Hello, newWorld
アウディが停まったのは駅裏の山を抜けた先の竹林だった。道路の両側には竹で作られた柵がガードレールのように設えられ、その向こうには何の規則性もなく鬱蒼と生い茂る竹の群衆だけが果てなく続く。車が停まった場所だけ柵が途切れており、石畳の道が暗い竹林の奥深くへと真っ直ぐに伸びていた。
「さ、着いたわよ」
「ここは、どこですか?」
車の窓から見える景色に目を凝らし、暁火が訊ねる。
「夜行組の屋敷。私たちの家よ」
夜行組。
ここに来るまでに何度も聞いた言葉を口の中で反芻する。この仄暗い洞窟のような道の奥に、その屋敷があるのだ。
先に郁斗が車から降り、黒い傘をドアの前で広げる。この車に来るまで同様、暁火を雨水から守るための傘だろう。
「大丈夫ですよ、葉月さん。アタシも傘あるんですから」
「そう仰らずに。お疲れでしょう?」
不機嫌そうだった顔にほんのささやかな笑みを浮かべ、郁斗が手で粛々と暁火を促す。
しばし考えるように眉根を寄せた暁火は観念したように車を降り、郁斗が翳した傘の下に立つ。
暁火の身長は一五二センチ。対して郁斗は一八〇ほどある。並んで立つと見上げるような高さだ。
「それじゃあ私は車戻してくるから。よろしくね、郁」
菖蒲の言葉に短い返事で答えた郁斗がドアを閉めると即座に車が走り出し、細い道の奥へと瞬く間に消えていった。
なんとなく暁火は小さくなっていく車を見つめる。
「車庫、遠いんですか?」
「もともと車がない時代の屋敷ですからね。平安の中期にはあり、明治の頃に大規模な改修工事を行ったと聞きます。車を使うようになったのも、車庫ができたのも、三十年ほど前とのことなので、つい最近ですね」
「すごくアンティークなんですね」
「古いだけですよ。趣はあると思いますが。ご不便をおかけします」
「いいですよ。不便も趣じゃないですか。それに好きですよ、不便。やり甲斐があって」
何気ない暁火の一言に郁斗は目を瞠った。
「驚いた。俺と同じようなこと考えるんですね」
「それはアタシの方が驚きなんですけど」
暁火も暁火で、驚いた顔のまま郁斗の顔を見上げていた。
まさか賛同されるとは思っていなかった様子だ。
「まあ、その話は時間がある時にしましょう。ここは寒い。お互い風邪をひきたくはないでしょう?」
「それもそうですね。行きましょうか」
自然と暁火が笑って応じる。
唇の両端を吊り上げる、勝ち気でどこか挑戦的とも思える笑い方だった。
彼女にとっては何もかもが分からないことだらけの状況で、このような大胆不敵な笑みを浮かべられる強さに郁斗は内心驚く。普通の女子高生がこの状況下で、どういった反応をするのかは分からないが、こうはいかないだろう。
「どうしました?」
「いえ、何でもありませんよ。行きましょう」
気さくな声で誤魔化して、郁斗と暁火は一つ傘の下に並んで、竹林の奥へ通じる道を歩き出した。
石畳の隘路の両側は道路同様に竹で作られた柵が設えられている。柵の上には等間隔にミニチュアの屋根のような傘を被った木製の箱が設置され、木枠となっている四方の側面に張られた和紙を透けて、灯りを放っていた。
仄かで柔らかい、赤みを帯びた光は恐らく自然の火――蝋燭によるものだろう。
疎らに置かれた古めかしい照明と頭上の月だけが道を照らしていた。空気が澄んでいるのだろうか。月明かりさえ妙に明るく感じられる。
だからこそ、両側に茂る竹林は、まるで暗闇を抑え込む格子のようにも見えた。
「妖なのに、灯りをつけるんですね」
「まあ、妖とは言えど現代に生きていますからね。便利なものは使いますよ。妖が闇を好むのは人の目につかないからであって、別に明るいのが苦手というわけではないんです」
「人の目を避ける必要性があるんですか?」
郁斗の目が隣を歩く暁火を一瞥し、すぐに戻される。
「今現在、我々は人と同等の暮らしを享受するために人のコミュニティに紛れて生活していますが、かつては人の目を避けていたそうです。妖は何もその全てが人々に仇なすために存在しているわけではなく、むしろ我々からしても人間の世界にしゃしゃり出る妖は迷惑極まりない存在です」
