第1話 再び動き出した歯車
ユークラシス王国の西にある森を抜けた先にある無名の山脈、その山脈をさらに越えた先にある村。
その村は、人口が五十人にも満たない小さな村だった。
近くに池や海がない為、農業や山菜採りをメインに狩りをして生計を立てている。
魔素濃度と呼ばれる、魔力を動かす為の空気中に含まれる素材の濃度が薄い為、付近には魔物が生息しておらず、見晴らしの良い草原であるが故に災害による被害も少ない、平和そのもの、といった風貌の村である。
その村の名は【ビスタ村】と言い、一番近場の王国、【ユークラシス王国】の民にすらあまり知られていないような、ひっそりとした村であった。
村の一番奥にある、少し大きめの木造二階建ての家の上階。
短めの廊下手前の部屋に、気持ち良さそうに眠っている少年が一人。
少年は、目を閉じていても分かるくらいの眩しい日差しと、鳥の囀りによって目を覚ました。
「ふぁあぁ~、良く寝た」
大きな欠伸と共に完全に意思が覚醒する。
横になったままの体制で『今日は何をしようか、昨日は確か……畑の手伝いをしたなぁ』などと考えを巡らせつつ、窓の外を眺めて日の明るさに目を鳴らしていく。
天候は雲一つ無い晴れ、気温も窓から入る風が気持ち良いくらいで、絶好の運動日和と言ったと感じだ。
ベッドから上半身を起こして外を眺めてみる。
「……今なら時期的にもちょうど良いし、今日は山菜採りに出かけよう」
ベッドを下りて箪笥から動きやすい半袖と、短パンを取り出し、そそくさと着替える。
首には汗拭き用のタオルをかけ、鏡を見て寝癖を直す。
「そうと決まればまずは腹ごしらえだよな」
既に部屋には、一階から漂う母の作る朝食の香ばしい香りが立ち込めていた。
寝起きとは言え昨晩の疲労も少し残っていることから空腹を感じ、いてもたってもいられずに階段を駆け下りて行く。
一階に着くと、そこには台所に立つ母の姿が見えた。
「母さんおはよう!」
元気よく挨拶をすると母さんは火元から目を離さないように注意しつつ、少しだけこちらに顔を向けて微笑む。
「あらおはよう、今朝はルルーラビットのシチューとトマトと軽魔草のサラダよ」
きっと駆け足で降りてくる自分の足音を聞いて、返答を準備していたのだろう。
母さんは挨拶を済ませて直ぐに朝食のメニューを教えてくれた。
朝ごはんにしてはなんだか少し量が多い様な気がするけど、癖のないあっさりとしたルルーラビットの肉を使用したシチューに、この地域で多く採れる軽魔草をベースに作られた瑞々しいサラダ、一目見ただけでも食欲を刺激され、腹の虫は母さんに聞こえる程の大きさで鳴り響いた。
母はその音を聞いて『くすっ』と笑い、『覚めるわ、早く食べちゃいなさい』と言うと、流し台に振り返り、調理器具を洗い始めた。
「ありがとう母さん、いただきます」
素直にお礼を言って朝食に手を付け始めた。
そして今日の予定について話を持ち掛ける。
「今日は山菜を採りに行ってくるよ。 それでなんだけど、何か特別に採ってきて欲しいものとかある? 最近は気候も安定してたし、今日は山菜も豊富に採れると思うんだ」
いつも通りに今日の動きと質問を投げかけると、母は少し手を止めてこちらの方を振り向き、何やら考えている。
「うーん。特にってわけじゃないけど……あ、そうだ! キノコ類はちょっと多めに欲しいわ。 ほら、明日は山神感謝祭があるでしょ? キノコをベースにした料理を作らないといけないのだけど、今あんまり残りがないのよ」
