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月影浴1 おつきさま  作者: @naka-motoo
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第67話 新しい春(その4)

 終業式の後、それぞれ教室に戻り、最後のHRが始まるまで、5人組で雑談をして過ごしていた。

実は、昨日、一昨日と、さつきちゃんは珍しく風邪で熱を出して学校を休んでいた。終業式にはなんとか間に合ったが、マスクをしての登校だ。口に出して言うと恥ずかしいので決して言わないけれども、マスクをした顔もなかなかいい感じだ。

雑談の中から、話題は、‘文理選択’のことになった。

 5人組全員が文系コースに進むことはもう知っていた。ただし、その理由についてはお互いに秘密にしていたので、最後の日に‘告白’しようということになったのだ。

 遠藤さんには‘児童心理学をやりたい’という、非常に明確な理由があった。医学的なアプローチではなく、コミュニケーションを主体とした研究がしたいということで、文系にしたそうだ。初めて知ったのだけれども、遠藤さんは幼稚園の頃は極端な人見知りで、自閉症に近いとお医者さんから言われたこともあったそうだ。幼児期の過ごし方は、一個の人間にとって極めて重要だという遠藤さんの考えを聞き、遠藤さんとさつきちゃんが親友であることの本当の意味が分かったような気がした。

 脇坂さんは、‘歴女’だ。戦国時代のことはそうでもないらしいけれども、聖徳太子のことを小学校の社会の時間に習った時に、こんなスーパーマンがいたんだ、ということに非常に感動して歴史に興味を持ったらしい。戦国時代以前の貴族の時代に興味があるということで、純粋な歴史というよりも、その時期の文学からのアプローチをしてみたいという。

 そして、太一。太一は‘なんとなく文系、って程度だよ’と照れて本当のことをなかなか言わなかったけれども、皆でしつこく追及すると、珍しく恥ずかしそうな顔をして話してくれた。

「弁護士になりたいんだ」

 みんな、えっ、とびっくりした。勝手な印象だけれども、太一はいわゆるそういう職業とは最もかけ離れた人間のような気がしていたからだ。なぜ?と他の4人が一斉に訊いた。

「いや・・・恥ずかしいんで内緒にしてたけど、夏休みに弁護士事務所にインターンシップに行ってたんだ」

 そういえば、8月半ば頃から2週間ほど、太一の消息がぷっつりと途絶えた期間が確かにあった。

「ほんとに、たまたま、なんだ。親がしつこく、将来、どうするんだ、って訊いてきて、早い内に皆より先行しろ、みたいな嫌な言い方をされて。

 だから、とにかく表面上だけでも親を安心させようと思って、ネットで色々調べてたら、県の弁護士会が、学生に法律の仕事に興味を持ってもらおう、っていう取組をしてて。

 応募してみたら、市内の弁護士事務所のインターンシップに当たって。

 個人情報満載だし守秘義務もある仕事だから、学生のインターンシップに任せられる仕事なんて、限られてて雰囲気を味わうくらいの感覚だったけど。大体、コピー取りだって、訴訟資料だと依頼主の情報がいっぱい載ってるから、僕にコピーの仕事をさせるために助手の人が仕訳をわざわざしたりして却って手間だったみたい。

 でも、狭い事務所だったから、依頼主と弁護士の接見もドアの外まで筒抜けで。

‘あいつだけは許せん、地獄に落としてやってください!’って叫ぶ依頼主もいたし、‘先生、なんで敗訴したんでしょう?娘と暮らせないくらいなら死んでしまいたい!’って大声で泣き出す依頼主もいたし・・・娘の親権を離婚した夫と争っていたんだろうね。夫への恨みもそうだけれど、舅・姑が‘あんたの娘じゃなく、わしらの孫なんだ’って言ったのがとても悔しい、って泣き続けてた。

 お金や恨みや妬みや・・・そういった、人間の醜い部分がむき出しの仕事なんだな、って初めて知った。

 だから、法律の仕事、っていう以前に、本当は、人間の‘宿業’みたいなものを理解しないとやってはいけない仕事じゃないかな、って感じたんだ。多分、医者も人間の苦しい部分や生への‘執念’みたいなものを扱うから、‘宿業’を理解しないとやる資格がない仕事だな、って思う」

 あまりにも迫力を持って語られるので、僕たちは太一の顔を凝視して聞いていた。

「‘私は弁護士です’って胸を張る前に、人間として、法律よりももっと大事なものの道理が分からないとできない仕事だ、って捉えると、却ってやってみたい、って思ったんだ。

 もし、弁護士試験になかなか受からなかったら、税理士でも司法書士でもなんでもいい。お金だとか欲だとか人間の一番嫌な部分に関わる仕事が手っ取り早い、って思ったんだ」

「手っ取り早い、って何が?」

 思わず僕が太一にそう訊くと、太一はにこっ、と涼しげにほほ笑んで答えた。

「世の中を良くするのに、だよ」

 うーん、と、皆唸った。太一はやはり只者ではない。確かに、法律の仕事と捉えるのではなく、現代において、‘合法的に’人と人が争う場だと考えると、より深く人間というものに向き合わないと始末に負えない難仕事だ。それに、そう考えると、‘どうなっても、構わない’と涼しげな心を持つ太一にならできる、とも思う。

