寝不足の統基と名探偵・愛良
教室に入ると、統基が窓際の一番前の席で机に突っ伏している。隣の席の佐伯くんが話しかけてるけど、ちゃんと聞いてるのかしら?
「おはよう」
「比嘉さん! おっぱよーごじゃいやす!」
統基は少しだけ顔を上げると腕からのぞくように顔を出す。
「はよ」
「すごい顔色ね。どうかしたの?」
びっくりするくらい顔色が悪い。私は人の顔色なんてよく分からないのに、ハッキリと青い。
また統基が顔を隠すように机に突っ伏す。
「寝不足だって。昨夜全然眠れなかったんだって」
「寝不足?」
私が寝不足で熱を出した時には、寝不足でも平気そうなことを言ってたのに。
「昨夜遅くにメッセージ送ったら既読にならなかったから、てっきり早くに寝ちゃったんだと思ってたわ」
「あー……昨日は単行本で漫画読んでたからスマホ全然見てないの。ごめん、後で見とく」
「大した用事じゃないからもういいよ」
「おはよー。統基、どしたの?」
充里と愛良が教室に入ってくる。充里が統基の頭をポンポンと叩くと、統基はめんどくさそうに顔を上げて充里の手を払おうとする。
「もー、ほっといてくれよ」
「入谷くん、一晩中悩み抜いたような顔してどうしたの?」
「いらんとこで鋭さ出すな。曽羽はただ天然でいればいいんだよ!」
また統基が机に突っ伏してしまう。愛良は天然がすごくて鋭いと思ったことなんて私はないわ。
「美心ちゃん、今日はいないねー。俺けっこー美心ちゃんの朝のごあいさつ楽しみにしてたんだけど」
「夫の会社で主人がいつもお世話になっております、ってあいさつする妻みたいだったよねえ」
「妻?!」
「曽羽! マジでいらんこと言うな!」
チャイムが鳴って、席に着くと英語教師でこの2年1組副担任の綿林先生が教室に入って来た。
キャリーとゆりがアメリカ旅行に行って、現地のハイスクールスチューデントとの会話文の続きの授業が始まる。
「次、入谷くん。……入谷くん?」
先生に指されているのに統基が返事をしない。綿林先生が教卓を離れて統基の席へと向かう。
「爆睡! 授業中にここまでグッスリ眠ってる子は初めてだわ。起きて! 授業中ですよ!」
綿林先生が割とブンブンと統基の肩を揺らす。
「だああ! ……あー……夢か……」
「夢にうなされるほど寝ないでください。ここ、訳してください」
「綿林先生、ごめんなさい。全然話聞いてなかったから訳せません。佐伯に解答権が移ります」
「では、佐伯くん」
「え?! マジで?!」
授業中に爆睡なんて、珍しい。昨日まで普通に元気だったのに別人みたいにゲッソリしてるし、一睡もしてないのかな?
一晩中漫画読んでたのかしら。統基、読むのが速いのに一晩かかるなんて何巻まである漫画なんだろう。
英語の授業が終わっても統基はチャイムにも負けず寝続けている。
「これ顔に落書きしても起きねえんじゃね」
「誰か油性ペン持ってるー?」
あははは! と充里と佐伯くんが爆笑していても目覚める気配はない。
「比嘉さん! 俺曲作ってたら比嘉さんにピッタリの曲ができたんだ! 聴いてほしい! タイトルは俺のディエス!」
「ディエス?」
仲野がギターを持ってドタドタとやってくる。私は全く興味が湧かないけれど、充里が尋ねる。
「フランス語で女神って意味なんだ! 比嘉さんにピッタリだろ?!」
「俺の女神ってワケか」
「誰がお前の女神じゃ! ぶっ殺すぞ!」
いきなり統基が立ち上がって仲野を蹴り飛ばしたからびっくりした。
そのまま、また机に突っ伏して眠りだす。
「怖。夢遊病かよ」
「今完全に目ぇつぶったまんまだったよな」
ほんと怖い。熱は出なくてもめちゃくちゃ寝不足に弱いじゃない。
次の日本史の授業中、突然
「うわあああああ」
と叫び声がした。みんなが驚いて窓際の前の方を見ると、ゴンッと大きな音が響く。
何事?! 私は一番後ろの席だから状況がよく見えない。
「うわ、痛ってー」
「今入谷、椅子から転げ落ちて思いっきり頭打ったよ」
統基が頭を押さえながら立ち上がると、佐伯くんがさすがに心配そうに言う。
「入谷、授業の邪魔をするんじゃない」
「はーい。すんませんー。静かに寝まーす」
席に座り直した統基がまた机に突っ伏す。先生が諦めたように統基を見てため息をつくと授業が再開された。
午前中の授業をすべて寝て過ごした統基はお昼休みにはすっかり元気を取り戻したようだ。飲むようにパンを食べ終えた。
「統基、だいぶ顔色戻ったな」
「よく寝た! 学校でならなんか寝れるんだよなあ」
「え? 入谷不眠症なの?」
