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Change The World - Helvetica Girl  作者: コヨミミライ
埋野暁火という少女
12/20

女子トイレの幽霊。

 ポルターガイスト事件は午前中の授業がほとんどまともにできなかった程度には学校を賑わせたが、その後同様の現象も起こらなかったため、何かの見間違い、気のせいということで無事収束した。

 昼休みとなった今でも生徒達はその話題で盛り上がっているが、すでに笑い話となりつつある。

 どうは言っても怪奇現象を真に受ける人は少ないのかもしれない。それが本物の妖が起こした現象だとしても、だ。

 果穂と静江と一緒に昼食を摂り、飲み物を買ってくるという口実で教室を出た暁火は人気のない渡り廊下まで行き、周囲に誰もいないことを確認する。

「葉月さん、います?」

「ずっといますよ」

 横合いから声が聞こえる。朝の一件から今まで、一言も発していなかったので、いるのかいないのか全く分からなかった。

 暁火は安心したように息を吐き出す。

「よかった。怒って、口を利いてくれないんじゃないかって思いましたよ」

「いや、あの一件に関しては文句言いたいわけですが、普通に」

 郁斗は見えないと分かっていながら、霊体の体で肩を竦めて、大仰に手を広げた。

「あはは、ま、何事もなくてよかったです」

「大事件だろうよ、あれ」

 今思い出しただけでも気が重くなる。

 妖の存在を秘匿する障害となるものを取り締まるべき者が、まさにその規則を破りかけた。

 菖蒲や張に知られれば、説教を喰らうことになるだろう。

「あっはっは、もう済んだから大丈夫ですよ」

「そりゃ済んだからいいんですけどね……」

 済まなかった場合を考えただけで背筋が冷たくなる。

 何か一つ言い返したい気持ちもあるが、今のところ大きな問題や軋轢もない関係性を維持しているので、下手に何かをして苦手意識を持たれてしまうような事態は郁斗も避けたかった。

「それで、実際に学校へ来て、危険そうなものはありましたか?」

 暁火に問われて、郁斗は校舎を見渡す。

 生徒達が忙しなく行き交う廊下、賑わう教室、昼休みということで教員たちも緩やかに過ごしていた。ごく平凡のありふれた風景。しかし郁斗が目を凝らせば、そこら中に蟠る靄が見えた。

「何とも言えないんですよ。学校という場所はもともと霊的なものが集まりやすいもので」

「あ、やっぱそういう傾向あるんですね」

「心の原風景に紐付いている場合が多いですからね。引き寄せてしまうんです、どうしても」

 妖の痕跡は数え切れないほど残留している。ただそれが悪質であるかどうかまでは読み取れない。

 一つひとつ確認するには数が多すぎる。

「埋野さん、場所を変えましょう」

「もっと見やすい場所に行くんですか?」

「いえ、事情通のところに行くんですよ」

 爽やかな声音で郁斗が答える。

 見えない暁火にも、今彼が得意気な顔で含み笑いしていることは分かった。

 葉月郁斗は存外気障な男なのだ。




 郁斗に誘われて暁火が辿り着いたのは、特別教室と職員室の詰め込まれた南校舎の三階にある女子トイレだった。昼休みの今、三階廊下を歩く者はなく、数少ない生徒たちは部室に籠もってしまっている。

 扉の磨りガラスに貼り付けられた、円形と三角形だけで構成された赤いマークのカッティングシートを見つめ、暁火は腰に手を当てる。

「女子トイレじゃーん」

「ええ、まあ、見ての通り」

 暁火の隣の空間が陽炎のように歪む。人型の歪みはより一層風景を掻き回し、混ぜ合わさった色が整理され、郁斗の姿に着色された。

 人目がないので姿を現しても大丈夫だと判断したのだろう。

「何? そういう趣味があったんですか、葉月さん」

「否定はしませんし吝かではありませんが、今回は別件です」

「葉月さんには申し訳ないですけど、ここ誰も使いませんよ」

「知ってますよ」

 意地悪そうに笑った暁火の言葉に素っ気ない返答をし、郁斗は無遠慮に女子トイレのドアを開き中に踏み入った。

 怪奇現象が相次ぐということで誰も立ち寄らない南校舎三階の女子トイレ。誰もいないのに、何かに体を触られたという話も多く聞く場所だ。暁火はそもそも南校舎の三階に来る機会も少ないので、今まで一度も立ち入ったことがない。

