第2話 それは、アルストロメリアのように。
■少年の夢■
……俺は、心地の良い夢を見ていた。
長いようで短い、とても幸せな夢。
眩しいくらいに明るい日差しに、目立つ赤い髪の男の人と緑色の髪の耳が伸びた女の人。
真ん中には、まだ一年も経っていないであろう赤子が、ベビーバスケットから手を振っている。
ということはこの男の人と女の人は夫婦で、真中の赤子は二人の子供ということか。
それにしても何とも言えない懐かしい感覚…そうか、ここは。
「ここは嘗て、俺が住んでいた部屋だ。」
父親の方はどことなくアインさんに似ているような気がするが、母親の方は良く分からないな。
父親、母親……両親。
「あれ、俺の両親は……あれ? 思い出せない」
どういうことだ、俺は確かに母親とすでに死んだ父親と村で生活していたはず……。
「ッ!」
思い出せない、思い出そうとすると物凄く頭が痛くなる。
……だが、痛みに悶えている暇なんてない、そんな気がする。
そうなればこの夢に集中しなければならないのだが、目の前の二人を観察してみても、顔を見ようとすると、まるで黒く塗り潰されたかのように顔が上手く認識ができない。
痒い所に手が届かない、そんな感覚が募る中、赤子の母親と思しき女性が、まるで風鈴の奏でる音色のような、透き通った声で、優しく話しかける。
「元気に。生まれてくれたね。」
なんて綺麗な声なんだろう、聴いているだけで心が軽くなるような感じだ。
「大変なことも多かったが、無事に生まれてくれてよかった。」
この声は…アインさんだ。
いつも村の出入り口付近で必ず挨拶してくれる、あの強くたくましい声だ。
赤子を見つめる二人は幸せそうに目を細めて、話している。
ただこれだけの光景なのに、暖かく、ほっとする心地良い感覚。
夢だとは分かっている、今だけでいい、悲惨だった現実を忘れ、心に安らぎを―――。
「……意識が、おち、る。」
一瞬、自分の視界一面に白い世界が広がり、瞬間的に眠る前までの記憶がよぎった。
そうだったな。
「もう…みんないなくなってしまったんだったな。」
■寝室?■
徐々に目が覚め、少年は横になった体制のまま周囲を観察してみる。
「(ここは……どこだ。)」
内装を見渡す感じは木造家屋の一室、窓からは木々が生い茂り、鳥たちが空で優雅に踊っているのが見える。
高さからすると一階の部屋かな。
自分が寝かされているベッドの横で椅子に座り、本を読んでいる女性。
薄赤色の髪が窓から差し込む風に揺られ、軽く抑え込むように手を添える姿は凄く魅力的だ。
旅人が着るような、肩と膝、そして胸部を覆う鎧と私服の混じったような服を着ているが、彼女はいったい普段何をしている人なのだろうか。
こんな感じで頭の中で状況の整理を行っていると、女性は俺の目が覚めていることに気付いたのか、膝に置いていた本を閉じ、こちらに向き直った。
「お、目が覚めたようだね。気分はどうだ? 身体に違和感とか痛むところはないかな。見たところ外傷は無いようだけど。」
感覚的には問題ないので、今度は手探りで自分の体を確認してみる。
……特に痛みや嫌悪感、気だるさなどは感じない。
取りあえず現状問題がないことが分かったので、上半身を起こそうとするも、俺の行動は女性に制止されてしまう。
「ああ、まだ体をほうが良い、横になっていなさい。」
女性の言葉に素直に再び横になる少年。
素直に横になったのを見て、女性はふっと笑みを浮かべた。
彼女の優しい笑みに思わず見とれてしまう少年。
同然のことだ、彼女は少年にとって、初めて見る村以外の人間。
他者を知らない少年には、初めて見るというだけで色々な感情が渦巻いていた。
恐らく、少年に何のしがらみもない状態で出会っていたら、間違いなく恋に落ちていたであろう。
言葉を発しない少年に彼女はさらに続ける。
「因に、ここは私の家だ。王国の外ではあるが、魔物や盗賊などの心配はないから安心すると良い。大丈夫、私は敵じゃないし、君の村を襲った人間でもないよ。ただ……悪いが君をここにつれてくる為に一時的に眠ってもらった。ここに来る前までのことは、覚えているかな。」
恐らく彼女の言葉は嘘偽りは無い、敵意、の様な物も感じないし、記憶は……思い出したくないがしっかりしている。
つまり、俺はたった一日で住んでいた場所と村の家族たち……日常を全て奪われ、二度と取り戻せなくなった、ということか。
そうか……そうなのか。
「…大丈夫です。記憶はしっかりしています。色々とありがとうございます……それから最初の質問についてですが、痛みも違和感もありません。」
『よかった』と一言呟き、安どの笑みを浮かべる女性。
薄く優しい笑みが、どことなく夢に出てきた女性に雰囲気が似ていて、なんだか心が温かくなる気がした。
しかし、心休まる空間は直ぐに姿を変え、女性は真剣な表情に変わり、少年に再び尋ねる。
「申し訳ないけど名乗る前に、もう一つ。単刀直入に聞かせてもらうわね……あれだけのことがあって何故、あなたは今正常でいられるのかしら?」
彼女の疑問は至極当然であった。
「(さぁ少年、君はなんて答える。)」
和香で、死とは程遠い、平和そのものの村で今まで生活してきた少年。
それが突然、あのような形で一人っきりになってしまった。
その上、『少年』という文字通り、彼はまだ子供。
少年は『記憶はしっかりしています。』と言っていた。
普通なら目覚めた瞬間にあのレベルの記憶を認識していれば、これくらいの年の子は発狂して精神崩壊を起こす、などもありえなくはない。
確かに、普通の人間なら精神崩壊をしても、治療法がなくはない。
だが、少年には明らかに魔力が通っている。
魔力が通っているものが精神崩壊を起こした場合、約五十パーセントもの確率で魔力が暴走し、体内から膨張、魔力量によっては大爆発を引き起こしかねん。
彼は今、両親どころか、幼いころから苦楽を共にしたであろう村人を全員失っている、そしてその全ての亡骸を自分の目で見ている。
さっき、私が本を読んでいた時、少年が目覚めたタイミングを、既に気付いていた。
だが、少年は発狂するどころか、目が覚めて直ぐに、周囲の状況の観察から始めていた。
それをわかっていながら、わざわざ私が質問をしたのは、少年の精神が無事なのかを確認する為。
「(確認はちゃんとできた、でも、余計に色々分からなくなったな。)」
彼の精神状態が正常で、現状、一番最悪だった事態を避けることはできた。
だがそれと同時に、少年が落ち着いているのは、どこの誰が見ても【異常】な光景だった。
今の少年が自分の記憶に対してどのような感情を抱いているのか分からない。
しかし、今の彼の表情は、『昨日いつものように寝て、朝になって起きて、まだ寝足りない。』そんな当たり前の生活を送っている子供の表情と全く変わらないんだ。
「なぜここまで落ち着いているのか、それは自分でも良く分かりません。でも、剣の師匠に言われてたんです。俺らが死んでも狼狽えるな、精神を鍛えろって、毎日言われていました。もしかしたら、暗示みたいなものだったのかもしれません。でも正直、実際にみんなともう話すこともできなくなる日が来るなんて、考えもしませんでした。」
だからと言ってあっさりと、『そうだったんですか。』とは言えないだろ。
長年ああいった現場にいる私ですらあの光景は非常なものだった。