 次は、さつきちゃんの番だ。脇坂さんが素直に言う。

「ひなちゃん、‘食’に関することなら、理系で攻めるのかと思ってたけど・・・」

 さつきちゃんは、軽くほほ笑んでから話し始めた。

「わたし、料理する時は結構‘感覚’とか‘反復’に頼ってるから、あまり一つ一つの作業を理由づけすることは得意じゃなくって・・・・だからという訳じゃないけど、‘食文化’っていうか、お年寄りから若い人に代々受け継がれてきた料理の‘精神’みたいなものをまとめてみたいな、って考えてる。‘料理’を通じて人の心をバトンタッチしていくみたいなことを表現できないかな、って。それで・・・・

 最後は‘いい母親’になるのが目標かな・・・

 だから、どちらかというと文系寄りかな、っていう、結構いい加減な選択だよ」

 ああ、そうか、と僕は納得した。おそらくみんなも納得しただろう。さつきちゃんは、自分やおばあちゃん・お母さんの生き方そのものを誰かに伝えていきたいんだ、と分かった。

 年末の除雪の時、‘次の代にバトンタッチすることこそが、唯一最大の目標だな’という魚屋の旦那さんの言葉が心の中に蘇った。

 さあ、さつきちゃんまで回って来て、なぜか僕が最後だ。実は、僕の理由が一番曖昧だという自覚がある。いや、それどころか、皆の理由を聞きながらようやく今この場で自分自身の理由を整理していた、というのが本当のところだ。なんとなく遠藤さんから時計回りに順番が進んだので、僕が最後なだけだ。深い話を4人分聞いただけに、皆の眼がきらきらと期待に膨らんで僕を見ているような気がするのは、自意識過剰だろうか?

 僕は、心の中で深呼吸をしてから、口をゆっくりと開いた。

「僕は・・・」

 一言そう言った後、躊躇していた気持ちに整理を付けて、一気に語り下ろそうと決心した。

「僕は、死ぬまでに、一冊でいいから、小説を出版したい」

 ‘えーっ’と誰か笑うかと思ったけれども皆、真剣な顔のままだ。その様子を確認しながら、スピードをつけて話し切るべく、自分の決意表明のための道具である口を動かし続ける。

「僕は、‘本’というメディアの影響力というものを改めて感じた。影響の及ぶ広さ、という点では、ネットやテレビや音楽のように大勢の人間に同時に達する、ということは難しい。けれども、一旦、一人の読者に一冊の本を手に取って読み進めて貰えたなら、その‘一個人’に対して本が与える影響の深さ・大きさは他のメディアよりも凄まじい、と思う。もしかしたら、‘一冊の本を2人並んで一緒に読む恋人たち’なんて特殊な状況もあるかもしれないけれども、普通は本を読むときは読者と著者と一対一の真剣勝負だ。

 そして、与える影響の‘質’がもっと問題だと思う。

 ここまで‘超個人的’に深い影響を与えるメディアである以上、著者の責任は想像以上に大きい。‘ポジティブ’と‘ネガティブ’、っていう分け方はしたくはないけど、苦しみから逃れたいと本を手に取った人が、読み進めるごとに更に闇の底に沈みこむような本も実際にある。悲しみに浸ることで癒されることもあるけれど、著者の姿勢次第では癒しまでいかずに絶望することだってある。

 反対に、一冊の本がきっかけで人生が動き出す人もいる。僕にとってはそういう‘原動力’候補の本がこれまでに何冊かあった。それは、‘縁’というものの力が働かないと、出会えないんだと思う。読者が‘救われたい’と本を求めるのと同じように、本の方でも‘救いたい’と読者を求めているはずだ、と感じる。そういう‘縁’はたくさんじゃなくっていい。一生に一冊だけでも、いい。たとえ、出版部数が極端に少ない、‘売れない’本だとしても、もし‘助けて’‘助けるよ’、っていう望みが一人でも二人でも叶ったら、こんなに嬉しいことは、ないと思う」

 そこまで話したところで、じっと考えながら聞いていた太一が僕に疑問をぶつけてきた。とても挑戦的な目だ。そして、真剣な目だ。

「かおるちゃん・・・それって、‘文学部’っていう意味なの?小説を書くって文系じゃないとできないことなのかな。そもそも、‘小説を書く’ってことに専念しないとできないことなのかな」

