第21話 はじまりは今(その21)
日向さんの顔は、決して深刻ではない。むしろ、楽しんで話しているように見える。僕は、昨日、自分が日向さんに取った態度、日向さんに話した言葉をとても深刻に、やってはならない恥ずかしいことをしたように後悔もしていたのだが、何だか日向さんの様子を見ていると、少し拍子抜けする。
日向さんが話す間、僕はひと言も喋らず、日向さんが一方的に話す形になる。日向さんの独白、といった趣を感じる。
「わたし、その・・・小田くんがわたしに言ってくれたことは、多分、'彼'と'彼女'というか、恋人というか、そんな感じのことを言ってると思ったけど、違う?」
僕は、ようやくひと言声を出す。
「・・・・違わない」
日向さんは、やはり、少し明るい感じで僕に顔をもう少し向けて話し続けた。
「あの、・・・小田くんが思っているような、‘彼女’みたいな感じには、わたしはなれない」
「うん・・・・」
「でも、なんていうか、友達とか、そういうのとも違って・・・・」
「?」
僕はだんだん焦ってきた。昨日、何も言わずに、世間話だけしていれば、もしかしたら今までのように、会釈を返してくれる関係でいられたかもしれないのに、それをも僕は手放してしまったのだろうか。
「‘彼女’とか、友達とかいうのと違う感じは、駄目?」
僕はやっぱり日向さんの言っている意味がよく分からずに、ついつい、言葉を発してしまった。
「どういう‘感じ’のこと?」
日向さんは、もっとはっきりした笑顔で僕にくるっと顔を向けた。
「たとえば、下の名前で呼ぶとか・・・・・」
下の名前で呼び合うというのはどういう関係なのだろうか。でも、彼・彼女ではなく、下の名前で呼び合うという日向さんの感覚は、なんとなく伝わってきた。
「それは、なんていうか、真面目なクラスメート同士の間柄、とか、そういうこと?」
日向さんは、にこにこしている。
「わたし、小田くんと色々な話がしたいし、男の人の目から、わたしに色んなアドバイスとかをして貰えたらな、とかそんな感じ・・・・どうかな?」
どうかな、と言われても、僕には答えることもできない。ただ、日向さんの笑顔を見ていると、重たい気持ちは徐々に取り除かれていく。
「小田くんが思っていたような関係じゃないかもしれないけど、その代わり、‘特別な間柄’だとお互い分かるように、下の名前で呼ぶとどうかな、と思ったんだけれど、いい?」
僕は、うん、とうなずいた。
「日野くんは小田くんを‘かおるちゃん’て呼んでるけど、わたしはちょっと恥ずかしいから、‘かおるくん’って呼んでもいい?」
僕は、うん、いいよ、と返事した。僕は、すごく、胸がくすぐったい感じになり、自分の表情が和らいだのが分かった。
「じゃあ、わたしのことは、どう呼んでくれる?」
僕は、少し、考えた。‘さつきさん’ではなんだか文語調だし、‘さつき’というのはあまりにも無礼な感じがした。
「・・・・じゃあ‘さつきちゃん’って呼んでもいい?」
日向さんは、更ににこにこした顔になり、うん、いいよ、と僕とまったく同じ返事をした。
今から日向さんは、さつきちゃんだ。




