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おかえり

 

 部屋全体を包むほどの光が徐々に収まりを見せていく。

 晴れた部屋にいるのは三匹の虫と四つの人影。ひとりの少女は自我を失い暴れていたツェルトと化したアンの頭に手をやっていた。


「アンちゃん……」


 インは安心させるかのような手つきでアンをひと撫でする。

 地底湖やら水晶やらが見る影もなくなるほどの被害。その元凶であるアンはまだツェルトのまま。

 しかし再度暴れそうな様子などない。インの目から見て安らいだ顔つきで地に伏している。


「すごかったね~。『異常の拒絶』」


「これが『異常の拒絶』? アンタの異常は治らなかったようね」


 インが使ったのは『女神の吐息』なのだが、ピジョンの目にはそう映らなかったようだ。

 いつものピジョンの軽口にシェーナがツッコミを入れた。

 

 戦闘の音は鳴りを潜めているのだろうか。はっと顔を上げたインが周りを見渡してみる。

 階段を埋め尽くすほどのグンタイアリは一匹としていなかった。一匹として攻めてくる気配もない。

 どこかへ消えたのだろうか。


「もしかして!」


 急かされるままインはアンの頭上を見上げた。本来ならHPが浮かんでいるはずだと。間に合わなかったのではないかと。

 HPバーは消えていた。

 離れてみても近づいてみても無い物は無い。アンは触角ひとつ動かさずに俯いていた。


「ごめん……。ごめんなさい」


 泣いてももう戻っては来ない。そんなのはインにも分かっていた。ロボとは違う。電池を変えたとしても帰ってなど来ない。

 インの内側にあったのは後悔だった。救うことができず、それどころか傷つけてしまった後悔。アンの心を分かってあげられなかった後悔。

 懺悔するかのようにインはアンへとしがみ付く。


「……ねぇ?」


「アンちゃん。アンちゃん!」


「……ていっ」


 泣きじゃくるインの隣。フィートが杖を振り下ろした。痛みを訴える頭を押さえつつインは抗議の目を向ける。


「うんうん、茶番だったもんね~。涙落としってしらけるもんね~。興味持てないもんね~」


「……アンタね。けどこれには同感。さっきから感情的になりすぎウザい」


 呆れるような目を向けるシェーナ。ピジョンは終わった~と力尽きるように床に寝転がった。


「感情的になんて――」


 インはアンに触れたまま反論しようとして口を噤む。

 言われてみればおかしな事である。やられたのであればアンは今すぐこの場から消えているはずなのに。手から伝わってくるこの感触は確かな物。

 もしかしてアンは死んでいない。それどころか正気を取り戻したのでは。

 赤く腫れた目のままインは藁にもすがる思いでステータスを開く。


(……あった)


 アンのステータスが表示されていた。

 点滅がない。ミミやウデと同じく元通りのステータス表記。肝心のHPは1で停止している。

 絶望の中に糸が垂らされた。それは蜘蛛のように細く頑丈で、それでいて星のように広がった。


「アンちゃん!」


 インの呼び声にアンの体から何かが弾けた。呪いか何かだろうか。紫色の瘴気のような物は塵じりとなって消えていく。けれどインにとってそれはどうでもよかった。

 アンの天井ほどあった体が縮んでいく。体は赤白から白へと。縮んで縮んで、最終的にアンは変化前の王女アリへと戻っていく。少し触角が動いたのを見て、インは喜びに全身を満たされるのを感じていた。

 ウデがいつの間にか輝石から姿を現した。ミミもいつの間にか小さくなっていた。いつものアンが戻ってきたのを嬉しがるように。

 そしてインは三匹を抱きしめた。




 その様子にピジョンはやつれた顔のまま首を持ち上げる。


「あ~やっぱそのままとはならなかったかにゃ~」


「あんなのがプレイヤー側にいるとかPVPの時どうすんの」


「そこはほりゃ~……。……道具無制限とか」


「まっ、あんなのが仲間になってたまるかって奴」


 今回のツェルトがPVPで出て来られれば、それはもうプレイヤー同士で戦っている暇なんてないだろう。それはごめんだと粘液から逃れていそうな水晶の上にシェーナは座った。

 槍を仕舞い、汗を袖で拭うと何かがこつんと足に当たる。

 それは何かの水晶玉だった。どこかの水晶が綺麗に割れたのだろうか。面倒くさそうにシェーナは足元の水晶玉を拾う。興味なさげにポイ捨てしようとする前にピジョンが声を上げた。