仮に暗示がかかっていたとしても、そんなものでどうにかできるようなもんじゃない。
これも予想の班中だが、恐らく、この少年はきっと、私の知らないような『何か』があるのだろう。
体質だとかそういうことではない、もっと、加護だとか恩恵だとか、あるいは神仏に近い何かだ。
……いや、これ以上考えるのはよそう。
何せ確証が持てない、今は、この少年のケアが先決、いくら本人が大丈夫と言っていても、百パーセント精神に負荷が無いとは、誰にも言えないのだから。
「師匠に言われたこと、か。分かった。君自身がそう言うなら、その辺は安心しておくことにする。ただ、目覚めて直ぐで申し訳ないけど、もうすぐステラっていう医者が来るから診察を受けてね。今までの会話で自覚症状がないのは良く分かったけど、自覚してないだけってこともあるからさ。」
自分の気持ちをいえば、もっと気になっていることは沢山あるから、この少年に問いたいところだが、それはあくまで私の好奇心や探求心、それらに関しても今は必要のないことだ。
自覚症状の有無について確認が取れた以上、これ以上私から何かを聞き取ることもないだろう。
あとは、ステラが来るまでの時間つぶしといったところか。
「遅れて申し訳ないが、自己紹介をするよ。私は勇者ヴェン・アストレアよ。勇者、なんていうけど、悪い魔物はギルドの人たちが討伐しているし、今のご時世、悪魔や魔王が悪さをしているわけでもないから、私は周辺調査や、国に情報を提示する仕事をしているわ。いわゆる、国の工作員といったところかしら。昨日は訳あってあなたの村の周辺区域の調査をしていたの。そして最後に見に行った場所が、あなたの村だった。そんなところかしらね。あなたも軽く自己紹介してもらえる?」
「分かりました。名前は……なまえ、ごめんなさい。思い出せません。」
名前が全く思い出せない、俺はどんな名前だったんだろう。
名前…そもそも俺に名前なんてあるのか? 思い返してみると村で名前を呼ばれたことがないような気もする…。
坊主、君、僕、そんな呼び方しかされたことがない。
両親は……そうだ、両親は小さい時に死んだって聞かされたような。
あれ、いや違う、俺は今まで母親と一緒に生活をしてきた。
なんだか『親』について考えようとすると途端に分からなくなるようなきもする。
これがさっきヴェンさんが言っていた『自覚症状』というものか。
自分でもはっきりしない、痒い所に手が届かない感覚。
あまり曖昧なことを言うのは良くない気もするけど、ヴェンさんには隠さないほうが良いかもしれない。
「考えてみたら、名前を呼んでもらったことがないような気もします。そもそも自分に名前があるのかも、良く分かっていません。」
「それは。」
それはどういうことか、と質問しようとしたのだろうが、ほぼ同時のタイミングで、後ろの扉が開いたことで、二人の会話が止まり、視線は部屋の扉に集まった。
静かに開かれたドアの前に立っていたのは、白衣を着た女性。
すらっとした背筋に、丸い眼鏡、白衣が似合う薄い金髪に少し耳が長い、エルフと呼ばれる種族の人だろうか。
「お待たせしました。その子が例の少年よね? お話の途中で申し訳ないけど、ヴェン、少し居間で待ってて。診察が終わったらまた呼ぶから。本当なら自己紹介とかしたいところだけど、それは診察が一通り終わってからね。」
女性は部屋に入りながら長い髪を後ろで結ぶ。
「(この人がさっきヴェンさんの言っていた『ステラ』さんか。)」
なんというか、この人は波長が合う気がする。
まだ話してもいない人だが、なんとなくそんな感じがするな。
「……ステラ、ありがとう。じゃあ私はちょっと外に出ているよ、話はそのあとで。悪いけど少年、もう一回スリープをかけさせてもらうよ。」
ヴェンは、少年の額に手を翳し、スリープを行使して再び少年を眠らせると、寝息を立てる少年と、診察用魔法のスクロールを用意するステラをしり目にその場を後にした。
■ユークラシス王国外 ヴェンの家 リビング■
少年の診察が始まってから数時間が経ち、無事に終えたことで寝室から出てきたステラ。
ヴェンとステラは居間で紅茶を飲みながら向かい合って一息ついていた。
「それで、どうだった?あの子、今現在ここは外部の音も遮断しているから、全部話していいわよ。あの安定した精神状態に、部分的にしっかりしていた記憶、その上で名前だけは思い出せないっていうのも異常よ」
一度は椅子に座ったステラだったが、心配だったのか、おもむろに立ち上がり、万が一少年が聞こえないよう戸を閉めて、座り直し紅茶を一口喉に通した。
数秒間の沈黙を背に、怪訝そうに重い口を開ける。
「あの少年、ハーフよ。魔族と人間の、しかも魔族って言ってもただの魔族ではないみたい。もっと高貴な……精霊の子の様ね。ただ、記憶域に一部アンロックがかかっているみたい、精神が安定していると記憶が変なのはその影響ね。恐らくだけど、彼、物心がつく前の記憶を意図的に制限されていたのではないかしら。名前、両親、その他にも制限されている記憶があるみたいね。どうするの? 正直あの子、私達だけで面倒見るには手に余るわよ?」
記憶のアンロック、ステラが態々『アンロック』という言葉を使用したということは、その名前にちなんだ魔法がかかっているということか。
いや、こんな頭の中の一部にかけるなど、ただの魔法ではない、呪術や暗示、術式などといったものの可能性が高い。
今は魔術を魔法が主流だから、その他の手段を行使するということは、かなりの地位を持った何者かか、研究者。
となると、村にいたこの少年が消息を絶ったことで、必然的に水面下での捜索がされている可能性があるということ。
「まぁ、大方予想通りね。でも私たちが面倒みるって、よく私の考えていることが分かったわね。流石に数十年親友やってないわ。」
笑って見せるヴェンと、溜息をつくステラ。
一瞬の沈黙後、再び紅茶に口を付ける二人。
ステラの反応を見たヴェンは苦笑いを浮かべて後押しをする。
「確かに手に余るわ? でもね、私がもっと早くあの村に行けば何とかなったかもしれないの。それに、私はあの少年に何か光るものを感じたのよ。」
少し間をおいてから『しょうがないわね』と言わんばかりの為息をつくステラ。
ヴェンが『親友』というだけあって、ステラは自分が何を言おうと、ここで少年を見捨てないことくらい分かっていた。
国王に伝えれば恐らく人体実験の餌食だろう、そう確信を持って言えてしまう程に、人間と魔族のハーフなんて存在は希少なのだ。
幸い、私やステラは王国で暮らしているわけではなく、監視されているわけでもない。
見つかったら一発アウト、見つからなくても子育て経験のない私達が上手く育てていけるのか。
まぁ、子育て、とはいってももう青年位の年なのであまり苦労はないだろうが……。
「あの…ステラさぁん?」
ステラが頭に手を当てて考え込んでいると、流石に断られると判断したのか、ヴェンが後押しし始める。
「ステラ、頼む、協力してくれ。偶にでもいいんだ!」
手を合わせて子犬の様な目で訴えかけるをヴェン。
ステラは目を強く閉じ、何やら深く考え込んでいる。
「……もう、わかったわよ!」
ステラが認めたことでガッツポーズを取るヴェンを呆れた顔で眺めるステラ。