 かといって郁斗についていって入ってみれば、他のトイレと特に違ったところがあるわけでもない、普通のトイレだった。

 整然とドアが並ぶ空間。手洗い場があり、履き替え用のサンダルがある。リノリウムの床と芳香剤の匂いが病院っぽさを演出することも含めて、よくある見慣れたトイレだった。

「それで女子トイレに忍び込んで、妖が何をするんです?」

「何かをしている妖に聞くんですよ。おい、いるんだろ」

 郁斗が誰かに向かって呼びかける。

 次の瞬間、三つ並んだ個室へのドアの真ん中が勢いよく開かれる。囲いの壁にぶつかり、激しい打音が耳を劈く。

「やっほー!」

 並外れた跳躍で、文字通り個室から飛び出てきたのは黒い長髪に黒いセーラー服を着た女生徒だった。

 細い腕を振り上げ意気揚々と飛び出した長髪の少女は着地した右脚を軸に回転し、暁火たちへ向き合う。

 足を大きく広げ、腰に手を当て仁王立ちしたそのあどけない顔には得意気な笑み。

「どうだ! びっくりしたか!」

「…………」

 暁火は何故か仁王立ちで威張っている少女を、ぼんやりと眺めていた。

 沈黙。二人の目は交錯し続けている。

 誇らしげな笑顔を浮かべていた少女の顔が次第に萎れ、眉根を寄せて助けを求めるように郁斗へ目を向ける。

「郁ちゃーん……? この子全然驚かないんだけど……? 私、幽霊失格かな、これぇ」

「いや、こいつは動じない性格だから」

 不安げな少女を安心させるように郁斗が見せた笑顔も引き攣っていた。

 あの程度で暁火が驚くのならば、まだ可愛げがあっただろう。

「この子、幽霊なんですか?」

「ん? ああ、そうですよ。よく聞く話でしょう? トイレに憑く幽霊っていったら」

 メジャーな名前に思い至り、合点がいったように暁火は手を胸の前で打ち合わせる。

「あー! トイレの花――」

「花代だよー! ちわーっす!」

「惜しい!」

 あまりの惜しさに暁火までつい突っ込んでしまった。

 よくよく見れば、花代が来ている制服はこの三滝ヶ原高校の旧制服だ。

 踝まで届く長い丈のスカートで、長い袖は二の腕の辺りまで捲っており、ほっそりした白い腕を外気に晒している。制服を押し上げ、これでもかと主張している胸元には赤いタイが結ばれていた。

「はっはっはー! そんでお嬢ちゃんは誰? 新入りの妖なの? 可愛いじゃーん! いいないいな!」

 息を頬に感じるほど迫られ、暁火は思わず後ずさる。

 テンションが高い。思い描いていた幽霊と全く違う。

「まあ、そんなところ。夜行鷹緒のご息女だよ」

「えー! あのおじちゃん、娘いたの!?」

 オーバーリアクションする花代によからぬものを感じて暁火はさらに引き下がろうとするが、その薄い肩をがっしり掴まれ、力任せに引き寄せられる。眼前に迫った顔は和人形のようであり、つり上がった眦とほっそりとした顔のパーツはどこか狐を連想させた。

 至近距離で顔を凝視され、暁火はもう冷や汗混じりに愛想笑いするしかない。

「あは、ははは」

「むむ!?」

 さらに花代の整った顔が迫る。鼻先同士が微かに擦れた。

「確かに目元がおじちゃんそっくり! いつの間に作ってたわけ!」

「十八年前だろ、そりゃ」

 花代は暁火から手を放し、大袈裟な動作で自分の額をぱーんっと叩く。

「かーっ! あの男もスミに置けないねー! こんな可愛い子が出来るとあっちゃ奥さんも相当美人なんだろなー!」

 いちいち挙動が大ぶりだ。狙っているというよりもこれが素なのだろう。

 花代の言葉に出てくる人物が自身の母を指しているのだと気付き、暁火は奇妙な気分になる。

 ただの人間であった母親が見ず知らずに妖の話題に上がるというのは、どうにも不思議だった。

「あの、父、とは、知り合いなんですか?」

 暁火はふと気になり、なんとなく訊ねてみる。

 今日の朝、顔を知ったばかりの人物を父と呼ぶこともまた違和感があった。

「そだよ! 私がここに憑いたばっかりの時に会ってー、んでーいろいろよくしてくれてー、私のこと見逃してくれてるの!」

「花代さんのような地縛霊は人に危害を加えないことを条件にあの世へ逝かないことを黙認されているんです」

「そういうことー。んでこれ許可証!」

 花代がスカートのポケットから取り出したのは免許証のようなカードだった。花代の顔写真があり、氏名に加え、誕生日ならぬ逝去日、識別番号の他に逝去地、取り憑き先の現住所まで記載されている。

