私にとって友達の線引き
「惜しい! あと1問で合格点の70点いったのにー」
「1問? 採点ミスはないかしら」
「ねえよ。まあ、ほぼほぼ合格点だから小学漢字は修了でもいいかな」
「うーん、どうせならちゃんと合格したい……あ! 入谷、これ!」
となりの家と田んぼの大きさを比らべる。
私の名前の字なんだから、絶対に間違っていないのにバツされている。
「絶対に合ってるわ」
「自信満々だけど、漢字は書けてても送り仮名が間違ってるだろ。比べるの送り仮名はべるだけで、らはいらねえんだよ」
「おくりがな?」
「漢字にくっついてるひらがなのこと。比の漢字だけじゃお前の名前にもあるようにひとしか読まないだろ。くらべるって読むために使うひらがなが間違ってんの」
「え。ひらがなって決められてたの?」
「お前送り仮名も理解してなかったのかよ。決まってるよ。比が書けてても送り仮名が違えばバツなんだよ」
……比らべるでもくらべるって読めそうなものなのに。漢字の書き取りなのにひらがなでバツされるなんて、なんか納得いかない……。
「お前、圧倒的に文字に触れてねえだろ? 俺なんか漫画しか読んでねえけど文字を読むのには慣れてるから比らべるじゃすっげー違和感あるんだよ。比べるって文字を見慣れてないんだよ、比嘉は」
「文字?」
たしかに、私は小学3年生のあの日から文字なんて一切見ずにストリートビューにあの人への手がかりを求め続けてきた。
「ちゃんと漢字を覚えたら、後は慣れるだけだ。意味分からんくっても毎日何か文字を読め。国語はそれだけで変わってくるはずだから。がんばれよ。月曜日には10点しか取れなかったのに、もう68点も取れるようになったんだ。お前ならできるよ」
入谷が月曜日にやった小学漢字習得度テストを出す。ほとんどがバツだったけど、毎日少しずつマルが増えて行って、今日は半分以上がマルだった。
「うん! 来週の月曜日、もう1回やる!」
「え? 比べるの送り仮名も今の話で覚えただろ? もういいんじゃねえの?」
「たぶん覚えたけど、ちゃんと合格した答案を見たいの」
「そっか……分かった。もう高校生なのに小学漢字にダラダラ時間を費やしたんじゃ中間に間に合わなくなる。月曜日で最後だ。有終の美を飾れ! 比嘉!」
「え? 優秀?」
「……とにかく何でもいいから毎日何か読め。できるな?」
「分かったわ」
入谷がそう言うなら、きっと何か読むことに意味があるんだろう。だって、入谷の言う通りにしてたら10点が68点になったんだもの。
「あー、つっかれたー」
「叶、まだ勉強してたんだ。えらいねえ」
部活を終えた充里と、応援に来てよ! と充里に連れて行かれてた愛良が教室に入って来る。
「おっつー。こっちもちょうど終わったとこ。帰るか」
入谷が立ち上がってこちらを見るから、うん、とうなずいた。
今日の答案をカバンに入れる。家で今日書けなかった漢字を練習しよう。土日の間に忘れてしまう漢字もあるだろうから、3回は全部を練習して、えーと、今日間違えちゃったのとかもいっぱい書いて……。
「比嘉さん! あ、あの……バイバイ!」
声に驚いて振り向くと、まだ教室に残っていた鎌薙くんと関くんと氷川くんが手を振っている。話したことがないから声が分からない。誰が今、バイバイって言ったのかしら。
「あ……バイバイ」
誰に向ければいいのか分からないから適当に私も手を振ると、おおー! と3人が叫んだ。
「バイバイ! 良い週末を!」
「バイバイ! また来週!」
「バイバイ! えーと、バイバイ!」
口々に言ってるからやっぱりどの声が誰なのかまるで分からない。でも、3人とも、私にバイバイって言ってくれてるんだ……ウソみたい。信じられない。
「どうしたの? ボーゼンとして」
入谷に不思議そうに聞かれて、私も不思議に思う。どうしてあの人たちは、バイバイなんてわざわざ言って来たんだろう。
「あの人たちが、バイバイって言ったから……」
「そりゃ言うだろ。クラスメートなんだから。もう充里たち行ったぞ」
事もなげに言って、入谷がドアに向かう。慌ててその後を追う。
「え? クラスメートだったら、バイバイって言うの?」
「言うだろーよ。何その疑問」
「だって、友達に言うものじゃない?」
「だから、言うだろ。クラスメートなんだから」
「クラスメートだったら、友達なの?」
「俺はそう思ってるよ」
追いつけずにいたら、入谷が立ち止まって横目で見下ろす。
「でも、私今までバイバイなんてクラスメートでも言われたことないんだけど」
「ああ。それなら俺言っといたからね。比嘉はただのバカだって」
「え? 悪口?」
「悪口言われてる感じだった?」
入谷のミニチュア・ピンシャーみたいに気の強そうな目が廊下の窓からあの3人を殺すオーラで見た。違う! と思って慌ててしまう。
「ううん! まるで友達に言うみたいだった」
「ああ。そりゃクラスメートだからな」
「クラスメートだったら友達なの?」
「繰り返すなあ。俺はそう思ってるよ。でも、イヤなヤツだと思ったら友達じゃない。友達か違うかなんか、自分の線引きでいいんだよ」
「友達になりましょうって言わなくても?」
「ぶわっははは! いちいち言うかよ! 俺と充里なんか、じいちゃん同士が幼馴染だから俺たちだけじゃなく親父同士も生まれた時からの友達だよ。赤ちゃんが友達になりましょーとか握手でもするワケねえじゃん」
心底呆れたように言いながら、表情は優しく笑ってる。
そうなんだ……入谷がみんなを友達だと思ってるから、入谷の周りにはみんなが集まるのかもしれない。
反対に、私はみんなを友達だと思えていないから、みんなから避けられちゃってたのかしら。
私が変わることができたら、みんなも変わるのかもしれない。
「あ、じゃあ、入谷は私のことも友達だと思ってるの?」
「え……」
入谷が面食らったように立ち止まって私の顔を見た。
「い……いや、比嘉のことは……」
……いや……。
ああ、聞かなきゃ良かっ――
「思ってるよ。お前もただの友達だ」
えっ……。
いつの間にかうつむいていた顔を上げると、入谷はまっすぐに私を見ていた。




