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Change The World - Helvetica Girl  作者: コヨミミライ
埋野暁火という少女
11/20

時節はいつだって知らん顔

 灯りのない部屋。障子の和紙を透けた朝日が畳の上で格子状の影を作り出していた。

 小鳥の囀りが聞こえる。しんと静まった空気は冷たく、清澄だった。

 風のそよぎ。揺れる笹の擦れ合う音。どこかで食器を洗う音。水音が弾け、食器が打ち合わさる。そう遠くはない廊下を誰かが歩いている。透き通った空気を伝導し、ありとあらゆる音がクリアに聞こえる。

 学生服姿の暁火はスカートのポケットに手を突っ込み、仏壇の前に立っていた。

 香炉に差された二本の線香が古めかしい香りと共に女性めいた煙を立ち上らせている。

 周囲には花と酒が添えられ、埋もれるように見知らぬ人間の遺影があった。

 白い長髪に着物を着た若い男性。口の片端を吊り上げるようにして笑い、三白眼はどこか相手を見下すようだった。

 遺影というにはあまりにも不敵で、だからこそそれらしい写真でもある。

「知らない顔なのに、なんかアタシと似た顔してるし」

 ぽつりと暁火は呟く。

 その横顔は凪いでおり、ただじっと他人同然の肉親を見つめていた。

「夜行鷹緒」

 名前を口にしてみても、全くしっくりこない。

 聞き慣れない音でしかなかった。

 暁火は仏壇に歩み寄り、緩慢な動作でその前に正座する。線香へと伸ばされた手がふと止まり、暁火は写真の男に似た笑みを口元に宿して立ち上がった。鼻唄交じりに彼女はポケットをまさぐる。

 身を翻し、振り返ることなく暁火は部屋を去り、縁側へと出た。寒空の下、赤毛の物の怪は暁火の通学用鞄の上で丸くなっている。

 暁火が出てきたことに気付き、立ち上がった物の怪は黒いストッキングを履いた細い足にすり寄った。甘えるように頭を擦りつけ、様子を窺うように見上げてくる小動物。ぴくぴくと動く耳に暁火の唇が綻んだ。

「よしよし。行くよ、三郎」

 赤い物の怪改め三郎の頭を撫でて、暁火は障子を閉めて歩き出す。

 誰もいなくなった部屋。仏壇には一個の飴が供えられていた。




 いつもとは違う出発点。いつもとは違う道順で暁火は学校への道を歩いて行く。

 遅刻をしないよう早めに出発したため、まだ人の数は少なく、車道を走る車も疎らだった。車が少ないために、我が物顔の車が次から次へと高速で走り抜けていく。

 暁火は道すがらのコンビニで買ったアメリカンドッグを食べながら、悠々と早朝の冷え切った街を進む。

 その傍らの景色が一瞬、陽炎のように揺らいだ。

「さっき朝食を食べたばかりなのに、よく入りますね」

「買い食いは学生の華ですからねぇ」

 見ているだけで胃もたれを起こした郁斗がうんざりとした声で皮肉げに言うが、暁火はあっはっはと能天気に笑っている。

 他から姿が見えないように霊体化した郁斗は食後間もない運動だけでも、大分気が滅入っていた。

 暁火の足下にも同様の陽炎が絡みつく。霊体化した三郎だった。

「別に無理してついて来なくてもよかったんですよ?」

「そういうわけにはいきませんよ。いつ襲撃があるのか分からない以上、御身のご守護をさせたいただきます」

「心配性ですねぇ」

 暁火は苦笑いするが、郁斗の声は真面目そのものだ。

「そもそも学校へ行くこと自体、俺は反対ですよ。あまりにも危険です」

「相手だってバカじゃないんですから、人目があるところで襲ってきはしませんよ。それにいくら出席扱いにならないように取り計らってもらっても、授業遅れちゃうのは問題ですし」

