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月影浴1 おつきさま  作者: @naka-motoo
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第42話 8月へ(その8)

 その最終便の飛行機を東京方面に見送った僕らと、この河川敷に集まった、おそらく万単位の人たち、それから、まだ河川敷に向けて市電で・自転車で・歩いて移動中の人たち、それから、この市内のちょっと小高いホテルの窓から・まだ残業中の会社のビルの屋上から・自宅のベランダから・夕涼みの椅子を置いた街角から、この市内に住んでいたり、市の外からやってきた人たちみんなが、花火が上がるのを待っていた。

小さい子供もいれば、おじいちゃんもおばあちゃんもいる。同じおじいちゃん・おばあちゃんでも、自宅の前から孫と一緒に見る人もいれば、介護施設の窓からお年寄りだけでみる人たちもいる。僕は、一瞬だけ、あの古い木造の家に住む、おばあちゃんのことを思い出した。夏休みに入り、ランニングコースの都合で、あの家の前は通っていない。それに、通ったとしても、通学途中の小さな子たちを見るのが楽しみで窓から外を見ていたのだろうから、夏休みで幼稚園も小学校も休みならば、あのおばあちゃんの窓越しの顔も見られないだろうと思った。でも、近い内に、寄ってみようかな、と考えていた一瞬に、開会のナレーションが流れた。

 女性のナレーターの静かな、でも、耳に心地よい優しい声がスピーカーから聞こえてくる。毎年のことだが、まず、この花火の趣旨が語られる。昭和二十年、間もなく終戦の日を迎える8月の頭、それはこの市の大空襲の日なのだ。後、もう少しで戦争が終わるという、その二週間程前のタイミング、ほんの二週間のそのタイミングで、大勢の人たちが、身を焦がし、火の手から逃れてこの川に飛び込み、亡くなったのだ。この花火の主催者である地元新聞社が冠された大会の名前と、この花火は、空襲で犠牲となった人たちの鎮魂の花火です、という趣旨が顔の見えない女性ナレーターの声で淡々と語られる。来賓のパイプ椅子に座った人たちの区域の前に置かれたスピーカーからそのナレーションが聞こえる間も、集まった人たちの話声は聞こえるが、この人数からは想像できない静寂さと言えるだろう。僕は、なんだか、ちょっとだけ、優しい気分になる。僕たちは既に人で埋まった土手の一番上の、草の上に腰を下ろした。僕と太一は胡坐をかき、女子3人は体育座り。男の中では耕太郎だけが体育座りをしているのが、何だか可愛らしく感じた。


「五尺玉です」

 という女性のナレーションに続いて、地上に近いところでは光の細い筋と、ヒョー・・・っという、花火の玉が重力に抗い、真夏の空気を切り裂く音が聞こえた。そして、ある程度の高さまで上ったであろうところからは、光の筋が見えなくなり、空気を切りさく、高い、揺れるような微かなその音が聞こえるか聞こえないかと言ったその瞬間に

 カッ!

 と閃光が走り、次の瞬間、

 カカカッ!

 と月や星の光の上に、もう一つの天体が現れたような、でも、もっと彩鮮やかな

「花」

 が現れた。そして、間合いを待つ僕たちの期待どおりのタイミングで、

「ゴーン!」

 というやや乾いた印象を与える音と衝撃が、僕たちの胸骨に、ズゴーン、と突き刺さってきた。

 僕は、‘胸骨’に感じたが、‘頭蓋骨’に感じる人もいただろうし、‘足の指’に、‘ズゴーン’ではなく、‘スカーン!’と感じる人もいただろう。十人十色、だろうと僕はなぜか文学的に分析した。

 だが、会場の雰囲気は、まだ、‘鎮魂’の意思が強いと見え、やや静かだ。

「七尺、連射です」 

 ナレーターはあくまでも冷静に、淡々と伝えるが、その分、余計に緊張感が高まる。

 地上から放たれた七尺もの玉が、どうやってあれほどの高さまで上がるのだろうか、凄い力だ、と、思っているうちに、ゴーン!というさっきよりも音量・波動の大きさが比べ物にならない衝撃が伝わってきた。

 隣で見ていた3、4歳の男の子が、はしゃいで、横のお父さんに何か言おうとしていた瞬間、二射目が上がるヒュー・・・という音がし、その男の子はまた、首をいっぱいに空に向け、動きを固めていた。僕は、空ではなく、その男の子が、真剣に空を見上げる表情を見つめていた。

 二発目の衝撃が会場全員に伝わってから、ようやくその男の子は、はしゃぐ動作を再開し、

「すごい、すごい!」と、お父さんのポロシャツを力いっぱい引っ張っている。お父さんは息子と一緒に空を見上げ、やはり嬉しそうにその男の子の頭を撫でていた。

「十尺、大玉です」

 多分、ナレーターは、意図して、五尺玉、七尺玉よりも冷静に発声したのだと思う。

 上空で、単色だが、美しい大きな「花」が開き、その後、柳のようにその火でできた花びらが、筋を描いて地上に落下していく。

 十尺玉が上がる高度が七尺玉よりもはるかに高いという遠近感・音の遠さと、波動の周波数の関係だろう。正直言って、花の大きさは、七尺玉と同じぐらいにしか見えないし、音も、七尺玉の方が、近くて周波数がやや高めのせいか、自分達が感じる量・音質としては、より迫力があるように感じられた。

 けれども、さっきの男の子が、

「お父さん、じゅっしゃくだまだよ!」

 と喜んでいるのを聞いて、

「そうだ、さすが、十尺の大玉だ!」

 と、僕も心の中で妙に納得してしまった。

 ようやく、みんなの鎮魂の心が、過去も未来も市民たちで楽しもう、というモードに切り替わったようだ。

 やはり、十尺の大玉には、それに相応しい役割があるのだ。


 低い位置での打ち上げなので、河川敷ではない場所からは分からないのだが、最近は常識となった、コンピューター制御の、‘スターマイン’にも、小さな子供たちは、拍手喝采を送っていた。

 ふっと、一緒に来た残り5人に目を遣ると、ちょうど太一と眼が合った。太一はにこっと笑って、口に両手をかざし、本当に声は出さないが、「玉屋~」と、叫ぶ真似をしてみせた。 僕もにこっと笑い返して、空中に右手を伸ばし、花火を掴もうとするジェスチャーをして見せた。

 思えば、太一とは小学校の時からの付き合いだ。小学校四年生の途中で、太一は首都圏の小学校から、お父さんの転勤の関係で、この市に転校してきた。以来、小・中・高と、同じクラスになったり、離れたりしながらだが、ずっと一緒に育ってきた。特に、小学校の頃の僕の情けない姿・学校生活を太一は全部見て、僕を助けて太一自身に火の粉が降りかかりそうになった時もあったが、それでも、僕とずっと友達でい続けてくれた一人だ。

 こんな雰囲気の時だと、なぜかそういうことを、しみじみと感じてしまう。


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