俺の恋の病
叶の誕生日を祝った旅行の翌日、バイトに行ったら天音さんがいなくなっていた。
たぶん、あれが原因だと思う。
叶、こんなんだったなあ。すげー態度は堂々としてデカいくせに、抱きしめてみると意外なほどに小さい。
叶の体温を肌で感じて、ますます鼓動が速くなっていく。どこまでも、速く強く。
体をこわばらせる叶の唇に唇を重ねる。柔らかくて気持ちいい。このまま叶を丸呑みして飲み込みたい。
頭に真っ白いもやがかかってくる。意識を保てなくなって、ひざからガクンと崩れ落ちた。
「統基?! どうしたの?!」
頭を振って何とか自我を取り戻す。
「手」
「手?」
差し出された手を俺の左胸に当てた。
「何この心拍数?! 異常な速さだよ!」
「叶のことが好きじゃなくなったから触らなくなったんじゃない。逆」
「逆?」
地面に近付いたおかげで、ボンヤリながら叶の顔が見える。
泣かせてごめん。心配させてごめん。
触れないことで傷付けるなんて思いもしなかった。バレないようにってばっか考えてた。
「飽きるなんてあり得ない。叶が好きで好きで止まんなくて、どんどんエスカレートして叶の手を握るだけでもこうなるの」
「そんなこと……あるの?」
「今、自分の手で確かめただろ」
「いくらなんでも、病気じゃないの? 病院に行った方がいいよ!」
「恋の病」
「冗談じゃなくて!」
俺だって冗談なんか言ってねえんだよ。
「マジで。叶が相手じゃなきゃこうはならない。叶が好きなの」
叶が顔をクシャクシャにしてしまう。子供みたいに泣く叶に慌てるしかない。
「ごめん、叶」
「良かった……」
「マジごめん。そんな思い詰めさせてたなんて分かんなくて」
「どうして言ってくれなかったの」
「いや、だって、ドキドキして手も握れないとかクソダセーじゃん。知られたくなくて」
たぶん、これは俺の自己防衛本能だ。
天音さんに子供ができて、天音さんは消えてしまった。俺の中で子供ができると消える、って刷り込まれたんだと思う。
そして、俺は猿相手にすら簡単に理性がぶっ壊れてしまう。叶が消えてしまわないために、叶に手を出せないように俺の本能が働いているんだろう。
叶がいなくなるなんて、俺には耐えられない。
でも、そのせいで叶に辛い思いをさせてたなんて……。
「ごめん……泣かないで」
「……うん」
叶が顔を上げて笑った。ホッとする。叶が笑ってくれるだけで、こんなにも心が軽くなる。
「肝試し、まだやってんのかな?」
草むらの中から叶の懐中電灯を回収し、一応寺へと向かう。
寺の入り口には街灯があってよく見える。大きな石段を10段ほど登らねばならないようだ。
「いっか。階段めんどくせえ。もうみんなホテル戻ってるか」
もうなんやかんやで俺かなり体力削られてんだわ。
佐伯と実来がどうなろうが知ったこっちゃない。帰ろ。
「わあああああああああ!」
絶叫が聞こえ、仲野と友姫が寺から飛び出して来た。必死の形相で石段を下りる。
「どうした?! 佐伯は?!」
「ま……まだ上に……」
ダブルゴリラが抱き合ってガタガタと震えている。
「行ってくる!」
「統基! 気を付けて!」
「うん!」
ヒョイヒョイと石段を登り切ったと同時に実来が飛びついてきた。
「大丈夫か?!」
「下りて! 階段下りて! 私もう自力で下りられない!」
たしかに、実来の足は小刻みに震えて力が入っていない。
「分かった。つかまれ!」
実来が俺の首につかまる。実来を抱きかかえて足元の見えづらい石段を慎重に下りる。
「佐伯は?」
「佐伯なんてどうでもいい! 大っ嫌い!」
ええー。完全に裏目に出てんじゃねーか。何があったんだ。
「もー、実来大げさなんだからー」
佐伯が笑顔で石段を軽々下りてくる。コイツだけ逆に様子がおかしいな。
「ネタバラシしちゃうと、あれはお化け役の充里が」
「俺がどうかしたー?」
充里と曽羽がのんびりとやって来る。
「お前らどこ行ってたの?」
「さみーからホテル戻ってた」
「オイ」
自由人はどこでも自由だな。
「あれ? じゃあ、行村か津田が」
「あ! 寺ってその石段の上にあるんだ? どこだか分かんなかったわー」
行村、吉永ペアと津田、向中島ペアがヘラヘラ笑う行村を中心に歩いてくる。
「あれ? 全員いる? じゃあ、あのお化け役は?」
「だから、お化けだよ!」
「お化け?!」
言葉にならない叫びを上げながら全員で一目散にホテルを目指し走る。建物内に入るとなんか安心する。お化けなら構わず入ってきそうな気もするけど。
壁にもたれてひと息ついて、ずっと抱えていた実来を下すとへたり込んだ。
「……だっ……大丈夫か? 叶……」
「う……うん……」