「学業も大事ではありますが、貴女のもっと先の将来に関わる問題があるんですよ?」

「今すぐどうにもできないことで気を揉むより、できることからやっていきましょうよー」

 あっけらかんとした顔で暁火は笑う。

 へらへらとしているようで言っていることは的を射ている。どこにいても襲撃の可能性があるのは確かだ。

 組員の多くが方々を駆け回り手を巡らせている今、屋敷が絶対に安全と言えるわけでもない。黙っていても、動いていても進展がない以上、まだ暁火の選択は有意義なのだろう。

 何より菖蒲を説得して、ここまで歩いてきた暁火を今更引き返させることなど不可能だろう。一度決めたら暁火が譲らない性格であることを、郁斗はこの三日間で痛感していた。

「まあ、アタシが組長になることを決めたら、それで全部解決っていえば解決なんですよね」

「我々のことを考えて決断する必要はないんですよ。焦らないで考えてください」

 背後から聞こえる声に暁火は立ち止まり振り返る。目には見えないがすぐ傍にいる郁斗を見つめるように目を凝らすが、どこにいるのかも分からない。

 もちろんその表情も分かりようがない。だというのに、暁火の黒曜石の瞳は正確に郁斗を正面に捉え、まるで彼の痛みに堪えるような顔さえ見透かしているようだった。

「葉月さんはアタシが組長にならない方がいいと考えているんですか?」

「そういうわけではありません。しかし、こんな世界に巻き込んじまうことに気乗りがしないってのはなんとくなくでも分かりますよね?」

「あー、まあ、確かにそう言えばそうか」

 少し考え、納得したように頷いた暁火はスカートの裾が膨らませるようにくるりと半回転して再び歩き出す。

「実際どうなんですか? 葉月さんから見てアタシって組長務まりそうに見えます?」

「それは」

「別にそれで決めるってわけじゃないですけど、適性がないのに組長ってのもよくないと思うんですよ」

 食べ終えたアメリカンドッグの棒を指揮でもするように振りながら、暁火は気楽な口調で言う。

 本当に考えているのか、考えていないのか全く掴めない言動ばかりだ。

 郁斗は返答に悩み、押し黙る。適性があるかどうか、その問いへの答え自体は簡単なのだ。明らかに彼女は適性があり、むしろこれ以上の適任はいないほどだった。

 頭が回り、度胸があり、その上向こう見ずではなく、状況を理解し、物分かりもよく、それでいて大胆な賭けに出ることもできる。これほどまでに恵まれた跡継ぎはないだろう。

 加えて夜行組は組員の能力が軒並み高い。指導者として優秀な者も多い。飲み込みが早い彼女が跡目を継げば、瞬く間に立派な長となるはずだ。

 それは郁斗だけではなく、菖蒲や張の評価でもある。

 だからこそ、素直にそれを言うことは憚られたのだ。適性があるからこそ、彼女は妖の世界での地位を確かなものとするだろう。そうすれば尚更引き返せなくなる。

 適性と決意は違う。軽率に決めて、いずれ後悔した時、彼女はもう元の世界には戻れない。

 郁斗の言葉は少なからず暁火の背中を押すはずだ。

 答えのない郁斗に暁火は「んー」と微かに唸る。

「やっぱ女子高生に仕えるってのは嫌なもんなんですかね」

「そういうわけでは!」

 反射的に声を上げて、郁斗はすぐに口を覆った。

 珍しい大声に暁火は目を丸くして振り返り、首を傾げる。

「いえ、失礼しました。取り乱しました」

「ん、そか。まあ、そう言ってもらえる程度には悪くないってことにしておきますね」

 にっと笑って暁火は再び歩む。

 その背を見つめ、郁斗はため息を吐き出した。

 柄にもない反応だ。罪悪感に頭を抱えたくなる。

 それでも感情的にならずにはいられない。

 彼女に仕え、彼女の手足として動き、彼女に命を捧げることができる。そんなことを誰よりも永く夢見ていたのは間違いなく彼だったのだから。




 いつもよりずっと早く出発したというのに、暁火はのんびり歩いていたため、学校に着いた時間はむしろ常よりも幾分遅かった。

 生徒でごった返す昇降口を抜け、見慣れた教室へと足早に向かう。いつものように教室の引き戸を開けて中に入ると、暁火の机の傍には静江と果穂が立っていた。

「あーけーびー!」

 真っ先に暁火に気付いた果穂は弾かれたように暁火へと駆け寄り、その細く小さな体に抱きついた。