「でもどうするの? 村の事後処理もあるし、彼をなんて言ってここにとどめておくの?彼、自分が半分人間じゃないこと、知らないわよ。」
「いや、全部話すことにする。記憶に制限がかかっていたとしても、新しいことを覚えるのに支障はないだろう?だから、私はあいつを、『勇者の弟子』にする」
少年は過去の記憶にロックがかかっている状態、というだけの話で、それ以外には何の支障もない。
つまりこれから学習する分には構わないということだ。
それに、あの状況で冷静に自己判断できる程の精神力や、胆力が備わっている。
「わかったわ、同じ境遇のよしみとして、あなたに協力してあげる。あなたが弟子を取ると言い出した根拠は、また今度、時間のあるときに教えてね。」
二人はふっと笑って互いに手を握った。
「ありがとう、助かるよ」
お礼を言うヴェンを、どこか優しい眼差しで見つめるステラ。
既に飲み干していた紅茶のカップを嬉しそうにかたずけ始めるヴェンの背中を見つめるステラは優しい眼差しとは別に、少し寂しそうな声で独り言をつぶやく。
「(アイン、君は本当に成し遂げてしまったようね。今はミーシアとともにゆっくり休んで欲しい。私ももうすぐ、二人の所に行くと思う。その時まで…待っていてね。)」
風の音にすら届かない小さな独り言がヴェンに届くことはなかった。
この日から、ステラ、ヴェン、そして少年の三人の奇妙な関係が始まる事となる。
ルゥの検査が一通り終わり、一夜が明けてから現在、ヴェン、ステラ、少年の三人で食卓を囲んでいた。
本当ならステラとルゥが自己紹介をする流れだったところなのだが、ヴェンの『ごめん!本当に申し訳ないんだけど食事と本題を済ませたいの!』という言葉とその後の強い押しにステラが根負けししたことで、とりあえず食事から始めることとなった。
とはいえ、医療関係以外でお互いの理解が皆無のルゥとステラは、特に話すことも無く淡々と食事をとる。
ヴェンに関しても、本題を話すわけでもなく、部屋は三人がスープとパンを食べるだけの静かな空間だ。
だが、ヴェンはこの時、ただ無言だったわけではない。
食事の仕方や様子から、現状改めて少年に何も問題がないのかを観察、分析していた。
ステラもそれを理解しているが故に、若干不満はあれど、この場をヴェンに譲っていた。
「(ふむ)」
本来『スリープ』は何度もかけられると、目覚めたときにその副作用で、気怠さなどを感じるものだが、その点少年は特に問題がないようだ。
もしかしたらステラがその辺の後処理もしてくれたのかもしれないな。
様子を横目で見る限り、食事に嫌悪の表情もないことから味覚、食欲にも異常は無し。
家主である私とステラが無言である空間に違和感を覚えている為に表情が少しこわばっていることから、感受性や、聴覚、その他感覚器官も正常。
過度なストレスによる精神疾患なども本当にないみたい。
これならば本題を始めても問題はないだろう。
「ん、コホンッ。」
わざとらしい咳払いをしたヴェンが徐にフォークを置き、その場に立ち上がると、片手を腰に置き、少年の顔を指さして、なぜか誇らしげに言い放った。
「そういうわけだから、少年! 君は今日よりこの、ヴェン・アストレアの弟子にすることが決まった!」
目覚めたばかりの少年に向かって、ヴェンは唐突に訳の分からないことを言い出した。
何の前触れもなく主語だけで言い放ったヴェンは、少年の目から見て、村で出会った時と全く性格の違うように見えたことだろう。
そのギャップも相まってか、少年は、ヴェンの様子と発言に、疑問符が頭の上に見えるくらいきょとんとしている。
そして、そんな少年の様子とは裏腹に、諦めたように肩を落とし、わざとヴェンに聞こえるように溜息を吐くステラ。
「こら、ヴェン、いきなりすぎるでしょ、もっとその結果に至るまでの経緯を説明しなさいよ! まぁあなたにそんな高等技術期待してないけど、いいわもう、私から説明するわね。」
【少年の中で、勇者ヴェンという人間の評価が何段階か下がった。】
ステラの反応に『ごめんごめん』と苦笑いで萎縮するヴェンを他所にステラは続ける。
「改めて、ちゃんと自己紹介をしておくわね。私の名前はステラ。苗字については長いから、今の所は省略するわね。私は…そうねぇ、医者をしているわ、普段は医者よりも、魔道生物学の研究をしていることが多いわね。」
俳句いとか来ているし検査と治療もしてもらったから医者だったことは予想通りだけど、研究家でもあったことは正直予想外だ。
口に出すと失礼だからあえて心の中でいうと研究者というにしては若すぎる見た目をしている、と思う。
「ちなみに種族だけど、私はエルフじゃないわよ、ドライアド、この耳のせいでよく間違われるのよ、ってちょっと話過ぎたわ。まぁ自己紹介はこの辺にしておいて……本題に入るわね。」
ふむ、エルフではないのか。
本音を言うとエルフとドライアドの違いって良く分からないんだよなぁ。
なんにせよ、このステラさんという人はなんだかんだで種族についてっ気にしていたりと、お茶目なところもあるんだな。
【少年の中でステラの評価が何段階か上がった。】
硬いイメージだったステラのまた違った一面が見えて、少しだけ親近感がわいた少年は、『お願い致します。』と呟くと、ステラはちょっと恥ずかしそうに咳払いをして、少年に向き直る。
脱いだ白衣を椅子にかけつつ、ステラは徐々に説明を始めた。
「こほん。正直、途中で説明を止めると訳が分からなくなるから、質問よりまずは話を聞いてね。」
ステラの表情が真剣なものへと変わり、場の空気が静寂へと変わる。
さっきまでおふざけモードだったヴェンも、真面目な雰囲気へと変わっていた。
「単刀直入に言うと、まずあなたは純潔の人間ではない。魔族と人間のハーフよ。」
なるほど、確かに、自分が普通の人間ではないことは、薄々感付いていた。
何か分かりやすい根拠があったわけではないが、アインさんや母さん、村の皆と生活していた時、偶に、自分の扱いに対して違和感を感じることがあったのだ。
今まで感じていた違和感、それは、明らかに過保護すぎる、ということ。
村の全員があいさつをしてきて、祭りがあれば、なぜか俺だけ役職がなかったりもした。
そんな小さな周りの人と違う何かを、俺は最後の最後まで理解することが出来なかった。
大事にされていると考えればそれまでだが、他の子どもとの扱いの差もあるように感じた。
「そして、あなたの記憶は一定の年月までを制限されている。あぁちなみに、学習する分には問題ないわ、ただ幼い頃の記憶が思い出せないだけよ。そして、あなたがハーフであるということこそが、ヴェンが師匠になり、あなたがその弟子になる一番の理由よ。ここまでで質問はあるかしら?」
記憶の制限、か。
『ただ幼い頃の記憶が思い出せないだけ』か……名前を思い出せない、考えられない理由はそれが原因ということか。
ハーフというのも、今言われても正直、頭に入ってこないな。
目覚めて直後にちょっと情報量が多すぎる…。
「名前が思い出せない理由はわかりました。ハーフだということは正直まだ理解が追いつきませんが、一つ気になったことがあります。なぜ俺がハーフだと勇者さんの弟子にならないといけないんですか?」
そうだ、気になっていたのはそこだ。
なんだ弟子って、出会って一日で急に弟子とか唐突過ぎるだろ。
そもそも、勇者の弟子って何をするんだ?