山神感謝祭というのは少し大げさな表現かもしれないが、この辺りは魔物が少なく、その理由として、どうやら村の周囲を囲む山の環境が関係しているらしい。
なんでも、【魔素】というものがあまり沸かないようになっている周辺の環境が影響しているらしく、山菜がよく育つのも、少量の魔素と空気や栄養のバランスが最適だからだそうだ。
結局、『山神』と崇めてはいるが、実際には山に神がいてそれを崇めている、というより、単純に現状の整った環境がある説明のできない状況に理由付けをしたいだけなのだ。
「(なんて、口に出したら絶対に怒られるから言わないけど)」
少年は残りのご飯を平らげると、食器を流し台に運び、玄関横の壁にかかっている山菜採り用の籠を背負った。
「ご馳走様でした! じゃあ母さん、いってきまーす!」
駆け足で家を出て行く後ろから、『気を付けていくのよー』という母の声が聞こえる。
いつもながら母さんは心配性だなと思いつつも、少しだけむず痒い気分を隠すように玄関に背を向けるのだった。
■ビスタ村 村内■
晴天の空の下を軽い足取りで走りながら、時折すれ違う村の人達に挨拶を交わしつつ、村の出入り口へと向かう。
「あらシアさんのところの、こんにちはー」
ユーリおばさんだ。
彼女は魔法が使えて、村では一番の有識者って言われてる。
因に先程『シアさん』というのは俺の母さんのことだ。
「今日も元気じゃのぉ」
隣にいるお爺さんは商人のマクルさん。
「あ、お二人ともこんにちはー!」
無論、ちゃんと全員に挨拶を返しつつ、寄り道はせずに道を踏みしめる。
もう視界に門が見えてるというところで見知った顔に呼び止められた。
「おい坊主!」
出入り口近くまで来た所で、いつも声をかけてくれる赤い髪のおじさんに呼び止められた。
「籠背負ってるってことは……今日は山菜か? 気ぃつけて山に入れよ、普段は魔物こそいないが、人も来ないから足場もあんまりよくねぇ、日が暮れそうになったら、引き返してくるんだぞ」
この人はこの村から北西の方に山を越えた場所に位置する、ユークラシス王国の元聖騎士団・団長、アイン・マクレインさんだ。
目立つ赤い髪が特徴で、騎士団上がりの鍛え上げられた筋肉と体力で、普段は用心棒含め、農作業をしている。
「(村を出るときはいつも同じようなことを言うんだよなぁこの人。 多分、油断をしちゃいけないってことなんだろうけど)」
少年は見せつけるように力こぶを作り、アインの方へと向けた。
「大丈夫だよアインさん。 俺もう子供じゃないんだし、仮に魔物が出ても、隙を作って逃げてくるからさ! その時はアインさんが倒してくれよ!」
そういって再び走り出した少年。
走って行く後ろの方から『まったく……魔物に遭遇したら逃げてくるんだぞー』という声が薄っすら聞こえた。
行動がなんだか母さんと同じ面影を感じ、抑えきれない笑顔を隠さぬまま、背を向けて村の門を潜る。
駆け抜け様にふと、『魔物に出会って逃げて帰ったら村に連れて来てしまうのでは?』と思ったが、よく考えてみれば気にする必要はなかった。
何せこの村は、全くと言って良い程、人も、魔物も来ないのだから。
「まぁ仮に魔物が来ても、村には魔法を使える人もいるし、聖騎士団として働いていたアインさんもいるんだ」
村の皆には言っていないが、何を隠そう、俺も少しだけ攻撃魔法と回復魔法が使えるのだ!