 熱い歓迎に暁火は戸惑い、落ち着かせるように果穂の背中をぽんぽんと叩く。

「お、おおぅ。どしたんどしたん」

「うおー! 暁火ぃ! よかったぁ! 会いたかったぞぉ!」

「会いたかったって一日しか休んでないでしょ」

 今にも泣き出しそうな声を上げて強く抱き締めてくる果穂に暁火は苦笑する。

 まさかそこまで寂しがっていたとは思ってもいなかった。

「果穂ちゃん、アケちゃんがいなくて寂しかったんだよ。それに普段休まないアケちゃんが休んだから、余計に心配したみたいで」

 遅れてやって来た静江に説明されて暁火は納得する。そう言えば母親と後見人が亡くなった時以外、暁火はほとんど学校を休んだことがない。

 高校に入ってからは今まで皆勤だったようにも思える。あまり意識したことはなかったので、実際どうだったのかは暁火も分からないが、果穂が心配するくらいには休んでいなかったのだろう。

 肩に顔を埋める果穂を一瞥し、暁火は自然と穏やかに笑った。

「おーよしよし、心配してくれてありがとうね、果穂」

 優しく頭を撫でてやると果穂は暁火から離れ、赤らんだ顔で洟を啜る。どうやら本当に泣きかけていたようだ。

「もう大丈夫なの? 体調」

 いつものはきはきとした声とは異なる弱々しい果穂の声だった。潤んだ瞳もあってか子供のようだ。

「元気だよ、もう何も問題ないよ」

 安心させるように暁火は満面の笑みで応じる。

「静江もいろいろ心配してくれてありがとうね」

「私は何もしてないよ。でも元気になってくれてよかった」

 静江は透き通った声で言い、胸をなで下ろしてみせる。果穂と同じように静江も心配してくれていたのだろう。

「あはは、元気が取り柄だからね。あれくらいどうってことないわけよ」

「ノートは取ってあるから、後で見せるね」

「サンクス!」

 お礼と共に親指を突き立てた暁火はふとあることに気付いて、まだ涙目の果穂に顔を向ける。

「そういえばあんた朝練どうしたの?」

「もち! 暁火を出迎えるために休んだ!」

 先程の暁火に倣うように果穂は親指を突き立ててみせる。

 潔い告白に暁火は一瞬呆けてしまった。まさかそこまで素直に白状するとは思ってもいなかった。

「あんた……試合目前に何やってんのさっ!」

「だって暁火の元気な顔を一秒でも早く見たかったんだもん!」

「もんじゃないでしょ! もんじゃ!」

 果穂は明日に迫った交流試合に出場することがすでに決まっている。

 相手は菅山高校。三滝ヶ原高校の剣道部が強豪だと言われていた時代、幾度となく県予選で熾烈な戦いをしてきた高校だ。枕詞同然だった「強豪」の頭に元という不名誉な文字が付与されてからというもの、ずっと交流試合はなかったのだが現部長藤堂と顧問が協力して、今年久しぶりの交流試合を取り付けた。

 藤堂にとっては剣道部として最後の試合となる。交流試合が終われば引退することが決まっている。

 我武者羅に頑張ることが大事だとは言わないが、前日に練習を休むというのもあまり感心できるものではない。しかし、自分を思いやってのことだと知っている以上、暁火も強く言うことはできなかった。

「愛されてますねぇ」

 斜め後ろから聞こえた郁斗の声に、振り返りもせずに暁火は見えもしない足の甲を的確に踏み抜いた。

「あっだっ!? いっで!?」

 暁火以外には聞こえない悲鳴を上げ、郁斗が倒れ込み机ががたがたと揺れる。

「うわっなんだっ!?」

 のたうち回る郁斗が机や椅子を押し出し、蹴っ飛ばし、引き倒していく。

「ポルターガイストかっ!?」

「勝手に動いてるぞ……!?」

 突如として勝手に動き出した机と椅子に教室にいた生徒たちまで悲鳴を上げ、逃げ惑い出す。

 女生徒の金切り声と男子生徒の野太い雄叫びが重なり合い、地獄の不協和音が一瞬にして教室から溢れ出た。

 中には窓から飛び出していく生徒までいる始末。

 パニック状態の惨状。我先にと逃げていく級友達。暁火たち三人は呆気に取られて立ち尽くしていた。ただ一人暁火だけが申し訳なさそうに頬をかいている。

「いかん……学校の怪談を作ってしまった……」

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