中途半端な私が
ピーンポーンとインターホンの音がして、コートを着て小さなバッグにスマホを入れて玄関に行くと先にパパとママが統基を出迎えていた。
「叶! あけおめ! ことよろ!」
「こと?」
何語かしら。
「今年もよろしくねー、入谷くん」
「無事に帰国できて良かったっすね。最初1年っつってたのに延びたからまた延長かと思った」
「あはは。延長だったけど夜逃げして帰ってきたよ」
「え? 冗談だよな?」
どうやら本当みたい。パパが帰国した翌日、会社の人がえらい剣幕でやって来たもの。
統基と元日に神社に行くのも3回目。ここのおみくじはよく当たる気がする。
「ここのおみくじって妙に当たる気がするからちょっと怖えんだよな」
「私も今同じことを思ってた」
「やっぱ俺らだから」
「私たちだから?」
意味が分からないけど、うまいこと言ってる気もして笑ってしまう。私たちだから。
「お! 俺大吉!」
「いいわね。私なんて何て読むのかも分からないわ」
「何それ」
私が握るおみくじには凶向吉と書かれている。凶なの? 吉なの?
「大丈夫大丈夫。たぶんそれ悪くはねえよ。吉に向かうんだから」
「そうね、内容はポジティブだし悪くはないね」
学問・すなおな心で学べ、失せ物・探せば出るは難なくできる。待ち人・求めよ、恋愛・行動で示せ……。
「叶に合わねえのばっかな。お前自分から行かねえじゃん。超受け身」
……たしかに。
「これを機に行動する人になるわ」
「ろくなことになんなそうだから大人しくしててくれ。叶が動かなくても俺がいるから平気だろ」
統基の弾力ある唇がおでこに当てられる。体温の上がった全身の熱が顔に集まってくるみたい。
「叶、縮んだ? お前のデコこんなチューしやすい位置じゃなかったよな」
「統基が伸びたんだよ。私、高校入ってから1センチも伸びてないけど縮んでもないもの」
「おー、マジで170行くかも。孝寿もまだ伸びてるらしくてさ、ついに170センチ到達だって」
お兄さんたちもお父さんも大きいから、まだ伸びる可能性はありそうね。いくつくらいまで身長って伸びるんだろう。
「なあ、マジでうち来んの?」
「そりゃあ、私も新年のごあいさつを」
「親父酔いつぶれてるからまあいいんだけどさ、兄貴たちも相当酔ってんだよ」
「楽しそうね。私もお酒飲んでみたいなあ」
「やめときなさい。お酒は二十歳になってから」
「ふふっ。統基が真面目なこと言うとおもしろい」
「あおってんのか」
統基の家に入ると、バタバタと足音がしてリビングからお兄さんたち4人と蓮くんが出迎えてくれた。
「明けましておめでとうございます」
お兄さんたちともちょこちょこ会ってはいたけど、全員そろっているのは1年ぶり。ちょっと緊張しつつも頭を下げる。
「叶ちゃん、おめでとー!」
「叶ちゃん、今年もキレイだねー」
「おめでとう、叶ちゃん」
「比嘉さん、コイツら今なら財布から金抜いても記憶に残らねえからチャンスだよ」
「嘘ついて3回お年玉もらった上に抜くな、孝寿兄ちゃん」
「姉ちゃん、今年もよろしくな!」
「よろしく」
かわいかった蓮くんがどんどんヤンチャっぽくなって、すっかり兄弟の中にいても違和感がなくなってきた。
リビングでみんなでトランプをしていたみたいで、床暖房が温かい床の上にトランプが散乱している。
「比嘉さんもやろうよ! 金は賭けなくていいからさ」
「金賭けてたのかよ。なんか孝寿兄ちゃんより一層金に困ってない?」
「子供を小学校受験させようと思ってさ、塾行かせ始めたの。これがまー金かかるかかる」
「うーお、お受験」
統基が笑い飛ばすのを孝寿さんがとても怖い目で睨む。統基もたいがいあんな目するけど、より一層怖い。
「孝寿が学歴ブランド志向だとは知らなかったな」
「全然。単にうちのかわいい子供を半分は男な公立小に入れるのがイヤなの。小中高大一貫の女子校に入れようかと」
