俺と比嘉の旅路のはじまり
最後の一歩はピョンッと跳んで、待ち合わせの下山手駅に到着。快晴の朝の風が気持ちいい。
16歳最後の日の比嘉はまだ姿が見えない。
待ち合わせ時間の9時を過ぎても現れないから、家の方向に行ってみる。比嘉の家の近くの坂をヨロヨロと上っている姿を発見!
「比嘉! おはよう!」
「あ、おはよう。ごめんね、荷物が重くて」
「はい、交換。一泊二日の近場の旅行で何をこんなに持って来る物があるんだよ」
たしかに、比嘉の荷物は重い。
「女の子の旅行はいろいろ必要だろうからってママが準備してくれたの」
「荷造りくらい自分でしろよ。もう高校二年生なんだから」
「自分でやるからいいって言ったんだけど」
「まー、旅行を許可してくれただけでも良かった!」
比嘉の顔を見ると、いきなり疲れちゃったのか顔色が悪い。
「なんか顔青くない? 体調悪い?」
「ううん……寝不足のせいかしら。昨夜眠れなくて……あ、親に愛良と二人で行くってウソついたからかな」
「気にすんなよ。しゃあねーよ、男と旅行なんて絶対許してもらえねえだろ」
俺は比嘉に手を出すつもりなどサラサラないが、親は心配しちゃうだろう。ましてや比嘉の親は過保護である。女同士の旅行という設定でも説得に数日を要したと聞いている。
ウソついたくらいで眠れなくなるほど罪悪感にさいなまれるなんて、さすが尊いな。俺だったら不眠症になってしまう。
エスカレーターで改札に行き、切符を買ってホームに行くとすぐに電車が来た。電車に乗り込むと、そこそこ席は埋まっているが空いてる所に比嘉を座らせる。
「荷物持つよ」
「大丈夫。それだけ持ってて」
比嘉はひざの上に俺のリュックを置いている。
「入谷は荷物少なすぎない?」
「足りない物があったら買えばいいじゃん。辺境の地に行くんじゃねえんだから」
「入谷って時々言うことがセレブね。テレビでセレブのご婦人が旅行は手ぶらで行って必要な物は現地調達するって言ってたのを見たことがあるわ」
「えっ」
うちは金はあるがセレブではなくホストである。こんな所から親父がホストだとバレる訳にはいかない。過保護な親に箱入り娘として育てられた比嘉がホストに偏見を持っている可能性はある。
「あ! 聖天坂だ。電車だとあっという間だなあ」
「本当ね。ひろしは見えるかしら」
「かっわいいこと言うな。あんなちっせー店が見える訳ねえじゃん」
「見えるわよ」
比嘉が振り返って窓の外を指差す。聖天坂駅で停車すると、住宅街の中にデカデカと創作居酒屋ひろしの看板が見える。でも、狭い小道の一階にあるひろしの看板は絶対に見えないはずだ。この路線は高架鉄道である。
「あ、茉里の会社の看板だ。端っこにピンクの箱のモチーフ描いてるじゃん。あれ充里の親父の会社のマークなの」
「そう言えば、充里のお父さんと店長さんは友達なんだものね」
「オープンした時にでもプレゼントしたんだろうな。いい宣伝になるな、コレ」
俺が入った頃は平日は客ゼロの時間もあったくらいだけど、最近では常に客がいる状態である。満席には滅多にならないが。
電車が再び走り出す。
「充里のお父さんは看板屋さんなの?」
「看板作ったり、地域のフリーペーパー作ったり人脈を活かした自由な商売を手広くしてるよ」
「親子二代で自由人なのね。楽しそうでいいわね」
「比嘉のお父さんは何してんの?」
「普通の会社員よ。毎日規則正しく朝7時に家を出て夜8時半くらいに帰って来るわ」
うわお。予想を裏切らない真面目さ。
あ、しまった。充里の親父の話だけで済ませておけば良かった。
「ねえ、入谷のお父――」
「あ! 天神森だ! 絶対に振り返るなよ! 教育上よろしくない看板しかねえんだから」
「分かってるわよ」