何か鍛えて俺も勇者になるということなのだろうか。
「まぁ聞かれるとは思ったけど、でもごめんなさい。その質問に答える前に事前に聞いておきたいのだけど、あなた、現状魔道生物学についてどのくらい知識があるの?」
知識か、基本的に魔道生物学云々というよりも、そもそも真面な勉強すらしたことがないような……字が読めて、簡単な計算が出来る程度のごく普通のレベルだと思う。
知識とは少しずれるかもしれないけど、アインさんや他の皆から少しずついろんな知識を教えてもらっていたっけな。
「正直、全く教養がないと思います。教養どころか、そもそも魔族を見たこともありません。出来るのは精々計算や読み書き程度です。」
それに付け加えて簡単な魔法もあるけど、今は言わなくても良いか。
「少し長くなるけど、弟子にする理由を含めて魔族と人間の違いから説明するわね、一番の違いは血の構造よ。魔族には人間と違って、最初から魔素も含まれているの。」
血液の構造…母さんから聞いたことがあったような、確か血漿と細胞に分かれていて、その中でも水分やたんぱく質なるものがあるとか、細かいことは流石に覚えていないけど、要するに人間には魔素がなく魔族には魔素があるという認識でいいだろう。
「元々魔素って人間の細胞にはあまり合わないのよ、なぜ合わないのに人間も魔法が使えるのか、とかそういうのはまた今度にするわ。」
そこまで聞いちゃうとかなり気になるんだけど……まぁ教えて貰っている身だから、ステラさんが言っていた通り、また今度聞くことにしよう。
「とりあえず、その『魔素』が人間の細胞にあまり合わないっていうのがカギで、魔族と人間が愛し合ってできた子供の大半は、生まれてくる前に、魔族側の魔素に耐え切れずに、人間側の細胞が分解されて、崩壊するの。」
その話が本当なら俺は今頃『崩壊』とやらになって存在しないことになっているはず。
「ならなんで君が存在しているのか、それはごく稀に、魔族の細胞と人間の細胞を配合した特徴を持った子供が生まれることがあるの、そうねぇ確率でいえば99%位ね。」
なるほど。
そしてその百パーセント中の残りの一パーセントに当てはまるのが俺ということか。
「簡単に言えば魔族でも人間でもあるあなたは貴重なサンプルで、その存在を国が知れば、あなたは二度と日の光を浴びることのない実験室で一生を終えることになるわ。だからこそヴェンの弟子ということにして、ついでに自分一人だけでも生きて行けるように、一人前にしておくってことよ。」
それが、俺を弟子にする理由か。
いや、それだけなはずがない、確率で99%という数字が出ているということは、人口とかは分からないが、少なくとも俺以外の前例があるということ。
中には研究に協力的な人もいるかもしれない。
きっと他にも理由はあるはずだ、もし仮に【俺の明るい未来の為】それだけが理由だというならばこの人たちにメリットがなさすぎる。
それどころか、勇者という立場の人間が、国にとって重要人物であるモルモットの俺を隠しながら、一人前になるまで育てるなんてメリットどころかデメリットだらけだ。
「なるほど。まだすべては理解できていませんが、大方事情は理解できました。」
多分、今【俺を弟子にする他の理由』】を問いただそうとしても、恐らく何も得られないまま、二人の不信感だけ得てこの場が終わってしまうだろう。
確証はない、けど、長い目で見てもこの二人は敵じゃない、悪い人じゃないと感じている。
深いことは分からないが、なんせこの人たちと出会ったのは1日前が初めてだ。
そしてそては向こうとて同じ。
……どうせ、今の俺には何も残っていないんだ、精々二人の話に乗って、生きてみるのもいいかもしれない。
ただ、俺は最初から気になっていた、どうしても確認したいことがあった。
「もう一つ。質問があります。村は、どうなりましたか。」
俺の言葉に二人の表情が強張る。
きっとこの二人は俺に気を使ってくれていたんだろう。
でも、どの道いつかは触れなければならないことだから、二人が話しやすいようにあえて自分から質問をした。
「アインさんは…義母さんは…現在どうなっていますか。」
無言になってしまう二人だが、少年の質問に答え辛いのは当然のこと。
二人からしてみれば俺はまだ子供で、精神的に不安もある状態だから、自分の村の話をしてつらい記憶をフィードバックさせない様に話題をあえて避けていたのだろう。
二人は顔を見合わせ、考え込んだ後に、ヴェンが一歩前に出て口を開いた。
「申し訳ない。もっと君の気持に配慮すべきだった。君の冷静さを見て、甘えてしまっていた。だが大丈夫、安心してほしい。みんな、王国の方で火葬を行い、新しい場所で眠っている。」
そうか、ちゃんと扱ってくれていたんだな…よかった。
『そんなことはない』と思いつつ、『放置されているのではないか』とか考えてしまっていた。
「火葬に立ち会わせることが出来なくて申し訳なかった。今の君を国王の目の届くところに置くわけには行かないんだ。分かってほしい。落ち着いたら、別の方法を考えて一緒に会いに行きましょう。」
ヴェンから返ってきた言葉は質問の答えだけではない、謝罪の言葉だった。
ヴェンの言葉に続いてステラも『ごめんなさい』と謝罪をしつつ頭を下げる。
そんな二人の様子を見て少年は少し慌てた。
「謝らないでください。俺は今二人に助けられているんです。あのままあの村に残っていたら、村をあんな状態に下や空が返ってきて俺の命も無かったかもしてれない。そうならなくれも、あの村にいたまま心を壊していたかもしれない。」
そう、今でこそ、真面にものを考えて行動できているけど、実際あのまま、ヴェンさんが来なかったら、どうなっていたか分からないから。
「寧ろ村のみんなのことや、俺のこれからの事を考えて頂いて、お礼を言いたいくらいです。だから、ありがとうございます。お顔を上げてください。」
二人は頭を上げ、各々再度理解した。
少年はあくまで冷静であるだけで、決して感情がないわけではないのだ。
「それでも、ごめんなさい、だよ。私達に出来ることはするから、少年、君も前向きに生きてほしいな」
ヴェンは少し首を傾げ、はにかみながら言った。
その様子を横目に、ステラは理解した。
落ち着いて考えてみれば、この少年はアインとの『自分たちがいなくなっても狼狽えない』という約束を守り、冷静という服を着ているだけであって、今まで会話に集中していた少年にとっては、本音を言えば自分の置かれている状況なんかより、村のみんながどうなったのか、ということの方が重大なのだ。
「(失敗したわ。私も少年の気持ちにちゃんと配慮すべきだった。)」
医者であるステラは、ヴェンよりも後悔の念が強かった。
”医者”と言っても心理カウンセリングなども請け負うことのあるステラは当然、心に傷を負った者のケアも行うからだ。
だからこそ、ステラは直ぐに頭を切り替え、その場の雰囲気を悪くしないように別の話題に変えることにした。
「ちょっとごめんなさい。そもそも私達、【少年】ってずっと呼んでいたじゃない?それだと今後不便よね。だから今、あなたの仮名をつけておくわ。ヴェン?あなたが考えてもらえないかしら?」
『いいのか?』と言わんばかりに少年の様子を伺うヴェン。
