俺が出会ったロシアンブルー
うっすらとモヤのかかったような白い世界で、俺は頭をなでられながら横たわる。温かくて柔らかくて気持ちがいい空間にいる。
安心感に包まれて、心穏やかに幸せに浸る。
「自分にとって誇れるプライドを持って生きなさい。惚れた女は命を懸けてでも守り抜きなさい。ママとの約束よ、統基」
「分かった! おれ、プライド持つ! 女守るー!」
ドュルルルル ドュルルルル、ドュルル〜と世にも奇妙な物語でも始まりそうなホラー感のあるアラームの音にビビッてハッと目が覚めた。
枕元のスマホに指をやり、アラームを止める。
これ、目は覚めるけどすっげー目覚めの気分が悪い。変えよ。
なんか夢見てた気がするんだけど……いい夢だった気がするのに、最悪の目覚めで忘れちゃったじゃねーかよ。
カーテンを閉め忘れてたから、朝陽がサンサンと部屋を照らしている。いい天気だ。風強そう。ますます桜が散るな、これ。
今年は桜の開花が早かった。今日は高校の入学式だっていうのに、満開の桜が早くも散りゆく。
そんな桜の木にもたれて、花びらに邪魔されながら初めて着た制服のネクタイが締められず、スマホで動画を見ながら再度チャレンジする。
「なあ、充里。ネクタイ締められないんだけど。これ、どうすんの?」
「できないなら外せー。俺は潔く家に置いてきたっすー」
「マジか。入学式からノーネクタイとかマジか、自由人」
自由人な幼馴染が桜の木に登っていることに気付いた通りすがりの女子二人が充里を指差す。
「見て、木登りしてるよ。わんぱくー」
「え? ほんとだ! 坊主ー」
お! 二人ともかわいい!
「ねえ、びっくりだよねー。バカなだけだから気にしないでー」
「え?!」
「わ! びっくりした!」
「あはは! 俺が驚かせちゃった?」
細い体が木の陰に隠れていたらしい。顔をのぞかせると、二人が戸惑いながらも笑顔になる。
「俺、1組の入谷統基。君ら何組?」
「あ、まだクラス発表見てなくて」
「じゃあ、見てきて教えてよ。俺らと遊ぼー。ね?」
二人のほっぺにチュッチュッと口を付けた。
「きゃっ。あ、外人さん? ハーフ?」
驚いた様子の二人が、改めて俺の顔を見て指差す。
「ううん。たまに言われるけど、純日本人だよ」
「こんな日本人いるの?!」
「いるんだなー」
「ヤダ、超カッコいい……」
髪短い方の子がポーッと俺の顔を見る。お好みでしたか、それは良かった。
クラス発表がされている掲示板のある中庭に向かいながら、二人が肩をぶつけ合ってキャーキャー言ってるのが聞こえる。
よしよし、いい感じだ。こりゃー、いきなり彼女できるかもしんない。
どっちでもいい。どんな女の子にも絶対にいい所があるんだから、誰でもいい。俺は彼女が欲しい!
「いた! あの子激かわゆす!」
叫びながら充里が木から飛び降りた。
「充里のかわいいはハードルが低いんだよ。どーせ大してかわいくねーんだろー」
期待ゼロで充里が指差す方を見た。
掲示板の前で、髪の長い女子生徒が凛と立っている。背は高くなさそうだし華奢なのに堂々とした雰囲気をまとっていて、尊い。
彼女の黒髪は強風にさらされ、ブレザーのボタンはキッチリと全部閉められていて、学校指定のネイビーの貧相なリボンと膝丈のスカートがなびいている。その下には黒のハイソックスを履き、ローファーが黒光りしている。
他の女子たちはかわいく制服を着こなしてる中、彼女はただ校則通りに制服を着ているだけ。なのに……
何あの子。神がかってる。
そう感じるのは俺だけではないようで、人だかりの中庭で彼女の周りにだけ人が寄り付かず円ができている。おかげでここからでも彼女の顔がよく見えた。
無造作に降ろされた前髪の下の目が印象的だ。猫っぽい。
……何、あの高貴な美しさ。まるでロシアンブルーだ。
ロシアンブルーは気品に溢れ美しくクールな見た目に反して、実は臆病で人見知り。
更には、猫でありながら犬のような性格と言われるくらい飼い主に従順かつ忠実。気ままでマイペース、ツンデレなイメージの猫に興味などないが、ロシアンブルーならば話が別だ。
特に俺が気に入ったのは、飼い主ファミリーの中でもひとりにだけ特別に献身的な愛情と忠誠心を持つという所。
世話さえしていれば選ばれるワケじゃない。世話される立場のくせに選り好んでくる生意気さ。
選ばれた時の快感は相当なものだろう。
俺がずっと憧れを抱いていたロシアンブルーを思わせるなんて、何あの子。
テレビの中ですら見たことがない勢いの美人だ。高校生になったばかりだというのに、「美少女」だと違和感を感じるほどに大人っぽい。神がかった美人だ。まさに女神。
あんな美人に単にかわいいとか、充里のヤツ語彙力ゼロか。すげえ、何あの子、超かわいい。
彼女を見ていると、地味な制服を着て立っているだけなのに神々しいまでの光を放ち始める。瞬きのたびにその光は強さを増し、消えてしまうんじゃないかって感覚に陥る。
何コレ。こんな経験は初めてだ。
もちろん、彼女は消えたりしない。俺が感じたのは、ただの錯覚だったのか……。
呆然と見ていたら、彼女が歩き始めた。おお! 動いた! 本当に今目の前で生きてるんだ!