太刀打ちこそ出来なくても、自分が逃げるだけの隙を作ることなんて造作もない。
「(この先、俺も強くなって王国に行ったり、冒険者にでもなったりするのだろうか)」
そんなことを考えつつも、俺は駆け足のペースを落とすことなく山へ向かうのだった。
■ビスタ村 北西方面 ユークラシス山道入口付近■
丁度少年が山に向かった頃、村から王都へ向かう森の入り口付近の茂みから覗く七、八名の集団。
その集団の内、先頭に立つ二人。
片方は、口にバンダナを巻いたいかにも荒くれ者、といった風貌で、一方、もう片方の長身の男は、この集団にいるには浮いてしまうタキシードを着た紳士的な風貌だ。
荒くれ者風な男が口を開いく。
「おいおい、本当にこんな所に村があるなんてな。 うれしい誤算ってやつだわ。 若い女でもいればまとまった金になりそうなんだが、いなそうだな。 リーダー、どうするよ、一応奴隷として売ればそれなりに金にはなると思うぜ、金目の物は……諦めた方がよさそうだけどよ」
男の発言に対して、リーダーと呼ばれた訝しげな表情をした男が答える。
「こんな距離から村内部の様子が良く確認できますね……見たところ、この近辺は魔素濃度が非常に低いようです。 恐らく彼らも平和ボケしているのだろう。 ザック、手下どもを呼んで来い。 回収する」
リーダーの男が、ザックという男に命令を下すと、『へい』という返事を最後に一瞬で姿を消すと、次の瞬間、リーダーの男の背後に一瞬で物音も無く十数名の男達が現れる。
どうやらザックという男が仲間を引き連れて戻ってきたようだ。
これにより、後継人数は十五人に増えていた。
ザックが使った魔法【瞬間移動】は、対象をイメージした場所に、文字通り瞬間移動する魔法。
魔力次第で複数人同時に瞬間移動することもできるが、元々魔力をかなり食う魔法でもあり、移動距離はさ程長くない。
リーダーと呼ばれた男は白ベースの気味の悪い笑顔の仮面を付けると、男たちの方に向き直った。
「さてお前たち、狩りの時間だ。 結界班の四名は村を中心に四方に分かれて防音結界を張れ。 掃除は私達が行う。 ザック、貴様は周りを見張れ。 問題はないと思うが、念の為だ」
全員に指示が出されると、各々が一斉に動き出した。
リーダーの仮面男は、全員が所定の配置についたことを双眼鏡で確認し、フードを深く被って瞬間移動を行使した。
無論、その移動先はビスタ村の出入り口付近である。
だが、村に着いて即作業に取り掛かるなどそう簡単にそうは問屋が卸さない。
開口一番に仮面男を待ち受けていたのは、元聖騎士団所属、アイン・マクレインだった。
「あんた誰だ、その肩の紋章、ユークラシスの紋章だよな、こんなとこに来て何か用事か? その仮面はなんだ?」
話し方は気さくだが、その表情から感じるのは明らかな疑いの感情だ。
まぁ確かに、魔物や動物すら真面に生息していないというのに、いきなり外部の人間が来たとなれば、疑うのも当然か。
であればやることは一つしかない。
「俺だアイン。 久しいな、出身地までは聞いていなかったが、ここに住んでいたのか」
男はフードと仮面を取りつつ、聞こえない程度の単語を ボソッと何かを呟くと、ほんの一瞬、紫色の閃光のようなものがアインに向かって放たれた。
閃光を浴びたアインは、眼球に焼き付いた光に戸惑いの表情を見せたが、ほんの数秒で警戒心が消えたことが見て取れる。
「なんだよ、エルナドじゃねーか! 久しぶりだな、今日はどうし……」
恐らく『今日はどうしたんだ?』と言いかけたアインの言葉は、最後まで続くことはなかった。
口を止めたアインの胸部には、小型の赤い刀身をしたナイフが深く、根元まで刺さっている。
現在引退しているとはいえ、聖騎士団の、それも団長として鍛え上げられた大の男の体の胸部のやや中心に、ピンポイントで刺さっていたのだ。
「エルナド? 誰だそれは、私と貴殿が出会ったのは今が初めてだ。 あぁそれから、『今日はどうしたのか』だったかな。」
仮面の男は不敵な笑みを浮かべ、言い放った。
「教えてやろう、皆殺しに来た」
アインは声を上げることも、浮かんできた言葉を吐きだ出すことも出来ず、その場で膝から崩れ落ちた。