そんなヴェンの表情で理解し、少年はヴェンに条件を提示した。
「いいですよ、ただ、俺が名前を思い出せたらそれまで、っていうことと、ペットに突けるみたいな名前はやめてくださいね。」
少年はうれしかった。
本当なら今すぐにでもここの家を出て、村や、みんなの眠っている場所に向かいたい気持ちもあっただろう。
しかし、変に気を使われるよりも明るく、普通に接してくれている今の状況が心地よかったのだ。
だから少年は、正直、どんな名前で呼ばれようと気にしなかった。
それに名前を思い出せず、いつまでも少年呼ばれるのも良い気はしない。
「じゃあ、少年、君の仮名は【ルゥ】だ!これからよろしく頼む」
「はい。以後宜しくお願いします。」
因にこの後、ルゥが【勇者の弟子・ルゥ】と呼ばれるようになるが、それはまた別の機会に話そう。
■ユークラシス王国 ギルド・エルダーツ ロビー■
ヴェン、ステラ、ルゥの三人で食事兼話し合いをしている時と同時刻。
ユークラシス王国首都、ユークラシスの中央に位置する【ギルド・エルダーツ】。
大国の中で最も広いユークラシス王国の中で唯一のギルド、ということもあり、王城の次に大きい建造物である。
毎日大勢のメンバーで賑わっていて、依頼数も一日何千、何万件と後を絶たない。
この巨大な木造建築の一階で、一際注目を集める老人が一人。
背は高く、ローブを羽織っているが、鍛え上げられた筋肉は周りから見ても明らか、しかしその背には剣や斧などの近接武器ではなく、複数の杖を背負っている。
彼は、このギルドで最も強いと言われているSSSランクの冒険者の一人であり、その戦闘スタイルを見たものは殆どいないという。
本来ギルドでのランクは【F】から始まり、【E】、【D】、【C】、と進み、最終的に【SSS】まで上がるが、SSSランクのギルドメンバーは数え切れる程しかいない。
老人は真直ぐにカウンターに向かい、受付嬢に問いかける。
【ギルドマスターはいるか?緊急要件がある。急ぎ取り次いでくれ。】
ギルドマスターへの謁見も本来簡単に行えることではないが、数少ないSSSランクとして彼は有名であり、更にその真剣な表情から、受付嬢は『分かりました!』と言うと、直ぐに振り返り、急ぎ足で奥へと向かった。
その真剣な雰囲気は周囲にも伝わり、依頼を受ける者、食事をしている者、報告に来た者、その場の全ての人たちが強張る。
「むっ……?」
腕を組み、額から汗が滲その老冒険者は、背後の凝縮された殺気に気付いた。
彼はその殺気に狼狽える訳でも、戦闘態勢を取る訳でもなく、溜息交じりに振り返らないまま呟く。
「良い加減普通に表れろ。俺じゃなきゃ一騒動起きるぞ?会話、聞いてたんだろ?緊急なんだ、会議室に案内しろ。ゼロ。」
老人が呆れながら振り向くと、そこにいたのはプラチナブロンドで長い髪を降ろした、女性がいた。
してやったり顔の目にはピンク色のハートマークが浮き出ていて、背中には包帯がまかれた大剣を背負っている。
片や下腹部、脚などが露出していて、誰が見ても目のやり場に困る服装をしている。
「アドベル、何を言っているんだいアドベル?あのね、そもそも背後に殺気を感じて真っ先に僕を疑うのは聊か失礼だと、思うんだよねぇ、まぁそんなことするの僕だけなんだけど」
女性の挑発的な発言に、徐々に眉間のしわが寄っていく、アドベルと呼ばれた老冒険者。
「はぁ。名前を強調するな。そもそもいきなり背後から殺気を出す方が失礼だろう、おめぇさんはギルドマスターだろうが。もう少し自覚を持て。」
そう、アドベルがゼロと呼んだこの女性は、先程、受付嬢が呼びに行ったギルドマスター本人だった。
「違いない」
ゼロはそういうと苦笑いで手招きをしながら受付カウンターの横の扉に入っていく。
アドベルはゼロの余裕ある動きに思わず舌打ちをしそうになるのを堪え、後を追う様についていった。
ゼロとアドベルがいなくなると、凍り付いていた空気感も元に戻り、いつもの雰囲気が戻ってくる。
「すいませんっ!アドベルさん、ギルドマスターはってあれぇ!?」
「ういちゃん!ギルマスとアドベルさんなら会議室に入ってったぞー。」
「あっ、そうなんですね、良かったぁ。あ、クエスト報告ですか?ただいま承りますねー。」
「お、助かるよぉ。」
「すいませーん、このクエスト受けたいんですけどー。」
「はいはーい、Bランクのクエストですね、身分証を拝見します。」
「はいはいこれね。」
「はい、確認が取れました!気を付けて行ってらっしゃい!」
■ユークラシス王国 ギルド・エルダーツ三階 会議室■
ゼロに招かれて会議室に入り、アドベルが扉を閉めると一瞬、部屋が薄桃色に光った。
これはゼロの空間切除魔法だ。
魔法の名称までは知らないが、部屋そのものを一つの個体として閉じ込め、外部に音が漏れないようにするもの、らしい。
残滓どころか魔法を行使するタイミングすら分からなかった。
「(見事なものだな)」
恐らく彼女は、俺がこうして考えていることすらも掌握していることだろう。
魔力感知で彼女を見ても、何の先入観も持っていなければ大したことない量だ。
だが、どう考えてもこれは隠蔽しているだけで、実際に魔力を解放すれば、もっと膨大な、それこそ低級な魔物なら寄り付かないかもしれない。
本音を言えば、隠蔽してるかなんて全く分からない。
隠蔽している痕跡すら残っていないから、俺の判断も予想にすぎないのだが……。
「それで、緊急の要件とは何だい?僕もあまり暇じゃないんだ。国から直々に調査を頼まれていてね。」
ゼロは話し方こそ、いつも通りにふざけているが、その眼は真剣そのものだ。
仮にも【ギルドマスター】ということなのだろうが、何度も見てきた表情とは言え、やはり、只ならぬ気配を感じる。
「(丸でネズミが蛇に睨まれた様な感覚だな。)」
若干萎縮しつつもアドベルは話始める。
アドベルの額にはじわじわと汗が滴り、ゼロから目を離せない。
「簡単に話す。内容は二つ。前に頼まれた依頼の件だ。一つは王都の外れの方にある山脈を越えた先に村があっただろ?あの村の住民が全滅した。もう一つはそこ住んでいた少年が実は生き残って、今、勇者ヴェンの元にいる。」
アドベルがその報告を聞くと、ゼロは一瞬表情が憎悪に満ちた表情に変わったように見えた。
たった一瞬ではあったが、その表情はSSSランクのアドベルが恐怖で鳥肌が立つ程のものだった。
全身から嫌な汗が出て、周囲の空気は一瞬にして凍り付く。
もし、アドベル以外の者がこの場にいたなら、ショックで気絶していたかもしれない。
それ程までに凝縮された殺気を正面からアドベルは最早瞬きすらできていなかった。
数秒の間、場が静まり、溜息を一つ、そしてゼロは真剣な表情に変わり、アドベルに伝えた。
「すまない。一瞬取り乱してしまったな。アドベル、この件は私がヴェンのもとに行って色々と確かめることにする。」
「承知しました。」
先ほどの殺気に当てられて、思わず敬語になってしまうアドベル。
「それから、一つ頼みがある。君はユークラシス第二王女を知っているね?彼女も一応勇者だ。勇者は魔物の存在を許さない。いいか?あの勇者を見張れ。理由は事が終わってから話す。」
