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Change The World - Helvetica Girl  作者: コヨミミライ
夜行組へようこそ
10/20

方位自心

『あ、もしもし、どうしたの、果穂?』

『どうしたじゃないやい! なんで静江に返信して、私に返信ないわけさー! ずっとないなんて酷いじゃーん!』

『ああ、ごめんごめん。なんだかいろいろあってさー、あっはっは』

『あっはっはー! じゃないでしょっての! 大体いろいろあったって何さ! ちゃんと休んでんの?』

『大丈夫だよ。休んでる、ちゃんと』

『怪しいなぁ……。ていうかなんか息荒れてない? 何、そんなに酷いの?』

『まあ、そんな感じかなぁ』

『大丈夫? 辛かったら明日も休みなよ?』

『大丈夫だよ。それにアタシがいないと暇なんでしょ?』

『そうは言ったけど、無理はしてほしくないだろっての!』

『あはは、ありがとうね。ま、でもしっかり休んで、明日はなるべく行けるようにするよ』

『無理はしないように! お大事にだぞっ!』




「それで? 返り討ちにしてやったわけ?」

「まあ、そうだな。全く、キモが据わってると思ってはいたが、その上強情な奴だぜありゃ」

 夜行組の屋敷の一室。郁斗と菖蒲はテーブルを挟んで座っていた。

 壁に寄りかかるようにして片膝を立てた郁斗は疲れ切った息を吐き出す。そんな郁斗の様子を見て、噛んでいた煎餅を飲み込み、菖蒲はふふっと艶っぽく笑った。

「逃げてたらつけ上がるだけだから強めに叩こう、だなんて科白があんな年頃の子から出てくるなんてね。思った以上にあの子、向いているのかしら」

「その上、追っ手の存在に気付いた挙げ句、自分を囮にする作戦を自分で提案してくるってんだから驚きだよ」

 作戦に乗った郁斗は、暁火の身に何かあったらと気が気ではなかった。危険性を伝え、しつこく説得をしても暁火は応じず、それどころか上手いこと郁斗を言いくるめる始末。

 戦いが終わった後も買ってきた食べ物をけろりとした顔で食べているのだから、さらに驚きだった。

 あれだけのものを食べて、その上屋敷に戻ってからの昼食も平らげる胃の許容量に関しても衝撃だ。あの華奢で小柄な体のどこに詰まっているのか、疑問は尽きない。

「報告を聞いてから、いろいろ烏合衆に調べさせたんだけど、やっぱり追跡者チェイサーは飯綱会に雇われているみたいよ。金を積めばどんな仕事でもする追跡者チェイサーはさておき、武闘派でしかも部外者を好まない飯綱会が外部から新たな戦力を補充するっていうのは妙な動きね」

赤刃セキジン追跡者チェイサーが当面、飯綱会を相手取った場合の脅威になるな」

 郁斗は腕を組んで考える。

 どちらも実力で名前を轟かせており、この界隈で知らぬ者はいない。一度に相手取ることは避けたく、単体でも簡単にやり過ごせる相手ではなかった。

 今回のような絡め手は何度も通用するものではない。状況を利用し、その上で奇襲をかけたことで郁斗のペースに持ち込むことはできたが、最初から真っ向勝負で対峙するならば、また展開は変わっていく。