「それ男除けのつもりだろーけど逆に男寄ってくるよ。俺の嫁さん歴代みんな女子校出身だもの」
「うわ。慶斗が寄ってくるくらいなら公立にしよっかな」
「それがいいよ。うちの子が行ってる小学校なんてみんな仲良くて平和だよ」
「マジでー。悠真兄ちゃんの家から通える小学校ならうちからでもがんばれば行けるな」
「いや、無理だろ。お前ら家遠いじゃん」
「だから俺ががんばって車で送り迎えするんだよ」
「孝寿兄ちゃんががんばるのかよ。パギャルバリサンー! あーがり!」
「おー! さすが蓮! カードゲームまで強いんだからー」
早いな、蓮くん。
話しながらババ抜きが進行している。自分の手持ちのカードは全然減ってないのに統基が嬉しそう。絶対に負けないと言いながら蓮くんには甘い。
順調にあと1枚まで来た。残っているのは私と悠真さん。悠真さんが持つカードから1枚を抜き取る。
「あー! 叶ー。ババ引けよ! 悠真!」
一度も回って来なかったのに、ここへ来てジョーカーは厳しいなあ。案の定、負けてしまった。
「はい、悠真兄ちゃん罰金1万円ね。お客様を負かしたんだから」
「はい」
それを言うなら孝寿さんもみんな同じなんだけど、素直に悠真さんがお財布から1万円を孝寿さんに渡す。
「そんなお客さん扱いしなくていいよ。叶だってきょうだいになりたいって言ってたし」
統基が高速でトランプを切りながら言った。
「だって統基、結婚する気ねーんだろー。そこはちゃんと線引きしねえと」
統基と目が合うけど、すぐにそらされた。
結婚の話なんてしたことないし考えたこともない。なのに気まずそうにするなんて、男なら責任を持って結婚しろとでも言われているのかしら。
「まだ18歳だし――あ」
フォローしようとしたら、全く同じタイミングで統基も同じことを言った。互いに見合って笑う。
「あはは! やっぱ俺らだから」
「そうね。私たちだから」
孝寿さんが統基の手からトランプを奪う。
「俺、18歳の誕生日に入籍してるから君らの頃にはとっくに結婚してたよ」
「俺も18で子供できて結婚したな」
「俺も17で子供できちゃったから18なってすぐ入籍させられた」
「ケイはどうせまた逃げるからって18になるまで泳がされてただけだよ。俺も18で結婚した」
「お前ら全員早すぎだろ」
孝寿さんが私の隣に座って素早くカードを配っていく。
「今度は大富豪ねー。罰ゲームは大貧民が大富豪の言うことを何でも聞くことー」
「お前、カードに小細工して叶が最下位になるように仕組んでんじゃねーだろーな?!」
「統基はお兄様を何だと思ってんじゃい。こんなに心優しい俺なのに」
「どこがだよ! 冷血人間!」
統基のお兄さんにこんなことを考えてしまうのはどうかと自分でも思うけど、孝寿さん、本当に仕組んでないのかしら……。
最弱カード3が4枚も集まっている。一番強いカードで7。英語のカードが1枚もないなんて、弱すぎる……。
隣の孝寿さんは7が2枚の上にジョーカーを2枚出して場を流す。
「マジか! これ孝寿絶対やっただろ!」
「やってねーよ」
統基の叫びを軽くスルーして孝寿さんが6を4枚出した。
「はい、確定ー! 絶対やってる!」
「革命~。こっからカードの強さが逆転ねー」
完全に統基を無視して場が流される。
革命……忘れてた。そんなルールがあるんだった。ジョーカーなき今、この3が最強カード……!
やっぱり孝寿さんは仕組んでなんていない。私を最下位にするつもりなら革命を起こすはずがない。
「はい、上がり。俺が大富豪ね」
孝寿さんがポイッと4を1枚出した。統基に笑いかけて立ち上がるとソファに悠々と足を組んで座る。
「叶に何させる気だ!」
ふっふっふ。大丈夫よ、統基。勝てる! 今勝ち筋が見えた!
次は私だから3を出して流し、5を2枚出す。そして1周回っても4だから3を2枚出して流して3を出せば即流れる。最後の1枚、7を出して私の勝ち!