「それもしかして『安眠の水晶玉』じゃにゃいかにゃ~?」


「嘘つけ」


「アンちゃんが巨大化するとき透明になったからね~。シェーナちゃんは知らなくて当然か~」


 確かにシェーナの言う通り『安眠の水晶玉』は紫色だ。しかしアンが触れた時に穢れか何かが流れ込んだのか、真水のように浄化されていた。

 とはいえまたこれがいつ紫色になるか分からない。恐らくこの後も悪魔霊を呼び出し続け、その身を穢れに晒すのだろう。そしてその水晶玉にもし他の魔物使いの魔物が触ったらどうなるか。

 レイド級の魔物を即座に作り出すと考えれば危険な代物だよねと、ピジョンは腕を天へと突きだしながら続けた。

 心配事であるのは確かだ。しかしそれは今じゃない。神殿に入る前から既に空は暗かったのだ。


「もうすやぁする時間だから続きは明日って事にしよ~」


「同感。イン! フィート! 帰るよ!」


「あるぇシェーナちゃん。ハルトの妹ちゃん二号って呼び方はどうしたのかにゃ~?」


 ピジョンの煽りにシェーナは鋭い視線と舌打ちだけ返す。その態度に「大きくなった獲物はアンちゃんだけじゃなくなったか~」とピジョンは肩をすくめるのだった。




「めんどい仕様だにゃ~」


 町まで帰らなければログアウトできたとは言いにくい。できなくはないが、ダンジョンの奥地からスタートする破目になる。

 それなら疲れている状態でも町に戻った方が良いだろう。面倒くさそうにピジョンは肩を落とす。


「なら死んで帰る?」


「しょうがないにゃ~シェーナちゃんは。じゃあそこ動かないでね~」


「アンタがやられる役!」


「シェーナちゃんってばもしかしてたった一人で帰るつもりなのかにゃ~? それともフィートちゃんかインちゃんにやらせる~? 三匹の虫も疲れ、ウルもあんまり役に立たないこの状況下で~?」


 疲れ切った状態でも煽る事を忘れない。ここまでくるともはや執念だ。

 目だけでも不敵に笑って見せるピジョン。反論だけ疲れると悟ったのかシェーナを無視をすることに決めたようだ。


 神殿から抜け出すと真っ先に消えたのはピジョンだ。一言二言少ない言葉を言うとすぐに光へと変わっていく。


「あいつほんっと協調性というものが」


「……それだと。……誰が一番最初に帰るかの問題」


「その点だけは感謝した方がいいのかね」


 夜遅くまでトークアプリに興じていると止め時が分からなくなる。それと同じような物なのだろう。

 会話を途切れさせるやつは失礼。そんな先入観がありそうなこの場ではある意味必要な存在なのかもしれない。その点は感謝しているとシェーナとフィートも消えていく。


「起きちゃった?」


 取り残されたイン。アンが目を覚ますまではこの場にいたかった。

 アンの頭をとかすように撫でていると、ピクリと触角が動いた。

 頭を持ち上げたアンは確認するかのように左右へ首を動かす。ここがどこだか確認しているのだろうか。最後に見上げるようにインの顔を覗き込む。

 ハサミが微かに動く。触角をインの腕に押し当て確かめるように何度も動かす。

 アンはインの目をじっと見つめる。そして肩からひょっこりと顔を出したウデに目線を動かした。


「ふふっ、いいんだよ」


 何かを訴えかけるような雰囲気を醸し出すアン。どこか弁明をしているかのようでインはクスリと笑って見せた。

 色々あった。きっと申し訳なく思っているのかもしれない。それらをひっくるめて今日はもう終わり。


「おかえり、アンちゃん」


 空はすっかり深夜。そう言葉を紡ぐインは膝から倒れるように崩れていく。そして地面にぶつかる前に、無数の蛍へと姿を変えていった。




「という訳で何とかできないかにゃ?」


「まず言い分を聞かせよ」


 ピジョンの言い分に仁之介はこめかみを抑える。

 東風谷にある武士の一家。そこへピジョンは『安眠の水晶玉』を持って立ち寄っていた。


「いやね、これ結構危ない代物なんよ~。だからにゃ~、ちょいとばかし力を貸してくれないかにゃと」


「その何が危ないのかを聞いておろうが。吐かぬのなら摘まむぞ」


「アンちゃんが化け物になった。分かりやすく言えば国が亡びるほどの大災害を引き起こしそうになった」


 ピジョンの言葉に仁之介は天を仰いだ。それほどなまでに劇薬だったようだ。もう見るからに厄介事を持ち寄ってからにとでも言いたげである。


「かような物割ればよいだろう?」


「そういう訳にもいかなくってね~」


 そもそも割れることも無いだろうし~とピジョンは言葉を付け足した。

 このような事になったのは昨日へと戻る。

 アリってまぶたは無いし涙も出ない。昆虫って魚介類みたいで不思議。

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