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俺は後悔と君と共に

 ベビーカーから大声で泣きわめく声が響く。日野さんが抱き上げた赤ちゃんは、この体からこの声が出るのかと驚くくらい小さい。


 ピンクのつなぎみたいな服を着てる背中が見える。赤ちゃんが日野さんの肩にキュッと抱きついた。


 ――やっぱり、あの子の父親は日野さんだ。

 血なんか繋がってなくても蓮が俺の弟なように、間違いなく日野さんが父親なんだ。


 まだ少し残っていたわだかまりみたいな物がスッと落とし込まれたと思う。


 赤ちゃんの背中を見つめていたら、日野さんと叶が砂浜を歩いていく。叶、赤ちゃんに興味あんのかな。


 ふと、天音さんと二人、取り残されたことに気付いた。もう、話すこともないんだけど……。


「あの……ごめんなさい」

「え?」


 いきなりの謝罪に驚いて天音さんを見ると、申し訳なさそうにこちらを見上げる。


「あの時は、ああするしか思いつかなくて……でも、後から後悔したわ。あれじゃあ、統基が気にするんじゃないかって、モヤモヤさせたんじゃないかなって……」


 ああ、最後に話した通話のことだな。天音さんも気にしてたのか……。思いっきり着拒してたくせに。


「そりゃーモヤモヤもするよね。あんな一方的にさ」

「そうよね、ごめんなさい」

「いいよ。元気そうで良かった」


 思わず笑ってしまう。大人のくせにそんなこと気にしてたのか。


「……聞かないの?」

「何を?」

「今なら彼女に聞かれないわよ」


 ……ああ、あの子の父親は誰なのか、聞かないの? ってことか。

 天音さんが波打ち際まで行ってしまった赤ちゃんを見つめている。その横顔に胸がキュッと締めつけられる。


 孝寿が言ってた。DNA鑑定が必要なことを母親だからって分かる訳がないって。

 でも、今の言い方は……鑑定なんてしなくても、天音さんには分かってるんだ。


 ……全く、大人はすぐに嘘つこうとするんだから。


「いい。聞かない」

「え?!」


 うん、驚くよね。例の最後の電話で俺、しつこいほど父親のこと聞いたもんな。


「モヤモヤしてたんじゃないの?」

「してるよ。今も」

「聞いてスッキリしようと思わないの?」

「だって天音さん、すーぐ嘘つくじゃん。何て答えられたって本当だと思えねえんだもん」

「でも……このままじゃ気持ち悪いでしょ」


 聞いてほしそうだな。えらい食い下がってくるじゃん。


「俺をスッキリさせるためだけの答えなんか意味ない」

「え……」


 天音さんが大きく目を見開いている。驚かせてすんませんっすね。


「やっぱ嘘つく気だっただろ」

「……だって……」

「いいの。俺には必要だから」

「必要?」


 うん、必要。

 あー、なんか、今になって自分が納得できる落としどころを見つけた気がする。


「俺バカだから、デッカい後悔とか罪悪感とか、必要なんだよ。何もないと、またフラフラ流されちゃいそうで」

「フラフラ?」

「うん。どんだけ海が広くて人間なんかちっさくても、ちっせーくせにすげー重いの。だから流されずにいられると思うの。イカリみたいなもんだよ」


 この胸にズーンと重くのしかかり続けて、ふとした瞬間に存在を感じる。楽しい時は忘れてても、きっと完全に忘れることなんてできない。


 違う。忘れちゃいけない、なかったことになんかしちゃいけない後悔もあるんだ。


「俺にはこの重みが必要なの。もう二度と何にも流されずに叶のそばにいたいから」

「統基……」


 あ、そうだ。

 俺なりに決着付けられたら、天音さんに渡したい物があったのを思い出した。


「天音さん、これあげる」

「何コレ?」


 すり切れまくってボロボロの赤いチェックの小さな紙袋を手渡す。天音さんが手のひらに載せたままキョトンと見ている。