 確かに許可証らしい体裁のカードだ。

「このカードを持っている幽霊は基本的に成仏できるまで放任されていて、場所に憑く性質上、有事の際の情報収集の時に協力してもらっています。まあ、有り体に言うと、町に設置されている監視カメラのような役割ですね」

「どうだっ! すごいだろっ!」

 はっはっはと花代はまた得意気に高笑いし出す。

 基本的に無邪気なようだ。とても幽霊とは思えない。

「特に花代は情報収集に長けているんですよ」

「そうなんですか?」

「女子トイレは噂の集まる場所だからねー。この場所にいつもいるけど、他の場所も渡り歩いて、いろいろ情報集めてるよー」

「ああ、なるほど」

 その理屈で暁火は妙に納得した。確かに手洗い場の前にいる女子同士の会話を聞いていれば情報通にもなるだろう。

 お菓子と面白い噂話があれば、それだけで当分生きていけそうな女性というのは暁火も見慣れていた。

「そんで花代、ここ最近、なんかおかしなことはなかったか?」

「おかしなこと……? んー?」

 郁斗の問いに花代は頬に指を当て、最近見知った情報を思い出していく。

 考え込む姿さえ可憐な乙女そのものだ。旧制服の楚々とした雰囲気も相まって、深窓の令嬢めいた風情さえあった。

「学校内じゃそんなにないかなぁ。一人、最近姿を見ない幽霊はいるんだけど、それは多分郁ちゃんたちがほしい情報じゃないでしょ?」

「妙な奴が妙な小細工をしていたとかっていうのもないか?」

「すごくざっくばらんだねぇ。でもそういう不審なのは真っ先に報告するだろうし、ないと思うんだよなぁ」

「知らないとか、分からないとかじゃなくて、ないんだな?」

「少なくとも私が知る範囲では、だけどね」

 両手をほっそりとした腰に当て、花代は言う。

 情報収集に優れる花代は学校内に限れば、ほぼ全てを掌握している。彼女が感知していないということは、存在しないこととほぼ同義だ。

 そもそもここは学校だ。生徒が校内と被害に遭えば、事は大きくなるだろう。人の目も多い閉鎖された空間で何かをしでかすというのはあまりにも考えすぎだったのかもしれない、と郁斗は思い至る。

「そんなこと訊くってことは何かあったの? 郁ちゃん、珍しく仕事熱心だし」

「俺はいつだって真面目だよ。何かあったのかどうか確認したかっただけだし、何もないならそれに越したことはないんだ」

 答えて、未だに残る不安感を拭うように郁斗は頭を振った。杞憂であれば、それが一番なのだ。

 郁斗自身、自分が神経質になっていることは分かっている。何としても暁火を護らなければいけないという意識ばかりが先走っていた。

「まあ、いい。分かった。また何かあったら教えてくれ」

「あいよー! また遊びに来てねぇ」

 去っていく郁斗に花代は手を振る。ドアを開き出て行く手前、郁斗はふと思い出して花代を顧みる。

「生徒への悪戯もほどほどにしろよ」

「善処はするよー」

 恐らく改善はされないのだろう。

 花代は自分好みの女性を目にすると、見えないのをいいことに体を触るクセがある。危害を加えているとは言えないので黙認されてはいるが、それで学校に妙な噂が立っているのはあまり芳しくない。先代が笑って許していた以上、あまり強くも言えないところだ。

 郁斗が去った後も残っている暁火に、花代は首を傾げる。

「ありゃ、どしたの? 行かないの?」

「最後に一つだけ訊きたいことがあるんですけど、いいですか?」

 改まった問いに少しだけ怪訝な顔をした花代はすぐに笑顔へと戻った。

「私に答えられることだったらどうぞ」

「アタシの父親って、花代さんから見るとどういう人ですか?」

「ああ、おじちゃんのことか」

 暁火の問いに花代は腕を組んで呻吟する。暁火を一瞥すると、彼女は真剣そのものの眼差しで花代を見つめていた。

 ふざけて答えるべきではない質問なのだと分かる。

「一言で言えば滅茶苦茶な人、かな。管理者としてどうなのかっていうのはおじちゃん以外の管理者を知らないから何とも言えないけど、やってることは滅茶苦茶だって分かる。喧嘩っ早くていい加減なくせに、変に面倒見がよくて私みたいな幽霊一人にまでよくしてくれるし。すぐに熱くなって、無茶をするのに結局それで道をこじ開けて、全部上手いこと収めちゃうっていうのかな。きっと、荒っぽくても物事の本質ってのをしっかり捉えてるんだろうね」