消えそうになる意識の中、必死に思考を繰り返したアインだが、その思考に対する答えが出ることはなかった。
「元聖騎士団だという情報があったから念入りに毒を塗ったり、周囲の警戒も行っていたが、所詮は“元“ということですか」
先程とは打って変わった丁寧口調になる仮面の男は、手に持っていた仮面を再び装備し、村へ侵入した。
仮面男は村にいた生きとし生けるものを片っ端から、付近の建物ごと切り殺していく。
使っていたのはアインに突き刺した物と同じ、赤い刀身のナイフ。
刃渡りの短い小さなナイフで粉砕されている建物から、相当な切れ味に続け、何かしらの魔法が付与されていることが見て取れる。
村人たちは悲鳴の一つも上げることもなければ、切られたことにすら気付くこともなく、物の数分で全員がその命が等しく一刀両断された。
しかし、ここで、彼は村の奥に一軒だけ家が残っていたことに気付いた。
「ふむ、認識阻害……あいや、これは認識鈍化の術式か」
一番奥の家、それはまさしく、少年と、その母親がクラス家だった。
男は仮面の下に隠すニヤついた顔をこらえつつ、瞬時に玄関まで瞬間移動をし、その戸を開けた。
「あら? もう帰ったの?」
正面のリビングの先にある台所で作業をしている女性に、声をかけられる。
残念なことだ。
彼女は警戒も、していないのだろう。
「……ん?」
しばらく返事がなかったことに疑問を抱いたのか、彼女はこちらに顔を向ける。
しかしその視線の先には誰もいない。
「……えっ」
それは一秒にも満たない一瞬の出来事。
視線に入る前に姿勢を下げ、彼女の腹部の目の前に蹴り進んでいた仮面の男はナイフを水平に維持し、目の前の女性を真っ二つに両断していた。
あまりの速さに、肉体の崩れ落ちる『グシャッ』という音は、仮面男がリビングを通り過ぎてようやく、部屋に鳴り響くのだった。
それから数刻、村の中央の広場に仮面男と、ザック、結界班含め、全員が集まっていた。
下っ端達はそれぞれが大きな布袋を持っており、その中には盗んだものが入っているのが見て取れる。
「いやぁ、やっぱすごいですねぇリーダー、村の奴らなんかあっという間に。 ……でも皆殺られちゃ、奴隷にでもできませんぜ? よかったんですかい?」
ザックが、少々残念そうに仮面男に話しかける。
至極当然だろう。
何せ彼らはここいらでは有名な盗賊団。
金につながるものをやすやすと逃すことはしない。
例え若い人間がいなくても、これだけの人数を奴隷商に引き渡せば、多少なりとも金にはなる。
「構わないさ。 そんなことよりお前たち、もう少し中央に集まって暫くじっとしていろ。 匂いや血といった痕跡を消す必要があるからな」
ザックたちはその言葉に疑問符を浮かべつつも言われた通り、中央に密集し、次の指示を待つ。
「(不思議なものですね。 人間、自分達より格上の者が自分達に利益を齎すと、勝手に身方だと思い込み、従いさえしていれば無害であると勘違いを起こしてしまう)」
仮面男は無言で少し集団から離れ、仮面を再び外して、冷たい眼差しで一言述べた。
「ふむ、ご苦労だったな、お前らはもう用済みだ。 私は君たちの知り合いでも、仲間でも、ましてや同族でもない……さよならです」
突拍子もない言葉に、全員が理解できず固まってしまう。
しかし、言葉の意味を理解した頃には時既に遅く、彼らが瞬きをするその刹那の時間に、少しの反応もする間もなく、小型ナイフで一刀両断されていた。
直ぐに漂い始める血の匂いは、この平和の象徴のようだった村には似ても似つかない凄惨な悲劇の象徴となる。
「やれやれ、これで探し物が出来ますね」
とは言え、この布袋から漏れ出る気配、どうやらわざわざこの村全体を探し回る必要はないようですね。
「しかし、いつ見ても良い光景です。 切られたことに気付かぬまま、死に近づいていくときのこの『えっ?』っていう表情! 本当にたまりま……」
いけないいけない、私としたことが、あまりにことがうまく運びすぎて思わず素を出してしまった。
「探し物は既にこの手にあるのですから、次の作業に入りましょう」
男はナイフに着いた血を振り払うと、再び仮面とフードを被り、全員の荷物を空間型収納魔法で回収した。