ゼロの見たことのない必死な表情にアドベルは驚いたが、即座に頭を切り替えて返答する。
「一つ、条件がある。恐らくこの後、ヴェンという勇者の所に向かうのでしょうが、私も連れて行ってもらえないだろうか。」
ゼロはその条件に疑問を抱かなかった。
好奇心や気まぐれではないことは明白で、何か別の理由があることを察していたからだ。
思えば、アドベルはこの時、ある程度、少年の正体に察しがついていたのであろう。
アドベルは聞き逃さなかった。
『勇者は魔物の存在を許さない。』それは、要するに、少年が魔物と密接な関係があるということ、ヴェンという勇者と少年が何らかの因果関係を持っているということだ。
「わかったよ。君も連れて行こう。」
アドベルが察しが付く様な話し方をしてしまったゼロの失態だった。
しかし、幸いなことにアドベルは国とギルドにおいて、感情面、知識面で完全にギルド側の人間。
「とりあえず、僕は準備するから、君も準備してくると良い。」
ゼロの言葉にアドベルは『分かった』と一言残して部屋を後にした。
誰もいなくなった部屋でただ一人、ギルドマスター【エマ・ユークラシス・エルミンド・ディ・ゼロ】は自覚する。
「僕も弱くなったものだ。……すまないミーシア、僕の管理が甘かったせいで、面倒なことになってしまったよ。」
静かに呟いたその言葉は、誰の耳に届くこともない。
閉ざされた空間の中で霧のように消えていく。
ゼロは残った小さな余韻と共にその部屋を後にした。
■ユークラシス王国外 ヴェンの家 リビング■
一方ヴェンの家では、昼食を取り終え、三人で一息をついていると、ステラがルゥに話しかける。
「ルゥ、ヴェンは師匠として、戦闘の知識を教えてくれるけど、それ以外の魔法や生物学とかの知識は、正直役立たずなの。だから、私があなたに教養を取ってあげる。」
「役立たずとか!そんないい方しなくてもいいじゃんか!」
「魔道学院最終筆記試験二点がなにを言っているのかしら。」
ふむ、ステラさんの横辺りから心の折れる音が聞こえた気がする。
「(というか二点だったんだ……。)」
村では色々と大人の人に教えて貰っていたが、ちゃんと教わったことはなかった。
「分からないことだらけなんで、苦労は掛けますが、お願いします。」
「はい、承りました。」
ヴェンはうなだれているようだが、本人も知識量については自覚していることもあり、文句は言えないようだ。
流石に可哀想になったので涙目のヴェンに『剣術の方はヴェンさん、お願いします。』と言うと、ヴェンはさっきまでの落ち込みようが嘘だと思うほどに『にぱぁ』と笑顔になっていた。
「(チ、チョロい……そんなに頼られるのうれしかったのか。)」
そんなやり取りを行っている最中、突如、一瞬にして場の空気が重くなり、日汗が止まらないくらいの緊張感がルゥを襲う。
「な、なんだ!?」
他の二人も同じく何かを感じているようで、ヴェンは一瞬で警戒態勢に入り、いつでも剣を抜けるように柄に手を添え、あたりを警戒する。
「な、なに?!凄い魔力!震えが……止まらない!」
ステラがそう言うと、庭の方から、赤黒いオーラが近づいてくるが見えた。
そのオーラは憎悪のような強い感情の如く殺気の恐縮された塊で、ルゥどころか勇者であるヴェンでさえ、その膝が笑っていた。
やがて凝縮されたそれが一瞬、消える。
「き、消えた…?ステラ、ルゥ!周囲を警戒してっ!」
しかし、次の瞬間、そのオーラの主は三人の真後ろに瞬時に移動していた。
凝縮された殺気を背後に感じ、三人は背が向けた状態で振り向けずにいると、その重苦しい空気とは裏腹に軽いトーンのあいさつが聞こえた。
「よっ、ご無沙汰だね、ヴェン君にステラ君、それからー、そちらは……ヴェン君のお弟子さん、といったところかな?」
何が起きたのか全然わからないルゥを他所に、声の軽さや二人が知り合いだったことに気付いたこともあり、安どの溜息を吐きながら三人はゆっくりと振り返った。
「あんた。俺以外にもこんなことしてんのか……。」
呆れ半分、といった感じで、後から来た老人が女性に向かって話しかけた。
その反面話しかけられた女性は、反省の様子はなく老人をからかう。
「あらら、嫉妬しちゃった?残念!僕は誰のものでもないよっ、それよりごめんねーおどろかせちゃったかな?」
ヴェンは腰が抜けてしまったようで、その場に座り込んだが、その様子を他所にステラが鬼の形相で切り出した。
「ちょっとゼロ!やめてよもう!天災でも来たのかと思ったじゃない!ルゥだっているのよ!ルゥも何か言ってやりなさいよ!……ルゥ?」
ステラの発言にルゥは返答ができず、膝をつき、ゼロと呼ばれた女性を見てがたがたと震えていた。
いや、正確にはゼロの背後を見て恐怖のあまりその場を動けなくなっているという感じだ。
その場にいるステラも、ヴェンも、女性と一緒にいる老人も見えていないのかと言わんばかりに周りの様子を伺うルゥ。
実際、誰も、ゼロの後ろにいる【悍ましいモノ】が見えていなかった。
ルゥの様子を見てそっと正面から肩をつかみ笑顔で語りかけるゼロ。
「へー、君面白いね。僕の後ろにいる【モノ】が見えているんだ。」
「(なんだ……?この人の後ろに立っているものは。)」
それが何なのか、口では表現が難しい、強いて言えば扉のようなものにも見える。
その扉のような門のような巨大な何かは赤黒いオーラを纏い、異音を放っていて、少し黒い霧のようなものが出ている。
これだけの存在感やオーラがあってもなぜか物音一つなく、佇んでいる。
「誰にも見えないはずなんだけど……よし決めた!直ぐにとは言わない。恐らくヴェンの元で修業をするのだろう?ある程度したら、君、ギルドに入る気はないかい?いや入るべきだよ!」
そのゼロの雰囲気に少年は冷静に戻り、立ち上がるが、返答に困っていると、『ゴチンッ!』と物凄い音を立てて、即座にゼロが床に倒れこみ、頭を抱えて悶える。
「いっだぁぁぁ!ちょっとアドベル!なぁにするのさぁ!?」
派手なその音は、老人がゼロを杖で強打した音だった。
ゼロの斜め後方にいた老人が杖をしまいつつ、飽きれた声でゼロに変わると。
ルゥを立たせつつ話始めた。
「うちのマスターが色々と済まない。私はアドベル、冒険者だ。ここに来たのは、そうだな。その小僧、『ルゥ』といったか? まぁ小僧でいいか。その小僧についての確認をしに来た。王国の勇者の元にちょっと物珍しい少年が滞在しているとなると、無視できないからな。」
一連の流れに唖然としていたステラとヴェンだが、アドベルの話で一度頭を切り替えた。
「(どうするのヴェン、一瞬でバレてるじゃない!)」
「(どうしよう、ゼロさんってギルドで少し話した程度だからどうすれば良いのか良く分からない。)」
ルゥを国王から隠す為に弟子にする、という話を終わってすぐに、その【ルゥ】の存在が、国内の大組織であるギルドのマスターとSSSランク冒険者の知るところとなっていたことに強い不安を覚える二人。
ステラもヴェンもギルドマスターとは面識があるが、SSSランク冒険者であるアドベルと面識はない。
噂レベルで走っていても、ルゥの存在を知って敵となるか味方となるか、皆目見当もつかない。