 さすがに太一は鋭い、と思う。僕と太一がこれだけ長い年数親友でい続けたのは、なあなあの関係だったからではない。違う、と思ったことは違う、とはっきり言う。いい、と思ったことはとことん、いい、と認める。そんな関係だったからだ。自分の恥ずかしい姿を一部始終見られてきた太一だからこそ、僕はそれができる。そして、今、5人組の中でも太一はそれをしようとしている。つまり、この5人組も、‘親友’になりつつあるのだ、と感じた。

 太一は、その作業を続ける。

「かおるちゃん。僕も小説は読むけど、僕の好きな作家はみんなそれぞれ‘日々の生活’を地道に積み重ねて生きてきた人たちばかりだよ。‘猫もけ’の村松悠作さんだって、ほんわりとした暖かな作品の裏では何度も苦しい想いをしながら生きてきた生々しい人生があるんだと、行間から伝わってくる。もちろん、‘文学’、っていう区切りで小説を書く、ってこともありだと思うけど、‘切り貼り’みたいになっちゃわないかな?」

 僕は、ああ、やっぱり太一だ、と認めざるを得ない。僕は、そこまでは思い至ってなかった。僕は、今、太一の言葉を聞いて軌道修正することを素直にみんなに伝えようと思った。

「太一が言うのは、‘本の世界に逃げ込むな’ってことだよね・・・確かに、自分自身が実際に経験しないことを書くとしたら、空虚なものかもしれない・・・だから、僕は、何かの仕事をしながら書くよ。仕事のために書いて、書くために仕事をする。そうすれば、僕は仕事の中で僕以外の人たちの人生と出会い、それを書くことで、また仕事の幅も広がる・・・・そんな風になれたら、どうだろう?」

 太一はうーん、と唸りながら答えた。

「でも、それだとかおるちゃんの希望とは違うんじゃない?」

 僕は割とすっぱりと言い切ることができた。

「‘書くことを仕事にする’、っていう願いは叶わないかもしれないけど、‘小説を書く’、っていう願いは叶うよ。それで、もし、太一1人だけでも読んでくれたら、‘読者に届ける’、っていう願いも叶うよ」

太一の目が深さを増した。さっきまでの黒一色の目が途端に濃いブルーのように、海の底まで続くような深度を示す。僕は、太一その人ではなく、太一の目の海の底にある何かに届くように、話した。

「 ‘文学部’かは分からないけれど、書いて自分の人生にフィードバックして、またそれを更に増幅して書く作業に滲み出させる。そういう環境をまとまった時間取ってみたいんだ」

 ここまで言って、僕は心の中で一度、息継ぎをする。太一の瞳の奥の海の底まではもうすぐだ。

「僕は、涼しい、風のような、それでいて太陽の力強い光か、それでなければ月の優しい光か、そんなものが滲み出るような、そんな小説を書いてみたい。それが、手っ取り早い、って思うんだ」

「手っ取り早い?」

 今度は太一が僕に訊いた。僕は、ようやく太一の心の底に着地したような気がした。

「人が、生きるために」

 僕が、そう言った後、

「俺が」という低い声がした。僕はびっくりして、がたっ、と椅子を引いて後ろを振り返った。

 そこに立っていたのは、成績もよく、竹を割ったような性格で、バスケ部で一年生からレギュラー入りしている、クラスでも一目置かれた川名くんだった。

 見ると、川名くんの他にも男女5~6名が5人組の机の周りに集まって来ていた。いつから聞いていたのだろう。僕は、顔だけでなく、首筋までかあっと赤くなるのが自分でもわかった。けれども、川名くんは落ち着いた真剣な声で続けた。

「俺が理系を選んだのは、手に職のような何かを身に着けて、将来きちんと就職して生活の糧を得たいからだ。みんなの話を聞いた後ではなんだか世知辛い話かもしれないけど、俺は自分の選択には胸を張れる。

 俺はまだ16歳だけど、俺の父親は60歳だ・・・俺が大学へ行く頃は定年になるはず・・・」

 遠藤さんが、静かに語った。

「川名くんの選択もわたしの選択も、‘種’だよ。きっと、それぞれの実を結ぶよ」

 すると、今度は、別の女子生徒が話し始めた。

「わたしが理系を選んだのは・・・・」

 僕は、不思議な感じがした。この5人組はどちらかというとクラスでは目立たない人間の集まりのはずだった。なのに、いつの間にか人が集まって、その中に僕もいた。これまで、殴りや蹴りや嘲笑といったネガティブな輪の中心に封じ込まれていたことは何度もあった。

 僕は、却って戸惑いを覚える。ほんとに、これが僕なのだろうか、と。僕がこういう輪の中にいて場違いではないのだろうか、と。でも、みんながそれぞれに話している様子をみると、それは僕が考えなくても、別に構わないことだ、と気が付いた。ネガティブな輪も清々しい輪も、何かの縁だ。さあっ、と風が吹いて澱んだ空気が入れ替わるような感覚が突然、僕に訪れた。

 ただ、さつきちゃんがさっきから俯いている。まだ風邪の具合がよくないのだろうか。


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