ツェルト
赤潮だろうか。はたまた地獄の一端を切り取ったかのような光景だろうか。軍隊と化したアリは一切の統率を乱すことなく押し寄せる。
「やばいにゃ~。インちゃんの声が届いてないとなると~」
どう考えてもこの集団は友好的な物ではないと直感したのだろうか。ピジョンはにわかにナイフを構えた。こんなはずではなかったと。
冷や汗が背中を伝う感触と後悔を胸に。絶望に飲まれそうになった瞬間、
「おらぁ!」
ピジョンへ飛び掛かっていたアリ。そいつにシェーナは槍で綺麗なホームランを決めた。数回バウンドして弾き飛ばされるアリ。
しかし多すぎる仲間達がクッションになる形で受け止めてしまった。
その光景にシェーナは奥歯を噛み締め槍を向ける。遅れてフィートもやってきた。
「どうしてツェルトがこんな場所にいんの」
「アンちゃんが……ピジョンちゃんのせいで!」
「へぇー……。ホント碌なことしないよねアンタ」
膝からガクリと力なくインは崩れ落ちる。何もできない自身の両手を見つめただアンの名前を呼び続ける。
「ハルトの妹二号。アンのステータスは」
「……赤く点滅していて」
恐らく行動を受け付けない等といった意味であろう。アンのステータス画面は危険信号を表すかのように赤く点滅。
数値どころかアビリティすらも? で埋め尽くされている。
その様子はどこか、主との糸が断ち切られたようにも見えた。
「じゃあたしが先陣を切る。フィート含めてアンタらは邪魔だからとっとと逃げて」
どういうことか分からないが、フィートは頷いて杖を掲げていた。
そこから先はインもよく覚えてはいなかった。フィートが呪文を唱えると、シェーナに青い陽炎が纏われていく。
見せる笑顔は余裕綽々か、はたまた自暴からだろうか。単身で駆けていき、数秒後には天へと光の粒子が登っていった。
「シェーナさん!」
「逃げるよインちゃん」
「放して!」
パンッと乾いた音が響く。インはピジョンに掴まれた腕を振り払ったのだ。ピジョンは目を丸くする。よほど信じられなかったのだろうか。インがこのような行動をとるとは。
数回瞼を開閉し体を硬直させた。そして次の言葉で顔から感情が失われていった。
「すべての元凶の癖に!」
すべての元凶。その言葉が呪いのように、ピジョンの頭の中で幾重にも反復しているように感じさせた。ピジョンは何も言い返すことなくこぶしを握り締める。
「ミミちゃん!」
インの手に握られた輝石が光り輝くとミミが現れた。
「アンちゃん。大丈夫だからね。大丈夫だから」
インは慈愛の笑みを浮かべる。両腕を広げ一歩ずつアリの軍へ向かって行く。ウデが何回もインの頭を触肢で掴む。
しかしチームではダメージなんてものあるわけない。気づけば轟音を立てて迫っていたアリの雪崩にインは飲み込まれた。
薄れゆく景色。インが最後に見た光景は何100ものアリにハサミを突き立てられ光へと変わるミミとウデの姿であった。
インが目を開けると一面曇り空が広がっていた。その意味をゆっくりとインは記憶の糸から引っ張り出す。実に久しぶりであった。
(私……死んだんだ)
ピンチの時は幾度となく誰かに助けられてきたからだろうか。懐かしさすら感じてくる。そしてすぐにインはアンのステータスを開く。
(赤いまま……)
まだ生きているのだろうか。それとも一生離れ離れになってしまうのだろうか。一番最初にテイムしてずっと一緒にいてきた仲間。そして自分のわがままで巻き込み倒されてしまったミミとウデ。
インはそこまで考えて喉から込み上がる感情に嗚咽を漏らす。
「……アンちゃん。ごめんね……ミミちゃん……ウデちゃん」
膝から崩れ落ちるイン。そのすぐ隣。横からフィートがインに手を伸ばそうとして、シェーナに止められる。
ユークドの町。インはただアンの名前を連呼する。過呼吸に陥りながらも涙を溢すのだった。
「いつまでもくよくよしない!」
仕切り直す様にシェーナが手を叩いた。