電車を利用する時は、天神森駅だけは鬼門だ。親父がインバレーなんて安直な店名付けてチェーン展開したせいで、駅のホームの看板から入谷にたどり着かれてしまう可能性がある。比嘉の英語力なら大丈夫だとは思うが、念のため。
結構な人数が降りる。土曜日とは言え、歓楽街に朝から何の用があるってんだろ。
比嘉の隣も空いたが、一応目の前に壁となり発車してから座る。
「比嘉はラッコが見たいんだったっけ」
「ええ。楽しみだわ」
楽しみだと言いつつ、あまりテンション上がってる様子はない。親にウソをついたことを気にしてるのかな? 俺の方がなぜかウキウキしちゃってる。
「ラッコって昆布巻きつけて寝るんだろ?」
「そうね、海に浮かんで寝るから流されないために昆布を巻くの。水族館では昆布がないから、ラッコ同士が手を繋いで寝ることがあるんだって」
「へえー。見れるといいな!」
「うん!」
ラッコの話をしていたら、比嘉が元気になってきた。本当に動物が大好きなんだな。動物アレルギーの上に動物から舐められてるくせに。
「俺、ラッコってプカプカ浮いてるイメージしかねえわ」
「体温を保つためにたくさん食べないといけないから、野生のラッコはエサを獲る時間も多いの。だから体力を温存するためにプカプカ浮いてるの」
「へえー、ただの怠け者かと思ってた」
動物に関しちゃ何でも詳しいな。頭悪いのに。
楽しくおしゃべりしてる間に、軽く一時間以上もが経過していたらしい。
「お! 終点の麻生海河原駅に着いた!」
比嘉の手を取って立ち上がる。
なんか、手ぇ温いな? 寝不足だから今頃眠くなってんのかな。
「比嘉、予約してるホテルに荷物だけ置かせてもらえよ。何かいるもんあったら俺のリュックに入れてやるから」
「ええ、そうね」
改めて比嘉の顔を見ると、赤い気がする。
「お前、ちょっと待て」
比嘉のおでこに手を当てる。熱い。前髪を払って俺のおでこを当てる。熱い。
「熱あるじゃん!」
「そう? 元気だけど」
比嘉は笑顔で元気モリモリのポーズを取るも、明らかに熱がある。
急いで駅の近くの予約していたホテルに入り、フロントに行く。
「すんません、体温計貸してもらえますか?」
「少々お待ちください」
借りた体温計を比嘉に渡す。ピピッと鳴って確認すると、37.8と表示されている。
「めっちゃ熱あるじゃん!」
「そう? 元気だけど」
どうしよう、比嘉が熱出すなんて予想外だ。
「比嘉、病院に行こう」
「大げさだよ。寝不足で熱が出ちゃっただけだよ」
「あ! 保険証! 持ってねえよな」
「持ってないわ」
「だよな」
ホテルはキャンセルして比嘉の家に保険証取りに戻っても、今日は土曜日だから午前診に間に合うかどうか……。
一番いいのは、比嘉の親に連絡してこっちに来てもらいつつこの辺の病院に行って、保険証を受け取る。
でも、それだと一緒にいるのが曽羽ではなく俺だとバレてしまう。どうしよう……。
「入谷、本当に大丈夫だから」
比嘉は焦っているように見える。親にウソがバレるのは困るんだろう。
ウソなんかつかせなきゃ良かった。正直に俺と行くって言ってあれば、比嘉だって親に連絡して病院に行く気になったかもしれないのに。
「本当に大丈夫? しんどくない?」
「うん、全然。だから水族館行こ?」
「それはダメ」
またモリモリしてる比嘉を無視してフロントの人に懇願する。
「すんません、チェックインの時間より全然早いと思うんすけど、この子熱あって、寝かせてもらえませんか?」
「少々お待ちください」
フロントの人がパソコンで何かしている。
「ご案内します」
「ありがとうございます!」
案内された部屋は、俺が予約した部屋よりも絶対に高い。俺が見た画像よりも全然広い。
「差額は結構ですから、こちらをお使いください」
「いや、いくらなんでもそれは悪いっす、差額払います」
「氷枕お持ちしました。お大事にされてください」
フロントの人と払う、結構、と押し問答していたらまた別の人が笑顔で氷枕を渡してくれる。
