あの頃の俺 VS 今の俺
「お兄ちゃん! 学校の先生!」
蓮がベッドで爆睡の俺の肩を揺さぶる。激しい揺さぶりに目が覚めた。
「ん――……先生……?」
高梨が何の用だよ……体を起こしてスマホを手に取ると、なんと午前6時である。殺されに来たのか、高梨。
「入谷くん! お誕生日おめでとう!」
輝かんばかりの笑顔で俺の部屋に朝陽先生が入ってくる。俺と目が合うと、キャッと顔を両手で覆った。
「裸だなんて、入谷くんったら気が早いんだからあ」
「いや、寝てただけだよ。俺ゃ家では裸で寝るんだよ。脱ぐな。着ろ」
黒いジャケットを脱いだ朝陽先生がまた着る。
「ふふっ。私が朝陽先生だから学校では優しいばっかりだったのね。私、入谷くんの全部が好きだよ。冷たい入谷くんもあー入谷くんだあって実感できて好き」
「……そりゃどーも……」
うー、寝起きで朝陽先生の相手すんのはキツい。頭回んない。
「何しに来たの」
「お誕生日の特別授業! 迎えに来たの」
「特別授業?」
「あ、スマホは没収ね。学校に行きまーす!」
「あ……」
俺の手元のスマホをサッと取り、朝陽先生のジャケットのポッケにしまわれてしまう。
だいぶ頭が起きた。しまった! スマホを没収されては今叶が無事なのかどうか確認できなくなる!
なんで、朝陽先生はここにいんの? 叶を殺すって叫んでたのに、なんで俺んとこに……。
血の気が引いていく。まさか、すでに叶を――いや、ない。さすがにない。それで、こんな平気な顔して笑ってるとか、俺がこの女殺しちゃう。
「えっと……特別授業って、二人で?」
「そうだよ!」
どうしよ……無理矢理スマホを奪い返して叶の無事を確認するか、素直について行って朝陽先生から無事を確認するか、今すぐ走り出して叶ん家に直撃するか。裸だけど。
「朝陽先生、歩き?」
「車よ」
「車かよ」
ダメだ、いくら瞬発力に自信があっても叶の家までノンストップでは走れない。車じゃ瞬殺で追いつかれてしまう。ついでに朝陽先生をほったらかして叶を優先した俺をひき殺しそう。
この女は刺激しちゃダメだ。叶の無事を確認するまでは、大人しくしてるか……。あー、気が乗らねえー。
ベッドから出て、立ち上がる。
「分かった、行こっか」
「お兄ちゃん、服着て、服!」
「あーね」
朝陽先生にキャーキャーと見守られながら服を着る。誕生日だってのに朝から最悪。
赤いオープンカーのドアが開かれる。乗り込むと、朝陽先生が朝陽の中サングラスをかける。いるか? それ。
「カッコイイ!」
「ふふっ。かわいい弟さん。では、特別授業にしゅっぱーつ!」
「いってらっしゃーい」
かわいい蓮に見送られ、車が走り出す。天気のいい早朝のオープンカーでのドライブは非日常感半端ない。いつもの景色がまるで違って見える。
「うおー! 気持ちいいー!」
「さすが、この程度のスピードじゃ怖がらないわね」
「平気平気! 俺スピード狂かも」
「飛ばすわよ!」
「行けえー!」
すげえ、徒歩1時間弱かかる学校まで5分と経たずに着いた。日曜の早朝だけあって空いてたとは言え、危険な運転だったとしか思えない。
「うわ! 何これ、すげー!」
教室に入ると、壁には一面の風船、花。中でも一際大きなシルバーのハート型の風船には入谷統基と名前入り。そして、黒板には超上手い俺をモデルとしたのであろう黒板アート。
「うわ……何してんの。超時間かかっただろ、コレ」
引くわ。何人描いてあんだろ。1,2,3……黒板に描かれた17人の自分を前に呆然と立ち尽くす。
「私、絵を描くのが苦手だから自信はないけど、入谷くんが増えていくのが楽しくて嬉しくて、とっても充実した時間だったわ」