足元に手をかざすと、瞬間移動を発動し、不敵な笑い声と共にその場から姿を消した。
誰もいなくなった村に残るのは、漁り尽くされた家屋と、等しく両断された大量の死体のみとなった。
■ビスタ村裏 グラマリア山■
グラマリア山。
ユークラシス王国が所有する土地の北東に位置するその山脈は、標高約千五百メートル程度の、山脈にしては小ぶりで、丁度ビスタ村を囲う様に存在する。
この山の中心地、つまりは、ビスタ村の位置から、横に半分で割り、北側が帝国の領土、南側が王国の領土となっており、冒険者や旅商人たちは王国から帝国までの間を、遠目に薄っすらと東方に見えるグラマリア山を目印に移動するのだ。
そして少年は、アイン・マクレインと別れてから数刻、村の裏手側、方角で言えば山脈の東側の山中にやってきていた。
無事に裏山に着いた少年は、予定通り、山菜採りに勤しんでおり、背負っている籠には既に色々な山菜が入っていて、既にかなりの重量になってきている。
「ふぅ、大分上って来たなぁ」
鬱蒼と茂る木々の隙間からは、強めの日差しが入り、照らされた山中はそれはもう神秘的な光景で、何度もここに来ている彼ですら、山に入る度に高揚感が高まった。
そのせいか、もう山の中腹まで登っているというのに、その足取りは軽く、根が張って危ないのに偶にステップを踏んでしまう始末である。
「少し重いな、でもまだ籠には余裕がありそうだ」
満杯には少し遠いが、籠の中の食材を見て、少年はふと、母に頼まれていたことを思い出した。
キノコ類を採ってきて欲しいという頼みだった。
「確かキノコ類を採ってきて欲しいって言ってたっけ? この辺で採れるキノコは、こういう木の陰とか、辺りが湿った場所に生えてたりするんだよね」
朽ちた木の切り株や、倒れた木の幹を重点的に散策していく。
注意して見てみると、この辺りは前回来たときなんかよりもかなり色々な種類のキノコが生えていた。
「特にこのキノコが欲しいって言われたりはしてないから、毒が無ければ取り敢えずは適当で良いよね」
そして草でも刈るかのように軽やかに採っては籠に投げ、採っては籠に投げ、と繰り返していく。
傍から見れば、かなり適当に採っているように見えるだろうが、そこは今まで農民として生きてきたさまざまな知恵が収穫速度を上げていた。
無論、毒キノコの判別はもちろん、この辺りに生えるキノコの種類は粗方把握済みだ。
「ふぅ、これだけ取れば大丈夫だろう……この草は、なんだ? ちょっと覚えてないな、前に母さんの持ってる図鑑で見たことがあったのは分かるんだけど」
取りあえず軍手で葉の部分に触れてみる。
特に異常が感じられないので、念の為香りを嗅いでみるが、こちらにも特に違和感は無し。
「まぁあの図鑑に載っていたってことは危ない物じゃないからな。 なんだか大量に生えてるし。 少し持って帰るか」
これだけ採ってもまだ籠の八割くらい、もう少し置くまで取りに行けば、帰り時間と合わせて丁度良いくらいだな。
「それじゃ、もちっとだけ進んでみますか」
そこから約三時間程、先に進んで籠が満杯になるまで散策した結果、キノコだけでなく、薬草や枯渇した魔力をある程度補給できる軽魔草、香辛料の元になるレンゲ草などもあった。
いつもはもっと少ないのだけど、どうやら今回は当たりらしい。
かなりの収穫だ。
「大分時間が経ったな」
上方を見上げると、葉の隙間から見える空は、夕方を通り越して、少し暗くなり始めている。
「日も陰ってきたし、そろそろ帰った方が良いだろう。 あまり遅くなると心配を掛けてしまうしな」
籠を背負うと、想像以上にずっしりと重い。
下手に走って帰っては、転んでしまいそうだ。
「(まだ完全に日が落ちるまでには時間があるし、ゆっくり歩いて返ろう)」
皆喜んでくれるかな……『採りすぎだー!』なんて言われたりして、なんだか皆の反応を想像したら早く帰りたくなってきたな……少しだけ急ごう。
「(転ばないように足元に注意して、少しだけ速足で帰ろう)」
少年は意気込むと、背負っている籠から山菜が落ちないように気を付けつつ、速足で帰路についた。
沈む夕日に当てられてきらめく彼の瞳は純粋そのもので、希望と高揚感にあふれた様子である。
