「高校生の」俺と限りあるもの
「3年生は文化祭の出し物はねえよ」
「マジか」
「文化祭の参加自体も自由参加」
「マジか!」
「就職活動と被る生徒もいるからな。お前らみたいにみんながみんな呑気な訳じゃねーんだよ」
「高梨にだけは言われたくねえ!」
珍しく早くに教室に来たと思ったら机にスマホを忘れっぱだったらしい高梨がさっさと教室を出て行く。
「そういや、俺らみんな就職しねえもんなー。知らんかったわ。あはは」
「充里だけが就職するっつってたけど、まさかのバスケで実業団入りだもんな」
「うん。幽霊部員でも在籍してて良かったべ」
「うちの彼ピッピのおかげやで。感謝しいや、充里」
「いや、そんな、僕はただ人数が足りなかったから出てほしいってお願いしただけで、スカウトが来たのは箱作くんの実力だよ」
あかねが無神経にマウント取りに行くのを長谷川が慌てて止める。
この二人、意外と付き合い続いてるんだな。
「はあ、真面目に部活に打ち込んで部長も務め大学からスポーツ推薦の話をもらった時は浮かれたけど、たった1試合で実業団からスカウトだなんて……」
「長谷川、落ち込んだらあかんで。充里はバケモンや。人間が敵う相手やない」
「ありがとう、気にしないことにするよ。阿波盛さん……どうして彼女はいつもほしい言葉をくれるんだろう。僕が落ち込んだ時、悲しい時、嬉しいことがあったけど言い出せない時、いつも彼女は僕の気持ちを分かってくれる。言葉なんていらないんだ。なんて素晴らしい女性だろう」
いや、めちゃくちゃ言葉にしてるよ、長谷川。お前が気付いていないだけで。
「しかし、あかねが英語1科目受験はズルくね? ただの母国語じゃん」
「うちの母国語は英語やない! 関西弁や!」
「日本語じゃねーのかよ」
「長谷川がアメリカプロリーグに行く時にはうちが通訳でついてったるから安心しい」
「頼もしいよ、ありがとう」
「ちゃっかりハイスペックな男捕まえてんのな」
ダダダとすごい足音に顔を向けると、佐伯がものすごい笑顔で教室に入ってまっすぐこちらへと走ってくる。
「やった! やっと内定決まった! 良かったー! 安心したー!」
「おー! おめでとう、佐伯!」
みんなパチパチと拍手を送る。佐伯は嬉しいよりホッとしたって顔してる。だがしかし。
「お前、就職希望だったんだ?」
「は?! 俺一向に内定もらえなくてお祈りメールばっかで死んでたじゃん」
「眼中なかったわ。マジ悪い」
「ひでーな! 入谷!」
佐伯がへこんでても俺は叶しか視界に入らない仕様のようだ。今もまさに佐伯が何やらわめいているが叶が教室に入ってきたのを見つけた俺には聞こえない。
「叶! おはよ!」
「おはよう」
そして鳴り響くチャイム。
「ギリじゃねーかよ。お前、家近いくせにいっつも遅いよな」
「不思議よね」
前のドアから副担任の綿林先生が入ってくる。
「高梨は? 来てるだろ?」
「昨夜、閉店までフィーバーされてたから寝不足で体育準備室でマット敷いて仮眠を取られています。代わりにホームルームやってくれってお願いされちゃった」
嬉しそうにプリントを配っていく綿林先生を本気で止めたい。なんでこんなかわいらしい20代女教師がアラフォー借金まみれのカス教師なんかを好きなんだ。
「偏差値がかなり上がったことにより、来年度からは大学受験をする生徒も大幅に増える見通しです。来年度への段階的な準備期間として、下山手高校では例年2月から自由登校でしたが、今年度は1月から自由登校期間に入ることになりました」
教室がザワッとなる。自由登校期間とはなんぞや。プリントを見ると、3学期の予定には3月6日卒業式予行、9日卒業式しか書かれていない。
「3学期学校ねえの?!」
「自由登校なんで、来てもいいですよ。ずっと自習ですけど」
「自習……」
マジか。嘘だろ。だって、もうすぐ11月だぞ。2学期だって、あと2か月くらいしかねえのに……。
「ええー、来年度への準備期間って、なんか俺らの扱い雑くねー?」
「そうだ! 納得できねえ! もっと俺らにも行事入れろ!」
充里の抗議の声に大声で乗っかる。こんなんで俺らの高校生活終わりにされてたまるか!