「なんで苦手なのに描いてんだよ……」
「金曜日の夜からずっと描いてたの」
「え?」
明るい教室でよく見ると、朝陽先生の目の下には薄いクマがある。
「まさか、寝ないで描いてたの? 金曜から?」
「あ、やだ! クマ見えてる?! ファンデで隠したんだけど」
「隠した……」
なんでこの人、こんなに俺のこと好きなの? 俺はぜんっぜん覚えてねえのに。
なんか感情ぐちゃぐちゃになってきた。突然に湧き上がる罪悪感。
こんなに俺を思っている人を俺は1ミリも覚えてない。自分が人でなしな気がしてくる。
「まずは朝ごはんをどうぞ!」
「げっ」
超高そうな分厚いトーストにたっぷりハチミツのハニートーストにアイスが添えられている。黄色い熊なら大喜び間違いなし。
「俺甘いもん苦手なんだよ」
「知ってます! だから、甘さよりもうまみの強いハチミツを使用しております」
「マジか」
ナイフとフォークが置かれているけどめんどくさいからフォークぶっ刺して食べてみると、花の香りなのかフワッと鼻に広がる爽やかフローラル、舌に染み入る上品な甘味、サクサクの表面と中のモッチリとした食感も楽しい。
「超うまいじゃん!」
「良かった!」
嬉しそうに笑った朝陽先生はすげえかわいくて、俺が怖がっておびえていた朝陽先生と同一人物には見えない。
俺のせいなのかもしれない。俺が、朝陽先生をガチクソやばい人間にしてしまっただけで、本当は純粋でひたむきなかわいい女なのかもしれない。
俺の誕生日を祝おうと、俺を楽しませようと、めっちゃいろいろ準備してくれて……きっと、叶は無事なんだろう。聞くまでもない。だって、この人俺のことしか考えてない。
楽しもう。せっかく朝陽先生が祝ってくれてるんだから、俺も目いっぱい楽しんで応えよう。
「あのね、私、改名の手続きを始めたの」
「改名?」
机を挟んで向かい合わせに座る俺の手を朝陽先生が両手で包み込むように握っている。
「4年前の今日から、夕月じゃなくて柚樹って漢字を使うようにして実績を積んできたの。まだ認められないかもしれないけど、私何度却下されても諦めないわ」
「え? 名前の漢字変えようとしてんの?」
「うん!」
朝陽みたいに明るく笑う朝陽先生をビックリして見た。
「なんで?」
「私、朝だか夜だか分からない名前じゃなくなるから。朝陽の中の立派な柚の樹みたいな名前になるから。だから――」
「待て。俺が朝だか夜だか分からない名前だって言ったから?」
「そうじゃなくなったら、付き合えるでしょ」
無邪気な笑顔の朝陽先生を見るのが辛くなってきた。覚えてねえんだよ。俺、そんなこと本当に言ったのかすら分かんねえんだよ。
「ごめん。名前のせいじゃない。俺は朝陽先生を好きになれない。だから、付き合えない」
「え……」
「ごめん。俺が悪かった。俺、自分の名前にもこだわり強いのに、考えナシにひどいこと言った。ごめんなさい」
「入谷くん……」
「きっと、親は夕月って名前にたくさんの思いを込めたんだと思う。俺のせいで改名なんて、しないでください」
「そんなこと言わないで! 入谷くんは謝ったりしない! 年上相手でも敬語でお願いなんてしない!」
両手をひざに置き、しっかりと頭を下げた俺に朝陽先生が立ち上がって叫ぶ。
「するよ。俺が悪いんだから」
「自分が悪くたって絶対に認めないじゃない。どんなに不利な状況からでも相手に非を持っていくから口先の魔術師と呼ばれてたじゃない」
「そんなあだ名まであったんかい」
たしかに俺は謝るのは大っ嫌いだけど、自分が悪いんなら謝らなきゃいけないとくらいは思う。