「ずっとポッケに入れてたからすげーことなっちゃってっけど、お土産」

「お土産?」


 もうすっかりどんなもんだったか忘れてた。そうそう、俺ミズクラゲのミラーを天音さんのお土産に選んだんだった。


「水族館行った時に買ったの。なんとなく天音さんクラゲ好きそうな気がしてさ」

「これ……私に?」

「そりゃそーだろ。クラゲ好き?」

「うん……好き」


 やっと天音さんが笑った。よく笑う人なのになんか思い詰めた感じしてたから、ホッとする。


「まさかマジで会えるとは思ってなかったけど、持ち歩いてて良かった!」

「ずっと持ち歩いてたの?!」

「うん。だって、それ俺は使わねえもん」

「ありがとう」

「どーいたしまして-」

「統基――」


 天音さんが手の中に納まる小さなミラーを握りしめてこちらを見る。


「ん?」

「……ありがとう」

「二回目」


 意味不明。プッと笑ってしまうと、天音さんも笑って肩掛けしてる小ぶりなカバンを開けてミラーを入れる。


「んん?!」


 そのカバンの肩ひもに「おなかに赤ちゃんがいます」と書かれたバッチのような物がくくりつけられている。


「え? 二人目ってこと?!」

「そうよ」

「早くね? あの子いつ生まれたの?」

「冬だからまあ、早いっちゃ早いわね」

「冬……」


 なんかこんな会話した気がする。何だっけ。なんか、つい最近。最近……。


「最近じゃねーわ。ついさっきだ。え、まさかさ、日野さんのじいちゃんコンビニやってたりする?!」

「やってるわよ。どうして知ってるの?」

「マジか! 俺、日野さんのじいちゃんに毎年会いに来てたの?!」

「あ! もしかして、夏休みになると自転車で来る坊主って統基のこと?! 小学生くらいかと思ってた!」


 すげえ偶然! 爆笑してたら叶と日野さんと赤ちゃんが戻ってくる。


「どうしたの?」

「コンビニのじいちゃん、日野さんのじいちゃんだったんだって!」

「そうなの?! じゃあ、おじいさんが甘やかしてる孫と孫の嫁って」

「日野さんと天音さんだよ!」

「やだ、おじいちゃんそんなこと言ってたのー?」

「じいちゃん、孫の嫁の顔が見たくて赤ちゃん用品そろえてるって言ってたよ」

「やっぱりー。なんかもう、こっちもこじつけて毎日買いに行ってる感じ。普通に顔だけ見せに行きたいんだけど」

「そこはジジイのプライドくんでやれよ」

「何そのプライド」


 天音さんが叶に笑顔を向ける。え、何か言う気?

 爆笑して忘れてた罪悪感を思い出す。今はいらねえ。


「坊主と一緒に来るえらいべっぴんさんって、あなたのことだったのね」

「私たちには、孫の嫁がべっぴんで気が利くし優しくて器量よしのいい嫁だって言ってました」

「もー、おじいちゃんツンデレなんだからー」

「普段はべた褒めじゃないんですか?」


 おいおい、天音さんが曽羽と同じくずっと相変わらずの笑顔なせいか、人見知り激しいはずの叶と天音さんの会話が盛り上がっていく。

 うーお、落ち着かねえー。この二人のおしゃべり楽しく聞けねえー。


 眠っている様子の赤ちゃんを天音さんに託し、俺の横に置いてけぼりだったベビーカーへと日野さんが近付いていくのを視界の端にとらえるも、冷や汗ダラダラの俺は女子二人から目を離せない。


「入谷くん」

「はい」


 顔を向けると、日野さんはベビーカーを丁寧に折りたたんでいる。


「天音がいろいろと申し訳なかった」

「え?」

「彼女のことは、大切にしなよ」

「……はい……」


 俺とのことを日野さんは知ってんの? 天音さんが話したの?

 都合が悪いとダンマリの天音さんのことだから、日野さんには一生ダンマリ通すと思ってた。


 実際、二人が結婚を決めた頃には日野さんは知らない様子だったのに。

 日野さんがバイトを辞めて俺と会うことがなくなってから、わざわざ話したのか? あの天音さんが?


