第15話 はじまりは今(その15)
「僕もこの間、日野(太一)から猫もけを借りて読んだよ。」
「あっ、初めて読んだんだ。小田くんは村松さんのファンっていう訳でもなかったの?」
僕は村松 悠作のファンでないことを後悔したが、こうしてにわか仕込みながらも日向さんとの接点をもつきっかけを与えてくれた太一に心の中で感謝した。
「うん、この間、日野に誘われてよく知らないまま旭屋に行ったんだ。でも、猫もけは面白かったよ。僕、猫が好きだから。」
日向さんは僕がそう言うのを聞いてにこっと微笑んだ。僕はその顔を見て自分もつられて微笑んでいた。しかし、不自然な笑顔でないかと慌てて表情を元に戻した。
もう一度日向さんの姿をよく見てみる。元々ショートカットだった髪だが、昨日学校で見たよりも、もう少し短くなっているようだ。髪を切ったんだな、と思った。少し浅黒い肌が、余計に滑らかに見える。雨空で日の光は弱いながらも日向さんの横顔を逆光が照らし、顔の肌のうぶ毛がきらきら光って見えて、少し緊張した。
ほんの5秒ほど、沈黙があった。
さあっと空が晴れてきて、急に雨が止んだ。途端に空気が温かさを増してきた。
日向さんは、空を見上げて、言った。
「晴れてきたね、今のうちに帰ろう?」
僕は、突然にこの時間が終わることを知り、とても惜しくなった。この間、久木田に頭をはたかれた後の、自分ごときが女の子を好きになっていいのかどうかというもやもやした気持ちも、今、この瞬間には本当に些細なくだらないことのように思えた。今、この瞬間に、本当に必要な、大事なことをなすべきだと僕は思った。
「日向さん」
「はい?」
僕はもうあとはほとんど自動的に口を動かしていた。
「日向さんのことが、前からすごく気になってたんだ」
僕がそう言うと、日向さんは動きが完全に停まってしまった。
僕は、話を続けるかどうか、迷ったが、反射的に判断して、続けた。
「日向さんが、好きだ」
日向さんはまだ停まったままだった。とてもとても長い時間に感じられた。ものすごい緊張感が持続していた。できればこのまま目をつぶってしまいたかったが、なんとか開いたままでじっと次の動きを待っていた。
日向さんは、それから更に長い時間、じっとしたままいた。頭の中で僕のさっき聞いた図書館の閉館のクラシックが二回鳴り終わるまで待った後、日向さんはうつむいて、小さな声で言った。
「ごめんね、少し、時間をください」
日向さんはそう言ってから、今度は、晴れてるうちに帰ろ、と小さな声で言った。僕はそのまま何も喋らずに一緒に駐輪場に向かった。