「やったあ!」
「マジか。絶対孝寿のヤツやってると思ったのに」
「比嘉さん、こっちおいでよ。いいもん見せたげる」
「何を見せる気だ!」
「こないだ見つけた統基の赤ちゃんの時の写真だよ」
「あー、あれか」
「統基が大貧民になったらこれと同じポーズしてもらおーかなー」
「ぜってー負けられねえ!」
統基が本気モードに入る。笑顔で手招く孝寿さんの隣に座った。統基の邪魔になったら悪いし、赤ちゃんの時の写真なんて興味ある。
「かわいい! 統基じゃないみたい!」
「統基もはじめ自分だって気付いてなかったよ。この目のあざ見て俺だって言ってた」
「今も薄っすらあざありますよね」
「知ってたんだ。生まれつきある遺伝性のあざなんだって」
「統基のバイト先の先輩の赤ちゃんにもこんなあざありました。大人になる頃には消えるらしいですね」
ほんと、色も大きさもよく似てる。
ふとこちらを見て不自然な笑顔でフリーズしている孝寿さんに気付く。
「わーお。想像の3倍鈍くてお兄ちゃんびっくりしちゃったなあ。さすが比嘉さん」
「え?」
「バイト先の先輩って子供できて辞めたって人?」
「はい」
「その人が辞めたのっていつ頃だったっけ?」
「私たちが2年生になってすぐくらいかな」
「統基が体調悪かった頃だね」
そう言えば、食べても吐いちゃってた時期があったなあ。今となっては懐かしい。
「あの時は心配しました。何かあったのかと思いましたもん」
「あったんだよねえ」
「はい。統基漫画にハマって寝ないで読み続けちゃってて、寝不足がひどくって」
学校に寝に来ていた状態だった統基を思い出して笑ってしまう。そのせいで3年生になってから1学期の間は勉強漬けだった。
ふと、また孝寿さんがフリーズしているのに気付く。
「わーお。想像の9倍思い込み激しくてお兄ちゃんびっくりだなあ」
「思い込み?」
「その赤ちゃんの父親にはあざあったの?」
「ないですよ。だって大人になる頃には消え――」
「そっか、結婚した人は赤ちゃんの父親じゃないんだったね」
「え?」
あ、そうだ。忘れてたけど、充里が天音さんだっけ? あの人の代わりにバイトに行くことになった時に結婚はしないって言ってた。父親が誰かも濁されたって……。
急に胸がズキンと大きな衝撃を受けた。
待って。
あの時、愛良が言ってた。
子供の父親が誰か濁すってことは、店の人なんだろうって。そして、結婚した人が父親なら濁す必要なんてないから違う人なんだ。
統基とあの人は仲が良さそうだった。だから私もひろしでバイトしたいって思って言ったのに、統基はバイトに空きができたことを私には教えてくれなかった。
「くっそー! 負けた!」
「統基が大貧民~」
「ムカつく-! 俺最強だったのに孝寿が革命なんか起こしたせいで!」
統基の姿が目に入った瞬間、めまいがして倒れそうになった。孝寿さんが体を支えてくれる。
「慶斗兄ちゃん、車貸して。俺、比嘉さん送ってくわ。すげー青い顔してっから」
「え?! 大丈夫か?! 叶! 俺が送る!」
「この顔色の人を歩かせるつもりかよ。統基まだ免許取れてねえんだろ」
「うっ……だって、教官がすげー意地悪いんだもん」
「俺が車で送ってやるから安心しろ」
「できるか! 俺も行く!」
「ダーメ。大貧民は俺が帰って来るまでずっとトイレ掃除」
「何だよ、そのつまんねー罰ゲーム!」
頭がボーッとする。声は聞こえるのに何を話しているのか全然理解できない。
車が走りだして、ハッとした。隣でハンドルを握る孝寿さんを見る。
「別れるなら徹底的にこっぴどくフッてやって。中途半端が一番あいつを苦しめる」
「え……」
「あの甘ちゃんには秘密を持ち続けることなんかできねえ。このまま罪悪感に苦しみながら答えを引き延ばしても君もあいつもろくな結末にならない」
罪悪感……?
「答えを持つべきは君だと俺は思う。高3の三学期なんてほとんど学校ないでしょ。遠慮はいらない。あいつには俺たちがいる。あんなんでもかわいい弟なんでね。後のことは俺たちに任せればいいから」
何を言われているのかまるで分からない。ただ、孝寿さんの言葉を一言一句覚えておきたい。
「あいつの未練を断ち切ってやって」
未練を断ち切って、統基と別れる……?
信じられないくらい次々と涙が出てくる。人間、こんなに泣けるんだ。心には何もないのに。
「馬鹿な弟で申し訳ないです」
こちらを見もしないで淡々とした孝寿さんを冷たい人だと思う。自分のせいで別れを告げられるなんて、統基だってきっと――
別れるなら徹底的にこっぴどくフッてやって。中途半端が一番あいつを苦しめる。
――今まで生きてきて一番しんどい。しんどくてたまらない。なのにまだ統基を悲しませたくはない……私が中途半端なんだ。私が統基を苦しめてしまう。