しかし、この時少年は知るはずもなかった。
二度と母親の料理を食べることはできず、それどころか、村人達の顔を見ることすらも叶わないという事実を。
■ビスタ村裏 グラマリア山麓■
山菜採りに出かけていた少年は、溢れんばかりの山菜が入った籠を背負い、時折山菜が落ちていないかを気にしながら、駆け足で村に向かっていた。
流石に慣れている道なので、走っていても躓いたりこけたりすることもなく、あっという間に山を下り切っていた。
平原に出てからも見えるのは村の反対側で、近くまで来ても入り口は一か所にしかないので、正面側まで回る必要がある。
かといって村を囲っている柵は、子供が昇れるような低い策ではなく、大人でも上るのが難しい高さで、結局、わざわざ入口の方まで回り込まなければいけないのだ。
アイン曰く、この面倒なつくりも魔物よけの為に必要な構造ということだが、そもそも魔物が全く来ないのに魔物よけなんて必要なのだろうか。
「まぁ『念には念を』ってことなんだろうなぁ、きっと」
そしてやっとの思いで村に着いて直ぐに少年は、入り口から敷地内に入ると、村の雰囲気に少しの違和感を覚えた。
いつになく静かで、少し異様な匂いが漂ってくるのだ。
例えるならば動物の腐敗匂といったところで、若干生臭いような匂いが村の入り口に立つ少年の鼻に突く。
あまりの異様な感覚に、少年は村の出入り口付近で足を止めて、一度籠を降ろした。
「なんだろう、この感覚、それに風に吹かれて漂ってくる鉄のような匂い…いやな予感がする」
割と建造物や木が高いので、村に入っても見通しがあまりよくないから、入り口付近にいても中の状態を知るのは不可能。
それでも明らかに“何か”があったことを彼は直感で悟っていた。
念の為、ポケットに入れていた山菜を取るときに使う鋏を右手に構えてゆっくりと家の方に向かって歩みを進める。
「とりあえずアインさんに会ってみよう。まだ夕日が出ているから、畑にいるはずだ」
入口周辺の大きな畑、ここはアインさんの野菜畑だ。
真っ先に畑を半周見渡すと、その中央あたりに横たわる影が少年の目に映った。
「逆光でよく見えないな…動物か何かか?」
息を殺して静かにその影に向かって歩み寄る少年。
横たわっている“それ”にあと数歩、というところで、流石にその影の正体が見えてきた。
「アイン、さん……?」
少年は理解ができなかった。
いや、正確には認めたくなかった、というのが正しいのだろう。
自分に剣術を教え、魔物と遭遇した時の対処法や、対人戦闘での立ち回りなどを教えてくれた、師匠でもあった、言わば少年にとって最強の存在が、まったく微動だにせず、血を流して横たわっているのだ。
眉間にはしわが寄っていて、目は見開いたままの表情で死んでいた。
一瞬少年はパニックに陥りそうになったが、ぐっと堪えた。
それどころか、いつになく冷静に、慌てず、頭を切り替えると、昔から耳にタコができるくらい聞かされていた、アインの言葉が頭をよぎったのだ。
アインが、『自分の身を自分でも盛る為に。』と、戦闘訓練の指導をしてくれていた時のこと。
俺は俺なりに知恵を絞って戦っていたが、騎士団以前に、大人と子供。
アインに指一本触れることも出来ず、完膚なきまでに叩きのめされていた。
『いいか、お前はもっと身体だけじゃなくて精神を鍛えろ。剣術や格闘技で俺に勝てないことなんてのはお前も理解しているだろう? だからある程度負けると、お前はすぐに諦めてしまう。 いつか大人になった時、お前が一人で生きていくには知識よりも何よりも、その弱っちい精神力をまずどうにかしなきゃいかん。例えばお前は、村の誰かが死んだとき、狼狽えて何もしないのか? それではダメなんだ。 今話したことの意味をよく考えて理解しておけ。』
きっと、アインさんのような大人からすれば、当たり前に考えている事だったんだろう。
そうだ、アインさんの言っていた通り、今は狼狽えている場合じゃない。
少年は一度ゆっくりと深呼吸をし、アインさんの顔に手を翳し、瞼を閉じる。
「まずはアインさんの状態を確認しよう」
アインさんの胸部には刺し傷があり、それ以外に外傷はない。