二人が横目でコンタクトを取り、返答に悩んでいると、先程の頭部打撃による痛みに悶えていたゼロはいつの間にか立ち上がり、アドベルに殴られた後頭部を摩りながら話しかける。
「隠さなくて大丈夫だよ。この場はさっきが結界を張ったから、誰にも聞かれないし、無論、僕たちも他言しない。ギルドマスターの名に懸けて誓おう。」
ゼロのことにヴェンは少し目を瞑って考え始める。
「……ふむ。」
きっとギルドマスターゼロの言っていることは間違いじゃない。
現に、この人程の権力者なら問答無用でしょっ引くことも可能なはずで、簡単な魔力感知を行っても、私の魔法とは別の結界が張られているのが分かる。
「(まぁ結界がどういう性質の物かはよく分からないが。)」
どの道ここ目でバレてい待っているのだから隠していても無駄だな。
例え逃げるにしてもこの二人から逃げきれるとは到底思えないし、運良く撒けたとしても結界が対人結界の様な人を通さない結界の可能性だってあり得る。
「とはいってもまぁ隠しごとのおおよその見当は、ついているのだけどね。」
「(はぁ、本当に誤算だらけ。言うしかないわね。)」
打ち明けることを決めたヴェンだが、その視線はゼロではなく、ルゥの方に向いて話しかけていた。。
「ルゥ、私はゼロさんを正直信用していいと思う。どうするかは、君が決めてほしい。」
判断しきれないのか、ステラの方を見つめるルゥ。
ステラは無言でうなずく。
「(俺は、どうすべきか。)」
見たところだけど、ヴェンはアドベルという人物を信用していないのか、少し警戒しているように見える。
いくら有名な人物でギルドマスターの側についていたとしても、直接的に面識があったわけではないみたいだったし、当然と言えば当然なのか。
ただ、俺よりも俺の状況を理解しているステラさんとヴェンさんが信用して良いと考えているのなら、この場はゼロさんという人の言う通りにする方が良いのかもしれない。
「状況は俺よりも、ヴェンさんとステラさんの方が説明しやすいと思う。」
そして俺はアドベルという人物を見て常々思っていたことがある。
この人は背中に杖を複数背負っていることから魔法を使う先頭に特化していることは分かる。
しかし、そこ意外に着眼点を置くと、このガタイの良さやローブから稀に見える腕の隆起した筋肉。
そして腰に下げている一振りの剣。
この人は恐らく、近接戦闘においてもかなり強いのだろう。
とあれば、ここは一つ。
「だからアドベルさん、ヴェンさんたちが話している間、庭の方で俺に、剣の指導をして頂けませんか?」
本音を言えば正直、俺はこの人たちに敵意などはないと思っている。
その理由は簡単。
勇者であるヴェンさんが日汗をかく程の実力差のある相手が二人。
この状況で二人が敵だとすれば俺を捕まえるなんていとも容易く出来てしまうだろうから。
本当は今二人と分かれるのは良くないかもしれないが、ヴェンさんの弟子となるのが決定している以上、今の自分の実力を確認しておくのも大事だ。
「いいだろう。その方がそちらのお二方も話しやすいだろうしな。」
アドベルさんは快く返事をしてくれた。
恐らくヴェンさんの警戒心は杞憂だろうから、集中して取り組んでみよう。
「まぁ、うん。君がそうしたいのなら……いいんじゃないかな。」
どこか歯切れの悪いステラの発言に違和感を感じつつルゥはアドベルの後を追って庭に向かう。
二人は玄関先の庭へと向かう、アドベルとルゥを心配そうに見る目るのであった。
ルゥとアドベルが庭に向かい、一瞬の静寂な時間。
妙な緊張感の中で、残った三人が静かに椅子に座ると、最初にゼロが切り出した。
「それで、あのルゥという少年のことだけど。聞く前に当ててみようか。」
全てを察したような話方に思ず息を飲む二人。
「あの子、混じり物だろう?王国に無条件でいれて、国王や大臣に見つかれば解剖なり実験なりされかねない。だから、『村で生き残った子供が勇者のお眼鏡にかなったから弟子にした。』という定にして、せめて他国でも一人で生きて行けるように最低限知識と経験をつけさせよう。そんなところかな?」
まるでさっきまでの三人の会話を聞いていたのか、というくらいに的確に言い当てるゼロに思わず目を見開く二人。
「そんな驚かないでおくれよ、と言っても無理な話か。あの村が襲撃にあった日、アドベルに頼んどいたんだ、あの地域の偵察をね。そしたら、君とあの少年を発見し、村の状況を知ったアドベルが血相を変えて僕に状況報告をしに来てね。そこからは予想の域を得なかったんだけど、君たちの反応を見る限り図星だったようだね。」
「相変わらず、さえますね、エマさん。その通りです。それで、どうするつもりですか?」
ヴェンがゼロの推察に肯定し、返答するとゼロはそれに切り返した。
「いや、どうもすることはないさ。ただ、気になることがある。大体察しているとは思うが、ある程度実力のある人間で、混じり物についての知識があれば見ただけで普通に気付く。アドベルも察しはついてると思う。いい?ハーフっていうのは確率が限りなく低いだけで、いないわけじゃないの。このままのんきに育てるのは良いけど。正直、手が回らなくなるよ。」
確かにその通りだ。
ステラはともかく、私は正直、後悔の念からルゥを連れてきたにすぎない。
私はルゥを始めてみたとき、惹かれる何かを感じたが、別に混じり物かどうか、が分かったわけではない。
「僕が追い詰めといてなんだけど、あまり落ち込まないでくれ。今日は表向きは状況確認だが、助け舟を出したいと思って来たんだ。さっきも言ったが彼をギルドのメンバーに勧誘したい。君たちが師として付き、ギルドで依頼をこなす。そして目標は五年以内にSSSランク。」
そこまで話したところで、ずっと黙って聞いていたステラが口を開く。
「まって、あなたがそこまでかかわる意味が分からないわ、確かにルゥは珍しいけど、何か裏があるとしか思えない。ギルドマスターが直々にギルドに勧誘とか五年以内にSSSランクになるよりも余程異常よ?」
「僕としては君たちが彼を育てようとしていることも、革命レベルにびっくりしたけどね。でもいいよ、教えてあげる。正直最初ここに来るまでは譲許の確認をしたら帰るつもりだったんだけど。そうだね……彼、僕の後ろを見て怯えていたよね?」
確かに、先程のエマさんを見たルゥ君の反応は明らかに何かに怯えていた。
恐らくヴェンも同じことを思っていただろう。
「気のせいではなかったんですね。私には何も見えませんが。それに、私の見たところルゥ君は感知系魔法の類は使えません。いったい何が見えていたんですか?」
ステラがそこまで言うと、ヴェンもそれに頷き、その様子を見て、ゼロはやれやれと肩をすくませた。
そして再び二人に向き直り微笑む。
一瞬その微笑みに疑問符を浮かべる二人だが、その表情はみるみる青ざめていく。
「彼が見ていたのは……この呪混の門だろうねぇ。おかしいよねぇ、普段は隠しているから誰にも見えないはずなんだけど。なぁに、単なる僕の個有魔法だよ、作ったのは良いけど、しまえなくなってしまってねぇ?普段はこんな風に隠しているんだけど……。」
彼女が話すのをやめると、背後の門は徐々に薄くなって見えなくなっていく。
ヴェンとステラも門が消えていくのを見て徐々に顔胃をもよくなってきた。