「脅かしたり、呪ったりとか、そういうことも全然?」
「たまに悪戯好きの妖などが人を脅かして楽しむこともあるそうですが、それは大雑把に言ってしまえば人間の子供が厭世的な老人の家に悪戯を仕掛けるのと同等のものです。呪ったり何だりといった形で人に危害を加えるのは悪霊の類ですし、微妙にそこは違いますしね」
どこか軽い口調で淡々と郁斗は語る。
聞き慣れた単語はあるものの暁火には全てが未知のものだった。
「さっき菖蒲さんも言ってましたけど、妖っていうのは妖怪とどう違うんですか?」
「例えば、そうですね。ゲームには様々なジャンルがありますよね」
「……? はぁ、まぁ」
先程もそうだが、また例えが現代的だ。
妖とされる人物の口からゲームやら、ロールプレイングやらといった単語が出てくることに暁火は違和感を抱いているようだった。
「ロールプレイングにレースゲーム、シミュレーション、アクション――枚挙に暇がありません。そしてこれらのジャンルもタイトルが変われば別物となります。ここでいうところのゲームというものが妖という言葉であり、ロールプレイングといったジャンルのようなものに分類されるのが妖怪。そしてそれぞれのタイトルとして、さらに細分化されていきます」
「妖怪や幽霊とかを全部ひっくるめたのが妖っていうことですか?」
理解の早い暁火に満足した様子で郁斗は少し笑んで頷く。
「例えば雪女は広義的に言えば人間です。先祖が妖怪と交わったことで雪の妖術を扱う力を持った女児が生まれ、その力が代々一族の女に連綿と受け継がれているだけです。とはいえ、妖怪の血の影響で寿命は人間より随分と長いようではありますが。そういったタイプは一般的に夜人と呼ばれています」
「じゃあ、ろくろ首とかしゃれこうべだとかっていうのは妖怪ですか?」
「ろくろ首というよりも首を伸ばす者もいますが、幽霊や妖怪、夜人など様々です。しゃれこうべに関しては魑魅魍魎の一種ですね。大多数が我々のように社会的なコミュニティと文化を有さない存在で、言ってしまえば虫のようなもの、ですか」
「うーん、いろいろあるんですね。妖にも」
「便宜上の総称ですからね、妖は。人間とバクテリアくらい違うものが全部ひっくるめられてるんです」
元も子もない表現に暁火もつい苦笑を浮かべてしまう。
妖怪――妖の世界も人間と同じように複雑なようだ。全く未知であるはずの存在が急に近しいものに思えてならない。
そうこう話している内に、延々と続いているように思えた隘路の終端がすでに現れていた。ようやくそのことに気付き、暁火の足が覚えず止まる。
「あれですか」
「ええ、あれが俺たち夜行組の屋敷です」
巨大な門があった。古めかしく、何よりも厳かな薬医門だ。
黒みの強い堅木の表面は経年の劣化により、艶や光沢がない。しかし、そのくすんだ色合いこそが時代の重みを感じさせてならない。
郁斗の話を信じるのならば多少の改修はあれど、途方もないほどに永き間、この堅く鎖された門は、まだ見ぬ屋敷を守り続けているのだろう。途方もなく左右に伸びる塀も高く、一種の要塞のようにさえ見える。
霊峰や大樹――大自然の絶景や森厳とした偉容を目の当たりにした時と同じ類の底知れぬ有り様は畏怖と畏敬の念を抱かずにはいられない。
思わず立ち竦む暁火の隣で郁斗はくすりと笑った。
「ようこそ、夜行組へ」
小門を潜った先で待ち構えていたのは、門に負けじと古めかしい屋敷だった。
老朽化が見られる木造平屋。瓦屋根を持ち、時代劇などでしか見たことのないそれが現実のものとして眼前に佇んでいた。
佇む――まさにそういった様相だ。
力を誇示するわけでも、存在を主張するわけでもなく、現代に至っては時代錯誤とさえ感じる風景に溶け込むようにひっそりと建っている。
年老いて、どれだけ子供に悪戯をされても、吠えず噛むこともない犬や猫の類を彷彿とさせる、寛大さと哀愁が入り交じる佇まいだ。