つまり、表情こそ敵意があったものの、抵抗自体はしていない、もしくはできない状況だったと考えて良い。
正直、アインさん程の人が抵抗できない状況というのは理解したくないところだが、もし村にまだその殺人犯がいたら、恐らく自分一人でどうにかなる相手ではないだろう。
そこまで考えたところで、少年はその思考の中で最悪のケースを想像し、思わず目を見開いた。
「村の入り口からでもわかるほどの悪臭。村で一番強いアインさんを、たった一突きで沈めるほどの手練れ。そんな奴がこの村に、どれくらいの時間いたのだろう。村の人は、母さんは、恐らくもう……」
流石にもうじっとしていられなかった。
考えることを放棄して全速力で自分の家へと向かう少年。
走っている最中、笑顔で挨拶をしてくれるおばさん、薬の知識が豊かなマレェ姉さん、少しこわもてなおじさん。
村中の人たちが、血を流して倒れているのを横目に、ただ家に向かって走ることしかできず、家に着くころには、ほぼ全員の村人の亡骸を見てしまった。
気付けば少年は、最早走ることさえ辞めて、家の前で立ちすくんでいた。
少年の目にはもう、一切の希望も残っていない。
目の前には、毎日、『行ってきます』『ただいま』と声をかけていた建物が見える。
お母さんと過ごし、自分が生活していた建物だ。
少年は扉を開けた瞬間、その場で膝をついて崩れ落ちた。
「なんで……————」
絶望の中、口を開いて出た言葉はたったそれだけ。
『なんで』、『どうして』、その言葉だけが頭の中でぐるぐる回っている。
自分の中に沸きあがった感情が怒りなのか、悲しみなのかは良く分からない。
変わり果てた上半身だけの女性を抱きかかえ、声にならない悲鳴を上げた。
……母は、見るも無残な状態で、その息を引き取ってた。
村の入り口でたたずむ影が一人、怪訝そうな表情を浮かべて呟く。
「これは……酷いな」
しばらく外から村の中の様子を伺いつつ、外側に見張り残党がいないかを確認。
やがて一周村の外側を回ると、入り口に戻ってきたタイミングで一人の少年が、背中に大きな籠を背負って村に入っていくのが目に映った。
「生き残りか? あの背中のかご、山菜採りにでも行っていたのか。運が良いとも悪いとも言えないな」
ただあの少年、気配が少しおかしいな。
……もしあの少年が怒りや悲しみに押しつぶされなければ、弟子にとって置きたいところだが、恐らくは無理だろうな。
見たところ箱入りって程ではなくとも、この地域よりも“外”については全く知らなさそうだ。
それに、村の外周を回って観察しただけでも、生存者は恐らくいない。
その現状を実際に目で見て、良くて精神崩壊、悪くてショック死あたりだろう。
せめてあの少年の精神レベルが人並みなら、そんなことにはならないだろうが。
「やはり国王に状況だけ報告して帰るか」
そうつぶやいたが、足はなぜか帰路ではなく村の中へと向かっていく。
自分でも驚いているが、不思議と遠くから見た少年横顔に、遠目から見ただけなのに、どこか懐かしい感じがしたのだ。
気づかれないように気配を消し、念の為に魔法無効化を全身に纏う様に展開する。
少年の後を追って村に入るが、予想通り、村は掃除された後のようで、後を追っていく途中、敵の仲間であろう数十人の盗賊も、両断された状態で村の中央で死んでいた。
恐らくは何者かに与した結果、盗賊はここの掃除に手を貸すことになり、用済みになったから殺されたということか。
しかし、殺しやすいように中央に集めたのは良いが身長も体格もバラバラなのになぜ全員同じように胴体を切断されて死んでいたのだろうか、固有魔法の可能性もあるが、そんな意味のない魔法を作る為にわざわざ面倒を踏むとは思えない。
「少なくとも今回の件は単純なものではないようだな。何か裏で大きなものが動いているのかもしれない」
そして最初に村の外周を回った時、一つ気づいたことがある。
結界魔法の残滓を感知したのだ。
結界魔法は習得する難易度は村内高くない、が、たかだが盗賊レベルが使える程度の魔法でもない。
っということを踏まえると。
「どうやら今回の依頼、私一人の手では到底解決できる内容ではないようだな」
推察を行っていると不意に叫び声が聞こえた。
