私たちの原点回帰
最後の現代文のテストが返ってくると、統基のよっしゃあ! って声が聞こえた。
夢を得た統基は、毎日毎日必死で勉強していた。どうも、指定校推薦で大学へ行くにはこの一学期までの成績で勝負するしかないらしい。
まあ、勝負って統基が言ってた時点で大丈夫だろうとは思った。だって、統基は絶対に負けないもの。
「マジで孝寿神。人間性は欠陥だらけだけど、塾講師としてはマジ神。こんな語彙力の俺がなんと現文100点いっちゃったよ」
「すごい! 100点なんて初めて見たわ」
「崇めよ。これが100点の答案用紙である」
しかも、意外と統基って字がキレイ。いつもは適当に書いてるのか乱雑だけど、答案用紙の字は習字でも習ってたのかしらってくらい読みやすい字。
「叶は?」
「私は52点だったわ。もう欠点なんて取る気がしない」
「すげーな。俺100点よりそっちのがビックリ。1年の初めは小学生の国語のテストで10点だったのに」
「12点よ」
「変わんねえよ。がんばったな、叶。頭良くなったな」
目を細めて微笑んで、統基が頭をなでてくれる。
「ありがとう。孝寿さんのおかげね。孝寿さんが作ってくれた予想問題ほとんど的中してたから」
「そんなことねえ。お前ががんばったからだよ」
「ううん、統基がいたからよ。統基が孝寿さんの弟だから取れた点数だもの」
「イチャイチャしてんなあ! 俺今すぐ実来に告ってくる!」
「行ってこい。レッツ玉砕」
「行く気失くすこと言うなよ!」
立ち上がった佐伯くんがまた座り直したのと同時にチャイムが鳴る。
「おーっしゃ、クリーンデー張り切って掃除しまっしょい」
「統基がクリーンデーサボんないとか珍し」
「充里もサボんなよ。3年生にはこれが最後のクリーンデーかもしんねえんだから」
「最初で最後のクリーンデーか。うし、行くか」
この二人は1年生の時から一度もクリーンデーに参加してなかったものね。
クリーンデーとは掃除の日で、授業は午前中で終わり、午後からみっちり教師も生徒も校内にいる人間で全校の掃除をする。
特に掃除場所が決められているわけではないから、統基、愛良、充里、佐伯くんと教室を出る。
「どこ行くー?」
「1年1組行かねえ? 俺らの原点」
「いいねー、原点回帰」
「俺1組原点じゃねーんだけど」
「佐伯だけ5組行けばいいじゃん」
「寂しいこと言うなよ! 入谷!」
原点……1年1組か。いいわね。1年生の終業式以来、入ったことはおろか通りかかったこともない。
1年1組の札がとても懐かしく感じられる。ちょっと入りづらいくらいに。
「うわ、入りにく」
「ね」
「お邪魔しまーす。クリーンしに来ましたー」
私たちが躊躇していると、充里が大きな声で言いながら1年生の教室に入って行く。
「さすが自由人」
「ね」
統基と笑い合いながら充里に続いて入ると、1年生たちが一斉にこちらを見る。
「え! 3年生?!」
「そー。3年1組でーす」
「元1年1組でーす」
「俺は元1年5組でーす」
「5組行けよ、佐伯」
ワッと1年生に取り囲まれてしまう。どうしよう、この中からさりげなく抜けたい。私は後輩相手でも男子たちのようにしゃべれない。
「キャー! 噂のイケメントリオだ!」
「トリオ? いつの間に佐伯までイケメン認定されてんだよ」
「いいだろ、入れてくれても!」
「佐伯先輩、かわいいー」
「握手してください!」
女子たちが佐伯くんに握手を求めると、え? 俺? と統基と充里を見てからおずおずと握った。
「ありがとうございます!」
「私も!」
「私も!」
キャーキャーと騒ぐ女子たちと佐伯くんとの握手タイムを見守る。まるでアイドルの握手会だわ。統基と充里が5秒経ったら引きはがしている。
「佐伯が一番人気とかどんな世界線」
「それな。信じらんねえ」
「佐伯のどこがいいの?」
統基と充里が不思議そうに1年女子に尋ねている。
「私たちイケメンコンビがいるって聞いたから入学したんですけど、実物思ってたよりイカついって言うか」
「ヤンキーっぽいって言うか」
「ちょっと怖いって言うか」
「怖い? 俺らが?」
あら、下級生からすると怖く見えるのかしら。
並んで立つ見慣れた二人を改めて見てみる。
入学当初から髪を切っていないらしく肩下まで伸びた白に近い金髪の高身長で体格のいい充里。
ミニチュア・ピンシャーみたいな大きな目が鋭く、天然とは思えないクルクルパーマ、明るい髪色で褐色の肌の統基。
充里はアクセサリーをあちこちにたくさん付けているし、統基はたぶんお母さんの故郷の風習なんだろう一粒クリスタルのピアスをしている。
……たしかに一軍陽キャ感が強い。遊びまくってそうでヤンキーっぽいかもしれない。
「え、てか、みんな制服着てねえ?」
「あ、それだー。なんか違和感あると思ったらみんなちゃんと制服着てるからだべ」
3年生では校則通りに制服を着ているのは私と長谷川くんだけ。他の人たちはかわいいカーディガンやリボンでアレンジして制服を着こなしている。やっぱりかわいいからいいなあ、と思いつつも、ルールは守るべきなので校則に従っていた。
でも1年生たちは、みんな校則通りに制服を着ている。その中で暑いからと上半身裸の充里と教室にワイシャツを置いてきて赤いTシャツの統基は浮いている。
「佐伯先輩ってちょっとヤンチャな感じがいいんですよね」
「ヤンチャなの? 佐伯が?」
「初めて言われたー」
「全体が良い子ちゃんになるとヤンチャの基準がこうも変わるんか」
「なるほどー。相対的に俺らが怖く見えるってことかー」
「よっしゃ! ずーっとイケメンコンビの陰に隠れてたけど、やっと俺の時代!」
「マジか」
価値観がガラッと変わる感覚。今まで統基や充里が当たり前、佐伯くんはちょっと大人しい生徒って印象だった。
「俺1年生には怖いんだって。ショックー」
「でも、統基たちがいるから入学したって言ってたじゃない。日本最底辺だった下山手高校があんな高度な授業するくらいの高校に統基たちが変えたんだよ。すごいわ」
黒板に書かれている意味の分からない数式とたくさんの=で繋がれている解を指差した。
「まだ1年の1学期だぞ。叶の頭だから高度に見えるだけ――意味分かんねえ。ここマジで下山手高校?」
「ね、分かんないでしょ。すごいよ、統基」
ポカンと黒板を見つめていた統基がこちらを見る。目が合うと、嬉しそうに笑った。
「佐伯の時代に変えちったか。しゃあねえ、モテるのに硬派な魅惑の男の称号は佐伯に譲ろう。実来が好きなのに1年女子とホイホイ付き合ったりしねーよな?」
1年女子たちとスマホを出してキャッキャしてた佐伯くんが固まってしまった。
「ええー、佐伯先輩、好きな子がいるんですかー」
「ざんねーん」
「連絡先消しときますー」
「入谷!」
「じゃあ次、1年2組行ってみる?」
「どーせ俺がモテても邪魔する気だろ!」
邪魔なんかしてねーよ? と笑った顔が本当に孝寿さんによく似ている。
統基の家でテストのために勉強していたら、お兄さんたちが次々に差し入れしてくれたり、勉強を教えてくれたりしていた。
統基の指定校推薦は兄弟みんなで勝ち取ったようなものね。やっぱりいいな、きょうだいって。