木枠に嵌められた硝子から漏れる光は、ここまでの道にあった行灯のように柔らかく暖かい火のそれではなかった。眩く力強い人工の照明だ。
「さすがにここは電気使ってるんですね」
「別に文化の発展を避けているわけではないですからね。便利なものは使いますよ」
どういう認識をされていたのか、と郁斗は肩を竦める。
「なんだか勝手にアーミッシュみたいな暮らし方を想像しちゃってました。まあ、でも、車も使ってるんですから、当然と言えば当然ですよね」
二人は庭を渡り、入り口の引き戸を郁斗が開ける。促されるままに中へ入ると、暖かい空気が頬を撫でた。自分の体が冷え切っていたことに暁火はようやく気付く。
広い空間だ。玄関口も横に広く、大きな靴箱が設えられている。頭上に釣り下げられた照明によって明るく、三方に伸びた板張りの廊下がずっと奥へと続いていた。
暁火がぼんやりしていると、後ろから傘を畳んだ郁斗が入ってくる。邪魔にならないように、と暁火は広々とした土間の脇に身を寄せた。渇きつつある郁斗のフリースはしかし肩口だけが濡れている。
一カ所だけ色の違うそこを暁火がじっと見つめていると、襖の開く音。
とたとたと忙しない足取りが聞こえ、誰かが駆けつけてくる。現れたのは身にぴったりと寄り添うシルク地の白い服を着た人物。詰襟で、足先まで達する長い裾は横に切れ込みが入っている。下衣は足回りが広く、裾の部分が絞られていた。
「おやおや、いらっしゃったのですね」
ぬばたまの黒髪。そんな表現が似合うほどに艶やかで、夜を溶かしたような長髪。
片眼鏡をかけた目は細いが鋭くはなく、落ち着いた色合いを孕んでいた。日本人や中国人のような顔立ちではあるが、肌は青白い。表皮が薄く、血の気が透けて見えているような青さだった。
チャイナドレスめいた服装に低いながらしっとりとした声、どこか幽鬼的な容貌をしている。
「おう、張。今戻ったところだ」
張と呼ばれた人物は苦笑し、次に暁火へ目を向けた。
「貴女が埋野暁火さんですね。私は張龍艶、夜行組の専属医をさせていただいております」
ほっそりとした指で長い髪を耳にかけ、張は蠱惑的に笑う。艶やかで悩ましげで、何より人間離れした幽玄な雰囲気を纏っていた。
口を小さく開けたまま、暁火は張の顔をぼーっと見つめる。
「埋野さん?」
様子がおかしいと思い郁斗が名前を呼ぶと、びくりと暁火の肩が震えた。
「はっ!? え、えーと、男性の方ですか、女性の方ですか? ん!? あれ、違う!」
随分と呆けていたようで、慌てふためき妙なことを言い出す暁火に張は苦笑し、郁斗は腰に手を当て嘆息する。
「さあ、どちらでしょうね」
意味深に薄い唇の端を引き上げ、張は靴箱から取り出したスリッパ二足を上り框へ綺麗に並べる。
「さ、雨箒さんから事前に連絡がありましたので、お風呂を沸かしておきましたよ。体も冷えているでしょう。まずはしっかり温まってくださいな」
「いや、そんなお風呂まで頂くわけには……!」
「遠慮することはありませんよ。客人に風邪を引かせてしまっては夜行組の面子が傷つくというもの。どうぞ、ごゆっくりなさってください」
張の穏やかな口調にどこか有無を言わせないものがあった。暁火が心許なさそうに郁斗を見ると、彼は片眉と肩を同時に上げてみせる。
遠慮するな、ということなのだろう。
「それでは、有り難く頂きます。わざわざありがとうございます」
深々と礼をする暁火に張は満足そうに頷いた。
暁火は驚愕した。
風呂に到着するまでに三分近く歩いたことは、この際些末な問題だ。
兎にも角にも、まず男湯と女湯に分かれていることに驚愕した。赤と青の暖簾がかけられた入り口の前に瓶詰めされた牛乳の自動販売機がある事実はとりあえず後回しにする。コーヒー牛乳があったことには少なからずテンションが上がった。
その大衆浴場よろしくの入り口から予想される通り、脱衣所も広かった。洗面台は四つ並んでおり、体重計まで置くこだわりよう。古めかしさと安っぽさは最早狙っているとしか思えない。
