来夢の切実なる悩み
今日の体育は運動場で大縄跳びである。男子全員で50回連続飛べという無理難題を言い残し、体育教師で我が1年1組の仮担任、高梨が消えた。
「絶対職員室だよ。あいつ寒さに弱いから、職員室でぬくぬくしてんだよ」
「てかさ、この乾燥してる中運動場で大繩とか砂煙ヤバすぎなんだけど」
「ゲホッ、ゲホッ」
「高梨、絶対カリキュラムの立て方おかしいよな。これ体育館でやるやつだろ」
「体育館より運動場の方が寒いから、男子が運動場の日にこれやらせてんだろ。球技よりケガしにくいから自分が見てなくてもいいと思ってんだよ、どーせ」
みんなから非難轟々である。そらそうだ。こっちはクソ寒い中ジャージでがんばってるってのに、分厚いベンチコート着てたくせに逃げ出すとか言語道断。コートの下はいつも通りのTシャツ短パンビーサンだったが。
「もういいんじゃね。高梨が来たら50回飛べましたー! つって感動してる感じ出しときゃいけんじゃね」
「感動の演技の練習だけしとくか」
男子全員で肩を組んで円になり、やったー! お前ら最高ー! 俺ら最強ー! と声を出す。
グラウンドに面している校舎の窓が開いて何人かに確認されるくらい、良い声が出せた。
「なあ、女子何してるのか見に行かねえ? 俺御門先生好みなんだよ」
「行村とは女の趣味だけは合わねえわ」
仲野と行村の会話が聞こえた。俺もマジか?! と思わず振り向いてしまった。
「行村、すげーフェチなんだな」
「フェチすぎだろ。もはや変態じゃねーか」
「お前が言うな、変態ゴリラ」
マザゴリが調子に乗ってんじゃねえ。
女子見に行こうぜー、と体育館へ向かって俺、充里、仲野、行村、阪口、下野、杉田、関迅に来夢がゾロゾロと動く。
「来夢はどーせ結愛が見たいんだろ」
「ジャージ姿も超かわいいんだもん。小学生みたいで」
ニッコニコの笑顔で答える来夢もかわいい。もはやコイツはヤンキーになりたいなどと1ミリも思ってないだろう。
体育館をのぞくと、跳び箱をやっているようだ。8段、7段、6段、5段と跳び箱が並び、それぞれ跳んでいく。
行村が好みだという御門先生は、年は50代だろうか。60で定年だからそこまでいってないんだろうが、親世代よりもう一段階上な感じ。デブデブに太っていて、背は低くダルマのようだ。
顔も決していいとは言えない。顔にも肉いっぱいだし、加齢により頬が垂れてきている。丸いメガネを掛け、きったねえジャージで授業をしている。
御門先生に全く興味を持てない俺は比嘉を探す。比嘉は案の定5段の跳び箱の列にいる。助走をつけてロイター板を踏み、跳び箱に体当たりして列に戻る。
何やってんだ、あいつ。できねえだろうとは思ったけど、なぜ助走つけてロイター板バンッて言わしといてああまで跳べない。
「あ! ゆっち!」
「ゆっち?」
来夢が目を輝かせる。ああ、結愛か。
結愛も比嘉と同じ5段の列だ。背が低いから跳び箱は不利だろうな。小さい体でテテッと走る様子はたしかにかわいい。長い髪が風に広がるのもいい。
比嘉とは違い、見事に5段の跳び箱を跳んで嬉しそうに穂乃果とハイタッチをしている。
「案外、結愛跳べんじゃん」
「跳んだねえ、上手! お見事! さすがゆっち!」
結愛を見つめて来夢が小さく拍手を送る。コイツ、結愛のこと甘やかしまくっとるんだろうな。
「なあ、結愛の元彼知ってる訳じゃん? キスする時とか気になったりしねえの?」
「入谷にはデリカシーってもんがねえのか!」
「ちげーよ、興味本位じゃなくて、そんなに結愛のこと好きなら来夢が悩んでねえかなって思ったんだよ」
「入谷ぃ……」
おお、図星だったのか、来夢が泣きだしてしまった。
「来夢どうしたの? 入谷くんに何かされたの?!」
下野が来夢に駆け寄る。最近、この二人は仲良くなったみたいだ。下野は結愛のことが好きだったのに、彼氏とも仲良くなれるとはやっぱり度を超えていい子である。
「えっ、来夢泣いてんの?!」
充里が大声を出すものだから、体育館をのぞいていた他の男子たちもこちらを見る。
女子の体育をのぞくという目的から外れたため、運動場へ戻りながら話を聞く。
