湿地帯
国から出て南の方角に向かい数分後、一行は目的地の湿地帯まで訪れた。
さっきまでの草の絨毯が谷のように歪む。水が染み込みぬかるんだ地面に、無精髭のように伸び切った草。
ピジョンが後ろ目でインを見やる。表情暗く、いつもの笑顔などみじんも感じさせない。違いがあるとすれば、水を補給できるのでミミを外に出している事くらいだろうか。
そんなミミも体をくねらせ、心配そうにアンと見守っている。
「ほらインちゃん。あそこにトンボいるよ~!」
ピジョンの指さす場所には、確かにストライプ模様のトンボが水面の上をはねている。
これだけでも、いつもの調子であればすぐに飛びつくはずだ。だがしかし、心ここにあらずとばかりにインは何の反応も示さない。むしろ今呼びかけられたことに気が付いたのか、はっとする。
「何、ピジョンちゃん……? ごめん、聞いてなかった」
「しょうがないにゃ~。ほら、あそこにトンボ」
「どっ、どこっ!!」
もう一度答えれば、インは狂ったようにキョロキョロ見渡す。足が汚れるのも躊躇わず、沼に足を突っ込む。そんな彼女の頭から離れるようにアンは飛び出すのだが、気づくことはない。
草木を素手でかき分け、水を素足で踏み鳴らし目を凝らす。不自然に広がる波紋が見え、足を止めてゆっくりと近づいていけば、ようやくピジョンの言っていたトンボが見つかった。
喜びようはいつも通り。しかしピジョンはにやけた笑みから真顔に切り替えると、アンとミミへ顔を向けた。
テイムはまだできないので、一通り堪能するだけに留めたイン。ピジョンの横にいるアンを頭の上に乗せ、沼地を進みだした。
道なき道、進めば進むほどまるで毒でも流されているのかと疑いたくなるほど、不自然に浮かび弾ける泡。蓮の葉は水の上で死んだようにプカプカと浮かび、木なんて腐ってしまったのだろう。根元から倒れているように見える。
「そこ、危ないよ~」
「おわっと!」
『盗賊』アビリティで索敵ができるピジョンが前衛を進む。時折振り返っては注意を飛ばし、イン達を手助けする。さっきも言われなければ、天然トラップの蔓と沼で足を取られていたことだろう。
「ここ、来たことがあるの?」
「あるよ~。来たことは」
そう言いつつ、先ほどから湿地帯特有である魔物の急所を、的確に穿つピジョン。
足が水に浸かって動きにくいハンデも何のその。これくらいの敵であれば、まだまだ余裕なのだろう。ネズミに蛇、時にはカエルなんかも、最小限体を動かし斬り捨てる。
それでいて息切れひとつせず、後衛にいるインに何の被害も出ないところを見ると、かなりの腕前といっていい。
「国がないだけで、フィールド自体はどこまでも続いているからね~。そこの藪注意」
さりげなく注意すれば、藪の中から茶色い蛇が飛び出してきた。
何らかの液体が滴る鋭利な牙。しかしアンがすぐインの頭から飛び出し、逆にハサミで掴み取り、巨大な大口を開いたミミへと放り投げた。
いたいけな少女に狙いを定めた蛇は、護衛の手によって全身真っピンクの化け物の胃袋内で生涯を閉じた。
「アンちゃん、ミミちゃん、ありがとう!」
ようやくここで、蛇に襲われていたのに気づくイン。お礼の意味も込め、アンとミミの頭を優しく撫でた。
「………………やっぱり、ここからはインちゃんが前を歩いてよ~」
「なんで!? 今のままでも――」
「いんや、考えてみたらこれインちゃんのクエストだし~。それに、私が倒してたら意味ないよね~。案内はしてあげるから、ここから先はインちゃんが前ね~。ほら、行った行った~」
ピジョンはそう言うと、本気でインの背後に回り込んで背中をグイグイ押し込んでくる。インが前衛を歩かなければ、もうずっとこの状態だろう。仕方なしにインとニ匹が先頭となり前を進む。
「そこの足場注意ね~。そこ右行って、しばらく行った先は左ね~」
