ワガママな私
「叶……もしかして、天音さんに会いに……」
呆然とつぶやく統基の声に、小さくうなずく。ごめんなさい、黙って行ったりして……。
あなたのせいよって、あの人の言葉が耳によみがえる。私のせい。
私のせいで、統基は後悔を忘れず苦しみ続けようとしてしまう。
「ごめんなさい……」
自分がこんなに自分本位な人間だったなんて知らなかった。統基にガッカリされるかもしれない。
「謝らないで。叶は何も悪くない」
ううん、私はこんなに統基が青ざめてしまうようなことを勝手にした。
統基を救いたいだなんて傲慢なことを考えて、統基のためだと勘違いして。
私自身が統基を苦しめていたとも知らないで……。
太ももにのしかかる統基の重みが離れていく。
顔を上げられない私の目に見えるのは、力の入っていないよろめいた統基の足元だけ。
さっきも自転車を巻き込んで転んでいたけど、何回繰り返してたんだろう。
統基の白地に緑のラインが鮮やかだったスニーカーがボロボロのズタズタに汚れている。
「俺、叶を好きになれて良かったってマジで思ってる。感謝してる。ほんとうに……ありがとう」
私も。
私も統基が好きなの。
だから……
ごめんなさい。
私はワガママだ。
統基は私のせいで、これまでずっと辛い思いをしてきたのに。
だけど、それでも。
背を向けて、足を引きずる統基に抱きついた。
ビクッとした体が離れていかないように、キュッと腕に力を込める。
「お願い……ずっと私のそばにいて。私から離れないで」
あの人が言った通り。
統基と離れることが一番辛い。統基の後悔を軽くしてあげることもできないくせに、ひどいワガママ。
お願い。統基のそばにいたい。卒業しても、これからもずっと。
統基の手が私の手首を優しくつかんだ。そのまま、ゆっくりとこちらに振り返る。
自分勝手なことを言った。統基がどんな顔をしているのか、怖くて顔を上げられない。
統基のグレーと青と赤と水色のいくつものラインとラインの間にカラフルな様々な三角形の柄が並ぶ、暖かそうなパーカーの模様が目の前に広がる。
ギュッと強く抱きしめられて、その模様も見えなくなった。
力を加減できない統基を感じて、安心が胸に広がる。
「ごめん。本当にごめん」
「……もう隠してることない?」
「ない! 絶対ない! 神に誓ってない! 俺を信じて!」
「信じてるよ。統基は私には嘘つかないものね」
「マジそれ!」
勢い良くそれ! と私を指差した手に引っ張られるように統基がふらついた。慌てて今度は支えるべく統基に抱きつく。
手に体を持ってかれるとは、相当足にきていそう。
「昼からずっと走ってただなんて……ごめんね。黙って勝手にあんな時間かかる所まで行っちゃって」
「いいの。全然いい。俺、叶に隠し事してんのもしんどかったから。今すっげー申し訳ないの半分、ホッとしたの半分」
「そっか……そうだよね。今までよくがんばって隠してたね」
「そこ褒められると変な感じ……単に言えなかっただけだよ。ただのメンタルクソザコ」
言えなかった……この短気で煽り耐性ゼロな人が言えなかったんだ。チャラいようで、真面目な人。
統基が眠ってる間に自転車は取りにくればいいか。鍵だけかけて、統基がフラフラしないように両腕で体を固定する。歩きにくいけどしょうがない。
私の部屋に入ってまず統基をベッドに座らせ、私は床に。
「やだ」
「え?」
ベッドから立ち上がった統基が私の足の上に頭を置いてゴロンと横になり、おなかに顔をうずめるようにギュッと両腕を背中に回す。
やだって……かわいいー……。
統基がこんな子供みたいに甘えるなんて珍しい。
びっくりして固まっている間に、統基はもうスーッと眠りに落ちたみたい。
スースーと寝息を立てる統基が愛おしくて、柔らかい髪をなでながら幸せが満ちてくる。
昼からずっと走り回っていたなんて、統基って本当にまんまミニチュア・ピンシャーね。
ミニチュア・ピンシャーは小型犬でありながら大型犬と並ぶくらいの体力を持つ。スタミナがないって統基はよく言ってるけど、いざとなれば何時間でも走れるんだ。
ごめんね、私のせいでこんなに疲れさせて……でも、私のためにここまでするなんて、ちょっと嬉しい。
あ……あれ? あざが消えてる。
閉じられた統基の目から、うっすらと紫色のあざがなくなっている。
どっちの目にあざがあったんだったっけ? 完全になくなってて分からない。
「ママ……」
統基の分厚い唇が小さく動いた。
ママ?
今のお母さんのことは花恋ママって呼んでるから、統基を産んだお母さんのことかしら。
統基という名前に、家族を統べる強さと人としての基本である優しさを忘れないでって願いを込めたお母さん……よし。
私ならできる、私ならできる、私ならできる。
「統基、お疲れ様。がんばって走ったね。名前の通り、強くて優しい男になってくれて嬉しいわ」
いい感じになりきってきた。私は統基のお母さん。
「ママの願いを叶えてくれて、ありがとう」
統基の髪をなでながら、心穏やかに伝える。きっと、お母さんもそう思ってる。
統基の目から水が1本だけ、スーッて落ちて行って、一瞬それが何か分からなかった。
目から出る水なんて、涙しかないのに。
統基が泣くなんて、信じられない……。
でも、そうだ。統基だって突き詰めれば人間。
たった5歳でお母さんが亡くなってしまって、誰にも甘えられずにあざは消え大人になった。
どうして気付けなかったんだろう。寂しくないはずないのに。
統基にだって、小さい統基のように幼い時期が実際にあったんだもの。
強がってても、本音は寂しかったんだ。
お母さんが名前に込めた強さって、きっとこういう強さ。
弱音を吐かず、人に甘えず、自分に厳しく、強くあろうとする心。
「大好きだよ、統基」
統基が起きたら抱きしめたい。
本当に、がんばったね。偉かったね。
でもね。
私はお母さんじゃないから、甘えていいんだよ。