「これだけ備えるってことは連中も必死なんでしょうね。ま、夜行組の組長が正式に決定したら、連中は終わりだもの、当然といえば当然かしら」

「吐いた唾は戻せないってこったな」

 跡継ぎが決まることはあるまいと強気の姿勢を貫いていた飯綱会の微妙な変化。

 昨日の今日で新たな刺客を差し向けてくるところを見るに、焦っているのは明白だった。

 夜行組が優位である現れともいえる兆候ではあるが、だからこそ危うくもある。

「相当に追い詰められているはずよ。あの鼠どもが何をしでかすか分かったものじゃない。目を光らせておいてね」

「分かってるよ、もちろん」

 連中の次の一手は分からず、とんでもない無理を通そうとする可能性もある。だというのに郁斗たちはどうあっても後手に回らざるを得ない。

 いつまで経っても歯痒さの消え失せない状況だ。




 時間を持て余した暁火は探索がてら、屋敷の廊下を適当に練り歩いていた。

 お気に入りのチュッパチャップスを咥え、このご時世ではかさばるばかりのCDプレイヤーを片手に持って、音楽を聴きながら進む。

 昨日と今日のうちに主立った場所はある程度把握した。夜行組は今こそ多くの者が出払ってしまってはいるが本来は大所帯らしく、組員の部屋がほとんどだ。

 鼻歌交じりに進み突き当たりを曲がると奇妙な姿を見つけ、暁火は立ち止まった。

 黒電話の置かれた棚の足下の向こう側で何かが揺れている。尾を生やした赤い毛玉だ。もぞもぞと動き、尻尾を落ち着きなく振っていた。

 不思議そうに揺れる毛玉を眺めていた暁火は、そっと足音を殺してその毛玉へと擦り寄る。艶々とした赤い毛は柔らかそうだ。特に尻尾は毛が多く、ふわふわとしており、耳かきの梵天を彷彿とさせた。

 少しずつ、しかし確かに距離を詰め、暁火の目が好機を見定め煌めく。

 静から動への転換。一瞬の動き。冷え切った板張りの床を軋ませ、飛びかかった暁火がその毛玉に掴みかかる。

 毛玉がびくりと震え、そのまま暁火の細い指先に絡め取られ持ち上げられた。

「つっかまえたー!」

 暴れ回る毛玉を抑え込み、暁火は抱え上げたそれを顔の高さに掲げる。

「ぬっはっはー。この暁火様から逃げられると思うたかっ!」

 得意気に笑った暁火はしかしその毛玉の姿をまともに確認して、目を丸くした。

 それは小さなキツネのような動物。尻尾に反して体つきは細くしなやかであり、毛も膨らんではいない。短い手足の先にはそれぞれ三本の長い爪が生えている。顔つきだけはキツネに似ているが、耳は後ろへ伸びており兎のようでもある。細く長い顔に並んだ二つの青い目は、暁火と同じ不思議そうな目で見つめ返していた。

 額に生えた円錐状の一本の角がやけに目を引く。

「んー? お前さては普通の動物じゃないなー?」

 むーむー、とまた正体不明の生物が鳴いた。

 そもそもここまで真紅の毛並み自体が珍しい。

 考えれば考えるほど普通の動物ではなかった。

 互いに互いを興味深そうに見つめ合う。もふもふの尻尾だけがぱたぱたと揺れていた。

「妖なの?」

 返事はむー。さすがに暁火にも分からない。

「んー。迷い込んだのかな。これは一度葉月さんか菖蒲さんに訊いてみるべきかなぁ」

 今度は激しくむーむーと鳴き出し、真珠のように綺麗な牙が生え揃った口で暁火の咥えていた飴の棒に噛み付こうとしてくる。

「おうおう? どうしたどうした? なんだ、これ食べたいのか?」

 暁火の言葉など知ってか知らずか未確認生命体はむーむーと落ち着きなく喚く。こう暴れられると落としてしまいそうなので、暁火はしゃがみ込んで赤い生き物を床に下ろした。正体も分からぬそれは解放されても逃げることはせず、正体も分からぬ暁火に対して何度も声を上げる。

「えー、これあげて大丈夫なのかな。チョコバナナ味ならあるけど食べる? て、うわ、食べる気満々だよ。待ってて。待ってって。待てっ! 今包装外しちゃうからねー、と」

 しつこい獣を落ち着かせ、暁火は慣れた手つきでチュッパチャップスの包装を剥がして差し出す。

 黄色と黒の混ざり合う玉に躊躇いなく噛み付き、そのまま鋭い牙で噛み砕いていく。

「うおー。すげぇ。めっちゃ噛むな、お前。アタシにそっくりだ」

 廊下の真ん中にしゃがみ込んだ暁火は飴玉をばりばり噛み砕く獣の頭を撫でて笑う。

「随分懐いているようじゃのう」

「いやあ、なんなんですかねー。餌付けになっちゃうかなー、これ」

 背後から聞こえた声にうっかり答えてしまった暁火ははっと気付き、弾かれるように振り返った。そこには杖をついた小さな老人の姿。

 しゃがみ込んだ暁火と目の高さが大して変わらないほどの矮躯だった。腰を悪くしているのか前のめり気味の体を支えるように杖をつき、不釣り合いなほどに大きな頭には白髪。頭頂部はすでに禿げており、側頭部の薄い毛だけが残っていた。

