俺のかわいい生徒
やべえよ。コイツやべえよ。高校1年生なのに、頭の中身は小学1年生だよ。
でも、8+15の答えが分かってものすごく嬉しそうに笑う。軽く感動するくらい、かわいい。
やべー、この笑顔見れちゃうなら、繰り上がりの足し算を理解させるだけでも手間取ったのにいくらでも勉強教えたくなっちゃうじゃん。
蓮のために得た知識が今になって役に立つのも嬉しい。繰り上がりの足し算でつまずくレベルだと、本当に数の概念を感覚的につかめてないんだな。指を使って視覚的に捉えていたのがその一因のはずだ。
しっかし、あの自信満々さは何だったんだ。
比嘉って自信満々に堂々としてるけど、もしかしてただの自信過剰か?
「俺、弟がつまずいた時のために繰り上がりと繰り下がりの特訓ドリル買ってあったんだよ。弟は頭良くて使わずじまいだったから、明日持って来る」
「え……いいの?」
「いいよ。弟もう5年だから絶対に使わねえし。比嘉、中間テストまでまだ時間はある! 一緒に勉強して、この日本で一番頭の悪い高校で一緒に2年生になろうな!」
「うん! 勉強がんばる!」
両手で拳を握ってやる気満々にうなずいている。やばい、コイツ自信過剰なくせに意外と素直だ。
よっしゃ、一緒に勉強という大義名分をもぎ取ったり!
比嘉がこんなヤツだとは思わなかった。俺としたことが、ロシアンブルーを彷彿とさせる美しい顔と比嘉のまとう堂々たる雰囲気に飲まれていた。
思ってもみなかったほど馬鹿だし、思ってもみなかったほどかわいい……。
ただ、ふと気付くと周りのこちらを直視しない視線が痛い。さすがに繰り上がりの足し算を大声で教えるのははばかられるから小声にしてるせいで、何を話しているのか明確には周りに聞こえていないんだろう。
傍から見れば、チャラついた男が神がかった美人と談笑しているように見えてるんだろうな。ふふん、俺は男のプライドにかけてお前らごときの好奇の目でひるんだりはしねえ! この比嘉の笑顔は俺がひとり占めさせてもらう!
チャイムが鳴った。が、充里も戻って来ねえしそのまま居座り続ける。
「では皆さん、また明日。さようならー」
「りんりん、バイバーイ」
「あ、はい、さようなら」
明日こそは授業あるんだろーな。まだ高校入ってから授業受けてねえんだけど。
「充里、帰ろー」
机の横に掛けたカバンを取りに来た充里に言うと、わりー、と笑った。
「俺、高校でもバスケ部入ろうと思ってさー。今から入部届出してくるー」
「あー、そっか。部活がんばれよ!」
「統基は? 部活入んねえの?」
「とりあえず今んとこは入る気ねえな。比嘉は?」
「私も入る気はないわ。放課後は忙しいの」
「ふーん?」
高校生になったし、バイトでもしてんのかな? 俺もバイトしようかと思ってはいるものの、親父に言えば必要な金はもらえるしイマイチ必要性を感じられずに先延ばしにしてしまっている。
「叶、一緒に帰ろう」
「うん。愛良の家は覚えたから今日は迷わないわよ」
「え? 昨日は迷ったの?」
「ええ。愛良、まだ自分の家への帰り道を覚えてないらしくて、住所を頼りに探したの。私ストリートビュー見るの得意だから」
「ストリートビュー? マップで良くね?」
「慣れてる方が使いやすいのよね」
「慣れてんの?」
「まあね」
「叶の家とうち近いんだって。中学校の時に引っ越して来てたら同じ中学だったかもねえ」
「そうなんだ? じゃあまあ、しっかり送り届けてやって。また明日!」
「バイバーイ」
比嘉と曽羽に手を振って自分の席にカバンを取りに行こうとしたら、
「入谷ー! 一緒に帰ろうや~。なあー、入谷~」
とあかねの声がした。振り向くと、後ろのドアの前で大きく手を振ってるせいで比嘉と曽羽が通れない。迷惑かけてんじゃねえ。
「分かったから、そこどけ!」
「はーい。ごめんなあ、比嘉さん」
「え? なんで私の名前……」
「もーそら、みんな知ってるで。えらい有名人やからなあ」
「有名人?」
薄々感じていたが、やっぱり比嘉、自分が周りから直視できない注目を集めていることに気付いてないんだ。
いらんことを言うなよ、あかね! せっかく比嘉自身は俺らと同じ一生徒としか思ってねえんだから!
