第13話 はじまりは今(その13)
旭屋で久木田に頭をはたかれてから数日間、僕は何だか何をするにも虚しさばかり感じていた。土曜日の今日、午前中部活だったので、学校に行って、平日はなかなかできない走り込みをしたが、足が重くてだらだらとした走りになってしまった。さすがに先輩方からも、しゃんとしろ、と声がかかった。梅雨の時期の晴れ間に、かなりの部員が走り込みをしていた。陸上部だけでなく、テニス部やバドミントン部の部員たちもグラウンドの大外や、学校の敷地の周りを黙々と走っていた。
部活から家に帰って、昼ごはんを食べてからしばらくベランダでぼーっとしていた。僕は高校に入る少し前から、寂しいことがあるとベランダに出て空を眺めるようになった。本当は夕方あたりに雲を眺めるのが好きなのだけれども、今日のように青空がのぞいている空を見上げてまぶしく感じるのも好きになった。思わず涙があふれそうになることもある。
英語の課題をやらなくてはいけないのだけれども、家に居てはなかなかやる気力が湧いてこない。図書館ならばある程度「やらなければ」という拘束力が働くので、少しははかどるだろうと、自転車に勉強道具を入れて出かけた。
市立図書館は土曜日の午後の割に意外とすいていた。本当は学生用の自習スペースがあるのだけれども、今日は人が少ないので他人に迷惑をかけることも無いだろうと、一般の閲覧コーナーで課題にとりかかった。とても集中でき、思うように課題が進んだ。周りの音も気にならないくらいに課題の内容に入り込んでいたので、ふっと顔を上げて窓の外を見て、ちょっと驚いた。いつのまにか土砂降りになっていた。今日の朝からの天気で雨が降るとは全く考えていなかった。自転車には雨具は積んでいない。ただ、どう見てもすぐに上がるような雨ではなかったので、おとなしく課題に再び集中することにした。
課題が終わったところで閉館10分前。まもなくの閉館を告げるクラッシクの静かな曲と、録音の館内アナウンスが流れてきた。4階の閲覧室からエレベーターで1階に下り、エントランスで自動ドア越しに外の雨の強さを確認した。さすがにこの雨の中を雨具なしの自転車で家に帰るのは無理だとぼんやりと考えていた。館内にいた学生や一般の利用者たちが、ぽつぽつと携帯用の傘をさして外へ出ていく。駐車場に止めてある車に乗り込む人や、そのまま歩いて駅の方へ向かう人、近くのコンビニに入る人。このエントランスも施錠されるので、とりあえず自動ドアをくぐり、入口の屋根のところへ出てしばらくここで雨宿りしようと考えていた。
「小田くん」
ふっと、後ろから声をかけられた。女の人の声だ。この間、久木田に背後から声をかけられた時の嫌な思いが残っていたので、女の人の声にもかかわらず、僕は身構えた。そして、少しゆっくりした動きで後ろを振り返った。
立っていたのは、日向さんだった。
ワイシャツのような白いブラウスに青いジーンズを穿いて、足元は薄い水色のスニーカーを履き、微笑んで立っていた。
僕は、これが日常の風景なのか、それとも、非日常の風景なのか、一瞬、どちらでもいいと思ってしばらく日向さんの姿に見とれていた。