ドンちゃん
高校の生物室には蛙がいた。大きい蛙で水の中でしか生活をしない蛙だった。
どんな種類の蛙なのかは知らない。…別に興味もなかった。
初めてその蛙を見たときにその大きな体と丸いお腹からか、『ドンちゃん』という名前が浮かんできた。
だから私はその蛙をドンちゃんと呼ぶようになった。
生物室には掃除の時にしか行かなかった。掃除で生物室に行く時はいつもドンちゃんのことを考えていた。ドンちゃんは生物室に入ってすぐのところにある水槽の中で暮らしていた。
ドンちゃんはめったに動かなかった。いつも決まって両手を顔の横に漂わせたまま動かなかった。…そのお決まりのポーズが好きだった。時々手を舐める仕草をした。素早く手を動かして、大きな口で手を舐めた。
一度、ドンちゃんに餌をあげたことがある。ドンちゃんの餌はレバーだ。私はレバーが嫌いだから餌をあげるのがちょっと嫌だった。
椅子に乗って水槽の上からピンセットを使ってレバーをあげる。
私はドンちゃんが近づいてきて食べるんだと思っていたけど、ドンちゃんは餌を食べに近づいては来なかった。
私はレバーを挟んだピンセットをドンちゃんの口の近くまで持っていった。
ドンちゃんは両手をワサワサと動かして、目にも止まらぬ速さでレバーを食べた。
両手をあまりにも素早く動かすので溺れて、必死にもがいているように見えた。
…ドンちゃんに餌をあげたのは、その時の一回きりだった。もっとあげられればよかったのに…。
ドンちゃんと会ってから半年がたった。久しぶりに生物室の掃除当番が回ってきた。
入ってすぐに水槽を覗きこんだけと、ドンちゃんはいなかった。
「どうしていないんですか?」
…と生物の先生に聞いたら
「死んじゃったんだよ。」
と言われた。
悲しくなんてなかったよ。‥…ただの蛙だもん。私が名前を付けただけ。餌をあげただけ。
…ドンちゃんと呼んで、可愛がって…。それだけ。
それだけ。なのに、どうして時間がたつにつれて寂しくなるんだろう。
どうして生物室に行くたびにもうドンちゃんがいるはずのない水槽を覗いてしまうんだろう。
ドンちゃん。寂しいよ。
いつの間にそんなに私に好かれたの?……生物室に行くたび、寂しいよ。