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入谷の誠実な大人計画?

 仮担任の高梨先生により、期末テストの各教科の範囲表が配られる。テスト一週間前……またテストかあ。


「がんばれよ! お前たち! 先生はみんなの味方だよ!」


 高梨先生がやけに甲高い声で、珍しく爽やかに親指を立てて笑っている。


「はーい」

「どうしたんだい?! 箱作!」

「なあ、保健体育の範囲間違ってねえ? 教科書5ページから120ページな訳なくなくねえ?」

「はあ?!」


 教室がざわめく中でも入谷の大声がよく響く。


「マジだ! もー高梨、正しい範囲は何ページまでなんだよ」


 入谷が120に線を引いて尋ねている。私も訂正するべくシャーペンを握る。


「間違ってないよ! 120ページまでだよ!」

「……高梨……また何かやらかしたんだな」

「一学期のテストに教科書の内容を入れるのを忘れていたよ! 今回この範囲をやらないと、お前たちみんな保体の単位を落とすことになるよ! あは! では、自習!」

「待て! 逃げるな!」


 高梨先生がダッシュで教室を出て行く。すごい速さで入谷も後ろのドアから廊下に飛び出したけど、前のドアから出て行った高梨先生を追いかけることはしないようだ。


「高梨追ってる時間なんかねえわ。教科書115ページ分のテストって完全に初体験なんだけど」

「ただでさえ期末は科目が多いのに……」

「元気出せ! 比嘉! 一緒に勉強しような! お前ならできるよ!」

「入谷……うん! がんばる!」


 不思議。

 入谷にできるって言われると、できそうな気がする。


 教科書を開く。

 欲求と適応機制……よっきゅうとてき……?