「ああ、なるほど、元彼の存在はたしかに気になるだろう。ましてやクラスメートだった訳だから」
「お前は元彼知らねえだろ。その頃7組だったんだから」
「知らなくても渡辺の気持ちは分かるよ。ツラいよな」
「マザゴリに分かる訳ねえだろ。人間の領域に入ってくんな、ゴリラ」
「もっと言ってほしいけど、渡辺の話が進まねえじゃねーか!」
「そうだ、こんな変態に構ってる場合じゃない!」
運動場で、みんなで輪になって座る。
途中で木の棒を拾った。なんとなく砂にぶどうの絵を描いて、隣の来夢に渡す。
「キスする時に気になるんじゃなくて、気になって何もできないんだ。真鍋ともキスしたんだろうと思ったら胸が苦しくなるし、ゆっちが真鍋とした時のことを思い出すんじゃないかって思えて」
「かなり重症じゃん」
「ゆっちって呼び名もさ、本当は俺も結愛ちゃんって呼びたいんだよ。でも、真鍋が結愛ちゃんって呼んでただろ? あれ、真鍋が決めたんだって。結愛ちゃん、琉星くんって呼び合おうって」
「だから結愛ちゃんって呼べねえの? もう病んでるじゃん」
来夢は心の葛藤とは裏腹に、見事に牛の絵を描き上げて隣の下野に木の棒を渡した。
「真鍋と同じことはしたくない。ゆっちに真鍋を思い出されるのが怖いんだよ。真鍋のことが好きで付き合ってたんだろうから。俺も本当は来夢って呼んでほしいけど、言えなくて渡辺くんのままでさあ。おかしくない? 彼女に苗字で呼ばれてるんだよ。せめて俺だけでもと思ってたどりついたのが下の名前のあだ名だよ」
「俺も苗字で呼んでるけどな。曽羽ちゃんって」
「俺なんかお互い苗字で呼んでるけど気になったことねえよ。来夢の考えすぎだよ」
「非常識イケメンコンビは黙ってろよ。マジで話進まねえ」
「勝手に非常識を足すな、迅」
角が大きい動物っぽいからたぶん鹿の絵を描いた下野から迅が木の棒を受け取る。
「ゆっちから真鍋の記憶を消し去れたらいいのに」
「もう忘れてんじゃねえ? クリパで顔は合わせたけど、ゆーて夏休み明けからまともに会ってない訳だし」
「俺ですら覚えてるのに?」
「来夢は真鍋の影におびえすぎなんだよ。俺なんか真鍋のことすっかり忘れてたよ」
「それは入谷の頭の問題だろ」
「俺も忘れてた。あんなチビメガネのためにあんなかわいい子と付き合っときながら何もしねえとかもったいない。俺にくれ。色々するから」
「誰がエロ杉になんかやるか!」
最低な発言をした杉田に、カニの絵を描いた迅から木の棒が投げつけられる。
「元彼がいるだけでもキツイだろうに、それが知ってる男だから余計に気になるんだろうなあ」
「幼馴染の釘城が万が一他の男と付き合ったら、高確率で阪口の知ってる男だな」
「絶対にイヤだ!」
「だったらさっさと告って付き合っちゃえよ」
「べっ、別にシーリエと俺はそんなんじゃないから!」
「はいはい、くっついたら終わるやつな」
「あんな美少女と幼馴染なのにモタモタしてるとかもったいない。俺がかっさらっちゃうぞ」
「親友だろ! 冗談でもそういうこと言うなよ!」
いや、杉田は本気じゃねえかな。
海賊が食ってそうな骨付き肉の絵を描いた杉田から阪口に木の棒が渡る。
「過去の男を気にしててもしゃあねえじゃんー。今を楽しんだもん勝ちよー? わっしょいー?」
「行村は軽すぎるんだよ。楽しそうでいいな!」
「てかさー、固定の彼女なんか作んなくて毎日色んな女の子と遊べる方が良くね?」
「真逆の思考回路来たよ、これ」
「お前は流動的な彼女なのか」
「だってさあ、そんなに元彼が気になるなら元彼のいない女と付き合えばいいだけなのに、彼女と別れる気なんかねえんだろ? そもそも彼氏いたの知ってて付き合い始めてるくせに今更ウダウダ言うのは時間の無駄じゃん」
意外にも的を得ているように聞こえて、みな押し黙る中、車の絵を描いた阪口が行村へと木の棒を投げたカランという音が響く。
「行村の言うことも一理ある。だけど、恋愛ってのは理屈じゃねえんだよ。渡辺だって、付き合い始めた時は元彼がこんなに気になるなんて思ってもみなかったんじゃねえのか?」