ピジョンが行うのはあくまでナビ、魔物が出てくるタイミングなどは一切として教えてくれない。
とはいえ少しの魔物程度であれば、出てくると同時に見事なコンビネーションで打倒していくアンとミミ。それゆえ調子がいいのかといえば逆、全くといっていいほど芳しくない。
――先ほどから全く、インが指示を下さない。
ニ匹の戦闘の才骨頂は、インの的確な指示含めて。誰か一人か一匹でもいなくなるのは、大きすぎる痛手となってしまう。しかも今回に至って、抜けているのは一番大事なリーダー。平静を保っているように見え、アンとミミにもしっかりと心配の茎は伸びていく。
インが指示を出さないまま、ピジョンの言う案内通りに薄暗い木で囲まれた湿地を進むと、不意にアンが飛び出し警戒態勢に入る。
「どうしたのアンちゃん?」
「魔物だよ~インちゃん。ほら前前」
ピジョンが言い終わる前にアンがタンッ! っと、水しぶきを立てて飛び出し、木の茂みから顔だけちらりと見せた魔物に頭突きをかました。
茂みから落下してきたのは、前歯にひびの入った茶色の大きなネズミ。恐らく最初の一撃で付けられたものだろう。ネズミは次いで伸びてくるミミの触手から、逃げるように地面を蹴り、アンとミミから距離を取る。
もう一度アンは駆けだす。だが調子が出ないのか、動きは単調そのもの。一度目で慣れたネズミは、矢のように直線状の頭突きをバックステップで躱した。
フィールドは水浸し。奇しくもキラーベアーと同じ形で、アンは顔から地面に突っこんでしまう。当然、これを見逃すネズミではない。環境故か水かきとなった手で襲い掛かられるが、ミミが下から貫く形でアンを持ち上げ窮地を脱した。
「ほらインちゃん~。指示指示~」
「えっ、えっと。頑張れアンちゃーん! ミミちゃーん!」
インの声援を受け取ったアンとミミは強かった。各々の判断で動き、ネズミをかく乱しようと無駄に動き続け、ミミが触手でネズミを空中に跳ね上げたところにアンが飛び出し、一撃を決める。続けて同じネズミがもう一匹姿を現すが、全く同じ戦法で倒しきった。
「流石アンちゃん! ミミちゃん!」
「………………ねぇインちゃん。……いいや。でも」
声を張り上げ応援するインの両肩を掴み、ピジョンは顔を近づけ続ける。
「アンちゃんとミミちゃんの事、しっかりと見なきゃ~」
そう言うと、インを放してニ匹に振り向かせるピジョン。インが顔を向ければ、ニ匹ともお互いにとっての返事を返してくる。
「別に悩むなとは言わないけど、今はひとまず心を入れかえようよ~」
誰のせいだ! とばかりにアンが飛び出すが、彼女はさらりと身を翻して躱し、「にゃはは」とおどけるように笑った。
「そう、だよね。ごめんねアンちゃん、ミミちゃん。私、終わってから考えることにするよ。……ごめんね」
アンの目線に合うようインは屈んで謝る。服が濡れるのも厭わず、頭を下げて謝り、ゆっくりと両手を広げて後ろにいるミミを見上げる。
(許してもらえるかな。アンちゃんに、ミミちゃんに)
二度、顔が下がりそうになるインの元へ、ゆっくりとアンは六本の足を動かして近づいていく。ミミもうねうねの体を動かし、インのところまで来る。そしてそれぞれ、前足でポンポン叩き、触手で手をそっと包み込んだ。
「うん、ごめんねアンちゃん、ミミちゃん。それと、ありがとう」
お礼を言うと、やはりニ匹とも気にするなと訴えかけてきているようだ。そのすぐ近くでは、ピジョンが両腕を組み「相手が虫なのは始めて見たにゃ~」と、どこか他人事のように呟いた。
「うん! 行こっ!」
胸の前でガッツポーズをして気合いを入れなおしたイン。アンとミミが同調するように跳ね、いつもの定位置に収まり、再び歩を進めていくのだった。
気分がいいので、次一時間後投稿します。