ここまで来ればもう何も驚くことはなかろう、と思いつつ汚れきった制服を脱いでいざ浴場へと踏み出した暁火はやはり驚愕した。
立ち込める湯気の向こうに見える檜で出来た浴槽の数は四つ。何の語弊もなく風呂が四つあった。
しかも壁にかけられた木製の板には何やら文字が彫られている。近付いて見れば効能が書かれていた。
温泉だった。
暁火の頭の中でお風呂に向かう間際の張の言葉が蘇る。
「先代は風呂をこよなく愛する方でした。そのため風呂には格別のこだわりがあり、この屋敷でも最も自慢できるところです。是非、ゆっくりご堪能ください」
こだわるなんて程度の話ではない。どこの世界に風呂が好きだからと自宅に大衆浴場並みの温泉を造り上げる者がいるのだ。
「人間と妖の文化の違いなのかな……」
思わず暁火の笑みも引き攣る。
いろいろ言いたいことはあったが、このままでは体が冷えてしまう。
暁火は壁一面に整列するシャワーと鏡の一番手近な場所に座り、手早く洗っていく。
熱いシャワーは冷え切った体に心地よく、急な温度差に指先がぴりぴりと痺れることさえ心地よかった。髪を濯ぎ、体についた泥を落とし、泡を纏った手で体を磨くように洗っていく。
膝や肩に微かな痛み。逃げている最中に擦り剥いたようだ。
次から次へと事態の移り変わりが激しく全く気付かなかった。
ふと鮮やかに蘇る、つい先程とは思えない出来事。
誰かが死に、また誰かに殺されそうになった記憶。
あの時、間違いなく自分は死にかけた。郁斗が来なければ、それこそ死んでいたのだろう。
眉根を寄せ、暁火はんーと小さく唸る。どう考えても九死に一生だった。
「よく生きてたな、アタシ」
今にして思うと奇跡的だ。ようやく自分が生き存えたという実感が湧いてくる。
「それに葉月さんは命の恩人、か」
まともにお礼も言えていないことを思い出す。
「…………」
曇った鏡にシャワーをかけると、向かい合わせの自分が現れた。
しばし自分を見つめていた暁火は何事もなかったかのように泡を洗い流し立ち上がる。ひたひたと水気をたっぷり吸った板張りの床の上を歩き、一番近くの浴槽へ向かう。
噎せ返るほどに強い檜の香り。鼻を抜けていく匂いは心地よい眩暈にも似た感覚と共に体内を循環していくようだった。
一度深く吸い込み、気分よさそうに笑んだ暁火は静かに白く濁った湯へと足先を沈めていく。
膝の傷口が少ししみるが、構わず体を沈めていき、肩まで浸かる。
熱いお湯に体が包まれ、思わず息が漏れた。
「確かにこりゃこだわってるねぇ」
浴槽に背を預け、両手を縁にかけた暁火はしみじみと呟く。広い浴場で声が反響した。
暁火の細い体が芯から温まっていく。滞っていた血液が活発に全身を行き渡っていくような感覚。
檜の香りのせいもあるのか、心が落ち着いていく。
暁火が何度目か分からぬ息を吐き出した時、からからと浴場の引き戸が開けられた。
「よかった、まだいたわね」
現れたのは赤髪を纏め上げた菖蒲だった。
張が廊下を歩んでいると、郁斗に出くわした。
湯気の立つ体、緑のジャージ姿で首にタオルを引っかけた姿で彼は壁に背を預け、顎に手を当て真面目そうな顔をしている。
「湯冷めしますよ、郁斗」
歩み寄りながら声をかけると、郁斗が顔を上げた。
「なんだ、張か」
「ご挨拶ですね」
呆れ混じりに笑い、張は郁斗の隣に立った。
「全く、相変わらず烏の行水ですね。ゆっくり浸かればよろしいものを」
「退屈なんだよ、浸かってるだけってのは」
ぶっきらぼうに返し、郁斗は腕を組む。
もともと郁斗は、じっとしているのが性に合わないタイプだ。常に何かをしていたいし、何もしないのは却って気疲れする。
ただお湯に浸かるだけの入浴というものはあまり好きではなく、基本的にいつもシャワーだけで済ませていた。
「それで、一体何を考えていたんですか?」
「何も」
「当ててみせましょうか?」
「何もって言ってんだけどなぁ……」