 小さな目は薄く開いており、笑みの隙間からは隙間だらけの歯が見える。

 見るからに老人であり、見たとおりの老人だった。

「あれ、おじいちゃんは誰?」

「ほっほっほ、儂は見ての通りおじいちゃんじゃよ」

「ここにいるってことはおじいちゃんも妖ですか?」

「その通りじゃ」

 朗らかに笑い、のろのろと歩み寄ってきた老人は暁火の足下で飴玉がなくなった棒をしつこく噛む獣を覗き見た。

「おやおや、随分と気に入っているようじゃのう」

「飴上げちゃいましたけど、大丈夫ですかね?」

「大丈夫じゃよ。そやつも妖じゃ。それくらいで腹を下すようなことはないじゃろう」

 棒に残っていた味もなくなったのだろう。噛むだけ噛んだ棒をそのままに、獣は暁火の膝の上に軽やかな跳躍で飛び乗った。

「やっぱり妖ですよね、この子」

 獣の耳の裏を引っ掻くように撫でながら暁火は笑った。妖の獣は気持ちよさそうに目を細め喉を鳴らす。

 見たところ、大した害もなさそうだ。

「魑魅魍魎、物の怪の一種じゃな。妖の屋敷だからと油断して、姿を隠していなかったのじゃろう」

「間抜けだなお前ー。えーと、この子名前とかあります?」

「魑魅魍魎の種類は途方もなく、同じものがいるとも限らぬ故、基本的に名前はあらんよ」

 答えた老人は物の怪へと目を向ける。

 よほど暁火の膝の上が気に入ったのだろう。体を丸めて休む体勢に入っていた。

「この子、誰かが飼ってたりとかします?」

「さあて、どうじゃったのかのう? この屋敷には長くおるが、見たことは一度もなかったわい。迷い込んだのじゃろうな」

 老人が答える間も暁火は優しい手つきで物の怪の体を撫でていた。

 赤く艶やかな毛は見た目通り柔らかく、その体は暖かい。仔猫や仔犬と変わらぬ感触だ。

「放した方がいいんですかね」

「そうよなぁ。お嬢さんが妖の世界に関わり続けるのなら一緒にいてもよいが、そうでないのなら放すべきじゃろうなぁ」

 変わらぬ語調の答えに暁火は老人へ顔を向けた。

 その表情に驚きはなく、物の怪に向けていた横顔同様穏やかなものだ。

「アタシが誰か知っていたんですね」

「この屋敷でお嬢さんのことを知らぬ者はおらぬよ」

 ほっほっほとまた老人は好々爺然とした笑い声を漏らす。

「ですよねー。一応次の上司になるかもしれないわけですもんねー」

「悩んではおらぬようじゃのう」

「あ、分かります?」

 老人の言葉に暁火は、悪戯が見つかった子供のように無邪気な笑みを見せる。

「もう答えは決まっているようにも見えるの」

 遠く続いていく廊下の向こう側へ老人は視線を投じる。倣うように暁火も同じ方向を眺めた。

「おじいちゃんに嘘はつけないもんですね、やっぱり。なんとなくもう決めてはいるんですけど、あっさり答え出したら、なんだかアタシ以上に一生懸命考えてくれている葉月さんや菖蒲さんに悪い気がしましてね。だからもう少し考えてみようと思っているんです」

「あやつらは心配性だからのう」

 老人が隙間だらけの歯を見せて苦笑いする。

「考えておらぬわけじゃなかろうさ。お嬢さんは今までたくさん考えたからこそ迷わぬのじゃろう。もうとっくの昔にいろんなことを決めておるからこそ、悩む必要がないんじゃよ、きっと」

「あはは、さすがおじいちゃん」

「長く生きているといろいろ見えるものじゃよ」

「でも、確かにそうかもしれないですね」

 ふと暁火の笑みが微かに薄れ、いつもより少しだけ瞳に真面目な色が宿った。

 真剣というには唇が笑っており、常の気楽さと同じものではないと分かるほどには鋭い眼光だ。

「見たところ、お嬢さんは迷わないながら融通は利きそうじゃ。いや、融通が利くから迷わないというのかの」

「褒めすぎですよ、それは。でも、もう少しだけやっぱり考えてみます。人の上に立つかもしれないっていう選択肢ですし、アタシだけの問題というわけでもないようですから」

「ほっほっほ。どれだけ考えようと、きっとお嬢さんの考えは変わらんよ」

 咎めるような冷たさはなく、また決めつけるような強さもなく老人は言ってのけ、暁火に顔を向けた。暁火もまたそれに気付き、老人の顔を見る。

 白い眉の下、睫毛さえ色を失った目に曇りはない。

「老いぼれから言わせてもらうとな、別に夜行組が管理者でなくなろうと、別の誰かが管理者になることは決まっておる。そいでもってその指導者もきっと悪い指導者ではないじゃろうよ。もしかすると今よりよくなるかもしれんし、悪くなっても少しだけじゃ。きっとそういう者が指導者になる。儂らが無理に管理者である必要はないのじゃ」

