~~~民草譚話 佐千恵編 完~~~
『・・ちえ・・・佐智恵・・・』
誰かが呼んでいる声がする
ひどく懐かしく感じるが、彼が出征してからまだ1年程しか経っていない
1年前の寒い冬を超え、暖かな春が訪れる前に彼は行ってしまった
その事を私は誇りに思うし、彼も誇りに満ちているだろう
・・・本当にそうだろうか
彼とは親族の紹介で夫婦となった
祝言をあげるまでに会って話をしたのは3回ほど
それでも彼のやさしさは暖かく私の心を包んでいた
しかし今はその温もりを感じることができない
お国の為、国民一丸となって戦う
とても大事なことだと思う
でも、心は温もりを感じることはない
むしろ心にぽっかりと空いた穴からひどく冷たい風が吹き込んでくるよう
でもそんなこと決して口に出すことはできない
憲兵隊に聞かれでもしたら周りのみんなにも迷惑をかけてしまう
私一人耐えてればいいのよ
彼が帰ってくるまで必死に耐えて
帰ってきたらいっぱい甘えさせてもらおう
佐智恵は微睡の中ぼんやりと来るであろう未来について思いを巡らす
『・・佐智恵・・・佐智恵・・・』
大切な彼の声によく似たそれの主を確認しようと
すでに重くなっている瞼を開き、あたりを見渡す
するとそこには1年前に出征したはずの彼が目の前に"立っていた"
『佐智恵、結婚したばかりの君を置いて家を留守にしてしまい申し訳ない』
そう言いながら彼は深々と頭を下げた
彼の声は頭に直接届くような気がした
周りに居る人たちには見えていないのか、突然現れた彼に対し誰も興味を示していない
(きっとこれは夢ね・・・さっきあんなこと考えていたから)
佐智恵は彼に正対し、姿勢を正して彼の眼をしっかりと見据える
「あなたは祝言をあげてすぐに行かれてしまいましたが、それでもそれまでの時間は何物にも替え難い幸せな日々でした」
佐智恵は"夢だからこそ"と出来るだけ気丈に振舞おうとしていたが、
暖かな雰囲気を持つ彼を目の前にすると目頭が熱くなって来るのを感じた
ハラハラと涙を零しつつ彼の眼をしっかりと見つめる
それを受けた彼もしっかりと佐智恵の眼を見つめた。優しく微笑みを浮かべながら
『私も君と一緒にいられてとても幸せだった・・・これから先の未来を歩んでいくことが叶わなくなったが、短くとも幸せだった時間を胸に私は旅立とうと思う』
そう言われた直後、彼の姿が変わっていることに気付いた
しわ一つなく綺麗に整えられていた軍服は所々赤黒い染みが浮かんでおり、
体中いたるところに血の滲んだような包帯がまかれている
佐智恵はあまりの変わりように動揺し、狼狽しながら彼に尋ねる
「そ・・・その姿は・・・」
『突然だった、ある作戦のため行軍をしていた私たちは敵国の待ち伏せに遭いそのまま交戦、何人もの仲間が倒れていく中、全体の3割にも満たない人数だけが後退することができた。』
『私はその時の交戦で・・・』
「ふふ・・・ふふふ・・・これは夢、そう夢なのよ。彼が私を置いて死んでしまうなんてありえないわ」
「あんなに優しく暖かい彼だもの、きっと私のもとに還ってきて、また私を包み込んでくれるはずよ」
「あなたは彼じゃない!そんなわけない!!」
決して小さいとは言えない声量で信じられない心の声を吐露するが、
先ほどからと同様に同じ壕に居る人たちは無関心を装っているかのように誰も反応を見せない
彼は困ったように寂し気な笑みを浮かべ佐智恵を抱きしめた
『佐智恵、本当にすまない。一人にしてしまったことでこんな事になるなんて・・・』
『佐智恵、私は私の旅に君を迎えに来たんだ、私に付いて来てくれないか』
佐智恵はその言葉の意味を理解できず、ふと周りを見渡した
そこには今まで一切の関心を向けてこなかった避難した大人たち、疲れて寝入っていたはずの子供たちが
全員木の洞のようなぽっかり穴の開いた瞳のない目で佐智恵と彼を見つめていた
こちらを見ている彼を除くすべての顔には表情も生気もなく、ただ虚空を見つめているだけのようで
2人を見つめているようにも見える
佐智恵はふらふらと壕の入口へと"立って歩いた"
避難したときは夜だったが、もう夜が明けたのか入り口付近が明るい
暫くぶりの光に目を細めつつ前へと進む
広場の周りにあったはずの建物はなくすべてが瓦礫と化し、広く広大な荒れ地となっていた
後ろを振り返り防空壕の入り口をみてみると、
入口は崩れて完全にふさがれており、地下に掘られていたであろう位置の地面がぽっかりと沈下していた。
ふと気づくと隣には彼が佇んでいた
彼は寂し気な笑顔で佐智恵に言った
『佐智恵、私と一緒に旅立ってくれないか』
きっと彼との旅では幸せに過ごせるだろう
彼をこんなに傷つけた敵国に対し思うところがない訳でもない
きっと今の佐智恵であれば多少の復讐をすることはできるだろう
しかしそれをしてしまえばもう二度とこの温もりを感じることが出来なくなるだろう
佐智恵は彼の見つめしっかりと頷くことで返事を返した
暖かな光が2人を包み込み彼と佐智恵は天に昇る光の粒子となりその場から溶けるように消えていき
2人がいた後には桔梗が2輪、太陽に向かってその花弁を大きく開いていた
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「以上でこのお話は終わりとなります。
戦時中でしょうか、兵士だけでなく民間人であってもいつ何時命を落とすかわからない程の時代のようですね」
館の主人は言葉を続けた
「当時の防空壕に関しては、直撃はもちろん近くを爆撃されることで耐久力が低下し、そのまま崩落してしまう例も多数見られたようですね」
「そもそも本土を爆撃される時点で・・・」
館の主人は珍しく熱くなっているようだ
このまま適当に相槌を打っていてもいいのだが、少々疲れたので館の主に一声掛けて逃げるように館から出る
「あぁ、帰ってしまいましたか・・・私としたことがつい・・・再度来館された際にはお詫びが必要ですね」




