①-1 新たなる希望
第一章にはいりますのでふらっと読んでいただければ。
『俺は……死んだのか……』
まるで世界が平和を取り戻したような静寂と自然の緩やかな風が草原を優しく揺らしていた。森の大樹はその静かな風に乗り、葉で合唱を奏でている。
そんな自然の音が木霊する森の中で倒れる一人の男がいた。そうリヴェルだ。
頬 を優しく撫でられる感触で触覚が刺激される。まぶたを開けることすら億劫になるほど全身が言うことをきいてくれない。それでも身体に反発しながらゆっくりとまぶたを開けた先に、飛び込んできたのは瞳を突き刺すような眩光な日差しと美しい赤茶の毛をしたリスだった。
微動だにしなかった自分の身体を何か物だと勘違いしたのか、警戒心の一つも持たずに頬を撫でていた犯人だ。
『……おいおい……俺は餌じゃねーぞ……』
身体に力が入らない。声に覇気さえも出ない。発した言葉は脳へと届くが、自分の耳へは届かないほど擦れ、脆弱した声だった。軋む身体を無理やり動かして両手で地面を押すようにして半身を起こす。骨がバキバキと身体の芯から音がして、一瞬の痛みが全身に響き渡る。関節の一部分を動かすたびに骨の軋む音がする。頬を舐めていたリスはリヴェルが動き出すと、そそくさと駆けていった
ゆっくりと身体を動かす中で草との摩擦でようやく気付いた。身体の痛みに耐えながら体勢を整え、座り込んだときには一糸纏わぬ姿だった。
両手を見て、腹を見て下半身を見つめる。
『なんで裸なんだよ』
何故こうなったのか記憶が一切ない。ついさきほどまで国のため、民のため、そして自分のために戦い、第三次魔法大戦真っ只中だったはずなのだが、争いひとつないような静けさに恐怖を感じてしまう。
戦争の音さえ届かないような場所にまで飛ばされてしまったのかと、不安にも感じていたのだが、記憶がどこからないのかもわからない状態だった。しかし、そんな静けさの中、鳴いたのは腹の虫だった。
身体の重さと軋みに気を取られていたのだが、何日も食事をとっていないような空腹感が腹を中心に広がっていく。その空腹感は身体だけではなく水分も欲しており、声さえもうまく発せないのは乾いた喉が原因だった。
この一瞬に限って、何故ここにいるかという無意味な考えは捨てて、最重要項目を水分と食事に切り替え、軋む身体を無理やり起こして立ち上がる。両足を引きずりながらも森の中を歩き始めた。
身体を起こすだけでも全身に痛みが広がったのならば、立ち上がるのには相当な激痛が待っていた。それでも渇ききった喉からは悲鳴さえも出ることなく、無言で悶えることしかできなかった。
両足を引きずるようにして森の中を進んでいく。森と言っても草原の中に草木が適度に生えているようなきれいな場所で、太陽の光も入る見渡しのいい森だった。
すると歩いて数分もしないうちに人の気配を感じた。見る限り人の寄り付かない樹海というよりは、妖精やエルフが住んでいそうな神聖な森にも感じる。こんなにも綺麗で澄んだ森に人がいてもおかしくはないだろうと思い、草木をかき分けて音のする方へと進む。
人と会えばこのおかしな世界を聞くことができる。そう思い、草むらから身体を乗り出すと、そこにはかごを持った一人の若い女性が物音に気付きこっちを向いた。
予想していたよりもずいぶん早く出会ってしまったので、心の準備ができておらず、その場で静止してしまう。
まるでこの世界の時が止まったかのように、お互い目を合わせて二秒ほど見つめ合う。
『あ、あの何か食べ……』
「いやー! 変態!!」
お互いの第一声は正反対ともいえる温度差だった。一寸先にも届かない様なかすれる声を振り絞ったのも実らず、その女性はかごを放り投げるようにして走り去ってしまった。
その後を追う気力も体力もなかったので、後姿を眺めることしかできない。衣類よりも空腹を最優先にしてしまったのが裏目に出てしまった。
『おいおい、こっちは好きでこの格好してるんじゃないんだぞ……』
口元まで耳を持っていかなければ聞こえないような声で再び呟くと、目の前には透き通るような川が流れていた。変態扱いをして逃げて行った女性はどうやら洗濯のために来ていたようで、放り投げていったかごの中には衣類や絹が入っていた。
その衣類を勝手に拝借して上半身と下半身の大事な部分を隠した。これで人と会っても問題ないと思い、川の前に膝を附く。
自分の顔さえ映らないほど底まで見える澄んだ川に感動を覚えてしまう。戦時中の血や泥で濁っていた川など飲めたものではなかった。
音だけでなく、自然を感じることも終戦を物語っているのかもしれない。
躊躇することなく顔ごと川につけて水を飲む。何年も水を飲んでいないような感覚にさえ陥ってしまう。
「ゲホッ」
少し水を飲んだところで、肺に入れた水が食道を逆流した。口から泡のようにして空気の玉がぷかぷかと上がってくる。
勢いよく川から顔を上げ、乱れた呼吸を整える。何日食事を摂取していないのかわからないが、その反動からか喉が驚嘆してしまったのだ。
再度、川に顔をつける。水を大量に含むことはできず、少量に分けながら、ゆっくりと喉を潤わしていく。全身に染みわたるような潤いは、このために生きていたのではと錯覚してしまうほどの快感に溺れてしまう。
何度も何度も顔をつけて水を飲んでいく。
「ふう」
ようやく声に生気が戻り始めて少しだけ元気が出てきた。それでも身体が動くようになったことと声が戻っただけで、空腹は紛れない。
一息つき全身に水分が行き渡ったところで、手足が軽くなってきた。
両手を地につけて空を見上げてみる。綺麗な青空と眩い太陽だ。戦時中で見た濁った空と暗い太陽ではなく輝かしい空だ。
もうすこし続いていきます。