「じゃあ、どうして皆さんはアタシにあのことを話したんでしょうか?」

 純粋な疑問を暁火は口にする。老人はゆっくりと目を細めた。

「儂らが管理者で在り続けようとするのは、先代がいた頃の夜行組の在り方を守りたいからなんじゃ」

「在り方を、守る」

「そうじゃ。先代は義理堅い奴での。一度身内にした者のことは何があっても必死に守るような男じゃった。何かを途中で投げ出すことが大嫌いで、他人に任せるくらいなら自分でなんとかしたがるバカモンじゃったわい」

 それは暁火にとって、見知らぬ肉親の話だった。

 全く知らない、しかし間違いなく自分の父親である男の話。

 会ったことがないからと言って他人としてしまえる関係性ではなく、それでも徹頭徹尾他人でしかない誰かの生き様の断片だった。

「そんな男が、自分に与えられた使命を途中で投げ出すことをよしとするはずはない、とみんなが思った。だからこそ、その希望をお嬢さんに託すことにしたわけじゃ。もしかしたら今よりもよくなるかもしれぬが、悪くなってしまうかもしれない場所に自分たちが守るべきだった存在を投げ出してしまう前に、一度だけでも抗いたかったのじゃ」

 暁火は何も言わず老人の顔を見つめ、その話を聞いていた。唇を引き結び、一瞬たりとも老人から視線を外さない。どこか懐かしむように話す老人の横顔は明るく、眩しさに目を細めているようにも見えた。

 杖に頼って体を支えている老人とは思えない活力を感じずにはいられない。

「お嬢さんが組長にならないのなら儂らはそれで諦めがつく。お嬢さんが組長になるのであれば、儂らは先代に少しだけ報いることができた気になれる。だからといってお嬢さんがそんな自己満足に付き合う必要もないのじゃ。お嬢さんが組長にならなくとも、妖の世界は何とかなると決まっておるのじゃからな」

 区域の管理者は国の認可なくして成り立たない。考えるまでもなく、相応しい者が選ばれる。

 振り返れば、郁斗も菖蒲も張も、飯綱会が管理者になる可能性など危険視していなかった。彼らは飯綱会の暴挙によって暁火の命が危険に晒されることを避けたいだけであり、彼らが管理者になることはないと断定している。

 管理者を失って乱れつつある情勢も管理者さえ決定すれば収束するだろう。全ての川が海に通じるが如く当然の流れとして。

「だからお嬢さんは周りなど気にしなくてよいのじゃ。儂らが自己満足で決めたように、お嬢さんも自分が満足することだけを考えて、決めればよいのじゃよ」

 にっと老人は笑う。

 老獪が滲む、薄気味悪い笑みではない。もっとシニカルで若者めいた、向こう見ずの笑みだった。

 皺だらけの顔、痩せ細った体、隙間だらけの歯、そんな出で立ちにどうしてかその笑みは似合っている。馴染みきった仕草であり、きっとこの老人はずっとそういう性質で生きてきたのだろうと妙に納得させてしまう風情だ。