張はこういった場所で人の話を聞かない。一度見抜くと相手の反論など歯牙にもかけないのだ。
そもそも張がこういう言い回しをした時は、もう答えが明確に分かりきっている。
彼は勝てる勝負しかしない。
「八代目のことでしょう?」
構わず放たれた張の言葉に郁斗は後ろ頭をかいた。
即座に上手い返しが思いつかない時点で図星だ。
「八代目とまだ決まったわけじゃないだろ」
「どちらにせよ、八代目になれるのは彼女だけですから」
そっと伏し目がちな張の美貌に妖艶な笑みが湛えられる。対して郁斗の顔は苦虫を噛み潰したようだった。
「そうかもしれないけどよ。まだ一七だぜ?」
あまりにも若すぎる。まだ学生である上に、妖の世界に全く関わりがなく、その存在さえ知らなかったのだ。
これから彼女に話す物事を考えると郁斗は気が重くなった。唐突すぎる上に、高校二年生に決断を迫るようなことではない。
事前に話はしたが、それが本当に意味するところを暁火は分かっていないはずだ。
「分かっていますよ。私たちも強制はできません。欲を言えば頷いてほしいところですが、彼女の意志は尊重します。それは以前に決めたことでしょう?」
「まあ、そんなんだけどよ」
郁斗の歯切れは悪い。そう決めたからこそ悩むこともあった。
「私たちは彼女が後に間違えたと思ってしまうような決断をしないために出来うる限り全てのことを伝えるしかありません。その権利と義務があるとはいえ、彼女は我々の世界とは無関係同然なのですから。どんな決断をしたとしても彼女を後押しするつもりですよ」
「とは言ってもな、高校二年生なんてまだ将来のことあんま考えてないもんなんじゃないのか? そこに将来が決まっちまうような選択を迫るってのは」
酷なことだ。
言いかけた言葉を飲み込み、郁斗は誤魔化すように頭をかいた。
「ま、私も貴方も学校に行ったことがないので分かりませんよね。その年代の考えることなんて」
冗談めかして張は言う。郁斗が押しとどめた言葉を察したのかもしれない。
あの年代の少女は一体何を思い、何を感じ、何を考えているのか。
張がどうなのかは分からないが、少なくとも郁斗には分からなかった。
「ところで、貴方の目に暁火さんはどう映りましたか?」
「どうってなんだよ?」
突然投げかけられた問いに郁斗は訝しむように眉を顰める。
「資質、というわけではありませんが、傍から見て務まる存在なのか、と気になりまして。彼女がいくら乗り気になったとしても家賃が高くなるようなら、私たちも私たちで自分の身を守るために構えなければならないこともありますから」
張の細い目に思惑が滲む。
幽玄な風采に不気味なほど似合う謀略の色合い。郁斗でも底知れぬ背中に冷たいものを覚える張の一面だった。
「どうだろうな。今まで普通に生きてきたあの年頃の娘にしては、随分と肝が据わっているように見える」
「と、言いますと?」
「正体不明の殺人鬼に襲われて、命からがら逃げた先、殺されそうになった寸前でさえ、あいつは命乞い一つせず相手を睨み付けてたよ」
何が面白いのか張は微かに声を上げて笑う。
「移動中の車でも随分とけろっとしててよ、最初は突拍子もないことが起こりすぎて呆けてるのかとも思ったが、どうやらそうでもないようだし、度胸があるっていうのか、大物っていうのか。ただマイペースなだけかもしれないがな」
「それはそれは、また何とも」
郁斗の話を聞いて、より一層に興味が湧いたのか、張は上機嫌そうに笑う。
唇の両端を強く引き上げる様は、どこか蛇の口を想起させた。
「お前はどう思うんだよ?」
「私ですか? そうですねぇ」
顎に手を当て、張は天井に目をやってしばし考える。
「まだ会って間もないですが、あの大胆不敵を絵に描いたような笑みは先代を思い出しますね」
郁斗の脳裏を掠める記憶。
羽織を肩に引っかけた背中。刀を担ぎ鷹揚に歩む様。先を行く影が振り返る。その顔が暁火の笑みと重なった。
確かに、彼女は先代に似ている。だからこそ郁斗の心は重くなる一方だった。