「入谷くんは冷たくて甘くて、どんなかわいい女子にも落ちない硬派な魅惑の男で、愛を知らない悲しきモンスターで、人の心を持たない残念イケメンでしょ」
「それ3年生にも浸透しとったんかい」
俺中学の時わりと散々じゃねーのか。
中学の時、か……思い返せば、そう言われても仕方ない3年間を過ごしたかもしれない。シルバーの息子って立場に甘えて絶対的に他人が逆らって来ない環境で好き勝手やって、ただ楽しければそれで良かった。
自分の言動で人がどう思うかなんて、考えてなかった。
「中学の時はそうだったかもしんない。でも、今は愛も知ってると思うし人の心を持ったと思う。叶が教えてくれた」
あー、変わってねえか。今の俺の言葉で、また朝陽先生を傷つけた。傷つけるって分かってたけど、言うしかなかった。俺は朝陽先生を好きになれない。俺には命を懸けてでも守りたい人がいる。
「ごめん。俺、叶じゃなきゃダメなの。叶がいなかったら、今の俺はないの。俺、叶に感謝してるし、すげえ……すげえ、大好きなの」
めっちゃ叶に会いたい。
起きたら連絡するって言ってたのに、もう昼だし。叶が待ってる。
「ごめん、俺行かなきゃ。こんな祝ってもらって、マジ嬉しかった」
「入谷くん」
「ありがとう、朝陽先生」
「入谷くん」
立ち上がった俺の腕にすがりついてくる。朝陽先生を振りほどくのは簡単だけど、離してくれるのを待つ。
「……入谷くんじゃないみたい」
「少なくとも、中学の時の俺じゃない。もう高校2年生ですから」
「比嘉さんが入谷くんを変えちゃったの?」
「そうだよ。そんで、俺は中学の時の俺より今の俺の方が好き。前よりはいいヤツだと思う」
叶がいないだけで子供みたいになっちゃうとか前よりダサくなってるけど、それでも。何も怖いもんなんかなかったあの頃より、今の方が俺は好き。
「私は……前の入谷くんが好きだった」
「もういないよ。今の俺はこの俺しかいない」
「私が好きだった入谷くんは……」
「いない」
せっかく誕生日を祝ってくれた人を泣かせるとか、俺最悪最低。叶のために持ち歩くようになったハンカチは出さずに、指で涙拭うとか心狭い。
「こんな紳士的なことするなんて、信じられない。誰かが泣いても爆笑して、女の子誰彼構わず声かけてほっぺにチューしてたのに」
「誰彼構わずじゃなくて、かわいいと思った女の子限定ね。そいつ最低じゃん。なんで好きだったの、そんなヤツ」
「……なんでだろ……」
そいつから完全に脱却はできていないようだ。あふれた涙が伝っていく朝陽先生の頬に口をつける。
「……びっくりしたあ……」
「めっちゃ久しぶり、ほっぺにチューしたの」
高校入ってすぐ叶に出会った。あの時から、すでに俺変わってたんだ。
「相変わらずやることチャラいわね」
「うっせえ。チャラい言うな。じゃーね」
「門の鍵閉まってるわよ。開けてほしい?」
門の前まで二人で並んで歩いてきた。朝陽先生がいたずらっぽく笑う。
「お、あおってんな。いらねえよ。こんくらい越えられる」
「飛び越える気?」
「俺は叶に言わせりゃミニピンだぜ。脱走の芸術家らしーから」
瞬発力を活かして助走をつけ、門の前で思いっきり跳ぶ。門のてっぺんに手が届いたら、グッと腕に力を込める。力はないけど俺は体重もない。
「じゃーん」
「ううぉおお! やるじゃねーか!」
「ビビった。急にキャラ変してんじゃねーよ」
爆笑である。語尾にハート付いてるような甘ったるい声としゃべり方だったのに、どこぞのヤンキーかと見紛うドスの利いた声。
「じゃーなー。また明日ー」
「おう! また明日!」
叶に会いたい。
衝動のままに走り出す。
そして、気付いた。
あ、スマホ返してもらってねーわ。