「満足することだけを考えて……」

 老人のそんなちぐはぐな言動に見惚れるように呆けていた暁火は、ぼんやり開けていた唇の両端を引き上げ、力強く頷いた。

「それ、すっごくアタシ好みですね」

 自分の心を満たす選択。最もシンプルで分かりやすい基準。

 簡単なことだ。元より彼女は今までそれだけを考えて、道を決めてきたのだから。




 菖蒲と今後の方針について話し終えた郁斗は縁側で暁火と出くわした。

 冬の寒い空の下、両膝を抱き締めるようにして座る姿。彼女は床の上に置いたCDプレイヤーから伸びるイヤフォンを耳に刺し、タブレットの画面を見つめていた。

「ここにいたんですね」

 郁斗の声に気付いたのか、視界の端に映った姿で分かったのか、顔を上げた暁火はイヤフォンを取って郁斗に笑顔を向けた。

「話し合いは終わったんですか?」

「ええ、終わりましたよ。それで、何を見ていたんですか?」

 隣に座りながら郁斗が訊ねると暁火はタブレットの画面を郁斗に見せてくる。

 整然と並ぶ縦書きの文字列。タブレットではなく、電子書籍専用の端末だと郁斗はすぐに気付く。

 暁火の意外な持ち物に郁斗の片眉が跳ねた。

「近代的ですね。そういうのが好きではないと思いました」

「アタシも原始人じゃないですからね。スマートフォンは肌に合わないから使っていませんが、これはかさばらないんで重宝してますよ」

 彼女なりの物差しがあるらしい。

 とことん自分に合うと思ったものしか必要としない性分のようだ。

「読書は好きなんですか?」

「好きですよ。こうやって音楽聴きながら、読書するのが特に」

 暁火の傍に置かれた旧式のCDプレイヤーに郁斗は目を向ける。今となってはどこに行っても取り扱っていないであろう機械だ。

 銀色の塗装は剥げ、CDが回る音にも妙な雑音が微かに混じっている。相当使い込んでいるのだろう。

「ちなみに何を聴いているんですか?」

「これですよ」

 次に暁火が差し出したのはCDケース。眼鏡をかけた髭面の外人男性のモノクロ写真にアルバムの名前が添えられていた。それは十年以上前に発売された外人アーティストのベスト盤。

 あまりの渋さに郁斗の顔が歪む。

「うっわ、女子高生が聴くもんかよ、これ」

「これしかCD持ってないんですよ、アタシ」

 郁斗の反応に気分を害すわけでもなく、暁火はさらっと言ってのける。

 つくづく変わった女だ。郁斗は自分の微苦笑が痙攣していることを自覚した。苦々しくも、笑みは保てているのだから、褒められていいはずだろう。

 彼女の持ち物を知れば知るほど、彼女のことに関して謎は深まっていく。

「CDプレイヤーもかさばりませんか? デジタル音楽プレイヤーに変えたらどうです?」

「んー、電子書籍は本を買いすぎると場所を取るんで乗り換えましたけど、音楽はこれくらいしか聴かないから必要ないですかね」

 実用性を重視しているようで、あまりこだわっていないところも含めて郁斗には理解できない。言っていることは分かるのだが、漠然と抱いていた女子高生のイメージからかけ離れすぎており、どうにも腑に落ちないのだ。

 暁火はCDプレイヤーを止め、電子書籍端末を床に置く。彼女の襟元で赤い塊が動いたのを見て、郁斗は一瞬身構えた。

「ああ、起こしちゃった?」

 暁火のセーターの首回りを押し広げて頭を出したのは真紅の毛並みを持つ物の怪だった。

「……埋野さん。それは新手の豊胸ですか」

「はっはっは、面白いこといいますねぇ、葉月さん」

 笑顔で応じる暁火。脇髪をピンで留めた右のこめかみ付近に青筋を見て、郁斗は咄嗟に目を逸らした。どうやら触れてはいけない話題だったようだ。

 数多くの死線をかいくぐってきた郁斗ですら背筋に冷たいものを感じる冷点下ながら灼熱地獄に相当する鬼の笑顔だった。

「……その物の怪はどうしたんですか?」

「ああ、なんだか迷い込んじゃったみたいで、懐いちゃったんですよねー」

 セーターから顔を出した赤い物の怪はむーと妙な鳴き声を上げる。

「そう簡単に懐くものですか?」

「そう簡単に懐かないものなんですか?」

 郁斗の問いに、暁火は一層不思議そうに訊ね返す。暁火にとってはこの赤い物の怪が初めて見る物の怪だから分からないのは無理もない。

 本来物の怪は人前に姿を現さない上に警戒心が強く、なかなか懐かないものだ。それなのに暁火のセーターの中でぬくぬくと暖まっている物の怪は警戒心の欠片もなく、すっかり暁火を信用している様子である。

 一体どんな手を使ったのだろうか。

 この二日間、暁火には驚かされたばかりだ。それだけの関わりこそありながら、郁斗は暁火の心の在り方が全く分かっていなかった。

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