第68話 新しい春(その5)
さつきちゃんから電話がかかってきたのは、その終業式の夜だった。
風呂から上がって、お父さん、お母さん、僕で夜11時台の民放ニュースを見ていたときだった。電話を取ったお母さんが、僕に子機を渡した。
「日向さんから・・・・」
僕は、もしかして、春休みの間に自主トレ系マラソン部をやろうという誘いかな、と思って一瞬気分が浮き上がった。けれども、それにしては遅い時間だし、風邪がまだ良くなっていないはずだから、変だな、とは思った。それに、子機を渡したお母さんの表情も、なんだか今までに見たこともない、微妙な表情だ。いつもさつきちゃんから電話がかかってきたときの、嫌そうな顔、というのともちょっと違う。
僕は子機を受け取ると、‘こんばんは’とさつきちゃんに挨拶した。
その後、3秒ほど間があったので、‘もしもし’ともう一度声をかけようとする前に、さつきちゃんの風邪っぽい声がした。
「祖母が・・・」
‘祖母?誰だ?’と一瞬思い、ああ、さつきちゃんのおばあちゃんか、とすぐに思いつく。なんで今更‘祖母’なんて、と思ってまた少し間を置いた後、
「亡くなりました・・・・」
‘う!’と僕は声にならない声を、喉の奥で押し殺した。
「明日の夜7:00から駅北のセレモニーホールでお通夜です。葬儀は明後日の朝10:00から同じセレモニーホールで・・・」
僕は、ぼんやりとニュースの画面を見、大リーグの日本人投手がオープン戦で調子を上げているという映像を虚ろに眺めた。
「・・・祖母はかおるくんやみんなが花火大会の夜、家に遊びに来てくれたとき、とても賑やかで喜んでたから・・・よかったら、お参りしてください・・・
女子には言っておくので、申し訳ありませんが、日野くんにはかおるくんから伝えてください・・・」
僕は、慌ててペン立てのあるテーブルからボールペンとメモ用紙を取って、式場と時間を書き留めた。
それから、ようやく、さつきちゃんは、いつもの話し言葉に戻った。けれども、それは、僕が今までに聞いたことの無かったさつきちゃんの声だった。泣いていた。
「・・・わたしが、・・・・おばあちゃんに、風邪をうつしたから・・・・おばあちゃん、昨日の夜から咳き込んでて・・・今日・・・昼に呼吸がおかしくなって、・・・救急車で・・・・・肺炎、と、心不全、の、合併症で・・・・
わたしの、せいで、おばあちゃんが・・・・」
最後はほとんど聞き取れなかった。僕はさつきちゃんの嗚咽が終わるまで、何十秒も、何も言えないでいた。お母さんが心配そうに僕の電話の様子を見ている。お父さんも僕の表情をのぞき込んでいる。
さつきちゃんの嗚咽が一区切りついた時、僕は、ようやく、言葉をかけた。
「・・・・電話してくれて、ありがとう・・・お参りに行くよ・・・
今日は、ゆっくり休んで・・・・おやすみなさい・・・・」
僕が、時間をかけて、そう言うと、さつきちゃんは、‘うん、おやすみなさい’と、かすれた声で電話を切った。
僕は、馬鹿だ。‘子供’もいいところだ。
学校でさつきちゃんのマスクをした顔を見て、‘かわいい’と思っていたのだ。
そして、電話がかかってきた時、‘春休みもさつきちゃんに会える’と、浮ついたのだ。
さつきちゃんはその時、どんな気持ちでいたのか、僕は、自分自身を、‘恥さらし!’と怒鳴りつけようかと思った。ほんとに、一瞬、何だかわからないけれど、大声が出そうになった。
そのタイミングで、
「どうした?」
と、お父さんが声を掛けてくれたので、すんでのところで大声を出さずに済んだ。
僕は、電話の内容をできるだけ短く2人に話した。短くしか話せなかった。とくに、‘風邪をうつした’ということは、言わないでおこうかと思ったくらいだった。
けれども、お母さんが、さつきちゃんの様子が普通じゃなかった、何?、とかなり突っ込んで訊いてきたので、短い、単語で話した。
お母さんも、‘わたしが姑に風邪をうつしたせいで’というほぼ同じ経験をしていたので、ああ、と僕は話しながら、心の中で呻いた。そして、さつきちゃんのおばあちゃんの‘死’をそっちのけで、自己嫌悪に溺れている自分にも‘何なんだ、お前は!’と殴り飛ばしてやりたい気分がする。
僕がそんな様子で心の中がうろうろしている様子を見透かしたのか、お父さんが、
「・・・お参りさせてもらいなさい・・・」
と、静かに言った。それから、さらに続ける。
「葬儀だと近所の方たちもお参りして込み合うだろう。迷惑にならないよう、明日のお通夜にお参りさせて貰え」
お母さんはしばらく黙っていたけれど、やはり、静かに話し始めた。
「友達みんなで、何人?」
と訊いてくる。
‘4人’、とつぶやくように答えた。
「じゃあ、わたしが車を出す・・・かおる、皆に連絡して・・・電車で駅まで来る子は駅で拾う。太一くんも、行くよね?太一くんは直接家まで迎えに行くから・・・わたしも、お参りする・・・」
お父さんはお母さんに、悪いけど、頼む、と言っている。お母さんは、うん、とそれに答えている。そんな光景をぼんやり見ながら、僕は皆に電話をかけ始めた・・・・