なんっていいホテルなんだ……。
「すんません、ありがとうございます!」
ありがたく氷枕をお借りして、比嘉を二つある大きなベッドのひとつに寝かせる。
「比嘉……」
「そんな心配そうな顔しなくても、本当に寝不足なだけだから大丈夫だよ。私寝不足になるとよく熱出ちゃうの」
「そんなことあんの? 俺何日も寝不足が続いても全然平気なんだけど」
「十時間くらい寝ないと熱が出るけど、寝れば下がる熱だから水族館にも行けるよ」
「超ロングスリーパーだな。今日はダメ。お前が動物大好きなのは分かってるけど、明日行こう」
比嘉が寂しそうな顔をする。そんな顔したってダメ。体調優先。
枕元にしゃがみ込み、そっと比嘉の頭をなでてなだめる。
「でも、明日は入谷がプラン立ててくれてるんでしょう?」
「そんなこと気にしてたのかよ。いいよ、別に何か予約してるとかじゃないから変更して問題なし」
「でも……」
「でもじゃない。しゃべってないで寝ろ。そしたら下がるんだろ?」
「うん……」
納得いただけてない感じではあるが、熱出したお前が悪い。大人しく寝てろ。
「熱にはスポドリだ、俺スポドリ買ってくる。他に何かご要望ある?」
「じゃあ……一緒に寝て? このベッド、大きすぎて落ち着かない」
「は?!」
衝撃発言にびっくりして裏返った変な声出た。
いや、俺は他に何か買ってくるもんがあるか聞いたんだけど?!
熱のせいかえらいこと言ったせいか、比嘉は真っ赤な顔でまっすぐこちらを見上げている。
どういう意味?! たしかに大きなベッドだから、抱き枕になれってこと?!
なれるか! これだから中身小学生は厄介なんだよ! ただでさえお前のせいで俺がどういう状態で今日という日を迎えてると思ってんだ!
「ちょっ……それは、やめた方がいいんじゃないかなあ?! あ! 向こうのベッドの布団丸めて置こうか?」
立ち上がって布団を取りに行こうとしたら、違和感があって振り返った。比嘉の手が俺のロングシャツの裾を握り込んでいる。
「……え……比嘉……」
「プレゼント……」
「え?」
比嘉が目を伏せる。中身小学生のくせに、妙に色っぽくて鼓動が急速に速くなっていく。
「去年、入谷の誕生日にのど飴しかあげてないから、この旅行で私も入谷にプレゼントがしたいって決めてたの」
「お前、どういう意味で……俺がどう解釈するか分かってて言ってんのかよ」
待って、小学生がこの状況でプレゼントとか言う?
比嘉は俺の目を見てうなずく。
「入谷は……イヤ?」
「イヤじゃない! 絶対にイヤじゃない!」
混乱してきた。え?! いつの間にか小学生から年相応に成長してたの?!
比嘉が意味分かって言ってると分かったら、ますます心臓が狂ったみたいになる。
花恋ママはほっといてもそのうち興味持つから、そのタイミングを逃すなって言ってた。ついに来たのか! そのタイミングが!
「なんで熱出してるタイミングなんだよ……全く、お前は」
冷静を装って比嘉の枕元にしゃがみ直し、自分の心を落ち着けるためにも比嘉の頭を優しくもリズミカルにポンポンと叩く。
「体調が良くなったらもらうよ。さすがの俺でも熱あるお前からプレゼントはもらえない」
手が空振りする。比嘉はひじをついて体を起こし、俺の口に唇を重ねた。
何も言わずに見つめる比嘉に、頭がおかしくなりそうになる。
「……もう聞かないよ。最後だよ。本当に、体はしんどくないの?」
「うん。私平熱も37度くらいだから平気。入谷にプレゼントがしたいって思ったら眠れなかったの」
「どんなプレッシャーだよ」
かわいすぎる。大好きな動物より俺のこと考えてたのかよ。
平熱37度の比嘉の37.8度は、平熱35.8度の俺だとどれくらいになるんだろう。
比嘉を力いっぱい抱きしめたら、頭が真っ白になって簡単な足し算すらできなくなった。