「お待ちどう! はい帰ろ。すぐ帰ろ。比嘉も曽羽もみんな帰ろ」
「え?」
「はい、行こ行こ。お帰りはこちらですー」
「何言うてんの、入谷」
3人を追い込むように階段へと促す。その踊り場で見知った顔を見付けた。タタッと階段を下りて行く。
「諸先輩方! お久しぶりです!」
「え? あ、入谷くん?」
「入谷です!」
「ええー、だいぶ身長伸びたねえ! なんか肌黒くなってるし髪クルクルになってるし、一瞬分かんなかったー」
「こーんな小さかったのに! 入谷くんを見上げる日が来るなんて思わなかったー」
「ひっでーな。男の成長期なめんなよ」
「先輩になめた口利いてるのは入谷や!」
桜三中の1個上の先輩、成海先輩と戸田野先輩。ふたりが卒業するまではちょこちょこ遊んでたけど、学校が離れるとわざわざ連絡取るのも面倒になって会ってなかった。
「あんなにかわいかったのに、チャラくなってるじゃん!」
「チャラいゆーな。なんか成長期でいろいろ変化したんだよね」
「充里は? もしかして、充里も下山手?」
「そうだよ。高校でもバスケ部入るってー」
「イケメンコンビ二人して下山手とか、頭超ヤバいじゃん」
「お前らもな」
「先輩にお前ゆーたらあかん!」
「また遊ぼうよ、入谷くん!」
「うん! またねー」
先輩方に手を振って別れると、いつの間にか比嘉と曽羽はいなくなっている。まあ、他中の先輩なんか知るワケねえもんな。
あかねと二人で門をくぐる。小1から同じクラスだったあかねとは家もそこそこ近い。
「入谷も有名人なってんで。比嘉叶と仲良くなってる非常識な男がおるって」
「誰が非常識じゃい」
「うちの幼馴染やでって言ったら一気にうち人気もんなったわ」
「俺をお前の売名に使うな」
「ほんまに比嘉さんと仲いいねんな。普通にしゃべってるからびっくりしたわ」
「そりゃー、クラスメートだからな。普通にしゃべるだろ」
「仲いいってゆーのんは否定せえへんねや」
「別に否定も肯定もしねえよ」
「否定しいや。うちが小学校の時からずーっと好きやでって言ってんのに無視しなや」
あかねが腕にしがみついてくる。もー、めんどくせえ。
あのな、と腕から手を振り払いあかねの前に立つ。
「無視してねえだろ。俺はお前を好きになることはない。お前と付き合う気もない。何っ回言わせんだ、コラ」
「幼馴染への恋心って、存在が近すぎて序盤は気付かんもんやねん」
「知り合って約10年は完全に序盤じゃねえだろ」
「うちが入谷のそばにおるのが当たり前じゃなくなった時に、やっと気付くもんやねん」
「永遠に気付かん。てゆーか恋心なんぞ生まれん」
「すでに生まれてんのに気付けへんのが幼馴染やねん」
「しつこい」
学校を出て15分ほど歩くと、高級住宅街に入る。大きな家々を眺めながら歩くことさらに30分、やっと我らの地元桜町に出る。うちを含め、この辺りは自営業の家が多い。必然的に子供世代は商売人である親の背中を見て育つ。
桜町は、高級住宅街、聖天坂の南西に位置する。そして、聖天坂から北西、桜町の北には日本最大級の歓楽街、天神森が広がる。
親父が経営しているホストクラブは全部天神森にあるし、酒屋のあかねの家も天神森の店相手に商売しているだけで余裕を持って暮らせる。桜町に住まう者は天神森の恩恵を受けている家が多いので、天神森でトップのホストの息子という立場はそれだけで強者であった。ま、下山手にある高校では関係ねえけどな。
「チャリ通認めてほしいわー。4~50分歩くんくらい別にええわと思ってたけど、毎日やし思ったよりしんどいわ」
「それな。俺らは事故なんか起こさねえっての」
「うちの生徒が聖天坂の金持ちじーさんチャリでひいて重症負わせたんてもう5年とか前の話やろ? そろそろええんちゃうん」
「永久禁止らしいぞ。万が一ひき殺したらシャレになんねえっつって」
「そらシャレにはならんやろうなあ」
「いざ通ってみないと分かんねえことってあるよな」
日本の最底辺の高校にあんな度を越えた美人がいるとかな。それがあんな馬鹿だとかな。それが案外素直でかわいいとかな。
両手をグーにしてやる気に満ちた顔で笑っていた比嘉を思い出す。
「ぷっ」
「わっ、何なん、なんで急に噴き出してんのん」
「比嘉がさー、超バカなの」
「え? 比嘉さん?」
「あー、いいや、何でもない」
明日、特訓ドリル持ってくの忘れないようにしないとな。俺の生徒がどこまで頭良くなれるか、手腕が問われるぜ! 男のプライドにかけて、絶対に比嘉を俺と一緒に2年生にしてみせる!