「この学年さえ卒業したら我が下山手高校は進学校を名乗る予定です。もう来年度からのカリキュラム作りに余念がないので教師が第3学年に時間を割けません」
「想像以上に扱い雑だった!」
ひっでーよ。俺たちが客寄せパンダになったおかげで進学校を名乗れるくせに!
「ムカつく!」
「そんな学校来たいんかよ、入谷」
「だって、学校の都合で登校減らされるとかさ、納得できねえよ」
休み時間になり、ジタバタと暴れる俺を佐伯が笑う。
「俺は就職前に思う存分遊び尽くす! もー毎日オールナイトでパーティーピーポーと化す!」
「ひとりでやってろ」
「冷たいこと言うなよ! 一緒にパーリーしようよ!」
「俺はパーリーより授業を受けたいの!」
何だろう、この胸に渦巻く焦りのような虚しさのような……限りあるものの終わりが確実にすぐそこにある。イヤだ! イヤだ!
「統基ー」
充里の声にハッと顔を上げる。
「叶は?!」
「美術室だろ。俺らも音楽室行かねえと」
「叶!」
叶がいない。どこ行っちゃったの?! 叶!
全速力で教室を飛び出し、そのままとにかくまっすぐに走った。
突き当りにぶつかり、見ると階段があったから上る。
とにかく階段の続く限り上り切り、廊下をまっすぐに走る。滑るように階段を下り、下りる階段がなくなったからまっすぐに走る。中庭に抜けて向かいに建つ校舎に入って、行き止まりにあった階段を上る。
叶! 叶! 叶!
階段を上りきって廊下を見ると、叶が死にそうな顔してフラフラした足取りで歩いている。
「叶! なんでいなくなっちゃうの!」
「え?!」
飛びかかったら叶が廊下に尻もちをついた。
絶対に離れたくない。力いっぱい叶にしがみつく。
自分の中に知らない子供が見える。かなり小さい、なのに子供らしくない生意気な目でこちらをにらみつける子供。
「おれ、叶がいなくなるのイヤだ! ずっとおれのそばにいて!」
「ごめんなさい、何か話し込んでたからただの移動教室だしいいかと思って……大丈夫だよ、ずっとそばにいるから安心して」
「本当?! おれの前からいなくならない?」
「本当だよ。いなくなったりしない。大丈夫」
何度もいなくならない、大丈夫、そばにいる、と聞いて、少しずつ心が落ち着いていく。頭をなでてくれる叶の手が気持ちいい。
目を閉じると、小さい子供は顔をゆがませては、キュッと口を結んでまたにらんでくる。
「統基、好きだよ」
スーッと繊維に染み渡るように胸いっぱいに広がっていく安心感。
大丈夫。叶は俺のそばにいてくれる――
「お前、こんなとこで座り込んで何してんの。ケツ冷えるぞ」
叶の足に預けていた頭を上げて、呆れた光景に思わず冷たく言い放ってしまう。
「おー、統基いたー。あの勢いで走っててよくここまでたどり着いたなあ」
「何?」
「移動教室ってだけで赤ちゃんプレイはお初じゃねー?」
「は?! また?!」
「最近増えてるよな。おもろー」
「何もおもんないわ!」
マジか。充里が笑って音楽室に入って行くが、俺はしばし呆然である。
「あ……わりー。俺のせいか」
叶へと手を伸ばし、一緒に立ち上がる。なんか、叶縮んだ? このちっせー体で勢いよく走ってた俺が突っ込んだんじゃ、そら尻もちもつくわ。
足が尋常じゃなくダルい。上半身の揺れに耐えきれずに足がもつれる。
「大丈夫?」
「なんか……すげーしんどい。超疲れてる」
「すごいスピードで走ってたから」
「そう……みてーだな」
覚えてないけど、えらい息が乱れている。
今日の音楽は、オーケストラのコンサートをスクリーン下ろして鑑賞。大画面での迫力の演奏を楽しめる。疲れた体に染み入るプロが奏でし繊細かつダイナミックな旋律。
気分一新、授業が終わる頃には身も心もスッキリだ。
「入谷、よくあの大音量で寝れるよな。引いたわー」
「爆音の中で爆睡。爆笑よー」
「おかげでスッキリ!」
「統基って自由だよなー。校舎走り回るわ授業中寝るわ」
「自由人に言われるともはやショックだわ」
好きで走り回ってた訳じゃねえし好きで寝てた訳でもねえんだよ。
いいかげん、どうにかなんねえかな。幼児化してる間の記憶がないのが地味に怖い。体もすげーダメージ食らうし、心身ともに悪影響しかない。