 全然変わってない笑顔のようで、俺と会っていた頃の天音さんとはずいぶん変わったのかもしれないな……。


「俺たち、この先で民宿始めるんだ。来春オープン予定だから良かったら遊びに来て」

「え……いいんすか? 俺」

「もちろん。お安くしときますからー」


 急に日野さんが商売人の顔になって、叶と天音さんが笑う。


「卒業旅行、民宿でいいんじゃない? 愛良たちお金ないって言ってたから遠出できないし」

「そうすっか。砂浜に佐伯埋めて遊ぶか」


 えー! と天音さんが大きな声を上げる。


「そっか、あなたたちまだ高校生なんだ?!」

「うん、高校3年生っす!」

「若いわねー」


 おお、久々に聞いたわ。天音さんの若いわねー。


「天音さんはいくつになったの?」

「レディに年齢を聞くのは失礼なのよ。覚えておいて」

「もう忘れた。えーと、俺の7個上だっけ8個上だっけ」

「計算しようとしないの!」


 ワーワー言ってる俺の横で日野さんが平たくたたんだベビーカーを小脇に抱え、赤ちゃんも受け取る。パパやってんなあ、日野さん。


「話し足りないようだったら俺先に帰っとこうか?」

「ううん、ありがとう。おじいちゃんのコンビニでオムツ買って帰らないと」

「そっか」


 日野さんと天音さん夫婦が穏やかに微笑み合う。いいな、こんな夫婦。


「では、ご予約お待ちしております。民宿・日野で検索お願いします」

「分かりました」


 急に商売人スイッチ入るんだよな。つい笑っちゃう。


「じゃあ、またね」

「うん。体に気を付けて、元気な赤ちゃん産めなー」

「ありがとう」


 家族3人の小さくなっていく背中を見送る。ふと隣を見ると、叶も笑顔で振っていた手を下した。


「あの赤ちゃんが自分たちを家族にしてくれたって言ってたわ」

「え? 誰が?」

「お父さん。日野さんだっけ」

「日野さんが?」


 なんで、叶にそんな話……叶が何を聞いたんだろうと、不安で鼓動が速くなってくる。


「この子に感謝してる、今すごく幸せだから後悔も何もないって、入谷くんに言っといてって」

「入谷くんへの伝言だったの?!」

「ええ」


 俺に直で話せよ。なんで伝言なんだよ。えらい汗ビッショリになってしまったから、海へ走っていっぱい水があるから顔を洗う。


「あ! しまった、去年びっしゃびしゃになったらベッタベタに進化したの忘れてた!」

「あーあ、またベッタベタになっちゃうよ」


 しょうがないからそのまま自転車を走らせる。


 今が幸せだから、後悔はない、か……良かったな、天音さん。かわいい赤ちゃんに優しい旦那さん、甘やかしてくれる仙人ジジイ。うん、すげー幸せそう。


「海を見てると後悔を思うものなのかしら。去年来た時、統基も後悔がどうこうって言ってたわよね」

「俺そんなこと言ったっけー」

「ママが言ってたわ。若い頃に苦労したことはすべて無駄にはならないって。後悔でも未練でも挫折でも、その経験が更に先の人生を創っていくんだからどんどん経験するべきだって」

「……へー。後悔すら経験しろってか。さすが、ポジティヴ!」


 空一面の夕焼けの中、下り坂に差し掛かかりシャーッと気持ちよく並んで下っていく。


「ええ、だから、若いうちの苦労は旅をさせてでも買えって」

「土産もんかよ! マジで違いに気付くのが苦手なんだから。混ざってんだよ、若いうちの苦労は買ってでもしろ、とかわいい子には旅をさせよが!」

「あれ?」


 全く、人の後悔をミズクラゲのミニミラーと一緒にすんじゃねえ。

 爆笑しながら、叶ママのポジティブ迷言もたまには刺さる。絶対、無駄にはしない。俺はこの後悔と共に、ずっと叶のそばにいたい。

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