追い詰められた私は
登校したら、教室の前に入谷と嵯峨根さんがいる。入谷が困った様子で汗をダラダラと流している。
「買ってきた物を渡されてもカッコつかないっておっしゃってたので、作ってきました! いかなごのくぎ煮です! どうぞ!」
「また渋いもん作ってきたな。いや、買ったか作ったかってのが問題じゃないんだよね。せっかく作ってくれたのは嬉しいんだけど、手作りってなんか尚更受け取れない。ごめんね」
え……入谷がキッパリと断っている。
「そうですか……」
「ごめんね、ほんと気持ちは嬉しいんだけど」
嵯峨根さんが入谷へと差し出していた袋をションボリと下げる。少し心が痛む。
「あの、気持ちは受け取ったから。ありがとう」
「はい! 今日も一日がんばってください!」
「うん、嵯峨根さんもがんばってね」
「ありがとうございます! がんばります!」
嵯峨根さんが入谷に見送られてこちらへクルリと振り向いた。その目に水の玉が浮かんでいくのを見付けて、びっくりした。
入谷に受け取ってもらえなくて、悲しくて泣いてしまったんだ。大きく心が痛む。
私がヤキモチなんか焼いて、入谷にわがままを言ったせいで……。
「あ! 来てたんだ。おはよ!」
「おはよう」
「ちゃんと断ったぜ!」
「うん」
「お前がイヤだって言うのに受け取れねえもん」
何て返せばいいのか分からず、教室に入りながらだったから聞こえなかったフリをしてそのまま流してしまった。
入谷は彼女が泣いていたことを知らない。でも、私は入谷に伝える気にはなれなかった。
金曜日のお昼休みだ。もうほとんどお休みみたいなものだわ。
「あのねえ、みんなで生徒会やらない?」
「生徒会?」
「うん。会長、副会長、書記、会計、広報でちょうど5人なの」
愛良が私、充里、入谷、佐伯くんを指差していく。
「あー、指定校推薦を見据えてって感じ?」
「うん。働きたくないから確実に取りに行きたいんだよねえ」
充里と愛良がうなずき合う。生徒会なんて、雲の上の話かと思ってたわ。
「俺は曽羽ちゃんと一緒にならやってもいいよ」
「俺は無理。バイトあるから」
充里と入谷が真逆の意見を述べる。
「俺はイヤだなー。選挙演説あるじゃん。人前に出るの苦手」
「あ、私もそうね。人前に出るのは苦手だわ」
佐伯くんの意見にすかさず乗っかっておく。バイトも部活もしていない私は入谷のように物理的に断る理由がない。
「じゃーさ、統基が俺の応援演説やって比嘉が曽羽ちゃんの演説やってよ」
「演説?! できる気がしないわ。佐伯くんやってあげて」
「俺ほとんどこの子のこと知らないのにどうやって?」
「そっか、じゃあ入谷」
「充里も曽羽も演説したら俺が一番目立つじゃん。俺が当選しちゃうんじゃね?」
そんなことがあるのかしら……。
「俺どうせやるなら会長がいい! 会長で立候補しよ」
「じゃあ、私は副会長にしようかなあ」
「おい! 入谷も立候補しろよ」
「は?」
振り向くと緑川くんと和中くんがふてぶてしい表情で入谷を見ている。
「俺たちも立候補してやるから、お前らもコンビで立候補しろ。お前らイケメンコンビとかふざけたコンビ名で呼ばれてるらしいじゃん」
「しゃあねーじゃん、イケメンだから」
「調子乗ってんなよ! まだ16歳のガキのくせに!」
「てか18歳の高二でそんなはしゃげるのが意味不なんだけど」
「正々堂々勝負しろよ。全校生徒の前でさあ」
「留年コンビがイケメンコンビに勝てる訳ねえだろ」
「留年コンビ言うな!」
入谷は完全にやる気なくあからさまに適当に返事をしている。
「俺バイトしてんの。だから無理。以上!」
「勝手に終わらせるなよ!」
パンを飲むように食べきった入谷が立ち上がってゴミ箱へと歩いていく。留年コンビは何やらヒソヒソと相談を始めた。
