俺の忠誠心
うっすらとモヤのかかったような白い世界で、俺は頭をなでられながら横たわる。温かくて柔らかくて気持ちがいい空間にいる。
ゆったりと髪をすく指を感じる。安心感に包まれて、心穏やかに幸せに浸る。
「統基は強い子だから、ママがいなくなっても大丈夫よ。ママはあなたを信じてる」
ママ……イヤだよ、ママ。
いなくならないで。
でも、声に出したらきっとママはこんな弱い子なのかってガッカリしてしまう。
おれは強い子でいなきゃ。
黙ってうなずいて目を閉じた。
……なんだ、あいつ。
クソちっせーくせに、生意気に睨みを利かせてくるガキがいる。俺ゃ成人だぞ、ふざけんな。
すっげー鋭い目でこっちを見つつ、ギュッと口を一文字に結んで下唇をかみしめてる。
隠しきれてねーんだよ、クソガキ。悲しみがダダ漏れとるわ。
なんでそんなに苦しいのに我慢してんだよ。ガキはガキらしく大人に甘えてりゃいいのに。
強がってバカじゃねーの。
……バカだよな。
分かるよ、クソガキ。俺もそうだった。
泣いちゃダメだって、ママが悲しむって思い込んでた。
あの朝、真っ白い部屋で、呆然と立ち尽くす俺の手を肉厚の大きな手が震えながら握った。
「統基、ママはずっとお空から統基を見てる。ずっと統基を見守ってるんだよ」
……ママが見てるから、泣いちゃダメだ。
パパがめちゃくちゃ泣いてる。ダメだよ、パパ。ママが見てるのに。
おれは泣かない。
「偉いねえ、小さいのに強い子だ」
「これならマクベスさんも安心して眠れるよ」
みんなして黒い服を着た大人たちが褒めてくれた。褒められて、余計に今更泣けなくなった。
弱い俺は泣かないことでしか強さを見せられなかった。
泣かなかったんじゃない、泣けなかった。
なのに、次々浮かんでくる笑顔を思い出すだけで泣きそうで。
「ママ……」
どうせ、お前も思い出すから苦しいんだって忘れようとするんだろ。
ガキの考えそうなことだよ。
マジでバカじゃん。完全に忘れられるワケねえんだよ。
だって、本当は忘れたくなんかないんだから。
「ママの願いを叶えてくれて、ありがとう」
優しい声が降ってくる。
おれは、ママの願いを叶えたいから泣かない。よかった、叶えられたんだ。
ガキの目からこれまで溜め込んでた分一気出しかよって勢いで涙があふれる。ちっせーくせに溜めすぎ。
「大好きだよ、統基」
なんだ、クソガキだと思ったけど、笑ったらカワイイ。
良かったな。
愛してくれる人がいるんじゃん。
嬉しそうな笑顔のかわいい小さい子供が真っ白いもやに溶けるように消えた。
目を開いても、変わらない白い世界。
キュッと抱きついているおなかが息を吸って膨らんだ。
「強くて優しい男になるのよ、統基。お兄ちゃんたちのように」
「うん! おれ、お兄ちゃんになる!」
勢い良く顔を上げる。
見上げると、褐色の肌に白い歯がまぶしい、クルクルパーマの髪をかけた耳には一粒ピアス、大きな目に鼻に分厚い唇の女性が穏やかに微笑んでこちらを見つめていた。
「愛しテルゎ、トーキクン」
「いや、どちらさん?」
こんなガチ外人さん知らねえんだけど。
目尻にそっと触れる細い指を感じる。
さっきも目を開いたのに、また開く。
「あ、起こしちゃった?」
ロシアンブルーみたいに高貴で美しい叶が笑っている。頭の下には筋肉のまるでない柔らかい叶の足がある。
本物? 夢?
