第5話 はじまりは今(その5)
僕たちも3人の女子に会釈した。にこっという感じで笑いかけることはできなかったが、軽く頭を下げた。
僕と太一は列の最後尾に並んだ。列は大体20人弱になっていた。旭屋の店員さんが、サインを貰うための色紙や本を用意して待つよう説明した。また、今回出版の'犬ちり'をこの場でも販売するので、購入・サインを貰っていただけるとありがたいと薦めた。
「かおるちゃんは何に書いて貰う?」
太一に訊かれたが、特にサインを貰うつもりもなかったので、何も用意していない。
「ノートに書いて貰うのじゃ失礼かな?」
太一に訊くと、構わないんじゃないかとのこと。鞄から理科のノートを取り出し、右手に持ち、順番に進む。
3人の女子の内、先頭の子は、その場で‘犬ちり’を買ってサインを貰っていた。二番目の子は用意していた文庫本にサインして貰っている。日向さんも用意していた文庫本の後ろの方のページにサインして貰っていた。
3人の女子はサインが終わると、揃ってまた僕たちに会釈して、みんなでおしゃべりしながら本屋の売り場の方へ歩いて行った。
僕と太一は順番を待ちながら、3人の女子が売り場で本を手に取っている様子を見ていた。しばらくすると3人は、エスカレーターで下の階に降りて行った。
サインの順番が回ってきた。太一は‘犬ちり’を買ってサインして貰い、握手もした。村松 悠作さんはそれまでクールな印象だったが、太一が握手を求めた時は、少しはにかんだような笑顔になった。多分、自分が心を注ぎ込んで書いた本を読んでくれることが嬉しいと、太一から読者の象徴的な印象を受けたのだろう。僕は恥ずかしく、また、申し訳ないと思ったけれども理科のノートを差し出した。サインを貰うと、僕も太一に倣い、村松さんに敬意を表し、握手を求めた。村松さんは、さっきよりも少しはにかみが取れた表情で僕に握手してくれた。




