「マジか!」
ちょっと待って。私もお金持ってないし、5500円分も食べたのに500円しかないの?
「え……どうしよう。このままじゃ無銭飲食になっちゃうわ」
「金取りに帰るって店員に言えばいいんじゃね?」
「信じてもらえるものなの? そのまま戻って来ないんじゃないかとか思われない?」
「あー、そのまま帰っちゃえばいいんだ」
「ダメよ、充里」
どうしよう。充里は本当にそのまま帰ってしまいそうだわ。このままじゃせっかくできたお友達が犯罪者になってしまう。でも、実際お金はないし、どうしよう。これはピンチだわ。
「ねえ、今入って来た人、いい人そうだよ」
「よし、やってみるか。おーい、こっちこっちー」
愛良が指差した人に向かって、充里が立ち上がって呼びかける。
え? 何をやってみる気なの?
入って来たばかりの人は充里を見て、笑って近付いてくる。充里の知り合いだったのかしら?
「この席どうぞー」
「おー、ありがとう」
私たちの席の隣にその人が座る。若い男の人だ。二十代前半くらいかな。落ち着いたブラウンの髪で、前髪が長くて隙間から見える目がすごく茶色い。入谷くらい目の色が茶色い人だわ。
背が高く、ラフなチェックのシャツとチノパンでカジュアルだけど、耳にはびっしりとピアスをしている。なんか、笑顔なんだけど何考えてるか分からないというか、ハーフかもしれない感じの美形のミステリアスな人だな。
充里がその人に店のメニューを渡す。
「何食べるの?」
「いや、昼メシは食ったんだ。時間が半端だからコーヒーでも飲もうかと思って」
「お兄さん、学生?」
「ううん。仕事してるよ」
「じゃあ金持ってるね。これから仕事なの?」
「うん。夕方からね」
金持ってるねって……まさか充里、この人に払ってもらうつもりかしら。知り合いではなさそうなのに。
「俺ら今日マラソン大会だったんだよ。俺が男子1位でこの子が女子1位だったの。俺らすごくね?」
「へー、すごいね」
「で、こっちの二人は失格になったんだけどさー。途中でこの子が腹痛くなっちゃって」
私も痛くなってたわ。
充里が世間話を始めた。どう切り出す気かしら……。
「でさー、2年後にサンディエゴで! って言って別れるんだけどさー、2年で信じらんねえレベルで成長してんの。超強くってさー」
「へー、そうなんだ」
充里は延々10年以上続くアニメのあらすじを語っている。私もタイトルと主人公一行の名前くらいはフワッと知っている。
お兄さんは口数は少ないながらももう4時間以上もニコニコと充里の話を聞いている。こんなに長話をするなんて、やっぱり知り合いなのかな? もしも知り合いじゃなかったら、初対面の人と4時間以上もしゃべるなんて充里がすごすぎる。
「あ、もうこんな時間か。ごめん、俺仕事行かないと」
「俺らも出るよ。伝票持って行くね」
充里がこちらのテーブルの伝票とお兄さんの伝票を持ってレジに行く。慌てて私もカバンを持ってついて行くと、レジでお兄さんがお財布を手に充里と並んでいる。
「6000円になりまーす」
「すげえ! ちょうど6000円だって! ラッキーだね、お兄さん!」
「うん。いいことがありそうだよ」
店を出ると、
「じゃあねー。お兄さん、ありがとうー」
と、充里がお兄さんに手を振って別れる。お兄さんもにこやかに手を振ると背中を向けて歩いて行く。私はそれを呆然と見送っていた。
「すっげーいい人だった。さすが曽羽ちゃん、見る目あるね」
「なげーよ! 俺ケツ痛いわ」
「しゃあねえじゃん、あの人夕方まで時間あったんだから」
「あの人すげーな! コーヒー1杯で6000円も請求されて何の疑問も持たずに支払うとか!」
「俺の話もすっげーうんうん言って聞いてくれるからすげー話しやすかった」
「ずっと充里ペースだったもんな。すっげー雰囲気に流されやすい人だな! ちゃんと社会人できてんのかね。心配になるわ」
え……赤の他人の全く知らない人に雰囲気だけで支払わせたの? 払わせた充里も払ったあの人もすごい。
でも、良かった。誰も犯罪者にならずにピンチを乗り越えることができた。