「まだいんのかよ。何だよお前ら、俺らのこと大好きかよ」
「大っ嫌いなんだよ!」
「充里は分かるよ。片割れのこと蹴ったもんな。なんで俺まで? 俺何もしてねえじゃん」
「してねえくせに偉そうな態度が腹立つんだよ!」
フー、とめんどくさそうに入谷が息を吐く。
「生徒会長一騎打ちだ。俺と箱作が会長に立候補して、尚吾と入谷が応援演説のチーム戦といこうや」
「俺どっちみち立候補するんだから、お前らも勝手に立候補すりゃいいだけじゃん。他にも候補がいたら一騎打ちにもなんねーんだし」
「それな。お前らが立候補しようがしまいが俺らには関係ねーんだよ」
「もうちょっと俺たちに関心持てよ!」
「なんで俺がダセー留年コンビに関心持つと思ってんだよ」
「なあ! これだけ言ってんだから勝負しろよ!」
「どれだけ言おうがダセー留年クソヤンキーコンビと勝負なんぞ興味ねえ。俺の昼休みを邪魔するな」
この二人すごいわ。入谷は何を言われてもただ流してるのに、一向に引かない。
全く進まない押し問答の中、予鈴のチャイムが鳴る。
「次は体育だ! バスケ勝負なら乗ってやってもいいよ。負けた方が勝った方の奴隷な」
入谷が言うと留年コンビが顔を見合わせてニヤニヤする。
「バーカ、俺ら留年するほど学校休んでスリーオンスリーばっかやってたんだよ。バスケ勝負なんて絶対俺らの勝ちだ」
「じゃあ、負けた方が奴隷でいいな?」
「ああ、いいよ」
「こっちはこの三人。お前らあと一人どうすんの?」
「二人で十分」
「派手なデビューぶちかましてこのクラスで絶対友達できねえもんな。ゴリラ貸してやろうか?」
「いらねえよ! やりにくいわ!」
「じゃあ、津田ー」
入谷が体操服を手に通りかかった津田くんに声を掛ける。留年コンビと一緒にいる入谷に手招きされて、かわいそうに津田くんが見るからにおびえている。
「何?」
「バスケで勝負すっから、津田はこの二人のチームに入ってくれ」
「え?! イヤだよ、僕!」
「イヤだと、あん?」
緑川くんが津田くんに顔を寄せて威嚇する。絵に描いたようなヤンキーといびられる坊主頭の少年の図。
「う……分かりました」
「分かりゃあいいんだよー」
「ありがと、津田」
入谷が津田くんの背中を笑いながら叩くと、津田くんは猛ダッシュで教室を出て行った。
「そっちのチームには入るけど、お前らが負けても津田は奴隷にはならんからな」
「そんなルール決め必要ねえがな。あいつが下手だからこっちに送り込んだんだろうが、ハンデにもなんねえんだよ」
「じゃあ、お前らが負けたら俺らだけじゃなく津田もご主人様な」
「ああ、いーよー」
入谷、あんなこと言っちゃっていいのかしら。あの自信満々の態度、バスケにかなりの自信があるに違いない。
入谷を見ると、入谷も自信満々にガンを飛ばし合っている。本当にミニチュア・ピンシャーみたいに怖いもの知らずだわ。
充里はバスケ部だけど幽霊部員だし、入谷も体育は得意じゃないって言ってたことがある。佐伯くんに至ってはさっきからずっと俺を巻き込むな! と必死の抗議をしているのに。
「入谷、がんばってね」
「おう! 結果報告楽しみにしてて!」
「うん」
無謀な勝負にも思えたけど、入谷の落ち着いた笑顔を見ると大丈夫かもって希望が湧き出てくる。
「比嘉さーん、曽羽さーん」
「あ! はーい!」
「比嘉も体育がんばってねー。ケガしないようにー」
「うん」
おしゃべり三人組と愛良と一緒に教室を出る。
早々に、ハァ、と小田さんがため息をつく。
「どうかしたの? 恵里奈」
「吉田くんに告白されて揺らいでるの? 彼氏から乗り換えちゃう? モテる女はいいだすなあー」
「モテる女どころか浮気されてた女なんですけど」
「え?!」
え? 浮気? あんなにラブラブそうだったのに?