「違う違う! 漫画読んでて寝なかっただけ!」
大げさなほどに統基が手を振る。
「統基はのめり込むとこあるもんなー」
「そうなの。俺のめり込んでるの」
「そんなおもろいの? 俺にも貸してよ」
「今のめり込んでるっつってんだろ。誰が貸すか」
「ケチ!」
「トイレ行って来よ」
佐伯くんの抗議を無視して、統基が席を立つ。
「良かった。いつも通りね。朝はすごい顔してたからびっくりしちゃったわ」
「いつも通りー。ではなさそうかなー」
「え?」
充里が愛良の作ったお弁当を頬張りながらしゃべったから、何を言ってるのかハッキリとは分からなかった。
放課後になり、しばらく教室でしゃべっていたけれどそろそろ統基がバイトに向かう時間だ。私もカバンの中身を確かめる。よし、忘れ物はなし。
「俺バイト行って来るー」
「あ、じゃあ私も」
「いいよ、みんなと一緒に帰ったら」
「え?」
「お! 俺も行くかあー」
統基に続いて充里が立ち上がった。
「どこに?」
「ひろし。統基といい感じだったお姉さん辞めたんだろ? 新しいバイトが入るまで俺がバイトすることになったの。てか親父が勝手に引き受けちゃってさー」
「え。充里がひろしでバイトすんの?」
「統基といい感じだったお姉さんがいねえと統基ひとりじゃ全然ダメらしいじゃん」
「いちいちいい感じ言うな」
バイト?
統基がバイトしている店は店長も優しそうだし楽しそうだから私もバイトしたいって言ってたのに、どうして誘ってくれなかったのかしら。
結局、いつものように統基と充里と愛良と学校を出てみんなで創作居酒屋ひろしへと向かう。
「統基といい感じだったお姉さん、妊娠して辞めたんだってねー」
「店長、従業員のプライベートを何だと思ってんだ」
「へえ、あのお姉さん結婚するのね。おめでとうございます」
「いや……あの」
「結婚はしないんだって。子供の父親は誰かも濁されたらしいよ」
「充里! てか、店長だ、店長。しゃべりすぎだろ」
統基が自分で自分の頭をわしゃわしゃにしている。どうしたのかしら。
「それより充里! うちの店のエプロン着けにくいから急ぐぞ!」
「エプロンごときで急がんでもー」
「いや! あのエプロンをなめてかかるとゲホッ、ガホッ」
「むせるほどかよ。よし、急ぐか」
あ、たしかさっきカバン見た時にあったはず。
競歩のように歩く統基と充里の後を追いながらカバンの中身をまさぐる。
「行ってきます!」
ひろしの前で二人が手を振る。ひろしの引き戸に統基が手を掛ける。早く見つけないと行ってしまう。
あ! あった!
「統基!」
バッと振り向いた統基は、顔面蒼白で驚愕の表情だった。
「のど飴……どうしたの?」
のど飴を差し出した手を思わず引っ込めてしまった。
私と目が合うと、ハッとしたように固まった。と思ったら駆け寄って力いっぱいに抱きしめられる。
「叶だけはいなくならないで」
耳元でやっと聞こえるくらいの小さな声で言う。地声が大きい統基からは信じられないくらい、弱々しい声。
「いなくならないよ」
思わず笑ってしまう。寝不足がまだ尾を引いてるのかな。変なことを言うなあ。
「絶対だよ」
体を離して私を見つめた統基は、泣きそうに顔をゆがませていた。こんな迷子の小さい子供みたいな統基、見たことない。
「バイト行くくらいで大げさに別れを惜しんでんじゃねーよ。エプロン着ける時間なくなるだろー」
充里は統基がふざけていると思ってるようで、大声で笑っている。
「おー! 行ってきます!」
いつものように笑って統基が手を振る。反射的に私も振り返す。
ふざけてたの? 統基がやりそうなことではあるけど……ふざけてあんな顔、するかしら。
「入谷くんっておかしい子だねえ」
愛良と二人で歩き始めると、愛良も笑う。やっぱり、ふざけていただけかな。
「そうね。急にバイトなんて、充里大丈夫なのかしら」
「急に辞めちゃったらしいから、しょうがないよねえ」
「ああ、あのお姉さん」
あの人も優しそうだったから、この店いいなって思ったんだったなあ。
「おなかの子供の父親が誰か濁すってことは、あの店の人の誰かなんだろうねえ」
「え? どうしてそう思うの?」
「だって、店長が知らない人なら濁す必要ないでしょう? 店長が知ってる人だってことだよお」
「なるほど。愛良、鋭いわね。名探偵並みの推理だわ」
初めて愛良を鋭いと思った。統基が言ってた通りね。
統基はどうして愛良のことを鋭いって言ってたんだっけ? うーん……朝のことなんてもう思い出せないな。




