第24話 はじまりは今(その24)
おばあちゃんは僕を見て、にこにこしている。その笑顔はさつきちゃんに似ているのかな、と思った。
僕は、もう遅いので、そろそろ失礼します、と言って、玄関から出ようとした。さつきちゃんが、
「そこまで見送るね」と、出てきてくれた。
僕は自転車を押しながら、2人で少し歩いた。僕は、なんだかとても不思議に思う。さっきまでの日向さんが今はさつきちゃんで、僕はかおるくんになった。さつきちゃんは僕に、恋人にはなれないとはっきり言ったが、でも、考えてみれば、学生の身分で好きとか嫌いとか、そちらの方が変な話なのかもしれない。恋人や彼・彼女でない代わりに、僕たちは「かおるくん」であり「さつきちゃん」なのだという自覚が持てる。なんだか誰彼構わず僕たちの関係を触れ回りたいような気分になる。
さつきちゃんの家を出て最初の曲がり角で僕は、
「ありがとう、もうここでいいよ」
と別れを告げる。さつきちゃんはにこっとして、「かおるくん」、ともう一度僕の名前を呼んでくれた
「かおるくん、じゃあまた明日、学校で。おやすみなさい」
僕も、‘おやすみなさい’、と言って、自転車にまたがり、一度さつきちゃんの方を振り返ってから、力を込めてペダルをこぎ、3秒で相当のスピードに加速した。僕は帰りの道のりを、ほとんど手放し運転した。夜の風が気持ちよかった。梅雨の、湿っぽさと冷たさを含んだ風だが、今の僕の高揚した気持ちをすきっとさせるには非常に適度な空気だった。僕は、さつきちゃんとこういった感じになれたことをとても感謝している。自分も人を好きになっていいのだ、と素直に感じる。好きとか嫌いとかという男女間の感情ではなく、もっと、純粋にさつきちゃんが好きだ。さつきちゃんという人間が好きだ。さつきちゃんのおばあちゃんもお母さんもひっくるめて好きだ。この自分の感情が何なのかは分からない。‘恋愛’という狭い範囲のものでは少なくともない。友情というのもなんだか違う。さつきちゃんの言う、‘特別な関係’としか言いようがない。僕がふっと空を見上げると、ビルの斜め上に、月が見えた。おやすみなさい、と誰に声をかけるのか分からないが、自分は声をかけると、一瞬、目から涙がこぼれ落ちそうになった。自分も人並みのことをしていいんだな、ととても素朴なことを感じた。
次の日の朝、いつものコースで木造の家のおばあちゃんの笑顔を見、神社でお参りして高校にたどり着いた。
教室に入り、自分の席に着くと、太一が声をかけてきた。
「かおるちゃん、おはよう」
僕は、おはよう、といつもどおりの挨拶をしておいた。しばらくすると、教室の前の入口から、さつきちゃんが、クラスメートにおはよう、と言いながら、僕の斜め前の自分の席にやって来た。
さつきちゃんは、太一と僕の2人に向かって、一旦、会釈した。次の瞬間、意を決したように、僕に向かってもう一度挨拶した。
「かおるくん、おはよう。」
僕も意を決してさつきちゃんに言った。
「おはよう、さつきちゃん」
太一がさつきちゃんをちらっと見、僕の方をじっと見た。太一だけではなく、周りの席にいたこういうやりとりに鋭そうな何人かが、僕とさつきちゃんを見ていた。
太一は僕に、ゆっくりと語りかけてきた。
「かおるくん?、さつきちゃん?もしかして、何かあったの?」
僕は太一の問いかけには愛想笑いでその場をにごそうと思った。でも、僕とさつきちゃんが、そんな風に呼び合っていることをもっと知ってもらいたいと思った。