恐らく少年の叫び声だろうが、恐らく、身内か誰かの亡骸を見てしまったのだろう。
彼女は少し速足で叫び声の方向に向かった。
血生臭い異臭を放つ家の一回の中央に、女性と思われる亡骸を抱きしめて泣いている少年。
私は少年の後ろに立って、何も出来ずに立ち尽くした。
立ち尽くすと言うよりは唖然だった。
抱き抱えられた女性は、胸部をそぎ落とされ、顔面は真黒く焦げていて下半身が見当たらない。
今まで見た村人の遺体は心臓を一突きで殺されていたのに、この女性だけは明らかに異常と呼べる酷い有様だった。
「少年。その人は――――」
知り合いか、と聞く前に、少年は聞こえるか聞こえないか分からないくらいの枯れた声で一言。
「母です」
とだけ話した。
ゆっくりこちらを振り向き、涙を流しながら、虚ろな表情で答える少年。
予想通りではあったが、この状況で発狂も気絶もせずにいる少年も彼女にとっては異常に見えた。
中途半端に我慢をし、今にも壊れてしまいそうな表情をしている。
「…あなたは…誰ですか?」
この状況で頑張って絞り出した言葉なのだろう。
私が誰なのかを聞きたいわけではなく、無言で、目の前のことに直面している状況が今の彼にとっては辛いのだ。
「私は“勇者”だ。とはいっても今の世の中で勇者が活躍できる場も少ない。今は国直属の特別調査隊という役職になっている。すまないが一度目を瞑ってくれ」
彼女はそう言うと少年に手を翳し、第一階級魔法のスリープで少年を眠らせた。
正直に言えば、この少年から情報を聞き出したい気持ちはあったが、このままでは少年の心が完全に壊れてしまう。
問題点は山済みだ。
それにしても。
「やはりこの少年。魔力の流れがおかしい。 …少なくとも、人間のものではない。これではまるで魔物の……」
まるで魔物の魔力じゃないか、と言いかけて、ふと思い出した。
以前、王城の特別閲覧室を使用したときのことだ。
当時の私は、勇者として見分を広げると共に、追々ステラの仕事を手伝う為、生物学や医学について調べ廻っていた。
流れで魔族学についての文献を読んでいた時に見つけた内容の一部分。
『魔族と人間の間に子供ができた場合、生まれながらにして強い魔力を得るが、大概の場合は人間の皮膚が高い魔力についていけず、崩壊現象を起こしてしまう。しかし、ある条件を満たすと、稀に強靭な肉体、精神力、頭脳、魔力を持った子供が生まれる。その条件とは、【unknown】』
条件について気になったが、これ以上先は私の権限で読むことは出来なかった。
しかし、閲覧室を出たタイミングで、ユークラシス国王の第二秘書から忠告を受けたのだ。
『あまり、好奇心を強く持つのはおよしなさい』
すれ違いざまのあの忠告は、物言えぬ殺気さえ感じた。
王城の特別閲覧室の閲覧権限は基本的に下から、『一般市民、下人、中人、上人、天人』となっている。
第二秘書ということは、下人、良くて中人だ。
仮に中人だったとしても、上人である私よりも見れる情報は少ない、その上でのあの忠告。
いったいなぜ、第二秘書程度の人間が私に忠告してきたのか。
……もしこの少年がその、ハーフの子だというならば、到底信じたくはないが、あの第二秘書が何か良くないことを企んでいることもあり得る。
忠告が出来るということは即ち、私よりもハーフについて理解しているということだ。
私が見れないということは、この情報を知るものは、各国の第一権利者か、魔王、神、それと、その答えを自分で考察、実験し、その先に行きついた研究者。
どの道、この少年が予想通り、魔族と人間のハーフだったとして、私がこの少年の存在を国王に報告すれば、きっと少年に明るい未来はないだろう。
「ならば、せめて自分を守れる位には、私が育てるしかないな」
覚悟を決めよう、この少年は私が全身全霊をもって育てよう。
彼女は密かに責任を感じていた。
勇者という肩書を持ちながら、村の異変に気付かず、気付いた時にはもうすべてが終わっていた事を。
救える命がもっとあったかもしれないという事実を。
彼女は自分自身に感じた強い劣等感、罪悪感そして後悔の念と共に、少年を背負い、王都ユークラシスへの帰路につくのだった。