美江の手紙
勝也 様へ
「ずいぶん久しくお会いしておりませんが、いかがお過ごしでしょうか。
あの日、私の魂が決定的に引き裂かれ、自らがこの世に留まっていることすら正しく認知するのも難しくなって以来ですね。
珍しく少し気分が良いので昔話を思い出しながら手紙をしたためました。
あなたとの出会いはイチョウ並木が綺麗な通りでした。」
「す、すいません。高崎さんですよね。」
「え?は、はい。」
「あなたのアザラシショーの大ファンなんです。僕も水族館で働いて、いつか高崎さんのようなパフォーマーになりたいんです。ご迷惑とは思いますが、相談に乗って頂けませんか?!」
「端正な顔立ちで顔を赤らめて、一気に用意していたセリフを吐くあなたをいじらしく思いました。
通りを散歩した先のカフェで何をするでもなくゆっくり紅茶を楽しむのがお決まりのコースでしたから、そこにあなたを誘い、アザラシやイルカなんかの話をしましたね。日常的に彼等に接している私からしても、驚くほどあなたは知識豊富で、その話っぷりから動物に対する愛情が溢れ出していました。
ただでさえ少し世間からズレた水族館という閉鎖的な空間に生きていて、出会いも少ない生活でしたから、あなたとの会話はとても楽しくて、ましてや大好きな動物達の話で盛り上がれたのですから、すっかり好感を抱いてしまいました。
連絡先を交換した私達は度々食事しながら飽くことなく動物達のことを話しましたね。
実は、あなた達の団体が自分勝手な目的を果たすために私に近付いただけのこととはつゆ知らず。
そして、うぶな青年を演じるのとはウラハラに、女の扱いに慣れていたあなたに惚れるのは時間の問題でした。これはまさに運命と信じ、愛を感じ、心をそして体を許しました。
同棲することにも迷いはありませんでした。
あなたは館長の住所、電話番号、家族構成など面白いように情報を得られたことでしょう。
そしてあなた達の団体は、私から得た情報を最大限利用して館長を執拗に精神的に追い詰めました。
要求は「動物達の解放」
そこに何故か魚を含まない曖昧さがあり、あなた達の中にかろうじて残る人間性のやうなものを感じもしました。
あなた達の団体から「動物達を奴隷扱いすることは許すまじ」と陰湿な脅迫を受け続け、繰り返し家の壁や車に団体のマークを落書きされようとも、館長は私達職員には「困った輩もいるもんだ。」とあたかも軽い出来事のように話していました。
しかし、あなた達が館長の娘さんを誘拐してまで、引き換え条件に「動物達の解放」を要求するとは思いもよらなかったことでしょう。
本当に誠実な館長でしたから、いやがらせを受けている間も動物達を見世物にしてお金を得る稼業について責められると、罪悪感も人一倍いや二倍三倍と感じておられたと察します。
能天気な私ですら、ただただ動物が好きで、楽しんでくれる子供達、観客の笑顔が大好きで、ただただ一生懸命やっている仕事が、見ようによっては極めて残虐で暴力的な行為であるという事実を突きつけられ深く思い悩みました。そして自分自身、真っ向からそんな意見を否定できず、相当部分を認めざるを得ませんでした。
娘さんは誘拐から2日後に無事保護されたものの、その後館長が自ら死を選ぶまでにそう時間はかかりませんでしたね。
放心状態の私にあなたは告げました。
『館長さんを殺したのは、私が所属する団体だ。』
その後も淡々と、私に近付いた理由を話し、水族館側の私は憎しみの対象でしかなく正義の鉄槌を下す対象でしかなかったことを告げました。
そして
『いつしか美江を愛してしまった』とも
それからどれだけの時間が経ったか分からないまま抱き合って泣きました。
そしてどのように眠りに就いたかも今となっては分かりませんが、目を覚ますとあなたは姿を消していました。
ずいぶん長くなりましたが、お伝えしたいことは、私達の愛の結晶である文也が今頃世界中のサーカスを渡り歩き道化師を演じているということです。もしかしたら『演じている』という表現は不適切かもしれません。彼は、その昔、私が調教し観衆の前で演じることを強いていたアザラシのポジションを選んだのです。
当時はそれこそ彼を産んで良かったのか?と激しく悩みました。
しかしヒトでも動物でもない、そんな存在への昇華に向けて彼が今日も生きている。
今となってはそれが私の唯一の救いです。
あなた達に彼を解放することができますか?あなた達に私と彼を引き裂くことができますか?
それではどうかお元気で。
美江より