「このままじっとしていたとしてもアンは一生帰らないよ。良いの? 行動しないと始まらないよ」
自信ありげな顔で言うシェーナであったがすぐに横槍が入る。
「……その行動をなんで……別の事に移せないの?」
途端にシェーナは目を泳がせた。何か行動をしていない事でもあったのだろうか。見上げるようにインは首を傾けた。
誤魔化す様にシェーナは咳ばらいを入れる。
「現状の確認だけど相手はツェルト……。絶妙に無理?」
神殿内を埋め尽くさんとばかりのアリの集団。100ならシェーナも何とかなっただろうが、100万とくれば不可能に近い数字である。少なくとも三人では。
「……で、伝言だって。……しばらく何とかする……って」
「あのガキマジで言ってんの?」
現実的ではない言葉に表情を崩したシェーナ。フィートは真実だとでも言いたげに頷く。
「その……ツェルトって仮説住宅の事ですよね? 女王と卵を守護するために生体が位置する事。なんでツェルトなんですか?」
「いやあたしら虫詳しくないし。むしろ……いやなんでも」
名前について突っ込まれてもそれは知らないとシェーナは呆れた顔で手を振る。しかしインの追撃は止まらない。
「それと何ですけど、もしかしてツェルトってグンタイアリと同じ習性だったりしますか?」
そう言うとインは軍隊アリの特徴について羅列していく。途中途中でシェーナとフィートは興味深そうに相槌を打つ。
とあるひとりのエルフの少女によって開かれた軍隊アリの解説。
噴水近くをうろついた者達も時折足を止めては聞き入っているようだ。
しかしその多くは所詮ゲームの話しだろうという前提があるようだ。
もしここに少しでも虫について詳しい人がいればよく知っているなと感心するほどの知識が流れては消えていった。
「……正直脳が小さいとか進軍し続けるとかそういうのはどうでもいいけど。これ何とか出来るの?」
シェーナの言葉には再び捕まえることができるのかという意味が込められていた。
いくらフェロモンを感知できるとはいえ、唯一何とかできそうだったインがここにいるのだ。においに関して絶望的であろう。
なんせ倒すのと捕まえるのとでは難易度があまりにも違いすぎる。
絶妙に倒さない様に弱らせつつ、生み出される兵を何とかして呼びかけるなんてことできるのであろうか。
さらに問題はまだある。
「昔戦ったことあるから知っていたけど、あいつら一匹一匹すら馬鹿になんないよ」
「そこですよね。ヒメサスライアリちゃんじゃなく完全にグンタイアリちゃんの方でしたし」
そうなれば一匹だって馬鹿にならないほどの強さを秘めている事だろう。
「とりあえず現状は絶対に勝てません。ですので明日にしましょう。ファイとお兄ちゃんたちを当たって――」
「それでいいの?」
立ち上がりログアウトのボタンを押そうとしたところでシェーナに止められた。
「今回はあたしらも手伝う。けどさ、ここでハルト達に助けを求めちゃったらまたいつも通りだと思うけど?」
虫たちを強くするために上級プレイヤーの手を借りる。止めは虫が付けてきたのだろうが、そこまで削ったのは誰であろうか。そうハルトやピジョン達だ。
しかしインも負けじと反論する。
「アリって社会性の昆虫なんです。一匹一匹が手を取り合ってコロニーという社会を支えている。私達も手を借りちゃいけないということは無いと思います」
「そうか、どの道明日にするつもりでしょ?」
「明日は休みですし。それにピジョンちゃんにはもっと苦しんでほしいので」
実に清々しい笑みでそう言いログアウトの光を伴ってインは消えていく。
「ハルトの妹二号も存外恨み深いね」
「……シェーナがアンの立場だったら。……私はもっと許さない」
「うんうん。あたしもだよ。むしろあんだけされてまだちゃんづけなのは優しい部類か」
後に残されたシェーナとフィートは互いに頷き合うと、神殿の方へ向かって行った。