彼女が動くと周りの生徒も動き、彼女は常に円の中心にいる。
「あんなかわいい子、ぜってー早い者勝ちじゃん!」
言うが早いか充里が走り出す。
「待て! 充里!」
俺は瞬発力にだけは自信がある。出遅れたが何とか追いつきそうなタイミングで、校舎の影に入った彼女の元に駆け付けた。
「私と友達になってくれないかなあ? 私、1組の曽羽愛良。あなたのお名前は?」
「俺、1組の箱作充里! 俺と友達になろーよ! 君、何て名前ー?」
彼女のすぐ後ろを歩いていた、俺より背が高い上に赤みの強い髪を頭のてっぺんでお団子にしている女子生徒が笑いながら話しかける。
スローな話し方や笑顔も相まって、虹色にデコレーションされた綿菓子を思い出させる高くてフワフワした声だ。ほぼ同時に充里もしゃべってる。
俺はこの女子生徒がいることに気付いて無言だったが、この自由人は完全にかぶってようとお構いなしだ。てか、この女子生徒も俺らが走って来てんのが見えてただろうに無視か。このぽっちゃりしてて胸のデカい丸顔の女。おお、この子こそ美少女って言葉がピッタリくる顔してる。
「友達?! ええ、いいわ、喜んで。ええ、友達になりましょう。えーと、私の名前は比嘉叶。えーと、私も1組よ。えーと、ごめんなさい、何て名前だっけ?」
「曽羽愛良だよ。よろしくね、叶」
「いきなり呼び捨て? え、ええ、よろしくね、愛良」
「俺はー? 俺の名前覚えたん?」
「全然聞き取れなかったわ」
「箱作充里!」
「箱作みちゅ……覚えたわ」
「充里でいいよー、比嘉」
「なんか、みんな呼び捨てなんだ……」
本当に覚えたのか? 今言えてなかったんだけど。
比嘉叶か……悲願が叶うみたいな、いい名前だな。何でも叶えそうな比嘉の堂々とした雰囲気に合ってる。
比嘉は曽羽とは対照的にやや低めの声だ。首をブンブン振りながらえらい早口でいきなり現れた充里と曽羽ふたりをいっぺんに相手しようとしている。
充里は基本のほほんとしたタイプだし、曽羽に至ってはものすごくゆっくりしゃべる。コイツら、よろしくできんのかね。
冷めた目で見ていると、やっと互いの存在に気付いたのか充里と曽羽が見つめ合った。
「激ヤバかわゆす……曽羽ちゃん、俺と付き合ってよ!」
「付き合うの? いいよー」
チョロ! このデカくてかわいい女チョロ!
てか、充里は比嘉狙いだろうが! なんで曽羽と両手恋人つなぎしてんだよ! 気が変わるのが早すぎるんだよ! この自由人が!
「俺、中学からの彼女も下山手高校に来てんだわ。別れてくるっす! あー、でも離れるのヤだなー。曽羽ちゃん、一緒に来てー?」
「うん、いいよー」
そもそも中学からの彼女と同じ高校来ときながら、朝っぱらからかわいい女子物色してんじゃねーよ! この自由人が!
充里と曽羽が手に手を取って走り去る。
待って、ちょっと待って、置いてかないで。こんな女神みたいな顔面したヤツと二人っきりにしないで?!
沈黙が訪れる。俺、女子との間でシーンとなったことなど15年の人生で一度たりともない。どうすりゃいいんだ、この空気……。
変な汗が大量に背中をこめかみを首筋を伝っていく。しゃべらねば。何か、しゃべらねば!