 教科書を読むことすらできないわ。そっと教科書を閉じる。


「こら! 1ページ目で諦めるんじゃない」

「だって、読めないんだもの」

「どれが読めないの?」

「これ」

「しょっぱなから読めねーのかよ。てきおうきせい、だよ。一緒にがんばるんだろ! はい、教科書を開きなさい」


 入谷が横から手を出してくる。


 大脳……新……漢字がややこしくて読み方が分からない……。


「比嘉、適応機制って漢字で書いてみ」

「それなら今見たところだから書けるわ」

「やっぱりな。やると思った。敵だと敵味方の敵だよ。適応機制の適はしんにょうなの」

「しんにょうって何?」

「お前、偏とつくりって習ったの覚えてない?」

「ない」

「このうにょにょってしたやつがしんにょう」


 入谷が適の字の右上に乗っかってる部分と、敵という字の左側をグルグルと丸する。


「ここだけ見たら同じだろ。両方ともてきって読むの」

「あ! ほんとだ! 同じだ!」

「余談になっちゃうけど、てきシリーズは他にもあるよ。滴、摘もてきって読む」

「へえー、すごい! 物知りだね」

「お前が物を知らんだけな。テスト勉強しなきゃなんねーのについ知識をひけらかしたくなっちゃうじゃん。勉強させろよ」


 充里と愛良がクルリと振り向く。


「心理的欲求が激しいな、統基。大脳新皮質を働かせろよ」

「いやいや、個人的障壁が高くてさあ」

「葛藤なー」

「そうそう、同一化で合理化だからさあ」

「そんで退行して代償すんだろー」

「わっけ分かんねえ」


 入谷と充里が爆笑しているけれど、笑いのレベルが高くてどこが笑いどころなのかつかめないわ。


「保体なんかどう勉強したらいいのか分かんねえよなー」

「曽羽ちゃん、どう読んでる? 115ページの巨大範囲」

「たぶんねえ、高梨先生は問題作るのにも手を抜くと思うから、教科書通りに出ると思うよ。しかも範囲が広いから、だいぶ大事な所しか出ないんじゃないかなあ」

「なるほど! 曽羽、意外と鋭いな!」


 だいぶ大事な所だけ覚えればいいんなら、教科書の細かい所まで覚えなければいけないテストよりも楽になるかもしれない。ちょっと希望が見える。


 チャイムが鳴っても、高梨先生が戻って来ない。適当に生徒たちが教室を出て行く。


「俺、そろそろバイト行かないと。比嘉ごめん、今日もひろしまでついて来てくんない?」

「い……いいよ」


 入谷のミニチュア・ピンシャーみたいな気の強そうな目で上目遣いにおねだりされると、何でもいいよって言っちゃいそう……。


 どうしたんだろう、入谷。今週はずっと変。


 月曜日は朝からすごく様子が変だったけど、あれからずっと変。


「比嘉さん! これ、テスト対策にまとめてみたんだ! 良かったら使って!」

「何?」

「テスト範囲が多すぎて大変だろうと思って、重要な所だけ抜粋したんだ。良かったら使って!」


 仲野が1冊のノートを渡して来る。それをサッと横から入谷が取ってしまう。


「へー、マジでちゃんとまとめてあるんじゃん。しかも、赤シートで隠したら暗記できるようになってるし。いーんじゃね。はい、どうぞ」

「え……」


 今までだったら、仲野が近寄って来たら問答無用で蹴り倒していたのに……今までだったら、仲野が作ったノートなんて中も見ずに破り捨てていただろうに……。


「いいのか? 入谷!」

「ノートくらいはな。お前はそれ以上比嘉に近付くな」

「今日は蹴らないのか?!」

「俺ゃいつまでもお前と見れば蹴るようなガキじゃねーんだよ。俺16歳になったから。ちょっと大人になったの」

「そんな!」

「蹴って欲しそうな顔すんな! 気持ちわりーんだよ!」


 入谷が思いっきり仲野を蹴り上げる。

 私の顔を見て、あ、とハッとする。


「マザゴリはもう俺に近付くな! 俺の誠実な大人計画が破綻する!」

「誠実な大人計画?」

「俺、お前のために誠実なちゃんとした大人になる。見ててくれ!」

「え……わ、分かったわ」


 入谷が私の手を握って真剣な目で見てくるから、思わず分かったって言ったけど何の話だかまるで分からない。


 誠実な、ちゃんとした大人? 入谷はしっかりしてるから、私よりよっぽどちゃんとした大人になりそうなのに。


 でも、何か分からなかったけど意志の強さはすごく感じた。ちゃんとした大人になるんだって、強い意志。


 私もテストがんばって、パパやママに過剰に保護しなくても大丈夫だよって言えるように勉強しよう。


 私は、両親の過保護から脱却して自分の力で生きていける大人になりたい。


 創作居酒屋ひろしの前まで入谷と手をつないで行く。もうすぐ5時になってしまう。


「もう55分かよ。比嘉と一緒にいると時間が経つのがあっという間過ぎるんだよなー」


 スマホをポケットに入れて、入谷がふてくされている。


 ……私、全然おもしろい話とかできないけど、一緒にいる時間を楽しんでくれてるのかな……なんか、すごく嬉しい。


「あーバイト行きたくねえー。比嘉とずっといたいー」


 入谷が私の腕をブンブンと前後に振っている。


 本当に入谷はキュンとくるようなこともサラッと言う。恥ずかしくて、嬉しいのにうつむいてしまう。


「ねえ、比嘉は?」

「えっ。わ……私も……」

「俺、比嘉との旅行のためにがんばって来る! 来年の誕生日、ずっと一緒にいような。行きたい場所考えといてね」

「あ、入谷……」

「行ってきます!」


 入谷が笑顔で手を振る。


「あ……行ってらっしゃい。がんばってね」


 もう行かないとバイトに遅れちゃう。私も笑って手を振る。


 ちゃんと言わなきゃ……同級生の男の子と旅行だなんて、パパもママも許してくれるとは思えない。もっと大人になってからじゃなきゃ、行けないよって入谷に言わなきゃ。

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