「がんばってたじゃん。ついて来れないみたいだったら実来放り投げて担ごうかと思った」
火事場の馬鹿力ってヤツかな。必死に食らいついて走っていた。
叶が俺の胸にそっと顔を寄せる。
怖かったよな。よく走ったよ。
叶の頭をなでると、笑って俺を見上げる。
「うん! これくらいだったら走ったせいね」
「お前……さては、俺が実来抱いてたもんだから心拍数上がってないか確認したな?」
「えっ……そんナことハなイワよ」
「嘘つけてねーんだよ」
「ねえ、統基」
「ん?」
「どうしたら治せるのか全然分からないけど、二人で乗り越えようね」
叶の笑顔を初めて頼もしいと思った。俺に守られるばっかだったのに……。
「うん。ありがとう」
叶を思いっきり抱きしめたい。二人で乗り越えて、また叶を好きなだけ抱きしめるんだ。
疲れ切ったおかげでよく寝た。修学旅行最終日の始まりである。
昨日までよく晴れてたのに今日は朝から土砂降りの雨。
だがしかし、今日はホテルで益子焼の絵付けをして日光を発ち、帰るだけである。問題はない。
益子焼も5年前にやっている。もうヤケになって小学校の時を思い出しながら再現することに懸けた。
高速道路のインターでの休憩。バスを降りたらなんとなく叶の班と合流する。
ふと気になり、行村に駆け寄った。
「なあ……まさかとは思うけど、マザゴリと友姫って付き合いだしたりしてねえよな?」
「昨日友姫に告られたらしいぜ。俺は比嘉さん一筋だ、とか言ってたけど、あれ全然まんざらでもないよな」
「てか、デレッデレじゃねーかよ」
マジか。ゴリラとゴリラがくっ付いたのか。
「見事ゴリップル誕生かー」
「ゴリップル?」
「待って! 考えさせて! マザゴリと友姫でゴリップルだろ?」
充里が唐突にゴリップルをクイズにしだした。
「ゴリラは分かるんだけど、プルって何だ?」
「アップル?」
「ゴリラアップルって何だよ」
「あ! 分かった! カップルだ。ゴリラカップル!」
「ピンポンピンポーン! 行村、大正解!」
叶と土産物コーナーを見る。すでに土産は買ってあるんだけど、ご当地とか郷土品と書かれていると目を引く。
「あ! 俺この熊買お!」
ツキノワグマだ。
ビニールでできた大きなぬいぐるみとでも言うか、タイヤが付いていて、首に付けられたリードを引っ張ると熊が犬の散歩のようについて来る。
「蓮が昔気に入ってたオモチャにそっくりじゃん」
「お前人の弟のお気に入りまでよく覚えてんな」
「へー、かわいいわね」
「懐かしいー」
「思い入れがあるの?」
思い入れ、かあ……。
「蓮が歩けるようになった頃、親父が張り切って俺と蓮を動物園に連れてってくれたんだよ。で、土産もんコーナーで蓮がコレひと目で気に入って、親父が買ってやったの」
「へえ、いい思い出ね」
「ここまではねー」
「え?」
ほんと、充里は人のことまでよく覚えてんなあ……。
「蓮、マジで気に入っててさ、一日中リビングでコイツ散歩させてるもんだから、俺、蓮を取られたような気がしちゃって。蓮が風呂に連れて行かれてる間に殴る蹴るしてぐっちゃぐちゃにしてやったんだよねえ……」
「最低なお兄ちゃんね」
「俺もまだガキだったの!」
大きな荷物いっぱいで家に帰る。おお! 久しぶりの我が家よ!
「ただいまー!」
玄関から大声で叫ぶ。鍵が開いてたから、よく閉め忘れる蓮がいるだろう。
案の定、蓮がかわいい笑顔で出てくる。
「おかえり! お兄ちゃん! あ!」
蓮が玄関ロビーに置いた熊にすぐさま気が付いた。デカいのもあるだろうが、やっぱりこの熊に惹かれるものがあるんだろうか。
「懐かしい! ボクが大好きだった熊だ!」
「え?! 蓮、覚えてんの?!」
「お兄ちゃん、買って来てくれたの?!」
「うん! マジそっくりだろ」
「ありがとう! お兄ちゃん、大好き!」
「かわいいー! 俺も蓮、大好き!」
思いっきり蓮をギューッと抱きしめる。解放すると、すぐさま熊のリードを引っ張って散歩を始めた。
昔は熊と同じくらいの背しかなくて、なんなら襲われてるようにも見えたけど、今は完全に飼い主に見える。
大きくなったなあ、蓮……。
「あら、懐かしい」
花恋ママが洗面所から出てきた。風呂に入っていたらしく長い髪がタオルに巻かれている。
「あなたがめちゃくちゃに破壊した熊ね」
「それは言わないでください、お母様。心の底から反省しております」
フフッと花恋ママが笑う。
「罪滅ぼしに買って来たの?」
「いや、蓮が覚えてないだろうからただ懐かしくて買ったんだけど」
罪滅ぼしになったかな。
喜んでくれて良かった。昔みたいに延々熊を散歩させる蓮を見ていても、微笑ましく思うばかりでぶっ壊してやりたいなんて思わない。
俺も大人になったもんだよ。




