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私の知らない統基

 昨日、統基が修学旅行の持ち物一覧のレインコートを


「わざわざ買うのもなあ、俺雨に濡れても気にならねえからナシでいっかなあ」


 と言っていた。


 雨に濡れても平気かどうかじゃなくて、持ち物として書かれているんだから持って行った方がいい。


 パパのレインコートを友達に貸してもいいか尋ねたらいいよー、と気安い返事をもらったので持って来た。


 ちょっと大きいかもしれないけど、大は小にも使えるって言うし。


 校舎二階にたどり着くと、何やら統基の声が聞こえる。


「いらねえっての! 俺雨大好きなの! 濡れたいの!」

「ダメですよ! 風邪ひいちゃいます! あ! 比嘉先輩! おはようございます!」

「おはよう」


 嵯峨根さんだ。


 嵯峨根さんが統基へと紙袋を差し出している。今日もかわいい。


 でも、嵯峨根さんは本当はとても陽気でおてんばさん。スティックをツノのように頭から生やしてガニ股に足を開きあごをしゃくらせた嵯峨根さんを思い出して、思わず笑ってしまう。


「もー、叶からも言ってやってよ! 俺昨日、レインコートいらねえって言ってたよな?」

「あ、それなんだけど」

「どうして許しちゃうんですか。それで入谷先輩が雨に濡れて体が冷えて風邪をひいてしまうかもしれないのに」

「え……」


 統基が私の後ろに回って私の肩に手を置き、嵯峨根さんが目の前に立つ。


「大丈夫だっつーの! なんで俺の最新情報を知ってんだよ、毎度毎度!」


 嵯峨根さんが統基の前だというのにいつものようにかわいいニコニコ顔じゃないからなんだか目をそらせない。


「どうして入谷先輩のために何もしないんですか。入谷先輩が体調悪かった時だって、自分だけキレイなお弁当食べて入谷先輩は消化の悪いパンを丸呑みしてても何もしなかったじゃないですか」


 だって……私も心配はした。だけど、統基が大丈夫だって言ったから。統基は私に嘘つかないもの。


 って言いたいけど、嵯峨根さんの迫力に気圧されてしまって後輩相手なのに話すのにはかなり気合いがいる。


「おい、俺の問題なんだから叶は何もしなくて当然だろ。俺嵯峨根さんの弁当も拒否ったじゃん」

「でも、入谷先輩が心配だから食べてほしいって私は思いました」


 私だって、心配だったから嵯峨根さんのお弁当を食べてって言ったんだけど……嵯峨根さんの言う通りだ。


 私は何かしたいって思っても、どうしたらいいのか分からなくてママに統基の分のお弁当を頼もうとしたりした。

 私は嵯峨根さんのように自分で作ろうとは考えなかった。


「入谷先輩のために比嘉先輩は何かしましたか? 入谷先輩は比嘉先輩のために動いているのに、比嘉先輩は何もしてない」

「言いがかりつけてんじゃねえ! 俺は叶に何かしてほしいなんて望んでない。叶がいてくれるだけでいいんだよ!」


 統基が私の後ろから出てきて嵯峨根さんと対峙した。ピンと張り詰めるような緊張感を感じて見動きが取れない。


「好きな人に何かしてほしいとは思わなくても、好きな人のためにできることはやりたいって思うものじゃないですか? 入谷先輩だってそうだったんでしょう?」

「それは……」

「比嘉先輩は何も知らないで……入谷先輩を大切に思ってるようには思えません。どうして私のこと、入谷先輩に何も言ってないんですか?」


 統基と向き合っていたはずの嵯峨根さんと不意に目が合う。


 嵯峨根さんのことって……立派な猫を被ってることかしら。


 どうしても何も、嵯峨根さんは隠しておきたいのかと思ったから。これからも統基の前ではかわいいフリを続けるって宣言していたし。


「私には、比嘉先輩が入谷先輩を好きだとは思えないんです」

「えっ」


 どうしてそうなるの?!


 私も統基が好きだから、嵯峨根さんの気持ちはよく分かるの。統基にかわいいって思われたいって気持ち、好きになってほしいって気持ち。


 だから言わなかったのに――ああ、どう言えば伝わるんだろう。


「いいかげんにしろ! それはお前が叶のことを知らないだけだ!」

「私は入谷先輩が中学を卒業してから高校で再会できるまでずっと入谷先輩のことを考えて、入谷先輩とやりたいことも伝えたいこともいっぱいあって」


 私が言葉を見つけるよりも先に統基が反論してしまった。


 良かった、統基は私の気持ちを分かってくれている。


「俺は嵯峨根さんとやりたいことなんかひとつもないし聞きたくもない! 迷惑だって言っただろ! 二度と俺の前にその顔見せんな!」

「入谷! よくこんな小さくてかわいい子にそんなひどいこと言えるな!」


 佐伯くんが教室から飛び込んできた。嵯峨根さんの顔をのぞき込む。


「泣いちゃったじゃん! そりゃ泣いちゃうよね、ひどいな! 入谷!」


 嵯峨根さんがポロポロと涙を流している。


 張り詰めた空気が辺り一面に浸透していくのを感じる。この場にいる誰もが統基に注目しているんじゃないかと思える。


 統基が自分で自分の髪をわしゃわしゃにした。


「泣いてる私かわいいでしょ、かわいそうでしょ、ってか」


 一瞬統基だとは分からないくらいの低い声。半信半疑で統基を見ると、別人みたいに冷血で感情のない顔をしていた。


「泣けば俺が優しくなるとでも思ったか。あいにく俺は女が泣いてるからってかわいそうだとは思わねえんだよ。お前が泣こうがわめこうがどーでもいい。物足りねえなあ。どうせ泣くならシクシクやらねえで号泣聞かせてよ。つまんねえ」

「統基!」

「はい、おしまいー。そんだけ言やあ気が済んだだろー」


 いつの間にか来ていた充里が統基の頭に手を載せている。


「済んでねえ! あいつ叶が俺のこと好きじゃねえって言ったんだぞ!」

「許せねえのはそこかよ。美心ちゃんの顔見てみろ、統基」


 私が見たことのない統基がここにいる。目を見開いて、呆然と嵯峨根さんを見下ろしながら、重たい影に支配されてくみたいに顔がこわばっていく。


「ごめんね、美心ちゃんー。統基ってこういうヤツなの。元気出してー」


 ペコリと頭を下げて嵯峨根さんが走り去った。


「教室入ろうかー。比嘉ももうチャイム鳴るよー」


 充里がこちらを振り向きながら統基の肩を抱いて教室に入って行く。


 優しい統基があんなに冷たくあんなことを言うなんて。自信に満ちた統基が何かに打ちのめされたような顔するなんて……信じられない。

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