「物事の本質……」

 暁火は花代の言葉を繰り返す。

 彼女が何かを求めていることは分かった。自分の答えの中に、その彼女の求めるものがあったのかは分からない。

 花代は気まぐれで、もう少しだけ言葉を尽くすことにした。

「私ね、もともと悪霊だったの」

「え? 悪霊?」

「そ、悪霊。私、ずっと昔にいろいろあって同級生に殺されちゃってね。それでもう憎くて憎くてしょうがなかった。きっと私に悪いところがあって、相手にも言い分はあったんだろうけど、殺されたのが憎くて、その生徒を殺そうとしたの、悪霊となってね」

 目の前の少女はまだ驚いた顔をしている。

 確かに今の花代を見たら、想像すらできないだろう。当時の花代を知る者は、今の花代は明るくなったと言う。花代自身、自分は明るくなったと思っている。

 きっと、誰かを殺してやろうという怨念塗れであった当時の自分の姿は想像できないだろう。

「妖衆の人たちがそんな私を見過ごすわけがなくて、当然私は消されそうになったんだけどね、そんな人たちをぶん殴って止めてくれたのがおじちゃんだった。そんで「こんなガキを二度も殺すつもりか」とか言ってね、私を必死に説得して止めてくれたの。確か「妖として、お前を殺した奴よりも長い時間を楽しみまくったら、それでお前の勝ちだろ」とか言ってたんだっけなぁ」

 話しながら花代は当時のことを思い出す。

 夜行鷹緒は自分が傷つくことも構わず、必死に花代を説得し、何としても守ろうとしてくれた。

 今でもそのことには感謝しており、だからこそ花代は幽霊として穏やかな日常を過ごしている。

「なんていうか、貴女のお父さんはそんな人だよ。思惑も何もなく、ただ真っ直ぐに自分が思ったとおりに突っ走ってる感じ。どう、なんか参考になった?」

 花代が最後に問いかけると、暁火の顔に華やぐように笑みが広がった。目を細め、顔をくしゃくしゃにするような見栄のない笑い方だった。

「はい。お陰でいろいろ分かった気がします。ありがとうございます!」

 深々と頭を下げる暁火に、花代はひらひらと手を振る。

「いいのいいの。その代わりと言っちゃなんだけど、またいつでも遊びに来てよ」

 夜行鷹緒の娘である彼女とは、なんだか仲良くなれる気がした。




 郁斗がトイレの前で待っていると、花代の熱烈な見送りの声を伴って暁火が出てきた。

 いつもニコニコ笑っているが、先程よりも横顔は明るく見える。

「何を話していたんですか?」

「ん? ちょっと内緒のガールズトークですよ」

 答える声もいつもより弾んでいた。

 何かあったのは明らかだ。暁火はもしかすると感情が顔に出やすいタイプなのかもしれない。

 教室へ向かって歩き出す暁火の後ろを霊体化した郁斗がついていく。

 ステップを踏むような足取りに古い洋楽の鼻唄が交じる。

「何かあったんですか?」

「んー? 何にもないですよー」

「絶対ありましたよね?」

「えー? そう見えます?」

「ええ、そりゃもうはっきりと」

 分からない方がおかしいほどだ。

「ただ、本当に水より濃いんだなぁって思いましてね」

「は?」

 意味が分からず立ち止まって考え込む郁斗を知ってから知らずか、暁火は踊るように廊下を歩いて行く。

 何かの暗号なのだろうか、と考える郁斗の足に三郎が擦り寄ってくる。気を使われているようだ。

「お前、何か知ってるか?」

 何となく問いかけてみるが、三郎はむーと鳴くだけだ。先を行く暁火の背中はすでに随分と遠ざかっていた。

 後ろ姿だけでも上機嫌なのが伝わってくる。舞うような足取りは踏み込んだ場所から花が芽吹きそうなほどだった。

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