きっと本物だ。頭がすげークリアー。これで夢だったら俺の人生全部夢だわ。
ギュッと腕に力を入れて抱きつく。夢の中の半分くらいしかない腹回り。
「統基?」
ありがとう。こんな俺を選んでくれて。
俺はずっと叶を求めて追うばっかりで、俺が追うことをやめたら叶がいなくなるんじゃないかって怖かったのかもしれない。
思いは同じだったんだ。
叶も俺のそばにいたいって望んでくれてる。
ロシアンブルーが特別な忠誠心を持つたったひとりに選ばれたら、どんな快感だろうって憧れてた。
でもこれ、快感じゃないな。
抱えきれないくらいの大きな感謝と、責任感。もう俺、二度と叶を裏切るようなことはしない。俺こそ叶に忠誠を誓う。
叶の口に唇をつけたら、爆発すんじゃねーかってくらい真っ赤になる。コイツはいつまで照れるんだ。一生照れ続けるのか、いつかは慣れるのか。
人間、何事にも慣れちゃうから。
だがしかし、猫なら分かんねえ。もしかしたら、一生このまま……
「ちょっ……統基!」
叶を押し倒して組み敷くと、慌てたように叶が俺の胸を押す。力ないから薄っすい胸板でもビクともしない。
「一生、宇宙一好き。地球上の全生物の中で俺が一番好きレベルが高い。俺ナンバーワン」
「スケールが大きすぎて何言ってるのか分からないんだけど」
「好き」
しゃべんないで。
口をふさいだら叶の腕の力が抜ける。黙って俺に愛されてればいいんだよ。
耳元に口を付ける。爆弾と化した叶がビクッと体をこわばらせる。めちゃくちゃ緊張してる。かっわいいー……。
ダンダンダンッと聞き覚えのある音が駆け上がってくる。
「マジか!」
「今日パパ有給取ってるの」
「しょっちゅう仕事休んでんな」
くっそー。一人暮らしして叶も一緒に住まわせようかな。でも、それだと蓮が心配だし……あ、叶にうちに引っ越してきてもらえばいいんだ。どーせ部屋余ってんだし。
「ノックしてトントーン! 入りまーす!」
「どうぞ!」
邪魔された苛立ちをそのままぶつけて大声で答える。ガチャッとドアを開けた叶パパが笑顔でのぞき込む。
「入谷くん、久しぶり! 来てたんだ?」
「お邪魔してます!」
「ちょうど良かった。卒業旅行で泊まる民宿ってこれで合ってる?」
「合ってるけど、来んなよ」
「え……」
やっぱり来るつもりだったか。全く、過保護なんだから。
「叶ちゃんももう成人だよ? いつまでも過保護にしてたらまともな社会人として自分の力で生きていけない大人になるぞ」
「だって、まだ学生だし」
「バイトしてる立派な社会の一員でもあるんだよ。今度店にメシ食いにおいでよ。叶、ちゃんと仕事できてるから」
しつこくスマホの民宿予約サイトを見ていた叶パパが顔を上げた。目に涙を浮かべ、叶を見つめる。
「立派な社会の一員として仕事してるんだ……」
「厨房で玉ねぎの皮むいたりレタス洗ったりまかないよそったりしてるよ。ほら、安心して、そのスマホしまって」
叶パパが素直にスマホをポッケに入れる。よしよし、単純で助かる。叶ちゃん、子供でもできるような仕事しかしてねえけどな。仕事ってかお手伝いって感じだけどな。
「入谷くんが一緒だから、心配することはないか」
「ないない。何があっても俺が守る。若い分、叶パパより動けるし」
「いやいや、僕だって週に一度は30分くらいウォーキングしてるし」
「それで運動してるつもりかよ。俺なんか毎日登校するだけで1時間近く歩いてるし」
「適度な運動量っていうのは個人差があるんだ。僕が1時間も歩いたら疲れ切って倒れそうだし」
「叶が体力ないのはパパ譲りか。1時間歩けねえような男に叶は守れねえし」
「体力はなくても毎日筋トレを欠かさないから筋肉はあるし」
対抗してくるからこっちも引けない。バチバチに睨み合ってしまう。
「叶を守るのは俺だ! 俺が一生、叶を愛し甘やかして守り抜く!」
キレイな顔で睨みを利かしていた叶パパが微笑んだ。
「頼んだよ」
え……なんか俺、言わされた?
「桜マラカリア大学は女子が多いそうだね。でも、入谷くんは叶を悲しませるようなことはないよね。だって一生叶を愛し甘やかして守り抜くんだもんね」
やっぱり誘導されてた!
くっそー、忘れてた。叶パパ、策士だった!