「ウソ! 誰と?」
「私と付き合う前に友達と海行ってナンパした女。私と付き合い始めてからもずーっと関係を続けてたんだって」
「えー、最低ー」
「マジで最低。私に好き好き言いながら、ナンパとかあり得なくない? しかも、私が悪いんですって。私が付き合ってくれないからナンパしたんですって」
うわあ……控えめに言って最低。
「ダラダラ続いてたのも、私が焦らすから切れなかったんですって。ぜーんぶ私が悪いんですって」
「恵里奈、絶対悪くないじゃん!」
「何それ、最低より最低!」
「だよねえ?! 私悪くないよねえ?」
「そんなこと言われて別れなかったの?」
「なんか、言いくるめられちゃって許す流れになったの」
「恵里奈ー、甘いよ、あんたー。そこでバシッと強気に出て別れないと」
里田さんが呆れたように言って、背が低いのに高井さんが慰めるように背中をポンポンと叩く。
「ただでさえ浮気は病気って言われるくらいだし、一度許しちゃうと次から浮気のハードル下がるらしいよ」
「でも、許しちゃダメなら浮気されたら別れる一択?」
「一回目の浮気をいかに阻止するか、かなあ」
「バレないようにするものでしょうに、難易度高ー」
「いや、浮気しない人はしないから」
「チャラい男はやっぱ絶対に浮気するんだよ。賭けに負けちゃったね」
賭け、かあ。たしかに、付き合ってみないと浮気されるかどうかなんて分からない。
充里みたいに、浮気って言うか同時進行な彼女がたくさんいた人でも愛良と付き合い始めてからは他の女子には目もくれないことだってある。
「見た目がチャラい男は中身もチャラいのよ。悪いのはぜーんぶ自分じゃなくて相手なの。よく分かったわ」
「吉田くんの一途さを見習ってほしいものよね」
「もう浮気男なんかと別れて吉田くんと付き合いなよ。実は一年の初めから好きだったなんて私感動しちゃったよ」
「そうそう。吉田くんにしときな。浮気男となんて付き合うべきじゃなかったのよ」
「浮気男なんかみんな死滅すればいいのに」
小田さんを励ますように熱く語っていた里田さんと高井さんがハッと私の顔を見て気まずそうに黙った。
「あの、ごめんね、比嘉さん。入谷が死ねばいいのにってつもりじゃないの」
「あの、入谷と付き合うのが悪いって訳じゃないから」
「え?」
三人がそそくさと更衣室に入って行く。
「どういう意味かしら。どうして私謝られたの?」
「入谷くんも見た目チャラいから、浮気した上に叶のせいにするって言ったようなものだからだよお」
愛良が綿菓子みたいなフワフワな声でおっとりと笑って言う。
入谷がチャラい?
まあ、たしかに見た目はチャラいかもしれない。でも、入谷はチャラくはない。
逆に、思い詰めて精神を病んでしまわないかと心配になる目を見せる時すらある。すごく不安そうで、何かにおびえているような……。
あ、入谷だ。
前転のテストに合格できなくて私だけ居残りだったから、ひとりで遅れて更衣室を出て校舎へと向かう途中で入谷の姿を見つけた。
声をかけようとして、嵯峨根さんがいることに気付いた。朝、入谷に断られた袋を再放送のように差し出している。
この子もめげないわね。でも、私はもう心配していない。入谷は私がイヤがることはしないもの。
見ていると、入谷が渋々袋に手を伸ばす。
え?!
慌てて二人の立っているそばにある金木犀の陰に隠れる。
「本当にこれで最後だって約束してくれる? もう次に何持って来ても俺は受け取らないから。ね?」
「分かりました! ありがとうございます!」
笑顔の嵯峨根さんがビシッと敬礼して、校舎へと走っていく。袋を眺めてため息をついていた入谷が、佐伯くんがやって来たのを見て駆け寄った。
「佐伯! いかなごのくぎ煮あげる!」
「すげえ、おばあちゃんがよく作ってくれたんだよねえ。懐かしいー、ありがとー」
入谷……私との約束を守ろうとしてくれてるのはすごく分かる。だけど、やっぱり入谷らしくない。
留年コンビに何を言われても譲らず、自分が提示した条件ならって主導権はずっと入谷だったのに、嵯峨根さんには譲歩するだなんて。
信じてた一部が崩れる。
やっぱり、入谷にとって嵯峨根さんは明らかに他の人とは違う存在なんだ。
そうよね。一年以上も小田さんを好きだった吉田くんにみんな感動して、吉田くんと付き合うべきだって言っていた。
嵯峨根さんはもっと長い年月、入谷のことが好きだったんだもの。愛を知らない悲しきモンスターだって、さすがに思いの大きさを感じるよね……。
……よし、決めた。
明日から入谷と一泊二日の旅行だ。
旅行なんて大きなプレゼントをもらうのに、私が去年あげた誕生日プレゼントはのど飴。全然バランスが取れていない。
私も、入谷にプレゼントがしたい。