「なぜか彼にだけ見えていたのか疑問なんだよね。アドベルや上層部ですら気配にも気づかないのに、混じり物のあの子にははっきりと見えていた。無意識で何らかの魔法を発動したのか、はたまた、半分魔族だから見えたのか。どちらにせよ、気になるところでもある。近くにおいておけば色々と楽だろう?大丈夫さ、少年に何かしようものなら有無も言わさず殺すからさ?」
「あなたのことは少なからず信用しています。だから私は異論はないわ。でもごめんちょっとくらくらするから寝室に戻るわね。」
ステラは、恐らくゼロの瘴気に当てられてしまったようで、疲れ果ててしまったのか、二階の寝室に向かって行った。
「あら、ちょっとやりすぎりゃったかな?後で謝っておこう。それで、君はの意見はどうだい?ヴェン君。」
「ちょっとまって、今考えをまとめるから。」
正直、ギルドマスターが手を貸してくれるのだから願ったりかなったりなのだが。
いったい何なんだ今の魔法は、見たことがない、個有魔法なのだから、知らなくて当たり前だが、だからと言って、今のはやばい。
実力差があり過ぎる。
とてつもない魔力の密度だった。
「(ステラがこの場を離れるのも無理はないな。)」
知り合いだからと安心しているところもあったが本当に手を借りて平気なのだろうか。
実際にあの門を見ていたルゥはある程度信用できているようだったが。
「(それにしても、あんな膨大な魔力……どう考えても普通の人間じゃな———。)」
「ヴェン君、余計なことは考えなくていい。ルゥを守りたいなら僕にも協力させて欲しい。そういっているんだ。明日は別の用事があってね、申し訳ないが早く返答が欲しい。時は金なり!だよ。」
まるで考えていることが読まれているような錯覚を覚え少し恐怖心を感じたヴェンだが、それはそれとして、ギルドマスターで敵意も無く、膨大な力を持っている人物を、味方における状況は心強かった。
「分かりました。ギルドへの登録云々はお願いします。それから、ルゥのことも。話の内容はルゥに後で伝えておきます。」
そういってヴェンが頭を下げると、ゼロは笑顔で返答する。
ルゥに出会ったのはわずか二日前の事なのに、出会った当初とは全く違う、母親のような感情がヴェンには芽生え始めていた。
「任されましたっ。」
満面の笑みで答えるゼロに、ヴェンはほっと胸をなでおろした。
二人は話が終わったところで、気疲れして寝室に行ったステラを他所に、アドベルとルゥのいる庭に向かった。
気付けば日が暮れ始めていた。
オレンジ色に眩しく染まる空の下、アドベルの声が響き渡る。
「詰めが甘い!!」
庭では、アドベルによる指導が行われていた。
アドベルは杖を、ルゥはアドベルから渡された木刀を渡され、打ち合っていた。
ルゥは何度も攻めに行くが、アドベルはその場から動くことも無く、杖でルゥの攻撃をやり過ごしてる。
「くそぉ、隙が全くねぇ。」
端からかなう相手だとは思ってなかったが、まさか、ここまで手も足も出ないとは思わなかった。
どうやっても指一本触れることができないし、どう考えても魔法使いって柄じゃないだろ、あの爺さん。
何ならあの人殺気から一歩も動いてないよな。
手詰まりだ、素直に一度負けを認めてから指導を……。
「小僧、もう手詰まりか?」
「っ?!」
思考を遮られたルゥは、その場から何も言い返せず思考を停止する。
しかし、アドベルはルゥの返答を待つことはなく、杖をしまいながらゆっくり歩いてくる。
「小僧、正直、おめぇくらいの年の青年で比べればかなり鍛錬を積んでいる。身のこなし、先読み、罠の察知能力。魔道学園生だったらば優等生とまではいかずとも、良い線を行っていたであろう。だが、おめぇ、最後になって諦めようとせんかったか?」
図星だ。
確かに、諦めようとしていた、でもそれは……。
「手詰まりになり、確実に勝てないと思った。だから諦めたのだろう?そんなんじゃおめぇはいつまでたっても弱いまんまだ。良く聞け小蔵。おめぇがカスだろうが何だろうが、立ち向かわなければ成長はしねぇ。この言葉。しっかり覚えておけ。」
アドベルの言葉は重く、ルゥの心に響いた。
彼の口調はどことなくアインさんに似ている気がした。
そういえばアインさんによく『お前は精神が弱い』と言われたよな。
こんなんじゃだめだな。もっと気を引き締めないと。みんなに顔向けができない。
「とはいえ、むやみやたらに突っ込んでくりゃいいってわけじゃない。幸いこれは訓練みてぇなもんだから、どんなに攻め込んでも死ぬことはない。だから、戦いながら試行錯誤して試せ。」
「おうおう、厳しいこと言っちゃってまぁ。ねぇねぇ、僕が師匠になってあげよっか、大丈夫!こんなおいぼれと違って優しくしてあ・げ・る。」
一区切りがついたアドベルとルゥのもとにやってきたのは、話し合いが終わったゼロとヴェンだった。
ゼロの後ろに見えていたモノはもう見えなくなっていた。
あれは、幻覚だったのだろうか。
「ギルドマスターさんでしたよね?そういうの間に合っているのでやめてください。ところでヴェンさんステラさんは?」
ルゥがゼロのだるがらみをスルーしたことでゼロはうなだれているが、無視してヴェンに『ステラさんは?』と聞いてみる。
横から見ていたアドベルは『もうマスターの扱い方になれるとは……。』と感心していた。
「ステラはちょっと疲れたって寝室に向かったよ、寝てるんじゃないかな。まぁ大丈夫だよ、こっちの話も終わったから今日の所は終わりかな。アドベルさんの指導、どうだった?」
笑顔できりだすヴェンだったが、ルゥは先程の結果で自己嫌悪し、表情が曇った。
その表情を見て首をかしげるヴェンだが、アドベルが横から入り、代わりに答える。
「この年の青年にしてはかなり良く鍛錬を積んでおる。三年もみっちり鍛え上げればかなり化けるやもしれんぞ。」
「鍛錬初日にしては上出来じゃない、私の目に狂いはないわね!ところで今日はご飯はどうする?食べていくなら作るけど。」
落ち込んでいるルゥと項垂れているゼロを置き去りにして二人の会話が進んでいく。
「いや、今日はのところはお暇する。明日は別の依頼があるのでな。では小僧、次合うときまでにもっと鍛えてこい、また相手をしてやる。」
SSSランクの冒険者にする依頼とはどんなものなのだろう、想像力を膨らませるが、まったく思いつかない。
特に思いつかないが、とりあえず無言でアドベルを見つめていると背中に背負った六本の杖を背負い直し、後ろを振り向く姿は、幾度となく死闘を繰り広げた面影が見て取れた。
「んじゃ、僕も変えることにするよ、少年の為の手続きもあるからね。んじゃねー!」
いつの間にか立ち直っていたゼロは軽い挨拶をして駆け足で庭先から出て行く。
最初から最後まで嵐のような人だなぁと思いながら、その背中を見送った。
「さて、ルゥ、ご飯にしよう、落ち込んでいても仕方がない!次の機会の為にしっかりご飯を食べて、体力をつけなきゃね!」
こうして嵐のような一日が終わり、また明日に向け、ルゥ達はヴェンの家に帰るのだった。
「こいつが新入りか?」
「魔法や属性についてどこまで知っている?」
「君の適正は――――。」 「恩に着るぜ!」
「こいつをくれてやる。お前の相棒になる武器だ。」
【次回:地盤】