「そうなんだよ、仲野! ゆっちと付き合えて初めは嬉しくて嬉しくて仕方なかったのに、1カ月くらいして、そろそろキスとかって意識しだしたら急に真鍋のことが気になるようになっちゃって」
「渡辺は元彼にヤキモチを焼いてるんだ。付き合い始めてからもどんどん彼女を好きになっていくばかりだからこそ、比例して元彼が気になるんだよ。何も悪いことはないじゃないか。まずは自分の気持ちを否定せずに認めるんだ」
シンプルな丸を描いただけの行村から早々に棒を受け取った仲野が立ち上がって描き始める。行村のは、まりかな。
「ヤキモチを焼いている自分を認め、今、そしてこれからも彼女の彼氏は自分なんだと凛と立て。今すぐにヤキモチを克服する必要なんかない。彼女に好きだって言われた時、キスしてほしいって言われた時、彼女の愛を感じていくうちに自然と克服できているさ」
「できるのかなあ……」
「君が好きなのは元彼と付き合っていた時の彼女なのかい?」
「違う! 今のゆっちだ!」
「彼女が今好きなのは誰だい?」
「俺だ!」
「それが自信を持って言えるなら、大丈夫さ。心配はいらない」
仲野が運動場に壮大な建物を描いていく。立派な和風建築だ。
「元彼のことだけじゃなく、付き合っていくうちに彼女に対して気になることは山のように出てくるだろう。それを乗り越え、二人の時間を築き上げていくことが大切なんじゃないのかな」
「そうか、今は真鍋のことでいっぱいいっぱいだけど、そうかもしれない」
「その先で、やっぱり付き合っていけないと思ったなら、その時は、ジ・エンド。終わりだ」
仲野が木の棒を投げる。
足元には、和風の建物と着物を着た人、観光バス。
「旅館か!」
「すげえ! しりとりまでまとめ上げやがった!」
みんな、わあっと歓声を上げる。
うん。すごい。地面に木の棒で描いたとは思えぬクオリティ。だがしかし、えっらそーに何なんだ。マザゴリのくせに生意気な。
「ひとつだけ、忘れるなよ、渡辺」
「何を?」
「お前の彼女は、元彼により傷付けられた心をお前の愛によって癒されているんだってことを」
「愛……」
「お前が愛する女は彼女だけだと、しつこいほど伝えてやれ。それが彼女を救うから」
「分かった! 俺恥ずかしくてちゃんと言えなかったけど、ゆっちを救えるなら何度でも言うよ! ありがとう、仲野!」
来夢の涙の種類が変わっているようだ。いや、お前ら気付け。お前らが拝み、惜しみない拍手を送っているのは誰なのか。
「マザゴリ、彼女いたことあんの?」
「ない! 俺は比嘉さん一筋だ!」
「だって。全部、机上の空論だな」
「マジで?!」
「逆によく何の経験もないのに語れたな!」
「すっげー勇気づけられたんだけど?!」
恋愛マスターから口だけ詐欺師へ転職だ。
「凛と立てって、僕は響いたよ。仲野くんは手の付けられない不良だって聞いてたけど、いい人だと思う」
下野が偏見なしの清々しい笑顔でダーマ神殿へ反旗をひるがえす。
「マジでいいヤツなあ、下野。騙されちゃダメだよ、あれは人じゃない。霊長目ヒト科ゴリラ属だよ」
「霊長目ヒト科ヒト属ヒトだよ!」
「なんでお前みたいないいヤツに彼女ができねえんだろうな」
「無視するなよ!」
仲野なんぞガン無視で下野の頭をなでると、エヘッと嬉しそうに笑う。そこいらの女子よりかわいい。
「拓海が女の子だったらなー。俺、女の子拓海に元彼いなかったらゆっちじゃなくて拓海と付き合ってたかも」
「ほんと?! 来夢!」
「拓海かわいいし気が利くし料理上手だし俺すっかり胃袋つかまれちゃってるもん」
小柄な来夢がより小柄な下野にニコッと笑うと、下野がものすごく嬉しそうだ。
下野の頭をなでていた手が止まる。みるみる頭が熱くなってくるんだけど。照れてる感じするんだけど。
えーと……結愛が好きなのに健気ないいヤツ、と思ってたけど、結愛が好きはカモフラージュで実は男子の制服を着てる男の娘?
うちのクラスには身も心も男だが女子の制服を着てる氷川もいるのに、ややこしい! よし、気付いていないことにしよう。
あー寒いねえ、とウサギのように身を寄せ合っている来夢と下野は、単に熱い友情で結ばれているだけの親友同士である。




